樫山文枝主演で大評判になったNHK朝ドラ「おはなはん」の映画化と言うより、原作本の映画化と言った方が正しいのかもしれない。
主演も違っていれば、テレビでお馴染みだった主題歌も全く使われていないからだ。
それでも、速水謙太郎の祖父役は、テレビ版と同じ花澤徳衛だし、馬丁亀吉の女房おとく役も同じ野村昭子だったりと、テレビ版を意識しているようなキャスティングにも見える。
つまり、テレビ版のイメージを持ったままこの映画を観てしまうと、色々違和感を感じるはずだ。
しかし、ストーリー自体は原作に沿っているはずなので、テレビ版と大きな違いはないと思う。(さすがにテレビ版の記憶がほとんどないので、この作品と比較しようがない)
正直、岩下志麻さんは「おはなはん」のコスプレをしているようにしか見えない部分はある。
どことなく、無理をして演じているようにも見えなくはないのだ。
もちろんこれは岩下さんが悪いのではなく、それだけTV版の樫山文枝さんのイメージが強烈過ぎ、「おはなはん=樫山文枝」のイメージが定着し過ぎているためだと思う。
当時の岩下志麻さんは25歳くらいのはずだが、大人びて見える為、前半の女学生時代から結婚する辺りまでは、やや老けて見えるし、天真爛漫な明るさと子供のような純真さを持つおはなはんのイメージと、当時の岩下志麻さんのイメージとは少し違う気もしないではないが、こうした違和感も、徐々に物語に引込まれて行くうちに気にならなくなる。
内容は、朝ドラらしく、主婦層を狙った、元気に歴史を生き抜いて来た一般庶民女性の一代記の前編。
封建主義の権化のような薩摩の夫をもらい、それに負けるどころか、自ら進んで薩摩人の心に溶け込む所など、当時の女性の大変さを知ると共に、痛快さも感じる。
映画版らしく各シーンのセットも豪華に作られているし、野村芳太郎監督の演出も安定感があり、それなりの見応えがないではない。
ただ如何せん、映画としては大きな見せ場に乏しく、日露戦争なども錦絵と記録フィルムでごまかしているようにも見えなくもなく、これと言ったクライマックスがないまま終わっている印象が強く、これでは多くの客を呼べなかったのではないかとも想像する。
映画として出来が悪いと言うことではなく、動員を呼び込む工夫に欠けていたのではないかと言う気がするのだ。
元々、大きな事件が起こらないホームドラマのような作風は松竹の得意の分野であるが、60年代になると、女性や老人はテレビの前から動かなくなってしまう。
かくして、松竹は、得意分野だった「ホームドラマ」の客層をそっくりテレビに奪われ、興行的な苦戦を強いられる事になる。
松竹としても、そうしたテレビの影響力は分かっていたので、テレビドラマの映画化などにも積極的だったのだろうが、当時は、映画版としてどう言う作り方にすれば、日頃テレビしか観ない層が、映画館まで来るか、来させるのかの戦略が甘かったのではないかと推測する。
特に、主役をテレビ版と替えてしまう事のマイナス面に関しては、この作品で身にしみたのではないか?
テレビでぽっと出の新人女優より、松竹の看板女優で撮れば、客は間違いなく来るとでも思っていたのだろうか?
