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必死剣鳥刺し

この作品、テレビ時代劇スペシャルクラスの作品として観るならば、十分秀作と言って良い出来だとは思う。

観た感じ、テレビスペシャルと劇場用映画の中間くらいの予算規模に見えるからだ。

ただ、劇場用映画として観るならば、かなり地味と言うしかない。

このキャスティング、この内容で、大量動員ははなから無理だったろう。

個人的に若干気になったのは、池脇千鶴のキャスティング。

芝居は悪くないが、見た目的には、正直微妙な気がする。

この作品を観ると、何故、山田洋次監督の時代劇三部作が、同じような地味な内容ながらそれなりに動員力があったか良く分かる。

映画は、作品としての完成度だけでは客が呼べないものだと言う証しだと思う。

映画の構成としては、全体的に回想シーンが多く、さらにその回想の中に更なる回想が混入すると言った多層的構造になっており、普通に観ていれば混乱すると言うほどのものではないが、観る人によっては戸惑うかもしれない。

中味は、救いのない話だ。

身分制度があった時代、民衆をとことん困らせているバカ殿を諌めようとした家臣たちが何人も死んでいく中、バカ殿だけは生き残る…と言う話だからだ。

バカ殿が最後、心から反省する…などと言った救いがあれば良いのだが、そう言った描写はないため、主人公の取った行動は全て無駄だったと言う風に見える。

彼が命を賭けて放った必死剣が倒したのは、単なる小者の俗物でしかなく、このラストの後、この藩が良くなるような予感が全くしない所が辛い。

この主人公の考えや行動は「生真面目な正義感」から出た「短慮」だったと言うしかなく、必死剣は「蟷螂の斧」でしかなかったようにさえ写る。

連子の墓に参った三左エ門に、元連子の侍女だった尼が、何故、連子を殺したのか?と聞くのも、三左エ門の義憤が、必ずしも皆に理解されていた訳ではない事を知らされる皮肉な場面だと思う。

三左エ門は、自らの命を捨てる覚悟でありながら、なぜバカ殿本人を殺すと言う解決法を思いつかなかったか?

そうすれば、御別家が江戸から御世嗣を呼び寄せ、城主を継がせただろうに…

だが、そんな事を一個人がすれば、三左エ門のみならず、一族郎党全部に累が及ぶ事は間違いない。

やはり日本の時代劇では、かつてのヨーロッパの革命のように、家臣や民衆が王を殺すと言う展開には出来ないのだ。

だから、ここには勧善懲悪的な爽快感はなく、ひたすら哀しみ、空しさだけが残る。

好き嫌いはともかく、日本映画特有の世界観と言って良いかも知れない。

そうした人間の営みを、美しい庄内地方の風景が優しく包み込む…

▼▼▼▼▼ストーリーをラストまで詳細に書いていますので、ご注意ください!▼▼▼▼▼

2010年、「必死剣 鳥刺し」製作委員会、藤沢周平原作、伊藤秀裕 +江良至脚本、平山秀幸監督作品。

能を見物していたのは、海坂藩藩主右京太夫(村上淳)、その妾、連子(関めぐみ)、中老の津田民部(岸部一徳)、物頭、兼見三左エ門(豊川悦司)、同じく物頭、保科十内(小日向文世)らを始めとした家臣たちであった。

能が終了し、右京太夫が拍手、それに習う形で、他のものたちも拍手をするが、1人だけ拍手をしなかったのは兼見三左エ門。

見事であったとの賛辞を残し部屋に戻る右京大夫の後に続いて帰りかけた連子の後ろに付いていた兼見が、黙って、彼女の前に進み出ると、向き直り、連子の身体を廊下の柱に押し付けるようにしながら、ごめん!と一言言うと同時に、抜いた小刀で連子の心臓を一突きにする。

