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木下惠介生誕100年記念映画

木下恵介が戦争中に作った「陸軍」が軍部からの批判で、次回作が作れなくなり、辞表を提出し、郷里に帰っていた一時期の家族、特に病に倒れ、身体が不自由になった母親とのふれ合いから、再出発するまでを描いてある。

記念作にも関わらず、今の松竹を象徴するかのようにいかにも低予算で(製作委員会構成は松竹、衛星劇場、サンライズ、静岡新聞社で、幹事は松竹)、登場人物も限定的、内容も地味そのもので、タレント監督同様、アニメ出身の原監督の起用と言う事だけを売り物にしたようなせこい戦略とも取れなくもないし、TVの有名人紹介バラエティ用の再現ドラマのように見えなくもない。

映画の内容的にはボリュームがなく、短編か中編を観ている感じなのだが、出て来るのは皆良い人ばかりで、原監督らしく泣かせる所もあるし、ユーモアもある。

木下作品とのリンクも張られているし、それなりにこじんまりとまとまった心地よい作品にはなっている。

少なくとも、再出発するまでのエピソードまでは…

ところがその後、映画は、木下惠介の名作のオンパレードが見せ場として登場して来る。

確かに、再出発までのエピソードは映画として見せ場もないに等しく、そこで終わってしまうと決定的な物足りなさはあったと思う。

ただ、怒濤のごとく画面に展開する木下作品の強烈な印象は、ややもすると、それまでの地味なエピソード部分をかき消すほどのパワーがあり、全体を見渡すと、何となくバランスが悪いように感じる。

質素な精進料理のコースの最後に、いきなり油っぽい肉料理がどかんと出て来た違和感とでも言おうか…

もちろん、それを観る事で、前半のちょっとしたエピソードと、いくつかの名シーンがリンクさせてあったんだと言う事も分かるようになっているし、未見の木下恵介作品をスクリーンで観られる贅沢さも味わえるのだが…

それらの名作群の羅列が、観客に、これから木下恵介作品を見直そう!と思わせる、原監督の演出である事は分かるが、それが結果的に、結局この映画ってPR映画なんだ…と言う印象を強調しているようにも見える。

出演者は、皆、好演をしており、特にメインとなる正吉役の加瀬亮、母はま役の田中裕子は、押さえた演技で見事な存在感を見せてくれる。

意外だったのは、兄敏三を演じているユースケ・サンタマリアが悪くなく、役者としても成長した事を感じさせる。

決して悪い作品ではないが、映画としては、ややもの足りなさが残る作品のような気がする。

名実共に邦画のトップに君臨していた時代の松竹作品群と、その記念作品が今、低予算映画であると言うギャップが、何とも寂しく映る事もあるのかもしれない。

▼▼▼▼▼ストーリーをラストまで詳細に書いていますので、ご注意ください!▼▼▼▼▼

2013年、「はじまりのみち」製作委員会、原恵一脚本+監督作品。

静岡県浜松 東津の浜

砂浜に、二本の棒が立っており、その間に白い布が張ってある。

屋外スクリーンである。

そこに映し出されたのは、木下惠介のデビュー作「花咲く港」(1943)であった。

昭和18年、太平洋戦争の最中にデビューした木下は、この場所でもロケをした。

木下は、黒澤明と共に、山中貞雄賞を受賞、平穏な映画人生を始めた。

しかし、「陸軍」(1944)と言う作品のラストで、出征する息子の行進を追いかける母親を演じた田中絹代の姿が女々しいと検閲官から抗議が出た。

昭和20年4月 松竹大船撮影所

中止?社長室に呼ばれた木下(加瀬亮)は、別の企画を考えようじゃないかと穏やかに言い聞かそうとする城戸四郎(大杉漣)に、「陸軍」のラストが気に入らないので、特攻の映画なんか撮らせられんと軍部が言うんでしょう?親子の情を描いて何故いけないんです?と食って掛かる。