だから、渥美清主演の「男はつらいよ」では、主役はテレビ版と同じにした…とも勘ぐりたくなる。
当時の映画としては平均的な出来ではないかと思うが、インパクトにはやや欠けるようにも思える。
渥美清さんが、ゲスト的に出て来るのは予想外の喜びだったが…、脚本が山田洋次さんと言うのも興味深い。
つまり「男はつらいよ」は、唐突に出て来た企画ではなく、色々それまでのテレビドラマの映画化の試行錯誤の結果、たまたま時流に合い、大当たりしたのではないか?と言う気もしないでもない。
▼▼▼▼▼ストーリーをラストまで詳細に書いていますので、ご注意ください!▼▼▼▼▼ |
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1966年、松竹、小野田勇+林謙一「おはなはん一代記」原作、山田洋次脚色、野村芳太郎監督作品。 明治18年 伊予大州 桜が満開の中、銀行員浅尾平造(加藤嘉)は、自宅で生まれたのが女の子と知り、驚いていた。 生んだ母てる(水戸光子)も、あんなに動いていたのに女の子だったのはと意外そうで、産婆(高橋とよ)も、30年もこの商売をやっているが、予想が外れたのは始めてじゃと驚く。 すっかり、男の事ばかり思い込んでいた平造は、男の子向けの用意をそろえていたため少し焦るが、ひょうきんな顔をしとると、赤ん坊の顔を覗き込むと、庭先の桜の花を観る。 4月2日 大州に元気な女の子が生まれた。 下男の吾助(左卜全)も、嬉しそうに庭先から赤ん坊を覗き込む。 女の子は、はなと名付けられた。 そして、底抜けに明るく育った… タイトル 子供時代のはなや家族写真を背景にキャストロール 明治36年 松山 女学校の卒業式が行われていた。 一番先に泣き出したのは、おはなはん(岩下志麻)だった。 式の後、記念写真の席につく先生(丘窮児)は、本人を前に、おはなはんが卒業してほっとしたと冗談を言う。 写真家(南都雄二)が、じゃあ、写しますよ。動いてはいけませんよと注意して、1、2、3、4…と数え始めるが、その途端に笑い出したのもおはなはんだった。 4人の級友たちと学校から帰る途中、友達の早川紀代(有川由紀)をいつも道で待っている男子学生の事をからかい出したおはなはん。 今日で最後やな。この人近々お嫁に行くって言ってやろうか?とおはなはんが言いながら角を曲がろうとすると、今日もその男子学生が向うから歩いて来るので、全員、緊張しながら整列すると、前に進み始める。 おはなはんら5人の女学生と、その男子学生がすれ違った直後、その男子学生(松山英太郎)は立ち止まり振り返ると、転校するけん、近いうち東京に行く。さようなら!と言って立ち去る。 学生がいつも待っていたのはおはなはんだったのだ。 おはなはんは、松山の中学生の間でも大人気だった。 連絡船に乗り込んだおはなはんは、4年間学んだ松山から故郷の伊予大州まで1日がかりの旅だった。 おはなはんが帰宅したと聞いて帰って来た父平造は、蛍の光歌いながら泣いたそうですと言うてるの言葉を聞き、そうでなくては…と娘らしく育ったおはなに安心していたが、今どこにいると聞くと、弟の正太(小林幸雄)とベースボールしていると言うのを聞いて激怒する。 帰宅したおはなと正太は、父の平造から、学校出たのに、ベースボールとは!嫁入り前の姉さんを、ベースボールに誘うとは!と大目玉を食う。 こんな子供が相手では町長にも顔向けできん!と平造の怒りは続く。 7月、運命の日がやって来た。 その日電報を受け取った母てるは、吾助にはなを呼びに行かせ、銀行へ行って、旦那さんにこれを届けさせて欲しいと頼む。 吾助は、自分が届けますと手を差し出すが、これはおはなに届けさせたいんやとてるは言う。 おはなはんが持って行った電報を銀行で読んだ父、平造に、文面に書いてあるハヤミって誰ですか?とおはなはんが聞くと、松山連隊の中尉さんで、お前の婿さんじゃと言うではないか。 おはなはんは、うち、恋愛結婚しようと思っとったんやけど…と憮然として言うと、お前、4年も学校に行っといて、そんな考えか!と平造は情けなさそうに叱る。 相手は工藤さんのお声掛かりで、工藤さんには銀行の方でもお世話になっているんだと平造は言う。 あまりにも一方的な申し出に憤慨したおはなはんは、自宅で弟正太相手に、向こうに断らせれば良いんやな?