連子はその場で即死、廊下を曲がりかけていた右京大夫が異変に気づき、近寄ろうとするが、側近たちが押さえて奥へ逃がす。

周囲にいた家臣たちが唖然とする中、津田民部は、御主、何故!と聞きただそうとするが、兼見は、おとなしく跪き、剣を前に置くと、ご面倒をおかけしますと言って詫びる。

タイトル

連子の急死に、腰元たちが泣いている。

部屋に幽閉された兼見三左エ門に会わせて欲しいと見張りの侍に懇願していたのは兼見伝一郎(高橋和也)

だが、見張りが、ならん!と拒否すると、身内の者でもか?と食い下がるが、願いは聞き入れられなかった。

三左エ門の亡き妻の妹、つまり姪に当たる里尾(池脇千鶴)も事件を聞きつけ駆けつけて来た中、伝一郎の父、兼見清蔵(外波山文明)は、三左エ門の家のお取り潰しは免れまい。当家へも累が及ぶかもしれんと、苦し気に言う。

三左エ門の心中は察すべくもないが、睦江殿が存命であれば、こんな事はなかったであろう…とも悔む。

場内では、重臣たちが、兼見三左エ門への人となりの確認や、処分に関して議論を交わしていた。

三左エ門は穏やかな男で、とても今回のような大それた事を起こすような男ではなかった事が分かる。

三左エ門は1人でことに及び、家族は妻を病で亡くしており、子供はいない事、280石取りだったと言う事などが分かり、せめて腹を切らしてやりたいと言う同情論もあったが、やはり、斬首が相当と結論づけられそうになる。

ところが、その措置に1人だけ不承知を唱えた男がいた。

津田民部だった。

その後、兼見清蔵と兼見三左エ門の前にやって来た津田民部は、その方儀、過日、御本丸御殿にて乱心に及びたる始末、不届きしごく。されど、その方神妙なる振る舞いこれありとの上様に達し、格別の慈悲を持って計らえとのお言葉あり。

よってこれより沙汰を申し付けると同行の者が告げた跡、1年の閉門、禄高280石より130石に減額、物頭の役儀ご免、無役を申し付ける…以上であると伝え、立ち上がる。

それを平伏して聞いていた三左エ門は解せぬような顔つきになり、清蔵が制すのも聞かず、お待ちくだされ、某は上様の大切なる方を殺めたるもの、もとより打ち首は覚悟の上…と異議を申し立てるが、これは上様が下された御沙汰である。異議の申し立ては一切ならん!と津田は拒否し、立ち去って行く。

かくして、三左エ門の家の門は竹で封じられ、三左エ門は里尾に小刀を預けると、作法通りいたせと下男たちに言い、1人納屋に入ると、その扉を閉じさせる。

下男と下女は暇を出されて去って行き、それを見送る里尾。

その後、夕餉を納屋に運んで来た里尾に、そなた、これから如何致す?当家もこのような有様…、そろそろ身の振り方を考えたらどうだ?と三左エ門は言葉をかけるが、おじ様、私は一度不縁になって里に帰るしかない所を睦江おば様のお陰でここにいる身、今更他所へなど行きたくありません。今まで通りここに置いて下さいませと頭を下げる。

(回想)勤めから三左エ門が帰って来ると、病床の妻睦江(戸田菜穂)が起きており、障子を開けて下さりませぬかと頼み、睦江は、病に効く良い湯治場があると…と三左エ門から優しく言われると、そんな事…と遠慮するが、三左エ門は、1日も早く良くなってくれればそれで良い…と答えるだけだった。

(今)三左エ門は納屋の中で、手遊びに木を削っていた。

洗濯をしていた里尾は、老女のはな(木野花)に、自分がやるので庭に畑を作りましょうと言い出す。

(回想)城に勤めていた三左エ門の耳に、同僚たちの噂話が聞こえて来る。

近頃、御上は、明るいうちから奥御殿通いをしている。いよいよあの女子に骨抜きにされたな…。又あの女子の戯れ言に耳を傾けねば良いが…。無理じゃ、御上の目と耳はあの女子の方にしか向いておらん。