私は君の才能を買っていると言い聞かそうとする木戸に、戦争が全てって言うんですか!日本人には血も涙もないですか?と問いつめる木下は、突然、辞職します!と宣言するが、勝手に部屋を出て行こうとする木下の背中に、待ちたまえ、木下君!僕は受け取らんよ!と城戸社長は声をかける。

静岡県気賀町

実家に戻った木下は、寝たきりの母たま(田中裕子)に、調子どう?と話しかける。

しかし、今のたまは言葉が不自由だった。

会社に辞表書いて来たよ。母さんも大変だったね、あちこち動かされて…と、一方的に木下が話しかける。

その場にいた、敏兄さんこと木下の兄、敏三(ユースケ・サンタマリア)には、父さんたち、疎開しないの?と尋ね、僕は映画監督の木下恵介から、ただの正吉に戻るよと呟く。

昭和20年6月18日浜松大空襲。

正吉たち家族は、森の中を逃げ回った。

焼けた町並みを呆然と見て回る正吉。

一家が集まり、父周吉(斉木しげる)は、店は2軒とも焼けたけど、家族が皆無事で良かったと話す。

正吉は、勝坂に移らないとと言うと、周吉も、鈴木さんも来てくれても良いと言ってると答える。

母さんはどうするのかと聞くと、周吉はバスに乗せて行くと言うが、それはダメだよ。揺れて行くだなんて…、5〜60kmはあると言い出した正吉は、リヤカーは?僕が気田まで乗せて行って、そこからトロッコで勝坂まで行けば良いと言いだす。

それはいくらなんでも無茶だと感じた周吉は、バスの運転手に事情を話してゆっくり走ってもらうからと言うが、他の客も乗っているのに、そんなにゆっくりばかり走れるはずがないし、遅れる分、早く出発するからと正吉は言い張る。

お母さんはどう?バスが良いならそうするけど?…と正吉が母たまの顔を見ると、たまはにこやかに微笑んでいるだけだった。

翌日の深夜、たまをリヤカーの乗せ、出発する準備を終えた正吉と、何故か同行する事になった兄敏三は、荷物を積んだ方のリヤカーを引いてもらう便利屋の到着を待っていた。

お前は何でも自分で決める。映画監督になると言うときも、辞めるときもと周吉が呆れたような、感心したような言い方をするが、なかなか便利屋がやって来ない。

12時に来るように頼んでいたのだが…と敏三が闇の中に目を凝らしていると、それらしき若者(濱田岳)が一人近づいて来る。

何でも、来る予定の男が急に出征したので代わりに来たらしい。

行く先が勝坂と聞いた便利屋はあまりの長距離に驚いたようで、しかも、リヤカーに乗っているたまを見つけると、この人を運ぶのか?と腰が引けたように聞いて来たので、あんたは荷物を運んでもらえば良く、この人は俺たちが運ぶと正吉が言う。

敏三は便利屋に、こいつ弟と、正吉の事を紹介する。

いよいよ、敏三が母のリヤカーを引いて正吉が押し、便利屋は別の荷物の乗ったリヤカーを引き、真夜中に出発する。

父さん、大八車に荷物積んで遠くまで売りに行ったらしいと、昔の父親周吉の話を正吉がしだすと、人足がわざとツルハシを踏ませて因縁付けて来たらしいちゅうのと敏三も頷き、やっと店大きくなった言うのにな…と両親の九郎が一夜で無と化した事を嘆く。

そんな兄弟の会話を聞いていた便利屋が、ずっとこんな調子か?と聞いて来る。

やがて、夜が明けて来る。

リヤカーの中の布団に寝ていた母たまが、朝日の方向を指差し、自由が聞く右手を顔の前にあげて拝んだので、思わず、敏三、正吉らも、登って来る朝日に向かって手を合わせる。

食事のため小休止する事にし、便利屋が、あんたら、何か商売でもやっているのかね?と聞いて来たので、尾張屋と言う食料品店をやっとったが、この前の空襲で焼けたので、かみさんの在所に行くことにしたのだと敏三が説明すると、さすがに便利屋も気の毒がる。

