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続 忍びの者

あの『釜茹での処刑で有名な、大泥棒の石川五右衛門(ルパン3世の五右衛門の御先祖と言った方が分かりやすいか?)が、もし忍者だったら・・・』という大胆な発想で書かれた、村山知義の原作を、山本薩夫監督が市川雷蔵主演で映画化し、大ヒットをした前作「忍びの者」を受けての、シリーズ第二弾。

予算をかけた大作仕立てになっており、全編で、一体何百人登場しているんだといいたいほどのエキストラを使った壮大な戦乱絵巻になっている。

物凄く大きなミニチュアを使ったと思われる特撮炎上シーンもあるのだが、一向砦の決戦シーンは実物大の屋外セットを、本当に破壊している。

おそらくは、最初から、正続2部作にまとめる心づもりだったのだろう。

大作一本分の予算で2本作った感じがするからだ。

今風の派手なアクションを強調した演出ではないが、それがかえって全体的な風格を高めているように感じられる。

明智光秀を山村聡が演じているのも、ちょっと意表を突かれた感じがする。

絶えず信長から疎んじられる薄幸の武将と言う複雑な境遇と、55才と言う劇中の年齢設定などから、ベテランが配されたのだろう。

山村聡は見た目温厚そうなだけに、余計に哀れさが伝わって来る。

「梟の城」と似たようなストーリー展開なのだが、こちらは単純明快「復讐劇」である。

若山富三郎演ずる織田信長は、徹底した「悪役」として描かれている。

信長をここまで悪辣非道なキャラクターに描いている作品も珍しいと思う。

本能寺の変まででも、一本の映画として十分な内容なのだが、本作では、ここまででストーリーの半分という贅沢さ。

後半は、今度は羽柴秀吉(東野英治郎)が、雑賀の一向砦を攻め、援軍の根来衆を五右衛門が呼びに行っている間に砦は全滅、最愛の妻マキも犠牲となったため、ラストは秀吉への復讐…という展開になっていく。

信長の元に差し向けられた伊賀のくノ一、タマメ(坪内ミキ子)が、美少年森蘭丸を演じる山本圭と結局恋に落ちてしまう…という風に描かれているのは、色気に乏しい物語への潤いを与えるという意味もあるのだろうが、女性にロマンを求めたいという男のはかない願望も感じられるようで、ちょっと興味深い。

ストーリー的には、あまりにも多くのエピソードを盛り込み過ぎで、見せ場が多い割にはちょっと単調かな?…という気もしないではないが、なかなか見ごたえのある作品に仕上がっている。

「忍びの者」シリーズは、この続編辺りまでがピークだったのかも知れない。

▼▼▼▼▼ストーリーをラストまで詳細に書いていますので、ご注意ください!▼▼▼▼▼

1963年、大映京都、村山知義原作、高岩肇脚本、山本薩夫監督作品。

天正9年9月

三太夫!出て来い!

織田信長(城健三朗=若山富三郎)の軍による壮絶な伊賀攻めの最中、百地三太夫の屋敷に戻って来た石川五右衛門(市川雷蔵)は、必死に宿敵と分かった百地三太夫を探していた。

織田信長は大軍を率いて伊賀を奇襲した。伊賀忍者の組織は壊滅し、信長の天下制圧の野望は成ったかに見えた。

だが果たして、忍者そのものを絶滅できたであろうか?(…とテロップ)

タイトル

天正10年

伊賀  

敢國(あえのくに)神社を詣でた織田信長に、家臣が神社内の湧き水を持って来たので、それを毒味した者がその水を信長に渡そうとした瞬間、急に苦しみ出す。

信長は驚くが、その時、忍者の集団が林の中から攻撃を仕掛けて来る。

何とか、それを蹴散らした信長であったが、忍者を根絶するために、忍者の居所を知らせた者には金10枚、捕らえた者には金30枚出すと言うお触れを出し、徹底的な忍者掃討作戦を始める。

結果、伊賀の里を逃げ延びた忍者たちも、次々に見つかっては磔にさらされた。

そんな中、兄に似て残虐な織田信雄(松本錦四郎)は、忍者を殺すにも何か面白い方法はないか?と考え、土に身体を埋め、首だけを出して、それを竹ののこぎりで引くのはどうかなどと言っていた。