某が聞いた話では、奥御殿で待つだけでは飽き足らず、自ら御上の御用部屋に入り込んだそうだ。

あの女子、実戦方が差し出した倹約に関する建白書に好き勝手に墨を入れ、中身を骨抜きにしたそうだ。

何故、御家老たちは、それを黙って見過ごしているのだ?御注進されても、御上がそれを聞き入れるはずもなく、連子様に疎んじられるだけだ。

そんな無駄話をしている同僚たちの元へ、今、勘定方の安西殿が腹を斬ったそうだと駆け込んで来たものがあった。

何でも、連子が安西直弥(瀧川鯉昇)に、奥御殿のご入用見積もりを減らすように上申したらしいの?今年の春学殿の能も取りやめるように言ったそうではないか!などと直々に、御用部屋まで訴えに行ったらしい。

夏の大水で川の決壊が激しく、百姓たちが難儀しております。その工事の普請もままならぬので、少しでも費用が廻って来ぬものかとご意見を申し上げました…と安西が抗弁すると、奥女中の打ち掛け一つ贅沢だと口を出しているそうではないか?われらは上様のお楽しみのために勤めておる。それを無駄だと申すか?おのれの勘定方としての力量不足を棚に挙げ、勝手気侭な戯れ言…。藩の財政が苦しいのは、ひとえにそちの怠慢にある。腹を斬れ!そちのような無能なものが藩のお宝を動かして来た責めは大きいぞ。これは上様の御本意だ。腹を斬れ!と連子は言い捨てて帰る。

安西は、御上に直接、連子の言葉の真偽を問いただそうとするが、近づく事も許されず、結局、言われるがままに腹を斬るしかなかったのだと言う。

そうした同僚たちの話を、三左エ門は仕事を続けながら、ただ黙って聞いていた。

そんなある日、三左エ門は保科十内から酒を誘われる。

保科は、安西殿も気の毒にの…と口火を切り、ここの所誰もが不機嫌で、聞こえて来るのは、御上や反省への不平不満ばかり…、まるで流行り病のようだ。津田様でさえ手を焼いているようだ。治る薬があれば良いがそれもない。だから何も出来ず、ただ時が来るのを待っている。上様があの女子に飽きるときだ…と話し始める。

上様と御別家の不和はご存知か?と保科は尋ね、三左エ門がいいえと答えると、先頃建て直しが始まった興牧院、上様の一族にはゆかりの寺らしいが、その事で先日御別家が、上様を訪ねて来られたのだ…と言う。

(さらに回想)江戸から帰って来た御別家帯屋隼人正(吉川晃司)を出迎えたのは、中老津田民部であった。

上様と直に話したい儀が、お目通り願いたいと頼み、右京太夫と対峙した帯屋は、上様も何を血迷われたか、興牧院は今は全くの廃寺でございます。いくら上様に縁深い寺とは言え、今何のために再興しようとなさるのか?その意図が分かりません。建て直しには莫大な費用がかかります。この財政難の折、あえて寺院普請が無用であると存ずる次第でございますと告げる。

そもそもこの話、側室からの発案と聞いております。寺が完成した暁は、側室の父親を寺の当主にするお考えとか?誠かどうか直にお聞きしたいと迫る。

その時、連子がいきなり入って来たので、帯屋は、心外でござる。上様の執務部屋に側室が出入りすると言うのは聞いた試しがないと不快感を示すが、右京大夫はわしが許したのじゃと言うし、連子は臆せず、御別家様は女子が同席するのが気に入らぬのでございますか?その上、御政道に口出しするのが気に触るのでしょうね?と口を出す。

藩の財政が苦しい折、ますます窮地に陥るような事を吹き込まれては困ると申し上げていると帯屋が伝えると、寺の普請は元々上様の念願であったことです。かかる費用は大工や材木屋だけでなく、仕事に携わるもの全てが恩恵を受け、つまるところ藩を潤す元になるはずでございますなどと連子が言い出したので、まるで理屈にかなっておらんと帯屋は吐き捨てる。