敏三は、正吉の事をこいつは今は無職だ。映画かん…と言いかけた所で、正吉が、兄さん!と口止めしたので、便利屋は、映画館に勤めていたとでも勘違いしたらしく、映画も良いけど、何か旨いもん食いたいろと敏三が話をそらすと、便利屋はカレーライスと言い出し、カレーを食べる振りをし始める。

それを旨そうに観ていた敏三が、隣に座っていた正吉にも、何食べたい?と聞くと、そんな話をしたって腹が減るばかりだと無愛想に答えるので、場がしらけるのを避けようと、お前はあれやろ?白魚のかき揚げ!と敏三が指摘する。

それを聞いていた便利屋は、かき揚げも良いな〜…と言いながら、冷たいビールをまず飲んで…などと、また、食べる真似をし始め、いつになったら、また、あんなものが食えるようになるんだろう?食う前から腹減った。欲しがりません、勝つまでは…と言うけれど、さりとて、腹が減っては戦が出来ぬと便利屋はこぼす。

その会話をリヤカーの中でじっと聞いていたたまは、リヤカーの板をトントン叩き、正吉を呼ぶと、自分が手を付けていなかった弁当を分けて食べるように耳打ちする。

それを伝え聞いた便利屋は、聞こえとったかに?わし、そないに物欲しそうじゃった?と恐縮しながらも、小さな握り飯を1つ貰い頬張る。

もう1つを差し出された敏三が自分は良いと言うので、正吉が戸惑っていると、便利屋が、それも欲しそうにするので、正吉はすぐに自分が食べてしまう。

又歩き出された正吉らだったが、山道は辛く、歩いて疎開する他の女性たちから、ご苦労さんですと声をかけられながらどんどん追い抜かれて行く有様。

気田までだってそう簡単にはいかんずら…とぼやきだした便利屋に、帰りたきゃ荷物置いて帰って良いぞと正吉が言ったので、便利屋は、映画館勤めの青びょうたんのくせに!良し、やらまいか!…と小声で発奮する。

しかし、山道は思いのほかきつく、リヤカーを引いていた敏三は途中立ち止まる。

やがて、雲行きが怪しくなり、雨が降り始める。

リヤカーのたまの顔の上には傘を拡げ、便利屋は合羽に着替えるが、正吉と敏三は国民服のまま濡れ鼠状態。

やがて、また、敏三が立ち止まったので、正吉が引くことにする。

便利屋はもう半分ヤケになっており、しゃらくせえ!と言いいながら付いて行く。

リヤカーの中に寝ていたたまの顔に、泥が跳ね飛んで来るが、たまはそれをどうしようもなかった。

峠の頂上に付いた便利屋は、小休止と勝手に思い込み、こっから下りずらなどと喜んでいたが、正吉が何も言わず進んでいるので、上等ずら…と呟いて自分も荷車を引き始める。

夕刻前にようやく気田に着き、宿を探す正吉と敏三だったが、どこも疎開客で一杯と言う事で相手にもしてもらえなかった。

それを外で聞いていた便利屋は、なるほどね…、アメリカがいつ攻めて来るかもしれないので、皆、少しでも山の中に逃げ込んでいると言う訳か。逃げる所のあるうちは良いねなどと嫌味を言い、正吉らに気づくと、気まずそうにする。

途方にくれ、町の中を歩いていた一行だったが、「澤田屋」と言う旅館の前に来ると、中から、女将と店の主人らしき2人が口喧嘩している声が聞こえて来る。

やがて、夫婦は、外から人に観られているらしい事に気づき慌てて止めるが、部屋はありますか?と敏三が聞くと、あると言う。

リヤカーの中に病人もいると聞いた女将こまん(濱田マリ)がどこから来なさった?と聞くので、気賀から勝坂まで疎開しに行く途中だと正吉が説明すると、そら、えらいわ…と驚く。