信長は、84俵の米を牧野原城へ送るよう森蘭丸(山本圭)に命じる。

やがて、信長の元に、羽柴筑前守秀吉(東野英治郎)がやって来る。後の豊臣秀吉である。

その頃、山の中の小屋で、マキ(藤村志保)と暮らしていた五右衛門は、赤ん坊の五平が生まれたので可愛くて仕方がなかった。

そのマキは、忍者が役人たちに捕まる所を目撃したこともあり、山小屋に帰って来ると、思い切って私の国へ行きましょう。雑賀で百姓をやりましょうと五右衛門に薦める。

五右衛門も、もう俺は争いごとに巻き込まれるのはまっぴらだ。三太夫も死んでしまったではないかと同意するが、その時、人の気配に気づいたので、才蔵は応戦し始めるが、小屋の中に踏み込んで来た役人たちは、赤ん坊を人質にし、あげくの果てに、その五平を囲炉裏の火の中に放り込んでしまう。

必死に抵抗する五右衛門だったが、赤ん坊の命を救うことは出来なかった。

一向一揆の拠点 紀州 雑賀(さいが)

時が経ち、故郷に戻って来たマキは、死んだ五平の墓を詣でていた。

そんなマキは、一緒に当地にやって来た五右衛門が、雑賀衆たちに忍びの術など教えたりして、すっかり人が変わったと感じていた。

もはや五右衛門は伊賀者ではなく、雑賀党の五右衛門として仲間たちにも認められる存在になっており、もはや自分勝手な行動は許されず、みんなと協力して信長を仕留める機会を待ち受けるようになっていた。

種子島から入港した凡天丸と言う船には、鉄砲が積まれていた。

雑賀党首領の明智左馬之助(中野清)は、さっそく手に入った鉄砲の練習を始める。

そんなある日、森の中にいた五右衛門は、突如、煙幕と手裏剣攻撃を受ける。

五右衛門は、その相手が、旧知の徳川の服部半蔵(伊達三郎)だと気づく。

半蔵は、三河から突っ走って来たと言い、信長は武田の残党が逃げ込んだ恵林寺に取り囲んだと教える。

五右衛門の方は、俺は、信長を殺すまで酒を断ったと半蔵に告げる。

(回想)恵林寺を前にした信長は、三門に火を放てと命じる。

明智光秀(山村聡)は、そんな暴挙に出た信長に寛大な配慮をと願い出るが、そんな光秀を信長は殴りつけ、失せろ!丹波に立ち返れ!と怒鳴りつける。

(回想明け)半蔵は、信長を仕留める手でもあるのか?と聞いて来たので、光秀と信長は馬が合わん。信長が秀吉に関心が向けば、光秀の心中はただならないはずだと五右衛門は答える。

半蔵は、そんな五右衛門に葉蔵の姪タマメ(坪内ミキ子)を紹介すると、信長は甲州から駿河に立ち寄るそうだと教える。

徳川家康(永井智雄)に歓待された信長は、この礼に、安土へ来て頂こうと家康に伝える。

亀山城の中の茶室では、光秀が、信長の仕打ちはあんまりだと抗議する斎藤内蔵助(須賀不二男)相手に、自分は信長の知己を得て、40になって60万石の領主になったが、身共ももう55才じゃ。身を全うしたいと答えていた。

そんな話の最中、庭先に忍んでいた間者を見つけた男がいた。

五右衛門であった。

その時は、騒ぎを聞きつけ姿を現した光秀に対し、水を通す竹筒に隠してあった密書を見つけ、名もなき小者でございますと答えた五右衛門だったが、翌日、再び秀吉の前に姿を現した時には、雑賀の百姓の佐平次と名乗ると、侍になるためにはどんなことでもしますと願い出る。

