2001.10.27
 物事の印象は、当人の状況により大きく変わるものであるようであります。
 
「おい、四谷怪談、見たか?」
「見た見た。イヤー、あれほど恐い怪談は初めてだよ」
「そんなに恐かったか? どの場面だ?」
「お岩が、櫛を入れると、髪の毛が、バサッ、バサーッ!」
「確かにあの場面は、気味が悪かったな。しかし、そんなに恐くはなかっただろー?」
「なにを言うか。体が震えて止まらなかったよ」
 この男、若禿げ真っ最中であったりしまして……


 志乃が亡くなって半年ほど経ちます。三左衛門は今日も縁側に座り、志乃の事を(しの)んでおります。
「寂しいものだな。十年連れ添ったものがいなくなると」
 三左衛門は、剣道指南として、ある国に仕官していましたが、つまらぬ陰謀に巻き込まれ、浪々の身となり、この地に移り住んでおります。仕官先を捜しますが旨くいかず、唐傘貼りを内職に。志乃は着物の繕い。二人力を合わせ、なんとかその日その日を送っておりました。 
とても仲の良い夫婦でありまして、二人でいれば生活の苦しさも苦になりません。志乃の(しと)やかで品の良い物腰は、貧しい暮らしをしていても変わりません。
 しかし、このような夫婦のお定まり。志乃は、胸を患い、あっけなくあの世に。
 
「志乃、拙者一人のくらしは、なんとも味気ないものぞ。しかし、志乃には、苦労をかけたからからな」
 夕暮れ時、毎日、同じ事をつぶやきます。今夜は、満月。綺麗な、まーるいお月様です。嘆いていても仕方ありません。部屋に入ります。

「サンザ様。三左衛門様」
 志乃の声です。
「志乃か? どこに居るのじゃ?」
「三左衛門様、庭を見てくださいませ」
 コウモリが飛んでいるだけです。
「志乃、姿を見せてくれ」
「三左衛門様、コウモリが私です」
「コウモリが? どう言うことじゃ?」
 コウモリは、軒下に留まります。
「三左衛門様、お懐かしゅうございます。志乃は、戻ってまいりましたよ」
「しかし、志乃は、美しかったがなー」
「かなりお見苦しい格好ではございましょうが、お許しくださいませ」
「い、いや、志乃と思えば、醜いコウモリもかわゆく見えるぞ」
「まー、お一人になった途端、お口がお上手になったこと! ウッ、キッキー」
「な、なんじゃ、そのウッ、キッキーは?」
「ご免あそばせ。まだ、コウモリになって日が浅いものですから、笑い方にも慣れておりませんの。ま、宜しいではございませんか。ウッ、キッキー」
「わ、判った。我慢しよう。しかし、なぜ、コウモリなんぞに」
「何をお戯けを! あまりにも三左衛門様が、志乃、志乃とおっしゃるから、こうなった次第。総ては、三左衛門様のせいでございますよ」
「拙者のせい? どう言うことじゃ? ましてや拙者は、志乃、志乃と言ったりはせぬ」
「何を抜かすか、このアンポンタン」
「なんと申した? 以前の志乃は、そんな下賎な言葉は使わなかったぞ。もっとも、声には出さなかったが、志乃、志乃と心の中でつぶやいておったが」
「それごらんなさい。この嘘つきめが。地獄で閻魔様に舌を抜かれますぞ」
「しかし、ハッキリと物を申すようになったな」 
「いかにも。あの世に一度まいりますと、もう恐いものはありません。しかも、自己の考えを、自由に、かつ、ロジカルに、ダイナミックに語る事が尊厳ある人間としてのアイデンティティーの確立に結びつくものと教えられました」
「何じゃ、聞いた事がない言葉を使うが、拙者にはサッパリ判らん」
「ウッ、キッキー。お判りにならぬのも当然。エゲレス語を使ってしまいましたから」
「エゲレス語? 志乃、あの世では、どのような生活をしているのだ。それに、この世に戻れた事など、詳しく話してはくれぬか」
「三左衛門様、少々長くなりますが、お聞かせいたしましょう」