ここまで17時間かかったと敏三もうんざりした様子。

母たまの顔が泥で汚れている事に気づいた正吉は、水お借りしたいと申し出、主人の庄平(光石研)が、横の井戸を教えてくれる。

その井戸水で手ぬぐいを絞り、その手ぬぐいでたまの顔を丁寧に拭いてやり、乱れた髪も丁寧に梳いてやる。

その姿を、旅館の中のこまんと庄平は感心したように無言のまま見つめている。

女将が、部屋が二階なので、たまを運ぶ手伝いをさせようと娘2人を呼び寄せるが、正吉は、自分が背負って行った方が早いと言い出し、たまを背負って玄関口に立ったので、敏三と庄平が、手がふさがっている正吉の靴を脱がせてやる。

その姿を観ていた便利屋は、呆れた強情張りだに…と呟くが、目の前にいる若い娘ら2人を観ると、急に元気が出たようで、気賀から歩いて来ただに…などとわざとらしく教え、可愛いの…などと褒め、娘たちの気を惹こうとし始める。

部屋に運ばれたたまの様子を見た便利屋は、脳溢血だかに…と同情する。

前は東京のこいつの所にいたんだが、空襲の時倒れ、その後、強制疎開で戻って来たんだと敏三が説明する。

(回想)1944年11月29日

空襲警報が鳴り響く中、先に家を出ようとしていた正吉は、なかなか母のたまがやって来ないので、どうした事かと部屋に様子を見に戻ると、廊下の所でたまが倒れているのに気づく。

お母さん!と呼びかけても反応がなく、取りあえず、布団に寝かせた正吉は、医者を捜しに、空襲警報が鳴り響く外へ走り出る。

(回想明け)

人にこんなことを言うのは何だけど、うちの二親は実に良く出来た人たちで、苦労に苦労を重ねて実直に商売をして来たんです。今まで、うちの親より正直な人に会ったことがないと敏三は言う。

それにしても、お前さんはよく頑張ったよと便利屋が無口な正吉に声をかけると、青びょうたんにしては…か?と正吉が返したので、あれ?聞こえてだかに…と便利屋は苦笑する。

翌朝、今日は、上流に行くトロッコ便がないそうだ。鈴木さんちには電話がないので知らせようもないし…と敏三が部屋に知らせに来る。

すると、廊下で寝ていた便利屋が起きて、おらはここまでで良いってことか?と聞いて来たので、勝坂までと頼むと、無理ずら…と断って来る。

では、ここまでの金を渡そうと、敏三が金を勘定し始めた時、宿の娘2人が、布団をあげにやって来る。

すると、急に便利屋の態度が変わり、もう1泊する事になったんだなどと言い出す。

その急変振りを聞いていたたまも、隣の部屋の布団の中で微笑む。

便利屋が急に元気になり、娘たちの仕事を自分がやると言い出し、その実、ちょっかいを出して邪魔しだすと、敏三は正吉に改めて身内話をしだす。

お前、このまま監督辞めるのか?籍だけは置いとけって言われているんだろ?

好きな事仕事にして、人に観てもらえるようになったのに、今度はあっさり辞めるか…

俺はお前が羨ましいんだよ。俺は文学が好きだったけど、それで食えるとも思えず、それで家業を継いだんだけど、お前は夢を叶えたんじゃないか。それをあっさり手放していいのか?

お母さんは俺が看取るから、お前は外の空気でも吸って気分転換して来いと言う敏三の言葉に従い、正吉は宿の部屋を後にする。

その時、まだ娘2人と無邪気にはしゃいでいる便利屋の姿が見えたので、何となく微笑んでしまう正吉だった。

外に出て歩いていた正吉は、川の向かい側の土手に1人の女性(宮﨑あおい)が立っているのを見かけたので、思わず、右手をカメラのレンズに観たて、丸くしてその中から覗き始めるが、やがて、日の丸の国旗を手にした小学生たちがその女性の廻りに集まって来て、軍歌を歌いながら一緒に歩き始める。

