1.ノーマインド

ノーマインド

究極なるものと言い表せないもの

ノーマインドの状態とは、神性という状態だ。神は思考ではなく、思考がないことの体験だ。それはマインドの内容ではない。マインドに内容がないときの爆発だ。それは見ることのできる対象ではない。見るという能力そのものだ。見られるものではなく、見る者。空に集まる雲でなく、雲ひとつないときの空。その空っぽの空だ。

意識がどんな対象にも向かって出ていないとき、見るものが何もなく、考えるものが何もなく、ただ空(くう)が周り中にあるとき、そのとき人は自分自身に降りてくる。どこにも行くところがない―――人は自分の源にくつろぎ、その源が神だ。

あなたの内なる存在は、内なる空以外のなにものでもない。その空は空っぽだ。だが、すべてを、全存在を、太陽、月、星、地球、惑星を支えているのは、空っぽの空だ。在るものすべてにスペースを与える空っぽの空。存在するすべての背景である空っぽの空だ。物ごとは来ては去っていくが、その空は同じままだ。

まったく同じように、あなたには内なる空がある。それもまた空っぽだ。雲は来ては去り、惑星は生まれては消え、星は現れては死んでいくが、内なる空は同じままだ。触れられず、汚されず、傷も残らずに。私たちはその内なる空を「サクシン」、目撃者と呼ぶ――そして、それが瞑想の目標のすべてだ。

中に入り、内なる空を楽しむがいい。いいかね、あなたに見ることのできるものはすべて、あなたではないのだ。あなたは思考を見ることができる。だとしたら、あなたは思考ではない。あなたは自分の感情を見ることができる。だとしたら、あなたは自分の感情ではない。あなたは自分の夢、欲望、記憶、想像、心の投影を見ることができる。だとしたら、あなたはそれらではない。自分が見ることのできるものをすべて消去しつづけるがいい。そうすると、ある日、途方もない瞬間が訪れる。拒絶されるべきものが何ひとつ残っていない、生におけるもっとも意味のある瞬間だ。そして、見られるものは消えて、見る者だけがそこにある。その見る者が、空っぽの空だ。

それを知ることが、恐怖がなくなることであり、それを知ることが、愛に満ちることだ。
それを知ることが、神になること、不死になることだ。


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