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クレージー大作戦

1966年、東宝、古澤憲吾監督作品。

クレージーキャッツによる、お馴染み、クレージーシリーズ7作目。

もともと、「クレージーだよ・奇想天外」の監督をつとめた坪島孝監督が持っていたアイデアをベースに、
古澤監督以下、脚本家の笠原良三、池田一朗、田波靖男の各氏、さらに中原弓彦(小林信彦)氏らも加えて、ブレーンストーミングして練り上げたストーリーらしい。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!▼▼▼▼▼

銀座のど真ん中、白昼堂々、宝石店に入り、衆人監視の中、宝石を盗み出そうとしていた男、石川五郎(植木等)は、そのまま駆け付けた警察隊に自ら腕を差し出し、手錠をかけさせる。

砂走刑務所の監視官、加古井守(ハナ肇)は、自分の趣味が講じて、受刑者連中(クレージーの面々)でバンドを作っていた。
そこへ加わったのが、ギター担当の五郎。

しかし、五郎は、そんなバンドに甘んずる気持ちなど、最初からさらさらなく、養老院での慰問演奏の最中、ひもで全員の身体と繋がっていた加古井もろとも、車で脱走。

そのまま、デパートの洋服売り場で全員着替えをすますと、火事を装い、現場から逃走を計る。

五郎には、やくざたちが集めた10億という大金をかすめ取る計画があったのである。
厳重な警戒体制の屋敷に到着したメンバーたち、五郎と、金庫破りの名人、トロこと、大平久(谷啓)の二人が忍び込む事になる。

彼らの居場所を探し当てた加古井も、何とか、全員無事連れて帰りたい一心で、その作戦を黙認する事に…。

数々の仕掛けが施された屋敷の中、何とか金庫にたどり着いた二人が、破った金庫の中に見つけたものは、何と、現金ではなく、一人の気絶した美女。

彼女もまた、その大金を狙って、金庫に入ったものの、失敗して閉じ込められていた女泥棒、姫子(野川由美子)であった。五郎は彼女と一緒に、その屋敷から逃亡を計るが、彼女に騙され、路上にほうり出されてしまう。

一方、一人、塀をのり越えて、仲間たちの待つ自動車にたどり着いたトロ、得意の読心術で得た知識から、大金が、全国からやくざが集結して来る伊豆のホテルにあるに違いないと読み、一向と共に、伊豆へ向かう。

到着したホテルで、五郎と合流。

彼らは、無一文であるにもかかわらず、部屋を取り、一週間居座る事に。
何と、あの姫子も、ちゃっかり、組織のボス(新藤英太郎)の女として、ホテルに乗り込んで来るのであった。

やがて、綿密な計画を立てたメンバー一行、大金を運ぶやくざたちの車を、道路工事を装って巧みに誘導し、一旦は手に入れた現金の入ったバッグを、うっかり、ホテルの娘が乗ったオープンカーの後部座席に落としてしまう。

彼らは、現金を無事、手にする事ができるのか…。

後半は、お笑いの原点、逃亡と追跡の連続になっていく。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

前半は、どう観ても「峰不二子」にしか見えない野川由美子演ずる姫子の登場もあってか、実写版「ルパン三世」みたいな雰囲気(姫子の入浴シーンも、ちゃんとある)。
後半は、おっかけっこの連続で、全体的にスピーディーな動きを中心とした展開と、映画としては久々の、クレージーによる音楽コントもあるサービス振りなのだが、いかんせん、あまり面白くない。

無声映画時代のドタバタギャグのような路線を狙ったのだろう。
今観ると、無謀なカーチェイスなどもやっているのに、それが笑いに繋がらない。
個々のアイデアに新味が感じられず、みんな既成のアイデアをただ組み合わせただけ…という風な感じがする所が、弱いのか。

全体的に、クレージー全員体当たり演技を見せているにも関わらず、大味な感じしか残らないのが不思議である。
ストーリー展開にアイデアを注ぎ過ぎた事が、逆に、クレージーたち個々のキャラクターを殺してしまったようにも感じる。

劇中、警官役で、元都知事、青島幸男が登場したりするのが、珍しかったりはするのだが…。