と相談するが、当たり前にしとったら良いんや。姉ちゃんのようなおてんばやったら、すぐに嫌われると正太は嫌味を言う。 それでも一応、速水が来る日、おはなはんは簪を付け化粧していた。 そこに、吾助がやって来て、お客さんが乗った舟が着いたようですらいと言う。 てるはおはなの姿を探していたが、振り袖姿のおはなはんが庭の木の上に登って外を眺めているではないか。 どんな人なのか観ようと思って…とおはなはんが言うと、下にいた吾助が笑う。 やがて、来よった!ヒゲ生やしとるぞ!と大きな声で叫びながら家に駈けて来る。 その背後の人力車に乗っているのが、おはなはんの婿になる速水謙太郎(栗塚旭)だった。 人力車の上から、自分を発見したのか敬礼をされたおはなはんは、驚いて木から落ちてしまう。 家にやって来て座敷に通された速水だが、台所では正太が、一度は成功じゃったなと姉のおはなに言い、おはなはんは、さらなる作戦で、座敷に持って行く茶をその場に捨ててしまう。 座敷で、平造と対座していた速水は、あの話はお断りしたいと申し出ていた。 茶を持って来たおはなは、その話に驚くと共に、断るときくらい仲間に入れて欲しいと平造に頼み、不承不承同席を許される。 平造は速水の良い分を理解できず、言い争いになる。 卑怯ですがな、そのおひげが泣きますとおはなはんが口を挟むと、一瞬むっとした速水だったが、昨年一月以来、ロシアとの対決に一歩踏み入れた。世論は開戦やむなきと言う風潮が蔓延して来ており、このまま行けば戦争は必至。日露戦争は日清戦争以上の大戦になる。 こんな時に結婚すれば後顧の憂いとなる。1人の女子を不幸に陥れるのを防ぎたいのですと速水は説明する。 それを聞いていたおはなはんは、では、兵隊さんはみんなお嫁さんをもらわないんですか?大事な結婚を一方的に断ったりして!と文句を言う。 自宅を辞去した速水を追って来たおはなはんは、大州の町を案内してあげます。舟の時間までまだ1時間もありますからと言葉をかけ、大州六万石の城跡に来たおはなはんはこんまい所でしょう?と自嘲し、返事をしないは闇に、軍人さんは女と口を聞いては行けないのですか?と聞く。 断った嫁さんと歩くとは…、何とも妙なもんでごわす…と速水は戸惑う。 おはなはんも、うち、始めからこの縁談、断ろう思うてましたと打ち明けると、だから、空茶を出したのですか?と速水も納得し、中尉さん、ほっとしましたか?とおはなはんから聞かれると、しました!と安堵したように答える。 船着き場の近くで、製糸場の大将塚原(上田吉二郎)とすれ違ったおはなはんは、紹介せんかい、お婿はんの候補やろ?と耳打ちされたので、断られましたと答える。 しかし、舟に乗り込む時、おはなはんが、うちの事、どう思いました?と聞くと、速水中尉は、てんがなもん…国言葉でしっかりもんと言うことですと答える。 そんな2人の様子を離れた所から眺めていた塚原は、おはなはんが戻って来ると、断られた割に、えらう仲良えやないか?と不審がられる。 おはなはんも、うちにもよう分からんわ…と答えるしかなかった。 その後、おはなはんは、級友早川紀代の結婚式に出席する為、再び松山に向かう。 紀代はとてもしあわせそうだったが、この日、おはなはんは、何故かちょっぴり寂しかった。 下宿先でスイカをよばれながら、4年間聞き慣れた消灯ラッパの音を聞いていたおはなはんは、ええな…、あのラッパ…と改めて呟くのだった。 歩兵第二十二連隊を1人訪れたおはなはんは、入口横に立っていた歩哨(三遊亭歌奴=3代目三遊亭圓歌)から声をかけられ、大洲から来ましたと言うと、自分は新谷ですらいと懐かしそうに応じてくれる。 そこに通りかかった上官が、正門の歩哨がそんな事でどうする!と叱りつけて来たので、おはなはんは、この人を怒らんといて下さい。話しかけたうちが悪いんですと詫び、速水中尉に会いに来た旨を伝える。 その上官の計らいのより、おはなはんは再び速水中尉を再会を果たし、地元の松山城などを案内してもらう。 鹿児島の城山の眺めは美しいですか?とおはなはんが聞くと、錦江湾に浮かぶ桜島は、誠見事なもんものでごわんせん!と御国言葉で速水が答えたので、おはなはんはもう1度言って下さいと頼み、自分もその言葉を復唱してみるのだった。 おはなはんは恐縮し、勤務時間に案内してもらって嬉しかったですと礼を言うと、近々、東京の師団本部に転勤になりますと速水は言う。 