御別家様こそ…、無勤の御家老と言うお立場を良い事に、上様のご苦労も顧みず、藩の事にいたずらに首を突っ込むのはお止めいただきとう存じますなどと連子が居丈高になったので、黙れ!妾ごときの口出しする事ではないわ!と帯屋が叱りつけると、連子は無礼な!と怒り、右京大夫は、別家の分際で、これ以上の口出しは無用じゃ!下がれ!と感情を露にする。

(飲み屋)帯屋様の言う事でさえ、上様は耳を貸す事はなかった。女子の毒で膿が溜まってしもうたのだ…と、話し終えた保科は嘆く。

里尾とはなは、庭先に畑を作っていた。

納屋の中では、三左エ門が暑さにばてて、横になっていた。

そんな三左エ門の屋敷にやって来たのは、釣ったばかりの魚を土産に持って来た兼見伝一郎だった。

はなにそれを渡し、里尾に三左エ門の様子を聞いた伝一郎は、くれぐれも頼むと伝えるが、その時、里尾が、おじ様は、自分の死に場所を見つけるために、連子様を殺めたのでございましょうか?等と言い出し、伝一郎を驚かせるのだった。

言った里尾も、ただそんな気がしただけでございますと、余計なことを言ってしまった事に気づき慌てて取り繕う。

ある日、里尾は、畑で育ったなすをもいでいると、夕立が降って来たので、慌てて家の中に入ると、みそ汁を作り始める。

その味見をしたはなは、亡くなった奥様の味に似てきましたねと感心し、それを口にした三左エ門もまた、味を気に入ったように里尾に頷くのだった。

里尾は、納屋に墨を持って来て、小さな火鉢にくべるが、その時、三左エ門が彫りあげた鳥の木彫り人形を目にとめる。

(回想)まだ、妻の睦江の病状が軽く、出歩けた夏場、三左エ門は睦江と里尾を連れ、近くの野原まで山を観に来ていた。

その時、側の木に留った雀を捕ろうとする2人の子供を観かける。

2人は、トリモチの付いた竹を伸ばして雀を捕まえようとしていたが、なかなかうまくいかない。

三左エ門は、立ち上がって近づくと、自分が手本を見せ、捕まえた雀を子供に持たせてやる。

子供がいない夫婦にとって、子供が愛おしかったからだろう。

子供の頃はああやって、鳥を刺して身体を鍛えろと教えられたと、三左エ門は睦江に教える。

その後、その睦江は病死する。

知らせを受け、城から駈け戻って来た三左エ門が観たのは、静かに布団の中で横たわっていた妻の遺体だった。

(回想明け)冬の納屋の寒さの中、じっと耐える三左エ門…

そんなある日、津田民部に城に呼び出された兼見清蔵は、本日を持って、開門ご免と相成ったと伝えられる。

閉門が解かれたのだ。

納屋を出た三左エ門は、難儀をかけたな…と里尾に礼を言う。

そして、睦江の仏前に手を合わせた三左エ門は、清蔵にも礼を言う。

里尾は納屋の掃除をしていたが、あの鳥の木彫りを手に取ってみる。

その後、入浴して1年振りの垢を落としていた三左エ門に声をかけた里尾は、半ば強引に背中を洗わせてもらう。

伝一郎様が、おじ様に早く会いたがっておられますと伝えた里尾だったが、三左エ門は今は誰とも会いたくない。わしのわがままとして聞き入れてもらいたいと答え、しばらく1人で御領内を歩いて観ようと思うと告げる。

その後、1人歩きをしていた三左エ門は、馬に乗って近づいて来た御別家に出会い、跪く。

その頃藩内では、重税と圧政に苦しむ農民たちが、訴状を手に一揆を起こしそうな気配だった。

夜、三左エ門と共に城の警護に臨んだ保科は、百姓どもは度重なる制止を聞かず、鍬、竹槍などを持ち出して江戸の訴え出ると息巻いてるそうじゃ。そのような事は絶対許すことは出来ぬ。皆もその覚悟を!と檄を飛ばす。

騒ぎの発端は連子様だ。あの女子の入れ知恵で御上が赤石郡の年貢の取締を改めた。赤石郡は海坂藩ではどこより年貢を納めているはずだ。例のボロ寺を立て直す費用作りが狙いだ。戦になるのだろうか?帯屋様の裁量次第であろう…などと、また、警護に駆り出された家臣たちが噂しあう。

