2004.03.28
 小学校の低学年の頃、親父(故人)が、「お爺ちゃんの刀があるんだよ」と意味ありげな表情で言った。
「見たいか?」
「うん」
 親父は、居間の天袋からボロボロになった紙(後に和紙だと判ったが)に包まれた長い物を取り出した。
 親父は丁寧に、その紙を取り除いた。何やら重々しい雰囲気の「刀」が現れた。映画で見る刀よりも立派な感じだ。手にしたが、重い。庭に出て振り回そうとしたが、重くて自由が利かない。振り下ろした途端、刀の先が地面に…… 親父は、ただニコニコ笑っていた。

 物心付いた頃、「銃刀法」の言葉を知った。親父に訊いた。
「あの刀、登録してるの?」
「あの刀は、飾り刀だから刃はないんだよ。だから切れない。登録してないけど、多分、大丈夫……だと思う」
 切れないんだったら天袋の奥になど仕舞っておかないで飾っておけば良いのに。何となく釈然としないものを感じた。 

 中学、高校、大学、そして就職。楽しい事ばかりではない。イライラしたり塞ぎこんだり怒ったり、何かシックリ行かない事が起こると、ふと天袋を思い出し刀を取り出していた。そして、じっと見詰める。すると不思議と落ち着くのだ。刀を持って庭に出る。剣道の経験はないが、振り回す。刀は実に重い。侍は本当に刀を自由に扱ったのだろうか?

 何十年かが経ち、私は結婚した。更に年月が経ち、どういう訳か私は趣味で時代物の小説を書き出した。

   省吾は上段に構えたが、ピタッと動きを止めた。省吾が構えた
  途端、伊銀が下段に構えたのだ。省吾は勝負を急いだ。上段より
  一気に袈裟懸けにて斬り下す積りであった。だが、伊銀の構えは
  余りにも素早く、しかも寸分の隙もなく決まっていた。刀を振り
  下ろせば確実に跳ね上げられていた。
  「出来るっ! こやつは出来るっ!」    
   同じように伊銀も思った。
  「かなりの腕だっ! 凄いっ!」 
  
   二人は対峙したまま微動だにしなかった。
   たまに、ウォリャー! トリャー! と掛け声を掛けるだけ。
  この掛け声がもの凄い。まさに腹の底から搾り出すような響き。
  周りは静まり返っている。咳払い一つ、聴こえない。陽も上がり、
  木々の間からは蝉の声が聞えてくる。
   四半時ほどが経ったであろうか、省吾の額からは脂汗が滴り
  落ちている。
  「いかん! このままではいかん!」
   省吾は焦り出していた。上段の構えは、瞬時に相手を切り倒す
  には適しているが、長びく勝負には不利である。竹刀などであれ
  ばまだしも鋼で出来た刀。重い。省吾の振り上げたままの腕から
  は血の気が失せ、痺れてきた。この痺れが、体全体へと広がって
  いった。


 待てよ、刀は重いとの記憶がある。しかし、この記憶は子供の頃のもの。実際には、どのくらいの重さなのだろうか。Webで懇意になった、”おさる”さんにメールする。(「おさるの日本刀豆知識」
「2キロ前後です」

    省吾は、伊銀の構えに合わせ瞬間に、正眼か下段に構えを移せ
   ば良かった。だが、それは出来なかった。伊銀に隙を与えること
   になる。
    ターッ! もの凄い掛け声と共に省吾は踏み込み、刀を振り下
   ろした。
    その瞬間、伊銀は腰を低くし、右下に構えていた切っ先を左上
   へと斬り上げた。四半刻も対峙していた二人の勝負は、一瞬の内
   に決まった。
    刀を合わせることもなかった。


 とにかく書き終わったが、刀に対する実感が湧かない。
 書き終わった翌年の正月、実家に行き、刀を手にした。
やはり、登録した方が良いのではないか。
 家族に話し、我が家に持ち帰ることにした。だが、刀袋は無い。布団用の唐草模様の風呂敷に包む。かなり緊張した帰宅だった。
改めて持ってみた。重い。中子を見る。銘は「米澤住直信」。
 登録方法など、全く判らない。おさるさんにメール。
「私のサイトに書いてあります。良く読んでください。ただ、日本刀かどうかの認定がありますが、そこいら辺のところは実物を見ていませんので何とも……」

