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新忍びの者

シリーズ第3弾

一応、「忍びの者」「続 忍びの者」に続く話になっており、これらを三部作と観ることも出来よう。

ひょっとしたら、最初から三部作として作っていたのか?とも想像できなくもないが、2作目の予算の掛け方に比べると、3作目の本作はかなり地味な印象になっており、合戦シーンなどのスペクタクルはほとんどない。

監督も代わっているし、前2作がヒットしたので、急遽3作目も作られた…と言う方が近いのではないか?

と言うのも、何となく、この作品、後日譚…と言うか蛇足めいており、石川五右衛門が歴史の影で暗躍していたと言う印象が前2作に比べると弱いのだ。

確かに、世嗣秀頼が生まれた後、秀吉に疎んじられるようになった養子の秀次が自暴自棄になり、やがては父である秀吉から詰め腹を斬らせられるまでのエピソードに五右衛門が絡んでいるように描かれているが、これまでの信長暗殺などに比べると、随分、復讐の対象が小さい。

秀吉暗殺と言う最大の野望に関しては、老齢による病死と言う現実を前にして、復讐の空しさを悟る…では、観ている方としては何とも不完全燃焼気分になってしまう。

一応、この作品まで、村山和義氏が原作者として名を連ねているので、原作にもあるのかも知れないが、映画としては、かなり尻すぼみというか、インパクトに欠ける部分と言うしかない。

この作品で観どころがあるとすれば、徳川家康を演じている三島雅夫の、秀吉へのへつらい振りだろうか。

前作での家康は、いかにもまじめそうな永井智雄が演じていたが、この作品での、家康のうさんくささは三島雅夫のキャラクターに負う所が大きいような気がする。

終始ニコニコしているようで、目は笑っておらず、心の中はうかがい知れない面妖な人物を演じさせたらこの人の右に出るものはいないだろう。

アクションシーンも、派手さはないが、秀次が放った忍者と森の中で五右衛門が戦うシーンなどは、セットの中で、スタントと役者がアクションの合間に巧妙に入れ替わりを繰り返しており、よほど注意深く観ていないと、本当に市川雷蔵が一連のアクションを1人でやっているかのように見える。

服部半蔵を演じている伊達三郎は、この当時の大映作品には頻繁に登場する、ちょっと強面系の名脇役だが、この忍びの者では、登場シーンが多いだけではなく、五右衛門に味方する立場として描かれているので、なかなか美味しい役だと思う。

どちらかと言うと男性向けの内容だけに、女性は添え物的な役目としてしか登場しておらず、淀君を演じている若尾文子などもあまり精彩がない。

大作風の風格を供えていた前2作が見応えがあっただけに、ちょっとインパクト的に弱くなり、ごく普通のプログラムピクチャーになったような印象の作品である。

▼▼▼▼▼ストーリーをラストまで詳細に書いていますので、ご注意ください!▼▼▼▼▼

1963年、大映、村山和義原作、高岩肇原作、森一生監督作品。

河原に用意された、煮えたぎる大きな釜に向かい、縛られたまま歩かされる石川五右衛門(市川雷蔵)の姿があった。

この日-豊臣秀吉の暗殺にこと破れた石川五右衛門は、京、三条河原に於いて、釜煎りの極刑に処せられた。(…とテロップ)

それを竹の柵越しに見守る見物人の中には服部半蔵(伊達三郎)も混じっていた。

五右衛門が釜に近づいた時、突如、煙玉が爆発し、周囲は白煙で視界が奪われる。

役人たちは慌てて五右衛門を探し、その直後、見つかった五右衛門は、釜で煮えたぎっていた油の中に入れられる。

タイトル

石川五右衛門の釜煎りの刑は、京中の評判になり、釜に入れられた五右衛門が油の中で立ってみせたとか、それを観ていた役人がキ○ガイになったとか、道行く庶民たちは、観て来たような噂を話していた。

