37. 天国の門

天国の門

あなたが意識をしているいるとき、あなたは天国にいます。醒めていなさい。油断せずにいなさい。意識していなさい! これもまた、あなた次第です。

禅マスター白隠は、まれな開花のひとつだ。ひとりの戦士、サムライが、偉大な兵士が彼のところに来てたずねた。「地獄はありますか? 天国はありますか? もし地獄と天国があるとしたら、その扉はどこにあるのですか? 私はどこから入ればよいのですか?」
 彼は素朴な戦士だった。戦士は常に素朴だ。彼らのマインドのなかにずるさはない。計算はない。彼らはふたつのことしか知らない――生と死だ。彼はなにか教義を学ぼうとして来たのではなかった。彼は地獄を避けて、天国に入れるように、その門がどこにあるのかを知りたかった。そして白隠は、戦士にしかわからないやり方で応えた。
 白隠は言った。「お前は誰なのか?」
 戦士は応えた。「私はサムライだ」。サムライであることは、日本では非常に誇り高いことだ。それは完璧な戦士、自分の命を差し出すのを一瞬の間といえどもためらわない人間であることを意味する。
彼は言った。「私はサムライだ。私はサムライの指導者だ。天皇でさえ私には敬意を払う」
 白隠は笑って言った。「お前がサムライだって? お前は乞食みたいだぞ!」
 彼の誇りは傷ついた。サムライは自分がなんのために来たのかを忘れた。彼は刀を抜いて、まさに白隠を殺そうとした。
 白隠は笑って言った。「これが地獄の門だ。この刀、この怒り、このエゴとともに、ここにその門が開く」
 これが戦士に理解できることだ。すぐにサムライは理解した。彼は刀を鞘に収めた……。そこで、白隠は言った。「ここに天国の門が開く」

 地獄と天国はあなたの内にある。両方の門があなたの内にある。
あなたが無意識に振るまっているとき、そこには地獄の門がある。
あなたが油断せずに、意識するようになると、そこには天国の門がある。
 マインドは天国だ。マインドは地獄だ。そしてマインドには、そのどちらにもなれる許容力がある。だが、人びとは、どんなものも、どこか外側にあると思いつづけている……。地獄と天国は生の終わりにあるのではない。それらは今ここにある。瞬間ごとにその扉が開く……一瞬のうちに、あなたは地獄から天国へ、天国から地獄へと動くことができる。
Osho ROOTS AND WINGS, pp.82-98


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