4. サレンダー(明け渡すこと)

サレンダー(明け渡すこと)

もしあなたが、どのような状況からも最大限の恩恵を達成したいと望むなら、トータルにかかわらなければなりません。それがあなたに鍵を与えてくれるでしょう。

ボーディダルマはインドで光明を得た。そして、ひとりの弟子を探したが、そのひとりを見つけることができなかった。それゆえに彼は中国に行かなければならなかった……。彼は鍵をもっていた。そして彼は老年にさしかかっていた。しかも彼は正しい後継者を見つけることができなかった……。
 そして彼は九年の間、洞窟のなかで待った。ただ待った……壁を見つめながら。彼は大きな磁力を創りだしていた。この伝統をこれから先へ伝えることのできるひとりの者を呼び寄せようとしていた。彼はこう言っていた。「その者が来たら、そのときにのみ私はその者と顔を合わせよう。さもなければ私は壁に顔を向けつづける」
 そしてある日、まさにその人がやって来た。彼はボーディダルマの後ろに立った……。やって来たこの男はなにも言わなかった。彼はただ待った。忍耐強く待った……そして、ふたつの沈黙が出会った。そして次の日、朝早く、この新参者は自分の片手を切り落とし、それをボーディダルマに贈って言った。「私の方を向いてください。さもなければ、私は次に自分の頭を切り落とします!」
 ボーディダルマはすぐに向きを変えた。向きを変えなければならなかった。九年の間、彼は誰をも見なかったのだ。彼は言った。「そうか、お前は来たんだな!」……弟子だけが、自分の頭を差し出す用意のあるたったひとりの者だからだ。
 これらは象徴的な物語だ。手とは、「私は自分の行いをあなたに差しあげます。私を使ってください」という意味だ。手とは、「私にはあなたのメッセンジャーになる用意があります。あなたが伝えたいものをなんでも私は伝えましょう。あなたが伝えたいものをなんでも私に与えてください。あなたが与えようとして来られたものを、なんでも私に与えてください」という意味だ。手とは、ただ、「私の行いはこの瞬間からあなたのものです。私は私なりの行為者にはなりません。もう私はあなたが言われたことだけをやります。これが私の手です」という意味だ――これがその意味だ。彼がほんとうに自分の手を切り落としたというのではない。それではばかげていただろう。そして、彼は言った。「私の方を向いてください。さもなければ、私は自分の頭を切り落とします!」……。これがサレンダーだ。
ボーディダルマは向きを変えた。この男の目のなかを見た。そして鍵が渡された。ひとことも話されなかった。その必要はなかった。彼は後継者になった。禅は生きた伝統のでまま残った。
Osho THE WISDOM OF THE SANDS, Vol.2, pp.148-150


トップへ