服部半蔵は、楼門の下に来ると柱に綱を引っ掛けて、上の階に登って行く。

上階の闇でまごついていた半蔵は、半蔵、ここだ。不覚だぞ、このくらいの闇で眼が利かんとは…。めっぽう腕が落ちたなと、そこに隠れていた五右衛門からからかわれる。

半蔵は、仏の前にいた五右衛門に、何を念じていた?秀吉を殺すことか?お前はわしの手を借りて生かして下さったのだ。

今、六角の辻に首をさらされている、身替わりになった奴が可哀想だ…と答えた五右衛門は、何故、助ける?と半蔵に聞く。

御主の願いを叶えてやりたかったと半蔵が言うので、家康がそう言ったのか?と五右衛門が問いかけると、このままでは忍者は息の根を止められる。御主には生き延びてもらわねばならんと半蔵は答えるのだった。

いつまでここにいさせる気か?と五右衛門が聞くと、ほとぼりが冷めるまでだと半蔵は答えるが、俺は誰の指図も受けん。今でも狙う相手は太閤だ。忍者の恥は出来ぬと言うことだが、今すぐにはやらん。じわじわと殺してやる。俺のこの手でやる!と五右衛門は、秀吉暗殺への執念をみせる。

その後、六角の辻でさらされていた五右衛門の首が動いたので、近くで監視していた役人は腰を抜かす。

五右衛門の首が盗まれたと聞いた所司代は、草の根を分けても探し出せ!と大騒ぎになる。

その頃、五右衛門は、自分の身替わりになって処刑された男の首を懇ろに葬ってやっていた。

夜、とある商人の屋敷に忍び込んだ五右衛門は、カエルを女中部屋に投げ込み、女中たちが騒ぐ中、金を盗み出す。

「金五百両 石川五右衛門永代供養料として拝領」と書かれた紙が後に残されていた。

その後、首を埋めた無縁仏の前には、小判がまき散らしてあった。

この話も尾ひれが付き、伊賀や甲賀から来た天狗様の仕業だなどと、庶民たちはあれこれおもしろおかしく噂しあうのだった。

そんなある日、五右衛門は町中で飲んでいたが、そこへやって来た侍たちは、今度、藤堂家の仕官したので、これまでの借金を返しに来たと言い、飲み屋の主人に金を渡して帰る。

主人たちは、又戦でも始まるんじゃないか?と噂するが、そんな会話を五右衛門は注意深く聞いていた。

森の中を歩いていた五右衛門は、突如襲って来た賊をいち早く避けると、名張の犬八(杉田康)、貴様の負けだと声をかける。

犬八は、以前同じ雑賀の仲間だった五右衛門に気づくと、嬉しそうに対面する。

五右衛門が秀吉を暗殺する気だと知った犬八は、俺にも秀吉をやらせてくれと頼んで来るが、五右衛門は、秀吉は誰の手も借りず、この手で殺すんだと言って断る。

服部半蔵は、五右衛門のことを徳川家康(三島雅夫)に報告していた。

家康は、上様がお茶々様を側室に迎えられて以降、関白の地位を追い落とされまいかと怯えているらしいが、そのお茶々様は、今や北政所を凌駕して、側近が淀君と呼んでいるようだと話す。

そんな家康の元にやって来た豊臣秀吉(東野英治郎)は、そこもとのご配慮を得たい。明日、わしはそこもとをわざとぞんざいに扱うが、慇懃にしてもらいたいと頼むので、家康は承知する。

みどもは子供は何人かの?と秀吉が聞くので、13人だと家康が答えると、わしは58才で初めての子供だから、答えられんものでな…と秀吉は目を細める。

聚楽第では、関白秀吉の姉、日秀の子で、秀吉の養子の豊臣秀次(成田純一郎)が、秀吉の実子、秀頼が跡継ぎになるのではないかといら立っており、それを木村常陸介(嵐三右衛門)がなだめていた。

その様子を、忍び込んで聞いていた五右衛門は、いくら慰めても無駄だ。秀次の運命は変わった。秀次は関白になったことを悔んでいる。秀次の運命は決まったも同然だと考えていた。