おはなはんは、もう一つ教えて下さいと言い、もし戦争がなかったら、うちをお嫁さんにもらおうかと思いますか?と単刀直入に聞く。 速水は、思うとります!と即答すると、じゃあ…と言い残し、連隊に戻って行く。 かくておはなはんは、始めて恋に落ちてしまった。 速水中尉も又、恋の虜になっていた。 おはなはんは生まれて始めて、深い悩みを抱く事になる。 後日、第二十二連隊に馬で入って来たのは、連隊長(小沢栄太郎)だった。 入口の歩哨が慌てて、捧げ筒をやり、入口近くにいた兵隊たちも、直立不動の姿勢で、連隊長の通過を見守るが、そんも連隊長の背後から、1人の娘が付いて来たので、みんな唖然とする。 馬上の連隊長は、このご婦人はわしのお客さんだ。通して良いな?と周囲に説明するが、その娘とはもちろんおはなはんであった。 連隊長室に呼びだされた速水中尉は、そこにおはなはんがいる事に驚く。 お前は実に立派な軍人精神の持ち主だそうだな?松山連隊に取って名誉だ。それに比べわしは恥ずかしい。女房をもらったし、子供も5人もいる。日清戦争の時など、末っ子がはしかになり、心配したものだ。 そんな歯の浮くようなお世辞をいきなり連隊長から言われた速水は、しゃちょこばって、ありがとうございますと返事をするのが精一杯だった。 そんな早見に、昨日の午後2時からの行動を言ってみろ!といきなり連隊長は命じる。 速水が答えに窮していると、お前は午後2時、若い娘の来訪を受け、「いろは亭」で酒を3本も飲んだそうだな?と鋭い目つきで迫られたので、速水の表情は強張る。 後顧の憂い、なからしむる為に…などと言っておきながら、これはどう言う事だ!貴様は軍人の風上にも置けぬ!すみやかにこの人と結婚しろ!すぐ嫁にせよ!と連隊長が命じたので、速水は、はい!ありがとうございます!と頭を下げるしかなかった。 速水が部屋を出て行くと、これで良いかな?娘さん?と連隊長はおはなはんに聞く。 この時、幸せとはこういうものだとおはなはんは思った。 おはなはんは、夫の故郷である鹿児島で結婚式を挙げる事になる。 大州の船着き場で、舟に乗り込むおはなはんと両親を、地元の町長・北河原(渡辺篤)や塚原、そして弟の正太らが見送っていた。 町長らは、おはなはん、バンザイ!と叫び、正太は、姉ちゃ〜ん!幸せになれよ〜!と川岸の岩場から声をかける。 鹿児島 そこは、屋敷の入口の男女で違うほど封建的な土地だった。 おはなはんと両親は、速水家の祖父速水襄介(花澤徳衛)、速水の父、隆平(竜岡晋)、弟の清次郎…と、まずは男たちが紹介され、母芳乃(風見章子)、妹のちかが続いて紹介される。 これに対し、浅尾平造は、家内のてると、娘のおはなを紹介する。 すると、最初から仏頂面をしていた襄介が、こがん小藩の小娘のどこが良かったのか?と本人の目の前で速水謙太郎に問いただす。 その夜は男女別別の部屋に寝かされた。 おはなはんは母のてると同室だったが、てるは、あんなことではお前があまりに可愛そう…と同情していた。 その時、障子を開ける気配がしたので、2人は緊張するが、顔を見せたのは平造で、あんな広い部屋に寝かされたんでは、心細うなる。あの爺さんじゃ、孫が他所の土地の娘をもらうのが気に入らんのじゃろうと嘆く。 その時、近くから咳払いの声が聞こえて来たので、平造は慌てて、自分の部屋に戻って行く。 翌朝、おはなは人より早く起き出し、祖父のご機嫌伺いをすることにする。 そこに案の定、襄介がやって来たので、男用の桶を手渡そうとするが、いらん事をするな!と怒鳴られてしまう。 その後、襄介は謙太郎と剣道の練習を始める。 謙太郎は腕に覚えがあるらしく、孫を手玉に取ってみせる。 謙太郎がふらふらになった時、襄介は側で観ていたおはなはんに、おはんは武道の心得はあるか?と聞いて来たので、おはなはんは、女学校で長刀をやりましたと答えると、仕度してかかって来いと襄介は言い出す。 おはなはんが仕度をして前に出ると、どっかでも遠慮なく打込んで来なさい。わしが負けたら、何でも言うことを聞いてやると襄介が言い出したので、おはなはんは本気でかかって行き、襄介の左膝を打ち据えてしまう。 これを知ったてるは、嫁入り前の娘にあんなことをさせるなんてと憤慨する。 