久安3年(1147)より7年にかけて 十数人の写経師によって書かれたものです 明和年間に大修理がなされ痛みの激しいものは版木版の経本と差し替えられました昭和になり旧庫裡の取り壊しの折り 差し抜かれた経本が壁紙の裏打ちにされているのが発見されました