翌日、秀吉の前に諸大名が集まっていた。

秀吉は、実子秀頼を豊臣家の世嗣として披露すると、北政所に抱いてもらう。

そして、今後、ねね(北政所)と秀頼に対しては指一本指させぬぞと家康に対して言うと、家康は昨日の打ち合わせ通り、忠誠誓っておりますと頭を下げる。

さの家康、引き出物として何かやると秀吉から言われたので、二度と陣羽織を着させぬ覚悟でございますので、殿のお羽織をと希望すると、上機嫌で陣羽織を家康に着せてやりながらも、秀吉は、まだまだ戦をやめる訳にはいかぬ。明国、朝鮮にも雄飛するのだ。まずは朝鮮から落としに行くなどと言い始めたので、それを聞いていた加藤清正は、海外出兵の儀はお待ちください。出費がかさみ過ぎ、城の増築や大仏の建立も止めなければなりませんと進言する。

秀吉は、一同、清正の意見に賛成か?と問いただすと、石田三成が、そうは思いませんと反対する。

秀吉は、出兵の準備を始めさせ、出兵後の政は関白秀次に任せる、関白にもそのくらいの器量はあろうと言う。

楼門の上に戻って来た五右衛門は、殺された我が子五平を思い出し、同じ人の子に生まれながら…と、秀頼とのあまりの境遇の違いに無念さを噛み締めると、いつか秀吉を俺たちに土下座までさせるんだと決意する。

一緒にいた犬八は、雑賀砦を思い出せ。俺の女房はむごたらしい殺され方をしたと言う。

そこにやって来た服部半蔵は、まごまごしておられんぞと言うので、五右衛門は、朝鮮出兵か?京の騒ぎも届かなかったか…と悔しがるが、相手は気づかず、いなくなろうとしていると告げる。

その後、五右衛門は犬八と組んで、公家の駕篭を襲撃すると、その衣装を奪い取る。

2人は盗み取ったその衣装で公家に化けると、茶々こと淀君(若尾文子)の元へ向かい、秀頼への貢ぎ物を拝領に来たと噓を言う。

秀頼の顔を見た五右衛門は、猿に良う似ておる、芸を教え込もうと嫌みを言うと、犬八がさらって逃げ出す。

しかし、その犬八はすぐに部屋に戻って来る。

鉄砲隊がやって来たからだった。

2人は、畳替えしで弾を防ぎ、マキビシを撒いて敵の追跡を交わすと、煙玉を爆発させ、何とかその場を脱出する。

追っ手は外で公家の衣装を見つけ近づくが、それは空蝉の術で、着物が残っているだけだった。

家康は、北政所を訪ねると、駿府土産の茶を渡すと、北政所は、ここへ来る方も少のうなりました。子を産めぬ女の哀しさを、今日ほど恨めしく思うたことはありませんと嘆く。

秀吉は、我が子秀頼をさらおうとしたのが石川五右衛門と聞き驚愕する。

家臣は、都で騒がれている凶賊も五右衛門かと思われますと言う。

淀君は、五右衛門を恐れるようになるが、秀吉は秀頼を抱きながら、幸村は頼むに足る男よと呟いていた。

天正末年ー

秀吉は朝鮮討伐を布告し、各大名に兵員、武器、弾薬、食料、さらには輸送船の提供を強制的に割り当てた。既に江戸に移され。一面葦の生い茂った湿地帯に営々として国作りに没頭していた家康のもとにも、出兵の要請が届いた。(…とテロップ)

徳川家康は本多忠勝に、わしが出兵したら東の守りはどうなるか?物価は上がり、農村は疲弊する。その1つ1つが大きな綱になって秀吉の首を絞めるのじゃと語る。

五右衛門が町中で酒を飲んでいると、半蔵がやって来て、秀吉が肥前名護屋に出向いたと知らせたので、五右衛門は秀吉の一族を皆殺しにしてやると呟く。

名護屋 大本営

秀吉は、石田三成を前に上機嫌だった。

秀吉は、清正と相反する2人を競わせたから勝っているのだなどと、自らの策略を自画自賛していたのだった。

そこに、突然、タカが飛び込んで来て、ちょっとした騒ぎになったので、秀吉は浮かれた気分から覚め、秀次が留守中、取り仕切っておれば良いが…、毎日、酒宴に明け暮れ、下賎な芸人を集めているそうじゃ。太閤の器ではなかった…とぼやき始める。