光秀は斎藤内蔵助に、そちの手の者に加えておけと命じる。

光秀は、間者が持っていた手裏剣から伊賀者と知ると、退けば上様に密告されていたと喋られるだろう。15年間、どれだけ上様から煮え湯を飲ませられたか…と嘆く。

それを聞いていた斎藤内蔵助も、殿の母上様まで磔にして…と信長の残虐振りを思い出させる。

一方、信長から安土城へ招待されていた徳川家康は本多忠勝(玉置一恵)に、そのことを相談していた。

服部半蔵を呼び寄せた家康は、安土の気配を聞くと、家康様の歓待に、えらい評判ですと言う。

それを聞いた家康は忠勝に、信長公に直ちに参上すると伝えさせる。

そんな家康の行動を、城に忍び込んでいた五右衛門はしっかり聞いていた。

一方、くノ一として安土城に潜り込んでいたタマメの方は、森蘭丸に近づいていた。

そんなタマメは、五右衛門からの文をもらい、外に出ると、僧に化けた五右衛門と会い、情報交換をする。

蘭丸は、その夜、安土城の天守閣で、タマメと密会する。

タマメは京の匂い袋を蘭丸に渡しながら、光秀は、家康様の饗応役になったことを幸いに、家康様に3度も使者を送っているとか…と、光秀の悪口を蘭丸に巧妙に吹き込む。

ある日、饗応役としての光秀の仕事ぶりを観に来た信長は、光秀が用意したものをことごとくけなし始め、あげくの果てに光秀の饗応役を解任してしまう。

その後、安土に来た家康に能舞台など見物させていた信長は、京、堺などを見物なされば…などと愛想を振りまく。

一方、傷心の光秀に近づいた五右衛門は、一向一揆がどれだけ惨い目に遭わされたか話して聞かせると、信長は人間ではない、鬼だと断じ、雑賀根来は、殿さまのお味方であることと援軍の要請をお忘れなくと吹き込む。

そんなある日、光秀の元に秀吉からの書状が届き、秀吉が備中高松へ出陣すると知らせて来る。

光秀は1人、愛宕権現に参拝すると、三枚のみくじを引くが、凶、吉、大凶と出る。

その帰り、又もや姿を現した五右衛門は、信長は今、森蘭丸など25、6人と本能寺にいると伝えて去って行く。

やがて雨が降り始め、室内で外を観ていた光秀は、「時は今 雨が下しる 五月哉」と句を詠むが、それを、床下に潜んでいた五右衛門はしっかり聞いていた。

後日、秀吉軍に合流するため、武装して馬を進めていた光秀一行だったが、岐路にさしかかると、突如、我が敵は本能寺にあり!と光秀が叫び、一行は馬を翻し一路本能寺へと向かう。

そんな光秀軍の中に潜んでいた1人の間者が馬を翻し、逆方向へ走り出すが、それを五右衛門は襲撃し仕留める。

本能寺では、門番が突如銃撃で倒れる。

欄丸は、上様!光秀の謀反にございます!と信長に知らせに来る。

本能寺の床下に忍び込んでいた五右衛門は、火を放つ。

混乱する廊下で、蘭丸に出会ったタマメは思わず抱きつくが、蘭丸もろとも敵の弾に撃たれて死ぬ。

信長は、左手に矢を受け負傷すると奥の間に逃げ込むが、どこからともなく笑い声が響いて来る。

貴様に嬲り殺しにされた伊賀忍者の幽霊だと言いながら姿を現した五右衛門は、信長の右腕を切断してしまう。

さらに、その左足も…

激痛に苦しむ信長を前にした五右衛門は、苦しいか?もっと苦しめと言いながら、倒れた信長に迫って行く。

死ね!俺の観ている前で死ね!と吐き捨てる五右衛門。

そんな五右衛門から後ずさっていた信長は、燃え盛る炎の中に落ちて行く。

五右衛門は笑ってその場を去り、明智光秀らのときの声が聞こえて来る。

信長が光秀に襲撃された知らせを受けた家康は、右大臣の仇を討つものが天下を取ると直感していたが、今いる堺から引き返すには半月かかることも分かっていた。

そんな家康に、服部半蔵は、伊賀なら私にお任せください。甲賀300余名も加勢してくれますと進言する。

雑賀党では、首領の明智左馬之助が、光秀の使いの者と会っているのを、戻って来ていた五右衛門は目撃する。

左馬之助は、信長が死んだぞ!と一党の前で発表すると、片足にも関わらず、喜びの舞いをみんなの前で披露し始める。

久々に、妻のマキと再会した五右衛門は、俺は怒っているぞ。マキがこんなに可愛く見えるのは初めてだなどと笑いながら、マキを抱きしめるのだった。

マキは、そんな五右衛門の上機嫌振りを観て、分かったわ!信長を殺したのはあんたね!と指摘する。

その頃、家康の元にやって来た忍者が、秀吉の消息が分からないと報告していた。

秀吉は、光秀討伐のため、安土に戻るべきかどうか思案していた。

加藤清正(前川広三)は、備中は自分にお任せくださいと進言するが、福島正則(市川謹也)は、軍を二分することになると、秀吉が帰ることに反対していた。

光秀の密書を間者から手に入れていた秀吉は、光秀は根来と手を組んだことを一同に知らせる。

徳川家康はその後、秀吉は備中高松城と急遽和議を結ぶと、姫路に取って返したと聞かされ、姫路と浜松とでは、どう考えても間に合わぬ。腰をすえて時を待つのじゃ。秀吉殿も運河落ちるときが来ると呟くと、来ていた鎧を外し始め、最後に残った者が1人がこの家康の相手じゃと続ける。