襄介は片足を引きづりながら、痛そうに朝食の膳に付いたので、事情を知らない速水の父の隆平は、おやっさん、どうしたとですか?と不思議そうに聞く。 謙太郎は思わず噴き出しそうになる。 何も答えなかった襄介は、こんさつま汁は旨か!と褒めるが、よしが、これはおはなはんに手伝ってもらいましたと言うので、むっとする。 おはなはんは、そんな襄介に、薩摩を案内して下さいと頼む。 謙太郎も嬉しそうに、勝負に負けたら、何でも言うことを聞くと言っとったじゃないですかと言い、お前が案内して来いと言われた隆平は、これから学校があるので…と断り、清次郎もあっさり断ったので、襄介はやむを得ず、おはなはんを城山見物に連れて行く事になる。 外に出て襄介に付いて行ったおはなはんは、女子は三尺下がって付いて来なさいと命じる。 この城山がどげん所か知っとるか?と襄介が聞いて来たので、多少の知識を披露したおはなはんは、西郷どんのお墓も見せてくれんかな?と頼む。 西郷隆盛像を見せた襄介は、官軍が砲撃を始めた中、この洞穴の中で碁を打っていたそうじゃと説明し、明治10年9月24日、悠々と洞窟を出ると、胸と腰を撃たれ、ばったりここで倒れた。 もうこれで良かと呟いた西郷ここで腹を斬った…と襄介は言う。 西郷隆盛の墓を拝んでいたおはなはんに、何を念じとった?と襄介が聞くと、うち、何も知らんけど、一生懸命やりますから、薩摩人の仲間に入れて下さいって…とおはなはんは答える。 西郷どんは何と答えた?と襄介が聞くと、頑固なおじいさんと仲良く出来るなら、仲間に入れて良いとおっしゃいました!とおはなはんは笑顔で答える。 こいつ!と睨んだ襄介だったが、満更悪い気もしなかったようで、煙は薄く桜島〜♪と歌い始める。 おはなはんが拍手をすると、ここは拍手じゃなく、チェスト!と言え!と襄介は命じる。 おはなはんも、謙太郎から以前教わった事がある御国言葉で桜島を褒めると、襄介はすっかりおはなはんを気に入ったようだった。 翌日の婚礼の式 おはなはんは、薩摩の風習に則り、客が全部帰るまで座に残っていた。 おはなはんが、夫謙太郎の部屋に向かったのは、夜明け前に近い事だった。 その後、結婚した速水とおはなはんは、東京の新橋駅に降り立つ。 外国人夫婦にぶつかったおはなはんは、慌てて、エクスキューズミーと謝る。 そんな速水夫婦を駅で待ち受けていたのは、司令部から派遣されて来たと言う、立派なヒゲを生やした細倉亀吉(小沢昭一)で、中尉付きの別当であります!と自己紹介したので、速水は、馬丁か!そのヒゲで!と唖然とする。 さっそく、速水は、亀吉が連れて来た馬に乗り、おはなはんは人力車に乗り、新しい家に案内される。 庭には花が咲き乱れており、亀吉が言うには、前に住んでいた原田大尉殿が大層な花好きだったらしい。 この家は、伊集院大尉が探して下さったもので、家賃が16円じゃ高いかとも思ったんですが、奥さんの実家が銀行関係と言うことで引き出せるだろうと言うことでしたとまで亀吉は打ち明けてしまう。 亀吉は奥に、動物と一緒に住んでおりますなどと自己紹介するが、そこに顔を出したのは、亀吉の女房のおとく(野村昭子)だった。 夕方になり、室内に電燈が灯ると、おはなはんは、始めて見た伝統に感激する。 かくして、同居者たちに、おはなはんは好ましい印象を与えた。 翌朝、始めて釜でご飯を焚こうとするおはなはんだったが、蓋を開けて中を覗いてみたおとくは、水が多過ぎやしないかね?と忠告する。 その時、亀吉と共に馬で帰宅した速水が水を持って来い!と声をかけて来る。 亀吉は、この馬は、前の太田大尉の愛馬で、太田大尉が朝鮮に行く時、大変惜しがっておられましたと速水に説明し、速水もこの馬が気に入ったようだった。 そこにおはなはんがコップで水を持って行くが、何だ、これは?と言われ。身体を含んだから盥で持って来い!と言われてしまう。 思わぬきつい言葉を受けたおはなはんは、台所で泣いてしまう。 それを見たおとくは、うちの人がいたからでしょう。男は人前で威張りたいんですよと言って慰める。 おとくは、炊きあがった釜の蓋を開けてみて、あら?おかゆですよと驚く。 朝食の席、ご飯がお粥になっていたのを知った速水は驚くが、今度は叱らず、今朝は腹の具合が悪かったから、ちょうど良かったと言ってくれる。 東京では、引っ越しして来た挨拶をする際、近所に蕎麦の切符を渡す風習があった。 