奧の細道二人旅・旅立ち
旅立ち
千住 素盞雄(すさのお)神社・矢立初めの碑

千住大橋
弥生(陰暦3月)も末の七日(27日)、あけぼのは空ろうろうとして、月は有明であり、光もおさまったものだから、富士の峰がかすかに見えて、上野・谷中の桜花の梢も、またいつ見ることがあろうかと心細い。むつまじき仲間は宵よりつどい集まって、舟に乗って送ってくれる。千住という所で舟を上がると、前途三千里の思いで胸がいっぱいになり、幻のように思われる巷に離別の泪をそそぐ。

 行く春や鳥啼き魚の目は涙

これを矢立の使い初めとして、出立したが道はまだはかどらない。人々は途中に立ち並んで、後影の見える間はと、見送ってくれるのだろう。
千住地図 平成10年7月29日(水)

 さあ、奧の細道の旅の初日がやってきました。
 起床 5時30分。昨夜支度は終わらせてあるので、とりあえずコーヒーを一杯飲んで目を覚まします。ユキママは眠そうな顔でコーヒーを入れ、ユキさん(次女・短大1年)の朝食の用意をして、おもむろに顔を作っています。
 「いくぞ!」 車に乗ったのが6時30分。カーナビには今日の予定コースが入れてあります。中野の自宅を出発し、新青梅街道から目白通り、忍ばず通りを通って一路千住へ向かいます。早朝なので都内も車はすいています。途中コンビニでおにぎりを買い走りながら朝食です。
 そろそろ千住。安いカーナビなので、きっちり進路にシンクロしていません。数十メートル走ってから「おい、今の交差点左折じゃないか?」 Uターンして左折。数百メートル走るとありました。素盞雄(すさのお)神社です。とりあえず車は路上駐車。数十メートル先が日光街道への交差点ですが、ほとんど車が走っていないから許してもらいましょう。

素盞雄神社:荒川区南千住6丁目  境内自由  南千住駅下車
7時 5分 素盞雄神社参拝。通勤する方が拝礼して行かれます。ラジオ体操でもあったのでしょうか。散歩されるお年寄りの姿がちらほら。
それにしても、見事なお社です。
 このあたりでは「てんのうさま」と呼ばれているこの神社。「小塚原・三ノ輪・下谷通新町・町屋辺り」を氏子にしています。これらの地名、時代劇にはなくてはならない地名です。銭形平次あたりが登場してきそう。
 境内には二基の碑があります。一つは天保12年に建てられた「森昌庵追慕の碑」  そしてもう一つが文政3年(1841)に建てられた「松尾芭蕉句碑」です。(下の写真)
 
 ここから千住大橋までは目と鼻の先。大橋を渡った北詰「大橋公園」が芭蕉旅立ちの地。小さな公園ですが、「矢立初めの碑」と「おくのほそ道行程図」がらり、周囲を囲むフェンスには奥の細道を形どるような模様が描かれていました。

「さあ、おくのほそ道へ出かけるぞ!」そんな気になり出発。  
すさのう神社
行く春の碑
矢立初めの碑(大橋公園):足立区千住橋戸町
矢立初めの碑


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