黒羽1  黒羽町概 
奧の細道二人旅・黒羽1
 那須の黒羽という所に知人があるから、これより野越えにかかって、一直線に行こうとする。遙かに見える一村を目あてにして行くのに、雨が降り日が暮れる。農夫の家に一夜の宿を借りて、明ければまた野中を行く。そこに野放し飼いの馬がある。草刈る男に嘆き言い寄ると、いなか者といってもさすがに情を知らぬわけでもない。「どうしたらよかろうな。けれどこの野は縦横にひろがって土地慣れぬ旅人は踏み違えるだろう。心配ですから、この馬の留るところで馬を返して下さい。」と貸してくれました。
 子供が二人、馬の跡をしたって走る。ひとりは小娘であって、名を「かさね」という。聞きなれぬ名が優しかったから

 かさねとは八重撫子のななるべし 曾良

やがて人里についたから、借賃を鞍壷に結びつけて馬を返した。 

黒羽地図 7月30日(木)
 日光を立ち、遠回りにはなりますが時間短縮のため日光有料道路から東北道へ。矢板ICで降りて国道461号線で大田原を抜け黒羽町へ向かいました。
 黒羽町へ入る2kmほど手前に那須神社があります。現国道に並行して杉並木の道がありますから、これが 旧街道と思われます。おそらく芭蕉もこのあたりの道を通って黒羽に入ったのでしょうが、芭蕉が那須神社を訪れたのは黒羽を訪れてから11日目のこと。なぜ最初にお参りしてから黒羽に入らなかったのでしょう?

 黒羽町に入り、先ず町役場にて資料入手。芭蕉は黒羽に14日間滞在しています。奥の細道の中で最も長くいた所とあって、ゆかりの地も多く、黒羽町も芭蕉を観光の目玉にしています。資料も実に豊富です。
次に『芭蕉の館』を見学。黒羽城祉と芭蕉の道を歩きました。続いて車で10分ほどでしょうか、雲厳寺参詣。昼時になりましたので観光やなで鮎の塩焼き定食で昼食。明王寺、常念寺、光明寺跡、西教寺、翠桃墓、犬追物跡、玉藻稲荷と回りました。

 芭蕉は黒羽から馬で送られて黒磯、高久の庄屋角左衛門方に立ち寄り、それから那須湯本の殺生石へ向かうのですが、私たちが高久に着いたのが既に4時過ぎ。今日の宿泊予定は郡山のため、後の予定を断念し東北道で郡山へ向かいました。予定では午前中に黒羽を終わらせ、午後殺生石、遊行柳、白河の関だったのですが、黒羽町をなめていました。1日必要です。

 

黒羽町商工観光課 0287-54-1117  黒羽町観光協会 0287-54-1110

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