 銃刀法について調べてみた。
 終戦直後、GHQは、刀剣、銃砲などの没収を決定。いわゆる
<刀狩り>である。ある人物(失念)が、GHQに訴える。
「日本刀は文化。世界に、この様な文化・技術はない。文化を壊滅させようというのか」
 GHQは考えた。確かに一理ある。日本刀かどうかを認定する制度を作り、認められたものを文化財とすれば良い。つまり文化財保存である。東京都の場合、「東京都教育庁生涯学習部文化課文化財保護係」が担当する。

 直信の(こしら)えは立派だが、見方によっては飾り刀の雰囲気である。刀身には多少の錆があり、地面を打ち据えたためか切先には刃毀(はこぼれ)れもある。しかし、これらは扱いが悪かったためである。
直信には、地と刃、刃文もはっきりしている。どう見ても日本刀のように見える。親父の言葉が蘇る。「刃は、ないんだよ」 鍛錬したものでなければ日本刀として認められない。
 この刀は本当に日本刀なのか? とは言え、ハッキリさせた方が良いに決まっている。

 たまたま新聞で「平成名刀会」の展示会の広告を見つける。行ってみた。正に日本刀といえるものが並んでいる。素晴らしい。直信がカスんでくる。
「どうぞ、手にとって……」
「いえ、買う訳ではありませんので」
 会場にドデンとした態度で、ソファーに座っている人物あり。強面(こわもて)だが気さくさを感じる。
「あのー、お訊きしたい事があるのですが」
「どうぞ、どうぞ」
 有体に話す。ただし、最近、見つかった事にする。
「まず……警察署ですね。暮れに実家の大掃除を手伝った。その時、天袋から刀が出てきた。同じ事を話せば良いのです」
「でも、日本刀かどうか、心配で……」
「微妙なのは軍刀です。軍刀は粗製濫造で日本刀とは言えないものが多いのです。日本人は背が低い。大抵の場合、軍刀は60センチ前後です。腰にぶらさげますから、これ以上の長さだと引きずってしまいます」
 なるほど。
「刀身は、70センチを越えていますね。多分、日本刀だと思いますよ」

 意を決し、警察署に電話…… 勢い付けにウヰスキーを。
「刀が、見つかったのですが……」
 係が出る。生活課だったと思う。事情を話す。
「では、持ってきてくれますか」
「実は、度胸をつけるために、ちょっと入っていますが……」
「構いませんよ」
「持っていく途中で警察官に出くわし、尋問されたら困ります。しかも真っ赤な顔で酒臭い……」
「届けに行く途中だといえば、大丈夫です」
「本当ですか?」
「ははは、警察官は、ウソを言いませんよ」

 真っ赤な顔で光が丘警察署に。担当は、Kさん。
「先ほどは、どうも。これです」
 発見届けを渡される。良く見ないと届出書の項目が見えない。心を落ち着けて書きだす。
 その間、Kさんは、刀の長さなどを調べている。しばらくして、Kさんから「発見届出済証」を受け取る。

「これは、日本刀だと思いますよ」
「違った場合は?」
「基本的に、警察に渡してもらいます」
「没収ですか」
「いえ任意提出です」
「断る事は?」
「出来ません」
「じゃー没収だ」
「いえ、任意です」
 何となくシックリこなかったが、教育庁で開かれる「銃砲刀剣類登録説明会」の案内書をもらう。
「毎月第2火曜日です」
「判りました。ありがとうございました」
「何か判らない事があったら、いつでも構いませんよ」
 親切な警察官。警察に対するイメージが変わる。

 都庁第二本庁舎10階。既に、三十人ほどが座っている。
 会場に入り「発見届出済証」を出す。すぐに、「登録審査手数料」6,300円を取られる。教育庁もシッカリしている。見ると、前方にはイカメシい顔の鑑定士が四人、既に登録者を前に刀を調べている。刀は、皆、綺麗なものばかり。直信は、大丈夫なのだろうか。話し声は聴こえない。結構キチンと調べている様子だ。これは、時間が掛かる。周りを見ると大抵の人が刀袋で持参している。中には、木箱を持ってきている人もいる。何口(なんふり)かの刀を申請するのだろう。凄い。

