はまひるがおの咲いていた島
奄美大島を旅した記録と写真



 口ずさめば、誰もが一度は耳にしたと気づくはずのフランス映画「男と女」のテーマ。
その歌詞を作り、歌ったピエール・バルーが2003年秋、北海道と九州を3カ月かけて回った。
 「フランスも北と南では言葉も文化も違うが、日本は比較にならないほど違う」。
その多様さに目を見張ったというバルー。
11月中旬、奄美大島に滞在し3日間のライブを行う彼を追った。
 バルーと旅を共にしたのはパーカッションのヤヒロトモヒロと、ボーカルとギターの中村善郎。
3人は北海道の赤れんが倉庫や長崎市の旧外国人居留地、福岡市の住吉神社能楽殿でも歌った。
 知日派で知られるバルーは、日本人を「足が土の中に埋まっていて、
頭は二十二世紀を向いている」と表現する。文化やルーツがきちんとある上に、
テクノロジーが進んでいるという意味だ。
 北海道の祭りで三味線をかき鳴らしたおやじさんや、奄美大島の島唄、
踊り出した聴衆が思い出に残る。外国には「礼儀正しくつつましい」と紹介されがちな
日本人だが実際は「ものすごく情熱的だ」と感じた。スペインやブラジルどころではなかった。
 「日本のいいものは、ある壁を越えないと見えない。最初はあまり開放的に見えないけど、
だからこそいい面を知ると恋に落ちてしまう。もう大好き」。
 奄美大島のライブをのぞいた。海から夜風が吹き、波の音が近くに聞こえる。
ヤヒロが激しく打楽器を鳴らし、中村が海にちなんだ曲を歌うと客席から掛け声が飛ぶ。
浅瀬で波打つような、ゆっくりとしたリズムに、
島の唄者・中村瑞希の三線(さんしん)が重なり合い、奄美だけの新しい調べが出来上がった。
 風がやむころ、ガジュマルの木の陰から現れたバルーが、
サンバ・サラバやシャンソンの小品を歌い出した。つぶやくような歌。
いつしか会場からも歌声が上がり、マイクを置いても歌声はやまなかった。
 ツアー中、バルーは小さなビデオカメラを回し続けた。
接した人々や風土をフランス人たちに見せ「これが日本なのか」と驚かせるのが
今から楽しみだ、とほほ笑んだ。



写真は…

 はまひるがお  ピエール・バルー
  宿の前の海 中村瑞希の三線と 奄美料理とヤヒロ
ガジュマロの下で  暮れる波止場  宿の隣の緑
 鶏飯(けいはん)   マヤ・バルー  夜の浜を歩く


トップへ