18. 瞑想

瞑想

あらゆるものに注意を向けなさい。「大きい」、「小さい」はありません。すべてに神性があります。あらゆるところにあなたは神を見出すことができるのです。

ある期間修行してきた弟子が一休に会いにきた。雨が降っていたので、なかに入るときに彼は履物と傘を外に置いた。彼が挨拶をし終えると、一休は履物のどちら側に傘を置いたのかとたずねた。
 さあ、なんという問だろう……? あなたは、マスターが神について、クンダリーニの上昇、チャクラの開き具合、あなたの頭のなかで起こっている光についてたずねるのを期待する! だが、一休はごくありふれた問をたずねた。履物と傘が霊性とどのような関わりがあるのだろう?
 だが、そのなかには途方もなく価値のあるなにかがある。その問いには意味がある。その弟子は思い出せなかった――自分の履物をどこに置き、傘をどちら側に置いたか、誰が気にするだろう?
 だが、それで充分だった――その弟子は拒絶された。一休は言った。
「そうであれば、行ってさらに七年間瞑想するがいい」
 「七年!」その弟子は行った。「このささいな落ち度のために?」
 「落ち度に大小はない」一休は言った。「お前はまだ瞑想的に生きていない。ただそれだけだ」
 これはささいなことで、あれは非常に、非常にスピリチュアルなことだと、ものごとの間にちがいを設けてはいけない。注意を向けるがいい。気をつけるがいい。そうすればあらゆることがスピリチュアルになる。もし注意を向けなかったら、気をつけなかったら、あらゆることが非スピリチュアルになる。
 霊性はあなたによって分け与えられるもの、それは世界へのあなたの贈り物だ。一休のようなマスターが自分の傘に触れると、その傘は、あらゆるものがそうでありうるのと同じように神性を得る。
瞑想的なエネルギーは錬金術的だ。それはより低い金属をより高い金属に変容しつづける。シンフォニーを指揮しているかのようにオレンジの皮をむきなさい。そうすれば、あなたはもっともっと近づく。
瞑想的になればなるほど、それだけあなたは神をあらゆるところに見る。究極のピークではあらゆるものが神性を得る。
Osho TAKE IT EASY, Vol.2, pp.488-491


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