まずは、おとくに案内され、家の大家である質屋におはなはんは蕎麦の切符を渡す。 右隣には、溝呂木(三井弘次)と言う老人が住んでいた。 ご主人の出身は?と聞かれたおはなはんが鹿児島ですと答えると、田舎侍などから受け取れるか!と切符を拒否される。 左隣に住んでいたのは、猫を抱いた小説家だった。 蕎麦券を配り終え、自宅に戻って来たおはなはんは、時ならぬ砲声を聞き驚くが、おとこが、「どん」ですよ。東京ではお昼に「どん」が鳴るんですと説明してくれる。 午後の仕事は、洗濯、家の中の整理、夕食の準備などで忙しかった。 夕方、馬で帰宅した速水に、玄関先で迎えたおはなはんは、お帰りなさいませ!と敬礼する。 速水も反射的に敬礼して返すが、急に我に帰ると、ばか!子供じゃない!と怒る。 それを見ていた亀吉とおとくは、仲睦まじい2人の姿を笑いあう。 翌日、おはなはんは、伊集院大尉の家を訪れ、応対した妻(加藤治子)に引っ越しの挨拶をする。 東京に来てどこか観ましたか?と尋ねられたおはなはんは、二重橋、西郷隆盛の銅像…と答えるが、西郷先生とおっしゃい!と叱られる。 鉄道馬車で浅草に行き、十二階に登ったり映画を観ました。 そして三井呉服店で洋食を頂きましたとおはなはんが答えると、それは楽しかったでしょうと皮肉っぽく言った伊集院の妻は、あなたは薩摩の人ではないと思いますが?と言うので、伊予ですと答えたおはなはんは、お子様のおやつにでも…と言いながら、国の名物タルトを渡そうとする。 すると、伊集院の妻は、私どもは一切こういう事はしません。質素を旨としておりますので…と土産を拒否する。 そこんじ、女中のおむねが、着物が泥だらけにされ泣きべそをかいた息子の肇を連れて来る。 肇が言うには、悪童たちに帽子を取られてしまったと言うので、それを聞いた妻は、お侍が泣くもんじゃありません。母子が泣くのは生涯に二度だけ。お殿様が亡くなったときと、両親が亡くなったときだけです!と言い聞かせ、取られた帽子を取り返して来なさいと叱りつける。 夜中、帰宅した速水にその事を話したおはなはんは、あの人は軍人の妻の手本と言われていると褒めるので、私はとてもあんな方にはなれませんわとおはなはんは呆れる。 そこに来訪して来たのが、酔った伊集院大尉(加藤武)と部下の醍醐少尉(山口崇)で、おはなはんは、むさ苦しい所ですがどうぞと中に招き入れようとする。 すると、速水は慌てて、この家は大尉殿が見つけて下さったんだぞと注意するが、当の伊集院大尉は、良か、良かと笑って聞き流し、我が輩の家で飲んでもちっとも酒が旨くないので、新婚の花園で飲もうと言うことになったんだと言う。 それを聞いた速水は恐縮し、我が輩は女房をもらったつもりが、子供をもらったような気がしていますと答える。 おはなはんは、近所でも人気者になって行くが、溝呂木家だけは例外だった。 ある日、溝呂木家を訪れたおはなはんは、溝呂木の老妻しめが寝込んでいるのを発見、上がり込んで額に手を当てると、大変な熱がある事に気づく。 医者を呼ぼうとすると、しめは、夫が西洋嫌いで、費用もかかるので…と止める。 そこに、当の溝呂木が戻って来て、しめ、何故こんな女を家にあげた!と怒鳴って来る。 奥さん病気じゃないですか!とおはなはんが反論すると、薩摩の芋侍ごときの世話にはならん!これでもわしは彰義隊の生き残りじゃ!と言いながらおはなはんに近づくと、いきなり頬を叩いて来る。 すると、騒ぎに気づいた亀吉が、庭の垣根を壊して入って来ると、家の奥様に何をする!と抗議する。 逆上した溝呂木は、槍を取り出して亀吉を追いつめる。 それに気づいたおとくが、スリコギを持って亭主の援護に駆けつける。 さらに、速水まで駆けつけ、下郎相手に見苦しいですぞ!と言い、溝呂木老人を押し倒す。 その直後、溝呂木老人夫婦は多額の借金を残したまま、姿を消す。 溝呂木家の門には「貸家」の札がかけられていた。 明治37年、元旦 この年の始め、日本はロシアとの開戦を決意したのである。 速水、伊集院、醍醐が家に揃っていた時、伝令が来る。 速水が伝令に会うため玄関に向かうと、おはなはんは、今頃何なんでしょう?と不安がるが、そんなおはなはんを落ち着かせる為か、醍醐少尉は、奥さんは四国の生まれですから、雪は珍しいでしょう?と、庭先に降りしきる雪を観ながら聞いて来る。 いよいよやりました、旅順で!