 志乃は、語り始めます。
「あなた様と別れ、一人であの世に旅立つのは、本当に辛ろうございました。しかし、定めでございます。この世とのお別れの日、三左衛門様は、志乃が今まで見た事がないほど、おやつれになっていらっしゃいました。志乃の事を心から案じてくれていたことが痛いほど判りました。嬉しゅうございました。
 あの世には、いくつかの国がございます。志乃は、釈迦国に参りました。他には、イエス国、マホメッド国などがございます。生前の宗教により所属する国が決まります。どの国も平和ですし、国ごとの争いなど一切ございません。お釈迦様やイエス様、マホメッド様も友達同士。たまに地獄から閻魔様をお呼びになり、四人で麻雀などを楽しまれています。三左衛門様は、麻雀などは、ご存じないでしょうが、殿方にとっては面白いお遊びのようでございますよ。
 釈迦国には、日本人だけでなく、中国人、チベット人、エゲレス人など、いろいろな地方の方々がいらっしゃいます。どうせなら文化交流をしようと言うことで沢山の教室がございます。カルチャー・スクールと呼ぶそうです。志乃は、エゲレス語教室に入学し勉強をしております。こう見えましても、成績は結構良いのでございますよ。自慢しているように思われるかも知れませんが……。教室では二番の成績でございますの。ウッ、キッキー。失礼しました。オホホ、ですね。三左衛門様のことも気掛かりでしたが、所詮、この世と、あの世、お互いに三途の川の行き来は出来ません。志乃は、志乃なりに、あの世で楽しんでおりました。だって仕方がありませんもの。
 ところが、三左衛門様の『志乃、志乃』の声が、釈迦国中に聞こえてまいります。思いの強さと音量は、正比例するそうです」
「志乃、ちょっと待ってくれ。正比例などと言う算術用語も理解しているのか」
「えー、時間がありますので数学Uの授業も受けております。次は、群論講座に進むか、解析学に進むか悩んでおります」
「まー、細かい事は良いから話を先に進めてくれぬか」

「ウッ、キッ、ホホホー。そうですね、ちょっとこの世の人とはレベルが合いませぬネ。釈迦国で、この志乃、志乃の声が問題になりました。お声が聞こえ出した頃は、お釈迦様も『志乃、三左衛門は、そなたの事を余程愛していたのだな。不憫な事をしてしまった。ま、過ぎた事。志乃、私を責めるでないぞ』などとおっしゃっていましたが、余りの大音響に、さすがのお釈迦様も睡眠不足。仏の顔も三度…… と申しますように、いささかお困りのご様子でした。ある日、志乃は,お釈迦様に呼ばれました。
『志乃。三左衛門の思いは、尋常ではない。これほど強い絆がある事を初めて知った。素晴らしい事なのだが寝不足も辛い。それに、我が国の騒音防止条例にも抵触しかねない。そこで提案だが、志乃。三左衛門のところに戻って遣ってはどうだ』
 お釈迦様は、そう申されました。志乃は、憤慨しました。ご自分が志乃をあの世にお連れになったのに、今度は戻ってはどうか、とのお言葉。全く、場当たり的な、計画性のないお言葉。志乃は、弾劾裁判の手続きを採ろうかと思ったほどでございました」
「弾劾裁判? ひょっとすると上の人間を引き摺り下ろす事か? そんな事が出来るのか?」
「ウッ、ホッホホ。民主的なのでございます。でも、志乃は、そんな事よりも、三左衛門様のお側に戻れる事が嬉しくて即座に提案をお受けいたしました。それからが問題でございます。
『志乃、人間の姿で戻る事は出来ないぞ。コスチュームの在庫を調べたが…』……」
「志乃、コスチュームとは何なのだ?」
「一種の着物でございます。ただ、お釈迦様が持ってこられたのは、動物や、虫などの格好をしたコスチュームでした。志乃は、どうせ三左衛門様のお側に戻れるのであれば、鶴とかコマドリなどが良いと申したのですが、あるのは、ムカデ、ゲジゲジ、ミミズにタニシ。スカンク、イタチにイノシシ、ハイエナ。そして、コウモリ。
『志乃は美しい姿をしているが、鶴やコマドリなどは出払っている。これらのコスチュームしか在庫がない。どれかを選んでくれぬか』
 志乃は辛うございましたが、空を飛べますので泣く泣くコウモリを選びました。三左衛門様、何故、コウモリの姿で戻ったか、お判りになりましたか。好きでこの姿になったのではありません」
「よーく、判った。志乃、あの世に行っても、拙者は、そなたに苦労を掛けているようじゃな。済まぬ」
「あまりお気になさらずとも宜しゅうございます。お陰で、こうやって三左衛門様のお側にいられます。志乃は、あの世から戻ったとは言え、人間ではございません。どうぞ、余り、志乃のことを意識せず、ご自由にお振舞われてください。おなごとお遊びになっても構いませよ」
「おー、そうか。考えてみれば、志乃と一緒の時はおぬしの事しか考えなかった。他のおなごなど目に入らなかった。少しは自由に遊ばせてもらおうか」
「そうなさいませ。でも、お気を付けあそばせ。人妻はいけません」
「当然じゃ」
「それに十六歳未満もいけません。淫行罪に問われます。ひとり身のお方は、すぐに嫁入りを考えます。三左衛門様は、充分な収入がありません。避けたほうが宜しいです」
「判っておる。拙者にとって嫁は、志乃だけじゃ」
「後家さん、女郎さんもいけませんよ」
「何故だ?」
「三左衛門様は、優しいお人柄。彼女達は、手練手管にたけた方々です。すぐに、(たら)し込こまれることは目に見えております。絶対にお止しください」
「そう言われてみれば、そうじゃな。しかし、そうするとどのような女子が残るのだ」
「そうでございますね。三左衛門様は、五十、六十のおなごが宜しゅうございます」
「なんじゃ。結局、遊べる女子は()らぬではないか。人を喜ばせておいてひどいのう」
「やっと気付かれましたか。ウッ、ギッギーのギー!」
「なんじゃ、興奮するとギーになるのか。どうにも堪らんな」
「失礼いたしました」

