Morfine :阿片に含まれるアルカロイドで麻薬の一種。
      鎮痛・鎮静薬として種々の原因による疼痛に有効であるが
      乱用は有害で、麻薬慣性中毒に至る。
      中毒は、脱力・食欲不振・不眠・知覚過敏・震え・幻覚・
      恐怖などの症状が見られ、禁断症状は激しい。
 
 今までに三回、モルヒネを経験した。
 いずれも 自然気胸 の治療中の出来事であった。     

 1981年、左側肺が自然気胸になった。種々の内科的治療(*)を施されたが駄目。最後の手段として胸膜癒着術(「ブロンカスマ・ベルナ」なる癒着剤薬を使い人為的に胸膜炎(肋膜炎)をおこさせ、肺を胸に癒着させる治療法)を受けた。炎症が強ければ強いほど効果があることになる。
 ドレン(胸に刺し込まれたゴム菅)から太い注射器で、タップリと薬を注入され、その後、ベッドの上で体を前後左右に揺すられる。何故かと聞いた。薬が満遍なく行き渡るようにとの答だった。内科的と言うよりも物理的な雰囲気を感じた。

 夜半、激痛が襲う。ブザーを押し看護婦を呼ぶ。彼女は、すぐには行動を起こさず、ジーッと観察している。苦しみ具合により、炎症の強さを判断している訳である。このまま息が出来ずに、死ぬのではと思うほどの苦しみ。彼女にとっては予定通りなのだろう、「モルヒネ」を注射された。肩に二本の注射。死ぬほどの激痛が二本目の後、数秒で消えていくのである。
 アレッ、どうしたんだろう。息をするたびに砂と小砂利で胸を擦られるようなあの激痛、ついには息も出来なくなってしまったあの苦しみ。痛みが消えただけではなかった。気持ちが良くなっていくのである。楽しいのである。天国にいる気分とは、このようなものだろうか、などと錯覚を起こしかねないほど良い気分なのである。
 さっきまでは「地獄」、今は「天国」。「天国と地獄」……いや「地獄と天国」である。

 翌日、気分は良い。これで自然気胸も治るだろうと実に爽快な気持ちになっていた……のだが、今度は、右側肺がおかしい。経験から右もパンクしたと確信し、医者を呼んだ。
「自然気胸は、普通、安静にしていれば治る病気だ。君の場合は、症状が重いのでブロンカスマを使った。だが、安静中であることには変わりがない。この様な状態で右側がパンクするとは考えられない」
 レントゲンを撮った。パンクしていた。  
「信じられないが事実は事実だ。両肺にドレン挿入は不可能。左が落ち着いたら、右にもブロンカスマを入れよう」
 また、あの激痛を味わうのか。顔をしかめたが、経験とは恐ろしいものである。看護婦を呼ぶタイミングなどは把握している。それに、あの「天国」への誘い。

 三回目は、1993年。左側肺の癒着が不充分であったらしく、再発を繰り返していたが、その度に一週間ほど自宅で安静にしていなければならない。つまり、会社を休まなければならない。何か方法はないかと医者に相談した。
 外科手術ですね。これに決めた。背中から脇腹まで、三十センチほど開き、癒着部分を丁寧に剥がすと言う。その後、ブラなど悪い部分を摘み、切除し、ホッチキスで塞ぐ。ホッチキス? ホッチキスであった。癒着させた部分を剥がすのが面倒と聞いていた。手術は、5〜6時間掛かったと思う。
(余談だが、カミさんにカメラを持って来るように言っておいた。集中治療室で目覚めた時の最初の言葉、「写真……」何枚か撮ってもらい、また眠りにつく。後に看護婦曰く、「こんな患者、初めて……」)
 この開胸手術については、後日述べてみたい。

 手術後、肺表面から気漏が持続したためか、または確実を期すためかは聞かなかったが、またブロンカスマを入れられた。三度目。やはり「地獄」と「天国」を味わった。

 モルヒネは、確実に「天国」を体験させてくれる。
 この味を知った元患者が、仮病を装い、医者のところに来る事があると聞いた。「天国」だけ体験したいとの思いだろう。気持は良く判るが、仮病である。当然望みは達せられない。三度位のモルヒネ経験では中毒にはならない。中毒者を弁護するつもりはないが、あの「天国」は、今だに脳裏から離れてはいない。かろうじて理性が勝っている間は問題はないはずだ。

「天国」は、気持が良い。入手できる環境にある人間は、中毒になる危険性を知っていながら、何度も「天国」を求めてしまう。
「天国」の後には「地獄」が待っているのを知っていながら……

 麻薬根絶は当然の事と思う。本人だけの問題に止まらず周囲の人間をも「地獄」に引き込んでしまう。中毒は恐い。

 ところで、「中毒」の意味に、二つあることを知った。
 ・ 物質の毒性により機能障害を起すこと
 ・ 周囲の状況になれて、感覚などが麻痺してしまうこと

 前者は薬物中毒の事で、一般的には「中毒」とは、これを指すようだ。後者も「中毒」と呼ぶのであれば、政治家を含め、我々の身近のいたる所に「中毒患者」がいることになる。

 たまには、鏡の中の「自分の顔」をジーッと見つめてみるのも良いかも知れぬ。鏡の中に、何かの「中毒」に罹ってしまった「患者」が……


(*)
1:胸腔穿刺(脱気):針を刺して胸腔内の余分な空気を抜く。
2:胸腔ドレナージ:局所麻酔を行ったのち胸腔内にドレンと呼ばれる
  ゴムの管を挿入し、持続的に空気を体の外に導き出す。ゴム管の先
  には、水パイプと同じような原理のビンがある。
3:血液癒着術:自分の血液を胸腔に注入し肺を胸膜に癒着させる。