第17番 | ゆうそうざん ご こく し じ おぶさかんのん 雄総山 護国之寺 (雄総観音) |
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天平年間、聖武天皇は仏教により国を治めようと奈良に東大寺を建立し 地方に国分寺(金光明四天王護国之寺)を配す計画をしました。 東大寺の本尊として大毘留遮那仏(大仏)を建立するに当たり、仏師を 探しに使者を派遣しました。 その使者が美濃国雄総の長良川の辺りで、牛に水を飲ませていた金丸 (きんまろ)という童子に会います。 金丸は土で仏を作って見せ、その出来映えに驚いた使者は金丸を奈良の都 に連れて帰ります。 いよいよ大仏を鋳造するに当たり、金丸は数々の活躍をし、見事大仏を 完成します。 大仏開眼法要の時、紫雲がたなびき、空からお鉢が降ってきて、 「このお鉢はインドのお釈迦様が托鉢されたお鉢です」との声が聞こえた そうです。 聖武天皇はこの「お鉢」を金丸に褒美として下賜されました。 金丸はこのお鉢を頂いて美濃に帰り、寺を建立し、ご本尊に千手観音を お祀りし、お鉢をこのお寺にお祀りしました。これが護国之寺の 始まりです。 護国之寺は18年(西暦746年)聖武天皇の勅願により行基菩薩が 開創されました。 創建当時は長良、島、日野を寺領とし、七堂伽藍、三十三の堂塔が並ぶ 壮大な寺院であったと伝わります。 天正年間に織田信長の兵火により焼失します。その後 良啓上人により 再興がなされ、元文元年に、本堂(観音堂)が千手観音様をご本尊として 建立されます。 宝暦5年に良恭上人により二層の奥の院が建立され、宝暦12年に良運 上人により仁王門が建立されました。 現在の宗旨は 高野山真言宗です。 |
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バスでお越しの方は新岐阜駅 JR岐阜駅より岐阜バス 「おぶさ行き」に乗り 終点(山門前)下車 お車ご利用の方は岐阜市の 長良川の鵜飼大橋を目当てに 来てください。 鵜飼い大橋の北側を高架の 下に降り北に約500mで 山門到着 山門左側より境内に上がり 庫裡までお越しください 岐阜市長良雄総194-1 |
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