 たわいもない話も、二人にとっては楽しい会話。三左衛門も久しぶりに笑顔で眠る事ができました。

 相変わらずの唐傘貼りが続きます。志乃は、あの世のコウモリですから昼間も問題ありません。諸国を飛びまわり、いろいろな情報を集めてまいります。志乃とて、三左衛門の仕官を望んでおります。

「三左衛門様、大変でございます。乙原国が、甲川国に戦さを仕掛けるようでございます」
 いくつもの国が覇権を争い、国中が不穏な空気に満たされております。
「いくら戦国の世とはいえ、それは解せぬな。両国は、勢力も均衡しており、戦えば、どちらかが滅んでしまう。そのような危険な戦いを乙原が仕掛けるとは思えんが」
「志乃が調べましたところ、甲川で金山が見つかったのでございます。他国に知れぬよう徹底した管理がなされていますが、乙原の間者がつきとめました。金山を持った甲川が、今後勢力を伸ばすのは必至。乙原としては、このままでは、いずれ甲川に滅ぼされる。今のうちに甲川を攻め、金山をも手中にと考えているようです。戦さの準備は着々と進んでいますが甲川は、まだ気付いておりません。甲川は、三左衛門様も仕官をお考えになったほど良い国と聞いております。乙原は、約一万二千の戦力。甲川は、八千。数の上では、乙原の方が上回ります。甲川には優れた武将たちが多く、今までは乙原も手が出せませんでしたが、この度は不意打ちを考えております。これでは、甲川も危のうございます」
「なるほど。金山の発見で状況が大きく変わった訳だな。志乃の話は、あながち嘘ではなさそうだ」
「このオタンコナス! 志乃が嘘など付いたことがありましたか。三左衛門様の事を思い、こうしてお話申し上げているのです。そのような事をおっしゃるのでしたら、もう知りません。志乃は頭に来ました」
 ガブッ! 三左衛門に噛み付いてしまいます。
「痛いではないか。謝る。おー、血が出てきたぞ」
「あらまー、ちょっと強く噛みすぎたかしら。志乃が、舐めてあげましょう」
 ペロペロ。
「志乃、おぬしは吸血コウモリかっ!」
 緊迫した状況でありながら、二人はじゃれ合っております。仲の良い夫婦とは、こう言うものでございます。傍で見ていますとバカバカしくなってまいります。夫婦喧嘩は犬でも喰わぬ、とは良く言ったものでございます。

「では、志乃。そなたが甲川に行き、伝えて参れ」
「何を(たわ)けたことを。志乃の話を理解できるのは三左衛門様だけでございます。他の方には、ただ、キキーとか、ギギーとしか聞えませぬ。それに、良い機会ではございませんか。この情報を甲川に伝えれば、ご仕官がかなうかも知れません。そのようなノンビリした姿勢がいけませぬ。腕も立ち、明晰な頭脳を持っていながら世渡りが下手。その上、正義感は人一倍。何も、陰謀に巻き込まれずとも良いものを、正義感から余計な手出し。挙句のはてに浪々の身。その日の食事にもこと欠く始末。志乃は、どれほど苦労したことか。情けのうございます」
 志乃は、さめざめと泣き出します。まだ、先程の血が口の周りについておりますし、なんせコウモリ。余り美しい泣き顔とは申せません。いえ、恐ろしいと言った方が宜しいようです。これには三左衛門も、さすがに、ゾッといたします。
「判った、判った。兎も角も、涙と血を拭いてくれ。拙者が参ろう。急いだ方が良いな。明朝、出立いたそう」

