遠い神代の昔、大己貴神(おおなむちのかみ)【大国主神(おおくにぬしのかみ)に同じ】が、自らの幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)を三輪山にお鎮めになり、大物主神(おおものぬしのかみ)の御名をもってお祀りされたのが当神社のはじまりであります。それ故に、本殿は設けず拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し、三輪山を拝するという、原初の神祀りの様が伝えられており、我が国最古の神社であります。
大三輪之神(おおみわのかみ)として世に知られ、大神をおおみわと申し上げ、神様の中の大神様として尊崇され、各時代を通じ、朝野の崇敬殊に篤く、延喜式内社・二十二社・官幣大社として最高の待遇に預かり、無比のご神格がうかがわれます。(大神神社HPより引用)
巳の神杉(みのかみすぎ)
江戸時代には、「雨降杉」とあり、雨乞いの時に里の人々が集まり、この杉にお詣りをしました。いつの時代からか、杉の根本に、巳(み)さん(=蛇)が棲んでいるところから、「巳の神杉」と称せられるようになり、巳さんの好物とされる卵が、酒とともにお供えされています。
(大神神社HPより)

拝殿(はいでん)

現在の拝殿は、寛文4年(1664)徳川4代将軍家綱の造営になり、西向きに建ちます。桁行9間(21メートル)、梁間4間(8メートル)、正面は三間一面の大向拝がつき、江戸時代を代表する堂々とした建物で、大正10年に国の重要文化財に指定されました。
拝殿の左右には、2つの建物が付属し、向かって右に勅使殿、左に勤番所があります。(どちらも県指定文化財) (大神神社HPより)

二之鳥居

大鳥居

ここは「初瀬街道」というより「山辺の道」ですが、せっかく近くに来たのでお参りしました。

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