 部屋の右側に、「警視庁」と書いたプレートがあり、私服警察官らしい人が二人座っている。なるほど没収係りだな。

 とにかく待たされる。部屋の入り口にソファーがあり灰皿がある。イライラしながら煙草を吸う。たまたま警視庁の一人が煙草を吸いに来た。
「時間が掛かりますね。いつもこの位の人が来るんですか」
「えー、そうです」
「失礼ですが、没収係りですか」
「いえ、私たちは提出を受けるために控えています」
「日本刀と認定されなければ、持っていられないんですか」
「美術品でなければ、ただの鉄の棒です。しかし、鍛錬してなくても鉄ですから研げば凶器になります。文化財でなければ、持っている意味がない訳です」
「しかし、登録不要の飾り物の刀なんかが売られていますが」
「あれらは鉄ではありませんので研げません。つまり、切れません。もっとも、叩けばタンコブ位はできるでしょうが」
「私の刀が日本刀と認定されなければ、没収されるんですよね」
「没収ではなく任意提出です」
 この警察官も没収との言葉には難色を示す。
「所管の警察に提出してもらっても良いのですが面倒ですよね。従って、私たちが代わりに提出を受ける訳です」
「しかし、この刀には、未練がありますが……」
「提出は刀身だけで良いのです。鞘などを持って帰り、竹光にすれば飾っておけますよ」
「なるほど。しかし、竹光じゃー」
「ま、頑張ってください」
 何を頑張れというのか。
「ところで日本刀ではなかった場合、6,300円は戻るんですか」
「いえ。一口当たりの審査料ですから戻りません」

 だんだん不安になってくる。しかも布団用の唐草模様の風呂敷に包まれた刀だ。全く持って貧相である。

 鑑定士は、実に丁寧に仕事を進めている。申請者とも何やら話し合っている。

 いよいよ番が回ってきた。目釘を外し中子を出す。銘、長さ、反りなどを調べている。
 調べる度に書類に記入する。全くの無言。ものの5、6分で終った。他の人にはいろいろと話していたくせに。散々待たせたあげくに、一言もなく終りとは……
「この刀、拵えがちょっと痛んできまして……」
 鑑定士曰く、
「私たちは、刀身を調べるのであって拵えについては知りません」
 ムセッ! としたが、まー、良かった。風呂敷を広げ、刀を包む。なんとなく格好悪いなー。

 先ほどの警視庁警察官の前に行く。
「日本刀でした」
「良かったですね」

 帰り際、「銃砲刀剣類登録証」を受け取る。長さ70.2cm、反り1.8cm。 晴れて直信は、日本刀として認定された。最近見つかった事にしたが、在りのまま話しても良かったようにも思う。飾り刀だと思い、登録申請は不要だと思っていた。しかし、気になるので申請する事にした……

 おさるさんに報告。
「良かったですね。実は、調べてみました。確かに米澤に直信という刀工がいました。160年ほど前です」
 幕末生まれの刀か。

 光が丘警察、Kさんにも報告。
「やはり日本刀でしたか。美術品です。文化財として大切にしてください」

 平成名刀会に行き報告した。ついでに、刀袋を買おうと思った。
「刀袋が欲しいんですが」
 担当の人が三種類の刀袋を見せてくれた。総て高級西陣織。落ち着いた雰囲気の一つを手に取る。高級西陣織だ、高いのかなー。

「これが気に入りました。幾らですか」
「3,500円です」
 高級西陣織……? 何となく気が抜けた。

 今、直信は、高級西陣織刀袋の中で大人しくしている。

 米澤でこの刀を作った直信さん……  貴方は、どんな人生を送ったのですか?
 
 日本刀直信さん……  君は、人を斬った事があるのですか?
 
 日の出の眩しい陽光に直信を翳す。何かを語り掛けるような光の反射。
 しかし、何を問い掛けても直信は、ただ深遠な光を返すだけ。