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炎上

1958年、大映京都、三島由紀夫原作、市川崑監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!▼▼▼▼▼

一人の学生、溝口吾市(市川雷蔵)が、警察の取調室で検事らに尋問されているシーンから物語は始まる。

戦時中、父親(浜村純)が亡くなった吾市は、父親の友人であった老師(中村雁治郎)を頼って、京都の有名な驟閣寺に身を寄せる事になる。
彼は、強度の吃音であったため、子供時分から、いい知れぬコンプレックスと人間不信に陥っていた。
この寺でも、そのハンデが露見した瞬間から、早速、嘲られる始末。
そんな吾市に、老師は、一見優しく接するのであったが…。

北陸の寺で育った吾市は、肺病で身体が弱かった父親から、絶えず、驟閣寺(金閣寺がモデル、映画での実名使用は禁止されたという)の美しさの話を聞かされていたのだった。
寺で働くようになった吾市は、心を驟閣寺を愛する事だけに集中するようになって行く。

遅れて、寺での賄い婦として働き出した母親(北林谷栄)が、以前から父親を裏切り、秘かに叔父と関係を持っている事を知っている吾市は、彼女を軽蔑し、かたくなに避け続けて来た。

戦後になり、老師から、大学へ行かせてもらえるようになった吾市は、そこで、足の不自由な戸刈(仲代達矢)と出会う。
戸刈は、自らのコンプレックスを、周囲に対する冷笑と、粗暴な態度で表現するタイプの人間であった。

やがて、吾市は、高潔に見える老師も、実は祇園の芸妓を囲うような俗物である事に気付いて行く。

自分の矮小さ、人間の本質的な醜さ、世の中の矛盾などに接して行く内に、吾市の心の中には、自らの美の象徴である驟閣寺を消失させなければならないという、強迫観念が育って行くのだった。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

有名な三島の原作の方も、完成度が高い名作であるが、市川崑監督のこの映画も、また見事な完成度を持っている。

まだ、幼さが顔に残る雷蔵が、見事にコンプレックスで心を閉ざし気味の青年を演じ切っており、脇を固める役者陣の巧みさや、丁寧な画面作りの落ち着き感と相まって、質の高い文芸世界を作り上げている。

特に、老師役の中村雁治郎は、裏表の二面性を持つ人物のいやらしさを巧みに演じており、吾市を精神的に追い込んで行く大きな存在として、物語に奥行きを与えている。

戸刈役の仲代が、ちょっと後半、目立ち過ぎているような感じもしないではないが、何ごとにも消極的だった吾市に、思いきった行動を取らせるきっかけになる存在なのだから、その強烈さは当然かも知れない。

その戸刈と付き合っているお花の師匠役で新珠三千代、その関係を見せつけられた吾市が思いきって出かけた色街の女に中村玉緒など、意外な顔にも出会える。

白黒作品という事もあるが、驟閣寺=金閣寺という事情を知らないで今観てしまうと、吾市がそれほどまでに神格化していた、肝心の驟閣寺の神々しいほどの美しさ、象徴としての美…という辺りの表現が、今一つ、観客に伝わってこない感じがあるのが、ちょっと気にならないでもないのだが…。

それでも、市川崑監督と市川雷蔵の名を一躍世に知らしめた、文芸ものの名作である事は間違いない。