第17番  ゆうそうざん ご こく し じ  おぶさかんのん
 雄総山 護国之寺 (雄総観音)

アイコン 十一面千手観世音菩薩
高野山真言宗
ご詠歌
かけぶかき みのりのはしの
ゆかりより くちずねがいも
かけわたすらん
アイコン 〒502-0017
  岐阜市長良雄総
         194-1
アイコン TEL.058-231-3539
  FAX.058-231-3539
      



アイコン   歴 史            History

 天平年間、聖武天皇は仏教により国を治めようと奈良に東大寺を建立し
地方に国分寺(金光明四天王護国之寺)を配す計画をしました。
東大寺の本尊として大毘留遮那仏(大仏)を建立するに当たり、仏師を
探しに使者を派遣しました。

 その使者が美濃国雄総の長良川の辺りで、牛に水を飲ませていた金丸
(きんまろ)という童子に会います。
金丸は土で仏を作って見せ、その出来映えに驚いた使者は金丸を奈良の都
に連れて帰ります。
 いよいよ大仏を鋳造するに当たり、金丸は数々の活躍をし、見事大仏を
完成します。

 大仏開眼法要の時、紫雲がたなびき、空からお鉢が降ってきて、
「このお鉢はインドのお釈迦様が托鉢されたお鉢です」との声が聞こえた
そうです。
 聖武天皇はこの「お鉢」を金丸に褒美として下賜されました。
金丸はこのお鉢を頂いて美濃に帰り、寺を建立し、ご本尊に千手観音を
お祀りし、お鉢をこのお寺にお祀りしました。これが護国之寺の
始まりです。

 護国之寺は18年(西暦746年)聖武天皇の勅願により行基菩薩が
開創されました。
創建当時は長良、島、日野を寺領とし、七堂伽藍、三十三の堂塔が並ぶ
壮大な寺院であったと伝わります。

 天正年間に織田信長の兵火により焼失します。その後 良啓上人により
再興がなされ、元文元年に、本堂(観音堂)が千手観音様をご本尊として
建立されます。
 宝暦5年に良恭上人により二層の奥の院が建立され、宝暦12年に良運
上人により仁王門が建立されました。

現在の宗旨は 高野山真言宗です。



アイコン    地 図            Map


 バスでお越しの方は新岐阜駅
 JR岐阜駅より岐阜バス
 「おぶさ行き」に乗り
 終点(山門前)下車


  お車ご利用の方は岐阜市の
 長良川の鵜飼大橋を目当てに
 来てください。

 鵜飼い大橋の北側を高架の
 下に降り北に約500mで
 山門到着

 山門左側より境内に上がり
 庫裡までお越しください




       岐阜市長良雄総194-1



アイコン   寺 宝           Treasure

   国宝 金銅獅子唐草文鉢
      (奈良時代)


 銅を打ち出し獅子(ライオン)を四方に配し
 宝相華(唐草)文様 連珠紋 魚々子地等を
 彫金で埋め尽くしたものに塗金したもので
 東大寺大仏落慶法要にお供物を入れた
 佛餉器であろうと言われており 
 奈良時代の特徴が顕れている

   県重文 護国之寺宝篋印塔
       (鎌倉時代)


  この宝篋印塔(ほうきょういんとう)は
 熊谷直実(蓮生坊)が来寺され父親と祖父の
 供養をされた塔であると伝わります
 塔の基壇北面には「嘉元二年八月時正」
 (西暦1304年8月15日)と彫られています
 以前は山門西側の庭園の奥にありました
     県重文 塑像菩薩頭
        (奈良時代)


 東大寺の大仏建立をした金丸が試しに作った
 と言われている菩薩像です 当寺奥之院の
 千手観世音菩薩様の体内よりこの頭部が発見
 されました そしてご本尊の空殿の地下より
 瓶に入った手や体の部分が最近発見され
 像立当時は全身が整っていたものと
 思われます



アイコン 行 事            Event
1月1日〜3日 初詣 新年の無事を祈ります
元旦 護摩祈祷 午前零時よりご祈願申し上げます
1月18日 初観音護摩祈祷会 新しい年のご祈願を申し上げます
3月21日 弘法大師正御影供 弘法様のご入定された日です
春季彼岸法会 春のお彼岸の先祖供養を致します
8月13日〜15日 お盆・棚経 各家のご先祖をお参りします
8月18日 施餓鬼法要 施餓鬼によるご先祖供養を致します
千日詣り 観音様のご利益の最も多い日です
9月21日 秋季彼岸法会 秋のお彼岸の先祖供養を致します
毎月18日 観音様ご縁日 観音様のご利益を頂ける縁日です
毎月21日 弘法様ご命日 弘法様のご威徳を偲ぶ日です



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