その頃、城内では、連子が右京太夫に、何を動じておられるのです?上様に逆らう赤石郡の百姓共は1人残らず打ち首にしてやれば良いのですと囁きかけていた。

騒いでいた赤石郡ぼ農民たちの元に駆けつけて来たのは御別家帯屋で、ひとまずはここを引き上げてくれ。今ここで騒ぎを起こすのは得策ではない。お前たちもただではすまぬぞ。お前たちの言い分は御上にも良く言ってある。決して悪いようにはせぬと約束し、引き上げさせる。

騒ぎがひとまず治まった知らせは城にも届き、家臣たちへの下知も解かれた。

そんな中、津田民部は何事か、書状をしたためていた。

後日、騒動を起こした赤石郡の農民代表たちは、全員打ち首になる。

そのさらされた農民たちの首を観に来る帯屋。

一方、三左エ門は、完成した興牧院の落慶法要に出席する。

その後、連子の墓の前に立った三左エ門に、1人の尼が近づいて来て、自分は連子様に使えていた多恵(山田キヌヲ)と名乗ると、あなた様とお会いする折には、お聞きしたい事がありました。兼見様は何故、連子様を殺めたのですか?と問いかけて来る。

しかし、三左エ門は、無言のまま、寺を後にする。

それから2年後…

多恵が、御中老の津田様の使いの方がこれをと、家にいた三左エ門に手紙を渡す。

津田の元に出向いた三左エ門は、禄を元の280石に戻す事と、近習頭取(きんじゅとうどり)の役を任じると津田から言い渡される。

閉門が解かけて2年が経つと言うに、御主はいまだに親族とは交わりを絶ち、客を断っているそうではないか?そう言う殊勝な心がけを上様は大層お気に召され、兼見をこのまま埋もれさせてはならぬと申されてな…と津田は言う。

三左エ門は、なれど津田様、某は御上に非礼を働いて処分を受けた者、お側近くにお仕えると言うことははばかりがありますと恐縮するが、その事なら心配はいらん。上様は以前の事は悔いておられる。女子の申す事を藩政に持ち込んだのは間違えであったたと密かにわしに漏らされたほどでな、御主がした事をお怒りになってはおらぬ。実は、御主の処分を閉門に留めえたのも上様の寛大にと言うお言葉があったからだ。後は上様の為に尽くせ。この話を断っては、上様のお心遣いを踏みにじる事になるぞと津田は強く勧める。

かくして、三左エ門は近習頭取としてその後登城することになるが、異例の抜擢に、周囲の家臣たちは皆一様に奇異な目で三左エ門を観る事になる。

右京大夫の部屋に呼ばれた三左エ門じは、本日より近習頭取として、お側にお仕えいたしますと挨拶をするが、右京大夫は、気のなさそうな顔つきで、励めよとだけ言葉をかける。

ある日、三左エ門は、久々に保科と酒を飲む機会を持つ。

毎日が息苦しくてなりませんと三左エ門は愚痴をこぼしてしまう。

しかし、保科は、津田様はよほど御主を気に入ったのだなぁ〜…。御主の処分を決めた叱責会議でも一旦は残首と決まった流れを津田様の一言で変えたと言うではないか。御上を説き伏せたのも津田様だと言う。いずれは筆頭家老も間違いなかろう。藩はこれから長く津田様の時代になるだろうな…、御主の出世も間違いなしだと喜ぶ。

やっかむ者もあるだろうが気にするな。連子様を斬った御主が立派であったんだ。とは言え、御主がやった事が本当に報われたどうかは疑問だが…と保科は顔を曇らせる。

保科は隠居したと言う。

女子と言う者があれほどうるさい連中とは思わなんだ…と笑った保科は、相談事とは何か?後添えの事か?と聞く。

三左エ門は、某の事ではありません。某の姪で里尾と申す者がおります。一度は不縁になった女子ですが、もしそれでも良いと言うお方がおられれば…。弟が嫁をもらって家督を継ぎ、実家に戻りにくいようですと説明する。

