54. 一点に集中すること

一点に集中すること

学識のある人は、生命力のあふれている人のところに行かなければなりません。人工のものは、〈真実なるもの〉のところに行かなければなりません。

 

ボーディダルマがまさに禅の創造者であるように、サラハはタントラの創始者だ。  もし私が、人間性への貢献者を五人、数えあげるとしたら、サラハはそのひとりだ。
 サラハはマハラシュトラのヴィダルバで生まれた。プーナにとても近い。彼は、マハパラ王の法廷の近くにいた学識のあるブラーミンの息子だった……。 王は自分の娘を快くサラハに与えようとしていた。だがサラハは出家したかった、サニヤシンになりたかった。彼はある仏教徒、シュリ・キルティの弟子になった。
 シュリ・キルティがサラハに伝えた最初のことは、すべてのヴェーダを、自分の学識すべてを落とすことだった。何年もが過ぎて、サラハは偉大な瞑想者になった。ある日、彼は瞑想している間にヴィジョンを見た..自分のほんとうの教師になる女性が市場にいるというヴィジョンだ。シュリ・キルティは彼を道の上に乗せただけだった。だが、ほんとうの教えはある女性から来ることになっている。
彼はシュリ・キルティに伝えた。「あなたは私の経歴を清算してくれました。いま私は、自分のワークの残りの半分をやる用意ができています」 彼は笑っているキルティの祝福を受けて去って行った。
 そして彼は自分のヴィジョンの女性を市場で見つけた。彼女は矢を作っていた。彼女は矢を作る女鍛冶師だった..低いカーストの女だ。サラハ、王の法廷に属していた学識あるブラーミンにとって、矢を作る鍛冶屋の女のところに行くのは象徴的だ。学識のある人は、生命にあふれた人のところに行かなければならない。人工のものは、〈真実なるもの〉のところに行かなければならない。
 彼は、生き生きと、生に輝き、矢の柄を切りながら、矢を作ることに完全に飲み込まれているこの女性を、この若い女性を見た。彼は、彼女がそこにいることになにか特別なものを感じた……彼女は自分の動きにまったく飲み込まれていた。
 サラハは注意して見守った。矢が出来上がり、その女性は片方の目を閉じて、片方の目を開けながら、目には見えない的を狙う仕草をした……。
 そしてなにかが、コミュニオンのようななにかが起こった。その瞬間に、彼女がやっていたことの霊的な意義が、サラハにわかりかけてきた。左も、右も見ることなく、彼は彼女を見た……。彼はそのことが言われるのを何度も聞いていた。そのことを読んだことがあった。彼はそのことを熟考していた。彼はそのことをほかの人びとと議論したことがあった。真ん中に在ることが正しい、と。
彼女はあまりにも完全に飲み込まれていた、あまりにも全面的に動きのなかにいた..それもまた仏教徒のメッセージだ。動きに全面的に入っていることは、動きから自由であることだ。トータルでありなさい。そうすれば、あなたは自由になる。
 その女性の美、輝きは、全面的に飲み込まれることから来ていた。
初めて彼は、瞑想とはなにかを理解した..特別な時間だけ坐ってマントラを繰り返すのではなく、教会や、寺院や、モスクに行くのではなく、生のなかにいることを..些細なことをやりつづける..だが、そのように飲み込まれることで、あらゆる動きのなかに深遠さが開示される。彼はそれを感じることができた。彼はそれに触れることができた……。
 サラハは、この矢を作る女鍛冶師の指導のもとでタントリカになった。ひとりの弟子のひとりのマスター..それは魂の恋愛だ。サラハは自分の魂の配偶者を見つけた。彼らは途方もない愛、偉大な愛のなかにいた。それは地上ではめったに起こらない。彼女は彼にタントラを教えた……。
 サラハはまず、すべてのヴェーダ、教典、知識を置き去りにしなければならなかった。いま、彼は瞑想すらも置き去りにした。いまでは歌うことが彼の瞑想だった。いまでは踊ることが彼の瞑想だった。いまでは祝祭が彼のライフスタイルすべてだった。
 サラハと矢を作る女鍛冶師は火葬場に移って、いっしょに住んだ。火葬場に住みながら、祝っていた! 死しか起こらないところに住みながら、楽しく生きていた! もしそこで楽しむことができたら、そのときには喜びがほんとうにあなたに起こったのだ。いまではそれは無条件だ。  遊びがサラハの存在に入ってきた。そして、遊びを通してほんとうの宗教が生まれた。
THE TANTRA VISION, Vol.1, pp.5-20


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