illustration by Suzuya

「何故なんだろう」
 芳樹がつぶやいた。
「どうしたの?」
 芳樹と麻紀の出会いは友人の結婚式だった。互いに何となく気になり交際を始め、
四年前に結婚した。芳樹は、三十一歳。麻紀は、今月二十八歳になる。
「真面目にやってるつもりなんだけどね」
「ねー、どうしたの。背中丸めて」
「会社が危ないんだ。多分、駄目だと思う」
「駄目って?」
「倒産」
「……」

 芳樹は、ごく普通の大學を卒業し、二部上場の企業に就職した。仕事はキチンと
こなし、上司や社内の評判も悪くない。ガムシャラではないが積極的に提案もする。
安定した世の中であれば、平穏な人生を送れるはずであった。

「ライバル会社に先を越され、収益はガタ落ち。我々のアイデアの方が優れていたん
だけど製品化が遅かった。会社は一歩踏み出すのが怖かったんだね。世の中は激しく
動いているのに……」
「つまり、経営陣に先を見る目がなかった」
「麻紀もハッキリ言うね。何事に対しても自分に素直に、そしてやる事はやる。
でも他人には迷惑を掛けない。この考え、間違っていたのかな。俺って、なんだか
運に見放されたというか、ツキがないと言うか……」
「フフッ!」
「麻紀、僕が真面目に話しているのに笑うなんてっ!」
「怒らないでよ。ねー、芳樹が一番やりたい事って何?」
「急に話題を変えるね。沢山ある。でも、どれが一番だか、今は判らない」
「世話が焼ける人。もし、倒産したらどうするの」
「どうしようもないよ。無収入」
「プー生活…… 私、貧乏って苦にならないの。当分の間は何とかなるわ。ちょっと
気になるんだけど、貴方、運がないと思っているの」
「思っている」
「背負い水って知ってる?」
「エッ!」
「人は、死ぬまでに使う水の量って決まっているんだって。同じように運の総量も
決まっている。そして、水を使い果たした時が死ぬ時なんだって。ねえ、今まで
運が良かったと思った事あった」
「そうだなー、運が良かったと思ったのは、君と一緒になれたことだけだよ」
「本当?」
「本当だ。他の事は総て、そこそこの結果。運もクソもないよ。その結果が倒産。
もう水を使い果たしちゃったのかな」
「フフッ」
「また笑う。今日の君は変だよ」
「何を言われても構いません。まだ水はタップリと残っているわ。だって私たち元気
に生きているもの。あのね、私、公子からフラワーデザイン教室を手伝って欲しいっ
て言われてるの。前からやりたかったの。良いでしょう」
「う、うん」
「芳樹は、ゆっくりとこれからのことを考えて。就職でも自営でも、芳樹がやりたい
事だったら、私はOKよ。あ、それからね、背負い水って、賭け事にも同じ事が言え
るんだって。ツイてると思って夢中になると水がなくなっていく」
「麻紀、無収入でパチンコや麻雀に夢中になるほど、俺は馬鹿じゃないよ」
「まー、目を吊り上げて…… 運がタップリあっても大切に使いましょうね。思い
立ったが吉日。早速、公子に連絡しようっと」

 芳樹は、背中にズッシリと重さを感じた。体を包み込むような優しい重さ。不思議
な事に気持ちは軽くなっていた。
「背負い水か…… 俺は、これからだな」