Goeche(これは私の雅号である)は、実に僻みっぽく、嫉妬深く…… 要するに、多少根性が曲がっているな〜と自覚しているのである。何故かと言うと各界で著名な人間(多分、タップリと収入を得ているのではないかと思える人々)が、テレビに出ると、嫌悪感すら感じてしまうのである。正直に言うが、このように感じてしまう自分はあまり好きではない。
 しかし…… イチロー この人に対しては、ちょっと違うように思えてきたのである。格好をつけて書いているが、どうも彼は、普通ではないと確信しだしたのである。

  アマデウス・イチロー


 アマデウスとは、かのモーツァルトのミドル・ネームである。ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)。 では、アマデウスの意味は…… サイト検索によれば、『「神に愛される」これは、モーツァルトのミドルネームから来ている。』とある。
 しかし、これでは、モーツァルトが主体であってアマデウスの本来の意味が、「神に愛される」とは言えない。サイト検索を続けてみた。
 『モーツァルトの洗礼名は、Johannes Chrysostomus Wolfgangus Theophilus Mozart である。 Theophilos(テオフィロス)はギリシア語で「神を愛する」または「神に愛された」の意で、Theophilus は、ギリシア語形。当時はイタリアの音楽家がもてはやされており、モーツァルトは、Theophilos をラテン語で意訳したAmadeus(アマデウス)を通称として使用していた。』

 なんとなく納得した。と言うことは洗礼を受けた時点、つまり生まれて間もない時点で、『アマデウス』の名前をもらったことになる。Goeche は、アマデウスが、洗礼名だとは知らなかった。あまりにも素晴らしい曲、神がかり的な作曲スタイル、その曲数などにより「アマデウス」が通称となったと思っていたのである。どうやら、たまたまアマデウスとのミドルネームをつけたのだが、それが本当になったというのが事実のようである。
 モーツァルトの曲は、楽譜通りに弾けば、実にシンプルな曲だと言う。しかし、聴けば聴くほど奥が深く、のめり込んでいくという。一方、イチローは、野球の原点である ”打って走って守る”を示すだけでなく数々の記録の上でも示していると言う。事実、イチローは、稀有な記録を樹立し、また、樹立しようとしている。

 Goecheは、イチローを 『アマデウス・イチロー』 と呼びたい。 

                            
                                     (了)