 甲川国、筆頭家老の屋敷前。りっぱな門構え。
「たのもー、たのもー」
 門番が出てまいります。
「何用じゃ。なんだ素浪人か。邪魔だ邪魔だ、あっちに行け」
「重要な用事で参った。家老に取り次いでいただきたい」
「何ッ! 取り次いで欲しいだとっ。笑止千番。乞食のようなものを取り次ぐ訳にはいかん。あっちに行かないと取り押さえるぞ」
 三左衛門、どうして良いか判りません。志乃が、ささやきます。
『三左衛門様、この門番は勝負事が大好きでございます。勝負を挑み、勝てば良いのでございます』
「とは申せ、何の勝負をすれば良いのじゃ」
『ジャンケンで良いのです。三回勝負です』
「ジャンケンか? 子供地味ておるの」
『しかも、この門番。出す順番は決まっています。グー、チョキ、パーです。必ず勝てます』
「判った。遣ってみよう」

「これこれ、何をブツブツ申しておる。そなた頭もおかしいのか。それに、何じゃ、昼間だと言うに、コウモリが飛んでおる。キキー、ギギー五月蝿くてかなわん」
「門番殿、こうしては如何か。ジャンケンの三回勝負で、拙者が勝てば取り次いでくれると言うのは」
 門番、急にニコニコいたします。
「おぬし、わしに勝てるとでも思っておるのか。愚か者め。勝負を挑まれ受けぬ訳にはいかぬ。よいぞ。先に三回勝った方が勝ちとしよう。最初は、グーよ、ジャンケンポン」
 なんとも締まらない二人であります。志乃が、言う通りに、グーを出します。当然、三左衛門は、パー。
「拙者がパーで、門番殿がグー。拙者の勝ちでござる」
「判っておるわ。さー、二回戦じゃ。ジャンケンポン」
「拙者がグーで、門番殿がチョキ。拙者の勝ちでござる」
「いちいち言わなくとも判っておる。さー、次の勝負じゃ」
 三左衛門、余りにも志乃が言う通りなので、いささか面食らってしまいます。ジャンケンポン。何と、三左衛門、パーを出してしまいます。次は、パーを出すぞ出すぞ、と考えているうちに自分が、パーを出してしまった訳です。門番は、
「あいこかっ。良いぞ。さーて、三回続けて勝てば良いのじゃ」
 三左衛門、困ってしまいます。三回までは聞いていましたが、その次は聞いていません。
『まったく、困ったお人ですね。あれほどお教えしたのに』
「次は、何を出せば良いのじゃ。教えてくれ」
 門番は、イライラしてまいります。
「さきほどから、おぬしはブツブツ。コウモリは、キーキー、ギーギー。早くいたせ」
『宜しいですか、この門番、グー、チョキ、パーの次は、パー、チョキ、グーでございます。今度は、間違えないでくださいませ』
「あい判った」

「門番殿、お取次ぎいただきたい。拙者の勝ちでござる」
「約束いたした以上、取り次がねばならぬが、用事はなんじゃ。下らん用事であれば拙者がお咎めを受ける。妻も子もある身じゃ。職を失いたくない」
 急に、しおらしくなってしまいます。
「門番殿、浪人生活は辛ろうござるぞ。拙者の場合は、子供がおらなかった故、多少は気楽であったが、唐傘貼りも結構疲れる内職。ご同情いたす」
 戦さが始まろうと言う時に、浪人生活の辛さを語りだします。
 志乃は、呆れ顔。
『おいコラッ。何を遣ってるの。いい加減にしなさいっ! 金山の件と言えば血相変えて取り次ぎます』
「おー、そうであった。門番殿、金山の件でござる」
 門番、真っ青になります。金山は、極秘中の極秘。このような素浪人が何故知っているのか、急に恐ろしくなります。
「待っておれ。良いな、そこで待っておれ。動いてはならぬぞ」
 飛んでいきます。

「そちか、金山について話があるというのは。金山について知っている事自体、胡散臭(うさんくさ)い。事によっては生きては帰れぬぞ。どこで金山について知ったのだっ」
「ご家老、何処で知ったかは企業秘密。申せません。お知らせしたい内容は、乙原国についてであります」
「何ッ、乙原とな。如何いたした」
「乙原は、金山について知っております」
「なにー、乙原が金山について知っていると申すか。まことか?」
「まことの話でございます。しかも、金山を奪うべく戦さの準備をしております。近々、不意打ちを画策いたしております。事は急を要しますぞ」
「な、なんと! (いつわ)りではないな。もし、偽りであれば、そちは打ち首じゃ」
「ご家老、急ぎお調べくださいますよう」
「うーん」
 家老は、数人の間者を呼び寄せ調べさせます。