帰宅した三左エ門は、出迎えた里尾に、近い内にある男を連れて保科殿が参られる。もてなしてやってくれと頼む。

後日、約束通り、保科が1人の男を連れて来て、三左エ門はその男を普請組の牧藤兵衛(福田転球)殿じゃと紹介したので、料理を持って来た里尾は戸惑いの表情を浮かべる。

そんなある日、城で三左エ門が控えていると、隣の部屋から右京大夫が光岡はおるか?と声をかけて来たので、三左エ門が顔を出し、兼見でございます。光岡はおりませぬ故、某が承りますと申し出るが、いちいちそのショ顔を出すな。兼見、今度は襖越しに話せ。分からぬか?その方の面が気に入らぬのだと右京大夫は苛立たしそうに言うので、三左エ門は、お願いの儀がござります。某の職を解き下さいと申し出る。

ところが右京大夫は、思い違いをするな。その方の頭取としての仕事に不満はない。ただ、申すようにいたせとだけ言い、光岡が部屋に来ると、光岡だけを側に呼ぶ。

その後、御用部屋で少しいら立っていた三左エ門は、やって来た津田から、後でわしの屋敷に参れ、少し話があると伝えられる。

三左エ門の苦労に気づいているらしい津田は、屋敷にやって来た三左エ門に、やりにくかろう。相変わらず襖の外からものを言っておる訳だろう。気にする事はないぞ。上様はわがままな方で、思いついた事をふっと口にする悪い癖がある。後で後悔されるがの…と慰める。

しかし、顔が見たくないと仰せられては、頭取のお役はちと無理かと存じます。しかるべき人物がおりますれば、某はいつでも役を退きたいと考えておりますと三左エ門は願い出るが、津田は、そういう話で呼んだと思ったか?そういう話ならこの屋敷に呼ぶまでもない。城中で談合してすむ事。顔が観たかろうが観たくなかろうが、近習頭取は兼見でないと勤まらん。そう言う事情があると津田は言い出す。

どう言う事か?さっぱりふに落ちかねますがと三左エ門が聞くと、兼見は天心独名流の剣の達人だそうだな。隠さんとも良い。その事は他の者から良く聞いておると津田は、手酌で酒を飲みながら尋ねて来る。

鳥刺しと言う秘伝があるそうじゃないか?と言うので、必勝の技だと聞いたぞと津田が聞くので、鳥刺し…、いかにもでございます。ただし流儀の秘伝ではなく、某が工夫いたした剣でございますと三左エ門は答える。

なるほど、それで合点が行った。その剣を使う者は御主1人で、今日まで誰も観た者はおらんと言うのはそう言う訳かと津田が合点したので、良くお調べでございますな?と三左エ門は警戒しながら答える。

無論、必要があって調べた。だが1つだけ分からん事がある。鳥刺しと言う技は別の名を必死剣と呼ぶそうだが、これはどう言う意味だ?と津田が興味を示すので、絶体絶命の時のみ使いますのでそのように名付てあります。思うに、その剣を使う者は、つまりは某ですが、剣を使うときには半ば死んでおりましょうと三左エ門は不思議な答え方をする。

半ば死んでおる?剣客と言う者は不思議な事を申すものだ。それでも必勝の技に違いないのだな?と念を押した津田は、わしの目に狂いはなかったようだ…とつぶやく。

ある人物が上様に害をなすやもしれぬと言う懸念が出て来たのだ。御主なら防げるだろうとわしは考えた。必勝の剣を上様の為に役立てろ。

その剣を使う必要がある相手と言う事ですか?と直心流が聞くと、直心流を使う名手だ。帯屋隼人正様だと津田は言う。

夜、かつて馬ですれ違った帯屋の姿を思い出しながら、黙々と剣の振ってみた三左エ門が入浴すると、いつものように里尾が背中を流し入って来る。

里尾、牧藤兵衛殿をどう思った?実直そうな男ではないか…、私は才弾けて見える男は好かん。どうだ?そなたには相談もせなんだが、保科殿に後添えでも構わんと頼んだのだ。この家の世話をしてくれるのを重宝していたが、このままでは婚期を失ってしまうとやっと気がついた。そなたが背中を流してくれるのが心地よくて、つい甘えてしまったが、今宵限りじゃ。これからは無用にいたせ。この話がまとまれば嫁に行く身だ。男の背中を流してはいかぬと三左エ門が話しかけると、私は嫁になど行きたくはありませぬ行きませぬと里尾が答える。