どうやら、その女性は先生のようだった。

河原で寝そべっていると、オーイと呼びかける声がして、横に座って来たのはあの便利屋だった。

娘をおちゃらかすのも飽きたなどと便利屋は言うが、女将さんにでも睨まれたか?と正吉が指摘すると、バレたかと言った顔つきになった便利屋はしょうがないんで外をぶらついていたら、孤独な男の姿を見かけたのでと言い返す。

あんた、変わっとるね?思い詰めとる言うか…。あんた兵役は?と便利屋が聞いて来たので、行ったよ。中国、中支と正吉が答えると、俺もそろそろ年貢の収め時かな?家に帰ったら赤紙来とるかもしれんと便利屋も暗い表情になる。

本土決戦か…。こんな景色観とると、どこで戦争やっとるんだと言う気になるな。結局、戦争をやっとるのは人間で、山も川もちっとも変わらんもん…と便利屋は続ける。

あんた、映画館に勤めとるんなら、あれ観たか?「陸軍」ちゅう映画!といきなり振られた正吉は、いいや…ととっさに嘘をつく。

母ちゃん役が田中絹代で、行軍のラッパ聞いたら、たまんなくなって家を出て行くんだ…と便利屋は映画のクライマックスを語りだす。

「陸軍」のクライマックスシーン

出征するため市内を行進する兵隊の中に、息子伸太郎(星野和正)を見つけた母わか(田中絹代)は、伸太郎!と声をかけながら列に付いて行こうとする。

伸太郎は、そんな母親の姿を見つけ、微笑みながら行進する。

わかも泣き笑いのような表情になり、途中まで付いて行くが、途中で他の見送り客にもみくちゃにされ、立ち止まりながらも、遠ざかって行く息子の後ろ姿に思わず手を合わせるのだった。

便利屋は、その母親のシーンを自ら再現してみせると、いや〜、オラ、泣いちまったね〜…。俺が戦地に行くときも、おっかさんはあんな気持ちにになるのかな?等と言いながら、ふと正吉を観ると、泣いているではないか。

俺の語り、そんなに真に迫っとったかね?と少し照れたように言う便利屋に、君のお母さんも同じ気持ちだよ。僕が出征するときも、あの兄貴が横を一緒に歩いてくれたし、手を合わせる母親の姿も見かけた。だけどそれを女々しいと軍は言う。

自分の息子に、立派に死んで来いなんて言う母親はいないよと正吉が言うと、そんな事言うて、誰かに聞かれたら大変やが…と慌てながらも、あの「陸軍」言う映画は、そんな事を言うとったのかもしれん。ああ言う映画、もっと観たいや…と便利屋が呟くと、正吉は大粒の涙を流す。

それを見た便利屋は、あんたやっぱり変わっとると呟く。

翌日、「澤田屋」を出発することになった正吉たちを店の前で見送るこまんは、どうか、お身体大切に…と言いながら、リヤカーの中のたまの手をさすってやる。

トロッコに乗り、やがて、目的地の勝坂、鈴木家で田んぼを耕していた父周吉の元にたどり着く。

妹たちも駆け寄って来て、正吉たちが持っていた荷物を持ってやるが、又しても、若い娘を観た便利屋は、そんな妹の手から荷物を受け取ってやろうとするので、2人とも亭主持ちだよと正吉が教えると、便利屋は、じゃあ、そっちに任せるけ…と荷物から手を離してしまう。

正吉らの前にやって来た周吉は、おんしゃ、無理だと思うことでも遂にやり遂げてしまうな。呆れるよと感心する。

正吉は、父さんが言う通り、苦労したよと謙遜する。

鈴木家の座敷に母たまを寝かせると、孫のやゑ子(松岡茉優)を会わせる。

便利屋は、敏三から予想以上の大金をもらい、感激しながら、寝かされていたたまにも挨拶するが、母親は、不自由な口でおかげさまで…と感謝する。

オラも家に帰ったら、もちっとおっかさんを大事にしてやるかと言い出した便利屋は、正吉に対し、おんしは帰って仕事なかったら、うちに来ませい。あんた、結構、根性あるよと褒める。

