私は、小学校の三年生です。学校から帰ると夕食の支度をします。そして、お母さんが帰ると一緒に食事をします。お父さんのことは覚えていません。

 一年生の時でした。お母さんにお父さんのことを聞いたことがあります。同級生にはお父さんがいるのに、私には居ないからです。それに同級生から、何故、香奈ちゃんには、お父さんがいないのと聞かれたことがあったからです。お母さんは、
「お父さんは、もう死んだのよ」
と言いました。私は、お母さんが嘘をついたと思いました。だって、いつも私の目を見て話すお母さんが、この時は違っていたからです。それに、お母さんは、人と話す時はキチンと相手の目を見なくちゃ駄目よと言っていたのです。お母さんは、お父さんの話になると、私の目を見ないで話します。こういうお母さんは、良くないと思います。

 参観日になると、同級生にはお父さんとお母さんが来ます。でも、私のお母さんは来てくれません。授業が始まる前には、皆、お父さんやお母さんと楽しそうに話しをしています。私は、話す人がいないので一人で椅子に座っています。授業が始まると、同級生はチラチラと後ろを見ます。そして笑顔になります。お父さんやお母さんと目で話しをしているのです。私は寂しいのですが、後ろを見てもお母さんはいません。だから先生や黒板を見ています。
 お母さんは仕事が忙しいのです。今日も参観日でしたが、やはり来てくれませんでした。私は寂しかったのですが、学校から帰ると、いつものようにきちんと夕飯を作り、お母さんの帰りを待ちました。お母さんは、帰りが遅くなる時には、必ず今日は遅くなると言ってくれます。今日は、聞いていなかったのですが、なかなか帰ってきません。仕方がないので部屋で勉強をしていました。もう十時です。お腹が空いてきたのでテーブルで待つことにしました。二十分くらい待ちましたが、お腹がグーグー鳴ってきたのでご飯をよそおうとしました。その時、お母さんが帰ってきました。顔が赤く、ちょっとお酒のにおいがしました。お母さんは、ご免ねと言いながら水を飲みました。私が、お腹空いたと言ったら、また、ご免ねと言って一緒に夕飯を食べました。
 夜、寝ようと思ったらお母さんが来ました。そして、本当は参観に行きたかったんだけどと言いました。私は、お仕事が忙しいんだからと言いました。すると、お母さんは違うと言いました。他のお母さんたちから、ご主人はと聞かれるのが辛いの。だから行けないのと言いました。目を見たら、涙が溜まっていました。こんな事を聞くのは、初めてでした。そして、また、ご免ねと言いました。
 翌朝、お母さんはいつも通りのお母さんでした。会社に出掛ける時に、頑張ろうねと言いました。私は、勉強も家の事も一所懸命やっています。参観日は嫌いですが、学校に行くのは大好きです。そして勉強も好きです。
 お母さんは、休みの日も忙しいので私と一緒に遊べません。私が出来ない家の用事をするからです。私は詰まらないのですが、もう慣れました。

 お友だちは学校にも近所にもいます。普通の日も学校が終わった後で遊びたいのですが、友だちは塾に行きます。それに、私には夕飯の支度があります。だから普通の日は、遊べません。近所の友だちと遊ぶのは休みの日だけです。
 私は塾には行きません。お母さんはご免ねと言いますが、私は塾に行かなくても良いと思っています。宿題や復習、予習は自分の部屋でやります。お母さんは、成績はどうなのとか勉強しなさいとか言いません。良い成績なんだから、もっと聞いて欲しいのですが、お母さんは、勉強は自分のためなのよと言うだけです。
 休みの日は近くにある公園で遊びます。良く遊ぶ友だちは裕子ちゃんです。同い年ですが、裕子ちゃんは私立の小学校に行っているので学校では遊べません。裕子ちゃんとは、縄跳びやバドミントンをして遊びます。たまに、裕子ちゃんがゲームボーイを持ってきます。私は持っていないので借りて遊びます。遊んでいると、大抵、裕子ちゃんのお父さんが来ます。そうすると、裕子ちゃんはお父さんとは休みの日しか遊べないのと言います。そして、またねと言ってお父さんのところに行ってしまいます。裕子ちゃんとお父さんは肩車をしたり、ボールを投げ合ったり、私とやっていたバドミントンなどをして楽しそうに遊びます。私は羨ましくて仕方がないのですが見ないようにしています。
 お父さんの夢を見ることがあります。とても優しいお父さんです。私は、裕子ちゃんと同じように肩車をしてもらったり、ボール投げをします。それに、手をつないで公園を散歩したりします。でも、私がお父さんを見上げても、顔が良く見えないのです。