女子は嫁に行き、定まる夫を持たねば幸せにはなれぬ…と三左エ門が言うと、私はお嫁に行きましたが幸せにはなれませんでしたと里尾は言う。

さらに三左エ門が、わしに万が一の時には、そちは実家に戻れねばならぬ。弟の世話になりたくなければ、嫁に行くしかないではないか?と説き伏せようとすると、私がいては迷惑なのですか?と里尾は聞いて来る。

今後を考えれば、このままでは捨ては置けぬと言うのだと三左エ門が言うと、それならば、このまま置いて下さいまし。おじ様のお側にいたいのです、いつまでも…と言いながら、里尾は三左エ門の肩に身を寄せて来る。

その後、風呂上がりの里尾の部屋に黙って入って来た三左エ門は、黙って彼女の身体を抱く。

翌朝、表情も明るくなった里尾が、いそいそと朝餉の支度をしていると、三左エ門が屋敷に参れと声をかけて来る。

部屋にやって来た里尾に、三左エ門は、角兼村に知りあいの家がある。これを持ってそこへ行けと言いながら書状を出す。

何故そうするかは分かるな?と三左エ門が聞くと、分かりませんと里尾は言う。

いずれ2人のことが明るみに出る時が来ると三左エ門が言う言葉に、里尾は、どう言われようが覚悟はしております。私は後悔しておりませぬと答えるが、いつかそなたを迎えに行く時が来ると三左エ門が約束するので、それはいつのことでございますか?と里尾が聞くと、分からぬ。時期が来れば迎えに行くとしか言わない。

そんな三左エ門に里尾は、おじ様、約束して下さい。必ず里尾を迎えに来ると詰め寄る。

必ず迎えに詣る…、そう三左エ門は答えるだけだった。

里尾は、旅支度をすませると、泣き始める。

その後、里尾様はまだ帰りませぬか?遅うございますな?と、屋敷を訪ねて来たのは牧藤兵衛だった。

三左エ門は、帰って参っても、まず脈はござらぬぞ。わがままな娘でな…。また様子を観に参られいと遠回しに諦めさそうとする。

すると牧藤兵衛は話を変え、上様と御別家の間が険悪と言う噂を聞きましたが本当ですか?と言い出す。

三左エ門はわしは聞いておらんなととぼけると、私の本家は帯屋様に近い御家老の笹様と繋がっておりますなどと言うので、それならばなおの事、余計なことは人に言わぬが宜しいと釘を刺す。

牧藤兵衛が帰ったあと、1人屋敷に残った三左エ門は、帯屋様は上様に隠居を勧め、聞かれねば、力づくでも上様を退け、江戸におられる御世嗣、和泉守様に藩主を継がせるつもりだ…と話していた津田の言葉を思い出す。

また、上様は御別家を取り潰そうとするお考えがあり、それに勘づかれた帯屋様は、右京がその気なら、わしにはわしの所存があるとお怒りになっているとかと話していた、今しがたの牧藤兵衛の言葉も思い出していた。

吊鐘村の農家に身を寄せていた里尾は、生まれて来る赤ん坊のための産着を縫っていた。

外は雨になっていた。

その雨に濡れた帯屋が刀を手に登城してきたので、気づいた家臣たちは、御別家、お刀をお控えくださいませと頭を下げていた。

その知らせを受けた三左エ門は、隣室の光岡を呼びかけ、右京大夫を逃がすように指示を出すと、いかがした?兼見…と右京大夫に聞かれたので、御別家がおいでになられました。ただならぬ気配とか。次第によっては刃傷に及ぶやも知れませぬと知らせ、逃げる準備をするように伝える。