そして、おどけたように、ご免なさって!と仁義を切る真似をすると、駆け足で去って行く。

その姿を見送りながら、面白い奴だったな…と敏三が呟くと、結局、名前も聞かなかったと正吉は言い出し、それに自分も気づいた敏三は、カレーライスの便利屋君と言った所かねなどと答える。

その後、庭先で正吉が薪割りをしていると、母親は手紙を書いていたようで、柱を叩いて正吉を呼び寄せる。

何?と正吉が用を聞き、さっきの便利屋、また木下惠介の映画が観たい言うとったと教えながら、畳に置いてあった手紙を読み始める。

あなたが私の側にいてくれると言うのは嬉しいけれど、あなたがいるべき場所はここではないような気がします…と手紙には書かれてあった。

ここには父さんも作代も芳子もいてくれます。あなたは安心して映画の側に行きなさい。

今は作りたいものが作れない時代かもしれませんが、戦争がいつまでも続くとは思いません。

木下惠介に戻りなさい。映画を作りなさい。それが私にとって一番嬉しい事です。

辛い事でも辞めたいと言って、それでもやっとなれたんやないの…と、たまは、不自由ながら言葉に出して言う。

あの便利屋君が「陸軍」観て泣いた。ああ言う映画がもっと観たいって言ってくれたよ…と正吉が言うと、観たいと言ってくれる人がいると言う事やないのとたまは言う。

実は、辞めてからも映画の事ばかり考えていた。映画から離れたかったのに、こんな話どうだろう?そんな事ばかり考えていた。

今時作れない話ばかり考えとった。

のどかな牧場で、若い男女が馬車に乗って、恋敵が現れて…、そんな話、もう絶対作れないと思うと、情けなくて泣けて来るよと正吉は嘆く。

覚えてる?「花咲く港」の時…とたまが言い出す。

(回想)1943年、初夏…

浜松市内、木下家

周吉や妹らと、一緒に庭先に出ていたまだ元気だったたまは朝日に向かって手を合わせていた。

帰宅していた正吉が何をしているの?と聞くと、撮影が巧く行きますように、お天道様に手を合わせてたんだよとたまが答え、敏三も、皆で応援しているぞ!と正吉を励ます。

誇りに思うよとたまは、監督デビューした正吉を褒めてくれた。

海辺を察そうと歩く正吉。

(回想明け)あれは嬉しかった。たった2年前の事なのに…、あんなに幸せだったのに…と正吉が悔しがると、忘れないで!とたまが言葉をかける。

思わず泣き出した正吉の手に、そっと手を添えてやるたま。

リュックを背負い、トンネルの中に1人帰って行く正吉の姿。

正吉はまた監督に復帰した。(と、ナレーションが重なる)

たまは、その3年後の昭和23年10月この世を去った。

正吉は京都で撮影中だったため、母の死に立ち会えなかった。

「わが恋せし乙女」(1946)のどかな牧場で、馬車に乗る若い男女
「お嬢様乾杯!」(1949)
「破れ太鼓」(1949)で、ライスカレーを食べる阪妻の姿
「カルメン故郷に帰る」(1951)
「日本の悲劇」(1953)
「二十四の瞳」(1954)
「野菊の如き君なりき」(1955)太陽を拝む民子(有田紀子)と政夫(田中晋二)の姿
「喜びも悲しみも幾歳月」(1957)
「楢山節考」(1958)
「笛吹川」(1960)
「永遠の人」(1961)
「香華」(1964)
「新・喜びも悲しみも幾歳月」(1986)海上保安庁観覧式 息子が乗る船を別の船上から、夫の杉本芳明(加藤剛)と共に見送る母朝子(大原麗子)は、戦争に行く船じゃなくて、良かった…と呟く。

リヤカーに乗って運ばれて行く途中、小休止していた母たまは、日傘をさしながら、青空に浮かぶ一片の雲を静かに見上げていた…

エンドロールと共に、現実の澤田旅館と岡本家の皆さんの写真

気田森林トロッコの写真

勝坂の鈴木家の皆さんの写真