と部屋に戻って来た速水は緊張気味に報告する。 それを聞いた伊集院大尉は、非常呼集か?と聞き返し、醍醐中尉も誘って、自分も帰る仕度を始め、動員令となると司令部は忙しくなると言う。 おはなはんは速水に、軍人である以上、出征は前から覚悟していましたとおはなはんが気丈に言うと、亀吉が馬の用意ができましたと知らせに来る。 速水、伊集院、醍醐の3人は、雪の中、それぞれ馬に乗り出かけて行く。 それを、行ってらっしゃいませと見送るおはなはん。 速水が次に帰宅して来たのは1週間後の事だった。 おはなはんは、座敷に寝そべっている速水の姿を発見する。 ほっとしましたとおはなはんは喜ぶが、いよいよ行くぞ!伊集院大尉も一緒だと速水が言うので、いつ?と聞くと、明日の晩だと言う。 来るべきものが来ただけだ。取り乱すんじゃないぞとおはなはんに言いつけた速水は、それだけを伝えに帰って来たんだ。今晩は2人きりで飯を食おうと言う。 ハイ!と答えたおはなはんは、思わず、速水の手を握りしめ泣き出す。 しかし、2人きりの水入らずの夕食と言う願いは叶わなかった。 次々と、町内の人たちが挨拶にやって来たからだ。 奥に控えていたおとくなどは、しようがないわね…、奥様の気持ちも考えないで…、せっかく薩摩名物の酒寿司まで作っていると言うのに…とぼやく。 さえあに、伊集院大尉と醍醐少尉までやって来たので、その夜は、案に相違して大壮行会になってしまう。 亀吉は、その宴会には加わらず、台所で一人酔いつぶれていた。 おはなはんがどうしたの?と聞くと、旦那様と一緒に戦地に行けず、すねているんですよとおとくが説明する。 そこに、醍醐少尉がやって来て、奥さんじゃないと止められんとです!と慌てた様子で告げる。 座敷に戻ってみたおはなはんは、伊集院大尉が、日本刀を抜き、滅茶苦茶な踊りをして、鴨居などに傷を付けているのを発見する。 大尉!そろそろお宅で、奥様とお子様がお待ちですよ!とおはなはんが声をかけ、醍醐少尉がお供しますと言葉を足す。 さすがに、シュントした伊集院大尉は踊りを止め、その場にいた者全員で、速水中尉バンザイ!とかけ声を合図にお開きになる。 帰りかけた伊集院大尉は、奥さん、速水中尉の事は私に任せて下さい。決して悪いようにはしません。伊集院大尉が引き受けました!とおはなはんに声をかけて来る。 深夜、ようやく2人きりになった速水は、お前手作りの酒寿司をゆっくり味わう事にしようと言い出す。 酒寿司を肴に酒を飲み始めた速水は、隣の部屋に行ったおはなはんがなかなか顔を見せないので声をかける。 おはなはんは鏡台の前で、夫の軍服を自ら羽織り、軍帽もかぶっていた。 そして、墨で自分の鼻の下にヒゲを描いて、夫の前に出て来る。 何だ?その格好は…と速水は呆れるが、速水中尉、命令!速水中尉はいかなる事があろうとも死ぬべからず!とおはなはんが直立不動の姿勢で叫ぶと、さすがにおはなはんの気持ちを察し、自らも立ち上がって真剣に耳を傾け始める。 例え、手足を失おうと、目を失おうと、生きて戻るべし!と叫ぶおはなの気持ちに打たれた速水は、復唱!と叫び返し、速水中尉はいかなる事があろうとも、生きて戻ります!と答える。 良し!とおはなはんは言う。 仁川、鴨緑江で、日本軍は非常な苦戦だった。(と、日露戦争の錦絵を背景にナレーション) この戦いで、伊集院大尉も名誉の戦死を遂げた。 おはなはんは、すぐさま、幼い息子と娘がいる伊集院の妻に悔やみを言いに行く。 妻は、あなたも軍人の妻ならそのように取り乱さないで下さい。肇!泣くんじゃありません!おば様に笑われますよ!といつも通り厳格な態度で答えていたが、その膝に置かれた手は、哀しみを堪えようと震えていた。 明治38年1月 大変だ〜!と叫びながら、亀吉が自宅に駆け込んで来る。 何事かと出迎えたおはなはんとおとく、そして、隣の小説家は、俺は赤坂見附から駈けて来たんだ。今俺は旦那に会って来たんだ!と言う亀吉の言葉に唖然とする。 良く聞くと、活動写真を観ていたら、旦那が出て来たのだと言う。 間違っていたら、このヒゲを剃っても良いと亀吉は自信ありげなので、半信半疑ながら、亀吉について、おはなはん、おとく、小説家は、問題の活動写真の小屋に出かけてみる。 やがて、ちょびひげ姿の薄美渥郎(渥美清)なる弁士が登場し、これからお目にかける映画は、技師2名を戦地に送り撮影した日露大戦争の実写ですと解説する。 