護国寺

 地下鉄「護国寺駅」を降り、地上に出ると音羽通りが目に入ります。音羽通りと不忍通りが交差する正面に「護国寺」があります。まず表門である仁王門をくぐると50段近い石段があり、その上に建つのが朱塗りの不老門。独特の割拝殿スタイルの門を抜けると、正面に入母屋造り銅板葺きの本堂が建っています。境内には、重文の月光殿や多宝塔、禅宗様建築の薬師堂などが甍を並べ、当時の将軍の力を感じさせます。

護国寺

天和元年(1681)五代将軍綱吉の生母桂昌院の発願により建立。以来将軍家の祈願寺として信仰され、大いに栄えました。また、明治の元勲が眠る寺としても知られ、大隈重信・山県有朋・田中光顕・三条実美などの墓が並んでいます。

境内自由
本堂 9時〜16時30分 無料
仁王門 石段と不老門
本堂 多宝塔 不老門から音羽通りを望む
 護国寺を出ると、正面に真っ直ぐに延びている通りが音羽通り。護国寺創建時に京都朱雀大路を模して、御成道として整備された通り。しばらく下って左の坂を登ると「鳩山会館」がありますが、今回は不忍通りを右に折れ目白台へ向かいます。
正面が音羽通り

長谷川平蔵私邸

 目白台といえば、鬼平ファンには忘れられないあの「長谷川平蔵私邸」ある場所。
本所菊川には実際の平蔵邸跡がありますが、池波正太郎「鬼平犯科帳」ではここが私邸です。
ここいらを、息子辰蔵が悪友弥太郎と遊び歩いていたと思うと、わくわくしてきます。

不忍通り この辺が平蔵私邸なのかな?

関口芭蕉庵

 不忍通りを左に折れ「夜寒坂」を下ると目白通りに出ます。目白通りを左に江戸川橋方向に向かい、目白台3丁目のバス停の先を右に折れると胸突坂。(椿山荘の庭園を見るならそのまま進んでください。)下りきる少し手前の左側に「関口芭蕉庵」があります。そして下りきったところが「神田川」。右側には水神社と新江戸川公園などがあります。

関口芭蕉庵
 松尾芭蕉が神田川改修工事にかかわった時、延宝5年(1677)から3年余ここに住んだと伝えられ、風雅な庭園を説明付きで案内してくれます。ちなみに芭蕉は測量技師として工事にかかわり、当時江戸にいた水戸光圀と知り合い、水戸光圀の密命を受け伊達藩を探る旅に出たのが「奥の細道」なんてのが「芭蕉忍者説」。
10時〜16時 月曜休み 無料
関口芭蕉庵
関口芭蕉庵前の私・後ろが胸突坂
椿山荘  この辺りの神田川両岸には桜の並木があり春にはさぞ美しいことでしょう。駒塚橋の上から左後ろを見ると「椿山荘の庭園」と「フォーシーズンズ・ホテル」が望めます。

椿山荘
 山県有朋別邸。お茶を飲みに立ち寄ってもいいでしょう。庭園も素晴らしいものがあります。
庭園 無料 9時〜22時
ちょっとお休み
 駒塚橋から正面を見ると新目白通りをはさんでリーガロイヤル早稲田Hの茶色い壁が見えます。私達夫婦はちょっと疲れたのでここでお茶にしました。ロビーを入った突き当たりにラウンジがあります。外には美しい庭園と大隈講堂が見え、早稲田出身者には懐かしい景色でしょう。
 

穴八幡神社

 元気を取り戻したところで、大隈講堂と早稲田正門の間を通り、南門通り商店街を抜けると早稲田通りに出ます。馬場下町交差点を渡り「穴八幡宮」参拝します。ここは江戸城北の鎮護とされ、将軍家の祈願所として栄えた神社。虫封じの御利益があるということで、私の母親も私を連れてお参りしたとか。
 高田馬場へ駆けつける中山安兵衛が、この穴八幡で願を掛け、そこに居合わせた堀部弥兵衛から娘の扱帯を襷代わりに受け取るというのは講談などでお馴染みの話。池波正太郎「堀部安兵衛」「おとこの秘図」などで、この辺りが取り上げられています。

穴八幡1 穴八幡2

高田馬場と水稲荷神社

 早稲田通りの八幡坂を登り、西早稲田の交差点で水稲荷神社の案内標識に従って裏道にはいると、高田馬場跡と書かれた案内板があります。この辺りがあの高田馬場。流鏑馬でも有名な水稲荷神社があります。大隈重信公も毎日お参りしたということで、早稲田志願の方はお参りするといいかも。
 ここに堀部安兵衛の碑があるはずなのですが、あったあたりに新しいマンションの駐車場が出来ていて発見できず。もしかしたら駐車場になってしまったのでしょうか?

高田馬場碑 水稲荷

 今回の散歩はここまで。バスで高田馬場駅へ出ました。

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