急遽、備中より軍をかえした秀吉は、摂津や真崎に陣を布く光秀に襲いかかる一方、石田三成を紀州にさし向け、雑賀党の殲滅を計った。(…とテロップ)

光秀援護のため出陣の準備を整えていた雑賀の砦は、三成軍に襲撃される。

一方、山道を馬で進んでいた明智光秀は、道脇に隠れていた伏兵に、竹槍で突き刺されあえない三日天下は終わる。

雑賀党の砦は兵糧攻めにあっていた。

明智左馬之助は、秀吉が高松城を落としたのかどうか、徳川家康はどうしたのかなど、情報を気にしていた。

それを知った五右衛門は、自分が探って来ると申し出る。

その時、籠城に耐えかねた15、6人が砦を飛び出すが、全員、三成軍に射殺されてしまう。

雑賀衆たちは祈るしかなかった。

殺された一党の者たちは、さらし首になっていた。

服部半蔵は家康に、雑賀の砦の運命も数日中には決すると報告していた。

秀吉からの書状を受け取った左馬之助は、降伏すれば、咎人は出さんし、雑賀党を解散すれば耕作地を与えると言う条件を呼んで苦慮する。

その書状には、光秀は山崎の一戦で敗れた名もなき土民に倒された。降伏しなければ、ポルトガルから手に入れた大砲を撃ち込むとも書かれていたので、それを聞かされた一同は動揺するが、そんな中、ただ1人、五右衛門が反対したので、入れ札(投票)で決めようとしうことになる。

夜中、雑賀の砦から銃撃が聞こえて来たので、秀吉は、キ○ガイめ、手がつけられんな…と陣地内でぼやいていた。

砦の中では、五右衛門がマキに、近くにいた子供を観ながら、五平が生きていたら、もう歩いていただろうな…などと話していた。

その子供は、兵糧攻めで配給される食料が少ないので、ひもじいと母親に泣きついていた。

それを見かねた五右衛門は、このままでは飢え死にです。俺はやってみせる。根来衆を連れて来てみせると、再度、頭領の左馬之助に頼む。

左馬之助は承知し、出発前マキに会った五右衛門は、俺が死んでも悲しむんじゃないぞ。いつかお前と極楽で会えるんだと伝え、仲間たちが陽動作戦で銃撃を始めたのをきっかけに、砦の裏側から抜け出して行く。

川の上に綱を張り、それを伝って渡ると、爪の付いた鉄甲カギを両手にはめ、木をよじ上って移動した五右衛門は、秀吉の陣地に爆弾を投じて脅かす。

秀吉は、思わぬ奇襲に魂消て、くせ者を捕らえろ!と狼狽する。

五右衛門は、何とか根来衆に連絡を取り、雑賀の砦まで戻って来たが、もうその時には、砦は全滅していた。

砦内を見て回った五右衛門は、土に身体を埋められた西の坊奄主(沢村宗之助)が、舌を自ら噛み切って事切れている姿を見つける。

室内では、首領の左馬之助 が立っていたので、生きていたかと駆け寄るが、すでに立ち往生していた。

壁には、「生あれば 秀吉をころせ」と血文字が書き残されていた。

五右衛門は、マキを探しまわるが、とうとう死んでいたマキを見つける。

その時、又、秀吉軍の大砲攻撃が始まり、最後の建物も崩壊してしまう。

五右衛門はマキの死体を抱きしめながら、五平、一行衆の仇…、秀吉をこの手で仕留めると約束する。

その後、マキを葬っていた五右衛門の元に、服部半蔵がやって来る。

半蔵は、家康公より、見舞いの品を持って来たのだと言い、聚楽第の見取り図を手渡す。

信長以来の宿敵、一向宗徒を降し、天下統一の花道に座った秀吉は、京洛の地に宏壮華麗な聚楽第を建ててそこに住んだ。(…とテロップ)

その聚楽第の屋根裏に、五右衛門は単身忍び込んでいた。

しかし、すぐに見つかってしまい、五右衛門は廊下に飛び降りるが、そこは音がするうぐいす張りだった。

ベッドに寝ていた秀吉を見つけた五右衛門は手裏剣を投ずるが、それは側にいた小姓に当たってしまう。

目覚めた秀吉は、石川五右衛門だ〜!と絶叫する。

徳川家康は本多忠勝に、五右衛門があっけなく捕まったと言う知らせを聞くと、忍者などその程度の者だ。忍者が天下を動かす時代は去ったのだ。信長がふかし、秀吉がついた天下餅が、わしの前に並べられるのを待っているのじゃと愉快そうに話していた。

捕まった五右衛門は、京の河原に用意された大きな釜に向かって歩かされていた。