「三左衛門と申したな。そなたの言う通りであった。今、戦さの準備を急がせておる。そなたは甲川の救いの神じゃ。殿にもお知らせした。何はともあれ戦さに勝たねばならぬ。そなたも、共に戦ってくれぬか。一人でも多い方が助かる」

 もともと、つわもの揃いの甲川の武将たち。急な戦さ準備にも関わらず、甲川を守るだけでなく乙原に攻め入り滅ぼしてしまいます。
 三左衛門が活躍した事は申すまでもありません。縦横無尽な働きぶり、バッタバッタと敵を薙ぎ倒します。

「三左衛門。そちには感謝いたしておる。どうじゃ、甲川に仕官せぬか。殿も、是非と申されている」
「ははー、ありがたき幸せ。願ってもない事でございます」

 金山を管理し、財政を堅固なものとし、しかも、剣術指南役として侍たちを(きた)えます。志乃も大活躍。周辺の国に止まらず、遠く離れた国の情勢を調べ三左衛門に報告いたします。
 戦さから四年。三左衛門は、その働きにより家老に。甲川は繁栄を続けます。

「三左衛門様。お話がございます」
 志乃が珍しくかしこまった表情で三左衛門に話し出します。もっとも、コウモリのかしこまった顔が、どのようなものかは、噺しております私にも良く判りませんが……。

「志乃は、あの世に戻らなければなりません」
「なにを申すか。そんな話は聞いておらんぞ」
「四年前、三左衛門様のお側に参った時に話すべきでした。しかし、どうしてもお話できませんでした。お釈迦様は、この世に戻ったら、まず三左衛門にこの事を伝えるように、と申されました。四年後に別れる事が判っていれば心の準備も出来る。そうすれば、志乃、志乃と騒音を撒き散らす事もあるまいとのお考えのようでございました。あの騒音には釈迦国全員が悩まされたようでございます」
「四年間が規則なのか?」
「コスチュームの貸し出し期限が四年なんです。これを過ぎますと、あの世にいられません。あの世にも、この世にもいられなくなります。この世と、あの世の境目に、へばりついていなければなりません。これは苦しい事でございます」
「そうか。志乃、二度目の別れになるのじゃな。二度も別れを経験できるとは、考え様によっては、幸せな事かも知れんな」
 満月の夜、志乃は月に向かって飛んでいきます。

 それから二十六年が経過します。三左衛門は、筆頭家老。主君からも、三左衛門、三左、と頼られております。

「そろそろ拙者も六十、還暦じゃ。志乃のお陰で、良いお勤めも出来た。若い者たちも育っておる。志乃の事が忘られず、妻をめとることもなかった。拙者一代で終わるが悔いはない。若い者に仕事を任せても良い時期じゃな」
 広大な庭を前に、感慨に耽っております。

「綺麗な満月だ。まん丸に輝いている。志乃は、月にいるのかのー。志乃、逢いたいのー」
 輝く満月に、小さな点が見えます。その点が、だんだんと大きくなっていきます。
 三左衛門は、ただ見つめているだけでございます。

「志乃じゃっ。あれは、志乃じゃ。志乃が戻ってくる」
「お久しゅー、ございます。志乃でございます」
 三左衛門は、余りの嬉しさに声も出ません。
「三左衛門様、志乃がお迎えに参りました。さっ、一緒にあの世に参りましょう」
「おう、一緒に参ろう。志乃、これからはズーッと一緒だな」
「はい、永遠(とわ)一緒でございます」

 甲川では、上を下への大騒ぎ。
「なにを致しておる。三左衛門を見つけろ。全く痕跡を残さず、人間一人が消えて無くなる事などある訳がなかろうが。馬鹿者どもがー」
 三左衛門が断わりもなく登城しなかった事など今までにございません。お殿様、大慌て。
頼り切っている三左衛門です。何としても見つけ出さねばなりません。
「殿っ、居りませぬ。三左衛門殿は、どこにも居りませぬ」
「軒下、床下、天井裏。(かわや)に至るまで調べたのかっ?」
「ははー、隈なく調べ終わっております」
「三左衛門、何処に行ったのだ。何処かあるであろう。捜すところがっ」
「殿っ! ありとあらゆるところを……。サンザ捜しまして……」

 エー……、お後が、宜しいようで……