 一度、お母さんに、お父さんがいなくて寂しいと言ったことがあります。その時、お母さんは、目に涙を浮かべて黙ってしまいました。私は、お母さんを泣かせてはいけないと思いました。それに、お母さんには寂しそうな顔を見せてはいけないと思いました。

 最近、お母さんはニコニコしています。何か良いことがあったみたいです。会社に行く時にも笑顔です。お化粧も楽しそうです。今までは、時間がないのに面倒だわなんて言っていたのに、鏡を見ながら何だか楽しそうです。イヤリングやネックレスを着ける時には、私に、どれが良いと思うなんて聞きます。休みの日もニコニコしています。洗濯やお掃除をしている時には歌っていることもあります。
 お母さんが、
「香奈ちゃん。来週の日曜日は家に居てね」
と言いました。私は、何故って聞いたのですが、お母さんは何だか困った顔になりました。そうして、また、お願いだから家に居てねと言いました。いつもは理由を聞けば教えてくれるのに、私は、変だなと思いました。でも、家に居れば良いのですから、私は、判ったと言いました。
 その日曜日が来ました。お母さんは、朝からソワソワしていました。時間を掛けてお掃除しています。それに会社はお休みなのに、お化粧もしています。私は、ピンときました。お客さんが来るんだ。
 ピンポーンとインターフォンが鳴りました。お客さんが来たのです。私は、はーいと言ってドアを開けました。玄関に男の人が立っていました。その人は、私の顔を見てニコッと笑い、
「こんにちは。香奈ちゃんですね」
と言いました。初めて会う人なのに、私の名前を知っていました。私が変だなと思っていたら、お母さんが出て来て、どうぞと言いました。お母さんは笑顔です。お客さんは、男の人だったんです。お客さんは、じゃーと言って家に入りました。私は、お仕事の話しかも知れないと思って自分の部屋に行こうとしました。すると、お母さんが、
「香奈ちゃんも一緒よ」
と言いました。三人で居間に行きましたが、お母さんは台所に行き、お茶の用意を始めました。
 お客さんと私は、向かい合ってソファーに座りました。その人は、大人の人なのに何だか緊張しているようでした。男の人は、何か話したいらしい感じですが、さっきからモジモジしています。私も黙っていました。早くお母さんが来てくれれば良いのにと思っていたら、急に雷が鳴りました。
 私は、ビックリして、怖いと声を上げました。外を見たら、さっきまで晴れていたのに真っ暗になっていました。私は、雷は嫌いです。お客さんを見たら、目を見開いています。何だか怖がっているようです。目が合いました。そしたら、その人が、
「香奈ちゃんも雷が怖いの」
と聞きました。私が、うんと答えたら、その人は僕もと言いました。私は、何だか嬉しくなりました。だって、大人の男の人も雷が怖いんです。私と同じです。私は、急にこの男の人が好きになりました。男の人が手招きしました。私は、隣に座りました。男の人は、ニコッと笑いました。
 雷は、まだ鳴っています。それにザーザーと雨が降ってきました。雷の音と雨の音が、うるさいぐらいです。普段なら怖くて震えてしまうのに、私は、もう怖くありませんでした。でも、男の人は、まだ怖いみたいです。しきりに、
「雷は怖いね」
と言います。私が黙っていたら、その人は私の顔をじーっと見ました。私は、もう平気な顔になっています。そうしたら、今度は、怖くないのと聞きます。私が、もう怖くないと言ったら、香奈ちゃんは偉いねと言いました。
 お母さんが、お盆を持って、
「凄い夕立ね。洗濯物、干しておかなくて良かったわ」
と言いながら居間に来ました。
 私と男の人が一緒に座っているのを見て、まーと言って驚いたような顔をしました。そして、本当に嬉しそうに笑いました。笑っているのにお母さんの目から涙がこぼれました。
 私は、何となく、この男の人が私のお父さんになるような気がしました。だって、さっきと違い、三人でいると、何だかホッとできたからです。
 そして、もう参観日は寂しくないなと思いました。

                             (了)

                





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