三左エ門が廊下を進んで来た帯屋の前に立ちはだかると、御主が天心独名流の使い手か?兼見と申すそうだの…、大きな男だのと帯屋は言い、右京大夫に話がある。ぜひとも談合したい事がある。通せ!と言うので、なりませぬ!と止める。

帯屋が、わしと斬りあうのか?と言いながら上着を取り去ったので、三左エ門も自らの裃を脱ぎながら、お手向かいいたしまするぞと警告し、小刀を抜く。

廊下の両側の部屋には、護衛の家臣たちが息を詰めて、両者の戦いの結果を待ち受けていた。

両者は斬り合い、三左エ門の左腕から出血していた。

お考え直しください!御別家。狂気の沙汰ですぞ、この斬り合いは…と三左エ門は制止しようとするが、帯屋は、邪魔する者は斬る!と聞く耳を持たぬ様子。

両者はもみ合い、三左エ門は受けた刀を相手の歯に沿って根本まで滑らせ、鍔の穴に切っ先を引っ掛けて弾き飛ばすと、小刀を抜こうとした帯屋の腹を突く。

帯屋が倒れると、津田と家臣たちが現れ、見事であった必死剣鳥刺し…と津田が感心したので、いえ、今のは…と三左エ門が言いかけると、兼見が乱心の上、隼人正様を斬ったぞ。逃さずに討ち取れ!斬れ!と津田が家臣たちに命じる。

一瞬迷った家臣たちだったが、お役目でござる!と言いながら、斬り掛かって来る。

引け!止めろ!止めてくれ!と言いながら抵抗した三左エ門だったが、多勢に無勢、すぐに自らも斬られてしまう。

雨の降りしきる中には逃れる三左エ門。

それを平然と眺める津田。

三左エ門は峰打ちで戦っていたが、座敷内からその様子を見つめる津田を睨みつける。

(回想)連子殺害事件の後、腹を斬らせた所で連子様は生き返りませぬと、津田は右京大夫を説得していた。

ここは兼見を生かしておく事が…、奴は当代きっての剣の使い手、御別家と五分で立ち会えるのはあの男しかござりませぬ。いずれ御別家をお取り潰しになるのに役に立つはず。斬って捨てるはその後でも遅くはありませんと津田は説得する。

必ずその時が来ると約束できるか?と右京大夫が聞くと、必ず参りますと津田は自信ありげに答えていた。

(回想明け)その時、津田の横に右京大夫が姿を現し、一緒に三左エ門の最期を見届けようとする。

三左エ門は次々に斬られて行く。

雨に濡れた庭先で、三左エ門はもう半ば死んだような状態になっていた。

石灯籠に身体を寄せた三左エ門は、鞘を抜くと紐を口にくわえてほどく。

そして、津田と右京大夫が立っている座敷に、這いながら上がり込もうとする。

津田は、障子の横に眼で合図をし、そこに隠れていた侍が、座敷に上がり込んだ三左エ門のとどめを刺す。

三左エ門は正座した状態で上半身を畳に突っ伏し、その首筋を触った侍が事切れておりますと確認をする。

上様、ご安堵なさいませ。これで連子様の恨みも果たし、御別家も葬りました。兼見、これも海坂藩の…と言いながら、三左エ門に近づいた瞬間、死んでいたはずの三左エ門が急に起き上がると同時に、握っていた剣が津田の胸を貫く。

腰を抜かせた右京大夫は、斬れ!斬れ!と叫び、家臣たちは次々と斬り掛かるが、正座の姿勢になっていた三左エ門はもう既に事切れていた。

それを観ていた光岡は、必死剣!と呟く。

村祭りの日、赤ん坊を抱いた里尾は、村に通ずる道の向こう側をじっと眺めながら、今日もいらっしゃらなかったわね…と呟く。

その右手には、三左エ門がかつて作った木彫りの鳥が握られていた。


必死剣鳥刺し

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