そして、演奏が始まり、日露戦争の記録映像が流れ始める。 まずは二百三高地の状況が映し出される。 ロシアの捕虜たちやステッセル将軍の姿。 その時、亀吉が次ですよ!ほら野木将軍の後ろに隠れた!と声をかけるが、既に泣いていたおはなはんは、その映像をきちんと確認する事は出来なかった。 復唱!速水中尉はいかなる事があろうとも、生きて戻ります!と言う、最後の夜の夫の言葉がおはなはんの脳裏に蘇っていた。 家に戻って来たおとくは、どこに写ってたのよ?と文句を言い、小説家も、そうだと言われればそのようにも見えるし…と曖昧な感想しか言わなかった。 おはなはんは、私は最初から泣いてたので、ちゃんと観れなかったと感想を述べていたが、そこに、口元を片手で隠した亀吉がやって来たので、どうしたの?と聞くと、苦笑いをしながら手を外した亀吉の立派なヒゲは剃り落とされていた。 明治41年 弘前 東京から転勤していた速水の家族写真が写る。 生まれたばかりの長男の謙一郎を抱いたおはなはんのお腹は少し膨れていた。 おとくさんが持っているバイオリンは、写真館の小道具だが、大尉に昇進していた速水が持っていた地所は伊達ではなかった。 近々転勤の噂があったドイツ語の練習用であった。 この頃こそが、速水家にとって、輝くばかりの幸福の時代であったのは間違いない。 そして、この写真が夫の最後の写真である。 その日、夫の速水は、秋期大演習で留守だった。 そんな中、速水はいきなり自宅に戻って来ると、おはな、まだか!と奥の間で寝ているおはなはんに声をかける。 連隊本部に伝令に来たついでに寄ったんだが、生まれて来ると思っとった…。産婆さんは4日くらいと言っとっただろうと、まだ出産がまだだと知った速水はがっかりする。 おさんの予定日なんて、いくらでも違って来るもんですよと、手伝いに来ていたおはなの母てるが言うと、そんなもんですか…と言いながら速水は咳き込む。 あなた、お体が悪くないのですか?と布団に寝ていたおはなはんが声をかけると、夜の行軍は冷えるからなと答えた速水は、大丈夫、大丈夫!とやせ我慢する。 つるは、長男謙一郎を抱いていたが、次にお帰りのときは産んでおきます。次は女の子が良いんでしょう?名前を決めといて下さいとおはなは声をかける。 無事、安産を祈る!の言葉を最後に速水は本部に戻るが、速水の帰宅の約束は果たせなかった。 演習の指令本部にいた浜谷大作(内田良平)は、電話を受け、何!事故?速水大尉が!と叫んでいた。 その夜、おはなはんは、無事2人目の女の子を産んだ。 瀕死の大尉が発見されたのは、ちょうどその頃だった。 本部のテント内に運び込まれた速水大尉は、はるにするか…、おはなははると付けたいらしいんだが、ちょっと簡単過ぎやせんかと思う。俺は忍ぶと付けたか…。しかし、はるも捨てがたいの…、やっぱり、おはなの言う通り…と、産まれて来る赤ん坊の名前の頃をうわごとのように呟いて息絶える。 それを涙ながらに聞いていた亀吉が、旦那様!と叫びすり寄る。 浜谷も、速水!と呼びかける。 その頃、無事出産を終え、女たちだけで遅い夕食を食べていたおとく、産婆、てるの3人は、男なんていざと言うことには何の役にも立たんと言い合っていた。 そこに、息せき切って亀吉が戻って来たので、あんた…、今頃…と、異変を感じたおとくが近づいて訳を聞く。 その途端、亀吉は号泣し始め、旦那が…、今さっき、死んでしまったんだ!夕べ、落馬して…。だから言ったんだよ。熱がある時、馬に乗らない方が良いって!と叫ぶ。 その時、奥に寝ていたおはなはんが、母さん?と声をかけて来る。 細川が帰って来たのと違う?とおはなはんが聞くので、うちの人、心配して観に来させたんですよとおとくがごまかす。 どっちにしようかな?女の子を欲しがっとったから、きっと喜ぶわ…。何も知らないおはなはんは、産まれて来た女の子の名前を考えていた。 そうじゃの…、知らせてやろうと言いながら、てるは泣いていた。 やがて、戦争も終わり、せっかくつかみ取った幸せも長くは続かなかった。 明治41年5月 北国の空は、おはなはんの哀しみを吸い取るかのように、どこまでも青く澄み渡っていた… |
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