それを潜んでいた五右衛門はしっかり聞いていた。

その時、天井から紙が落ちて来たので、秀吉が拾って読むと、そこには、信頼していた武将は背を向けている。民百姓の塗炭の苦しみを知れ。 やがてお前も、豪華の苦しみを知る時が来る…と書かれており、天井を見上げた秀吉は、突然、天井が爆発するのを目撃する。

その頃、秀次の元には、2番手の兵員2千送れと言う秀吉からの連絡を受けた細川忠興が、浅野幸長殿は軍資金を拝領したとのことなので自分にも…と依頼に来たので、木村常陸介に、用立ててやれと命じていた。

その直後、廊下を歩いていた小姓が、何やら書状を庭先に落とす。

情報を得た五右衛門は、北政所の寝所に忍び込むと、秀次を追い払う腹は決めた。次はお前の番だと警告し去って行くが、途中の森の中で、五右衛門を狙って火焔手裏剣が飛んで来る。

待ち伏せていた忍者は、太閤殿下の命令だ、死ね!と叫ぶと五右衛門に襲いかかって来る。

その時、犬八が援護に駆けつけてくれて、相手は赤目の千吉と富の八幡だと伝えると、土遁の術で土の中に身を隠して敵をやり過ごす。

久々にやって来た秀次を迎えた北政所は、久々に気が晴れました。負けるではないぞ。太閤様から朝鮮の統治をゆだねると申されたら何と答えると叱咤激励する。

しかし、その後も、秀次の遊興三昧の癖は治らず、その日も芸人を呼んで、その芸を見ながら酒を飲んでいたが、急に止めさせると、老いた芸人を呼び寄せ、酒をとらすと言い出す。

太閤の面前で直に酒を注いでもらうことに緊張した老芸人は、思わず手が震え、盃を取り落としてしまう粗相をする。

その途端、秀次は逆上し、その老芸人の首を斬り落としてしまう。

朝鮮統治を任すと言うのは、与から政権を奪い、継がせないつもりだ!と秀次は秀吉の腹を読んで、いら立っていたのだった。

破竹の快進撃も限界に達し、朝鮮戦線は膠着状態が来た。朝鮮は明国を通じて和平交渉を申し入れ、それを機に秀吉は名護屋を引き上げ、新築成った伏見城に帰還した。(…とテロップ)

秀吉を、北政所と秀次が出迎えるが、秀吉は完全に秀次を無視すると、幼い秀頼の方に対しては、自ら馬になってやって遊び興じ、淀君相手に酒を飲む。

そんな秀吉の元に秀次が来ると、良うまともにわしの顔が見られるな、太閤様。数々の不始末は何だ!と怒鳴りつけると、天下を秀頼にお湯刷りになる所存ですか?と問いかける秀次に、秀吉は持っていた盃の酒を浴びせる。

1人になった秀次に、秀次、いよいよ最期の時が来たな。お前は殺される。親にな…と五右衛門の声が聞こえて来る。

そして、意見しに来た加藤清正に対し、私は正室じゃと追い返した北政所に対しても、気をつけろ、次はいよいよお前の番だ…と五右衛門は影から語りかける。

秀吉の信任を失い、すっかり気落ちした秀次を、木村常陸介だけは慰めていた。

秀次は、解せんのは、何故、肥前まで与の所行が知れたのだろう?と呟く。

五右衛門は犬八と共に、城内の御金蔵破りをしていた。

蔵から盗み出した千両箱は、井戸に落とす。

それを秀次に報告に来ると、金蔵改めは明日だぞと秀次は動揺する。

お許しがなければ最後の手段をとりましょうと言った常陸介は、その場にいた小姓を斬り捨て、三成に内通していたのはこやつですと秀次に教え、詰め腹を斬らされる前に、こちらから斬るのです。三成も太閤殿下も…と進言するが、でも、もう遅い…と秀次は答える。

五右衛門と犬八は、楼門の上で、伏見城の絵地図を観ていた。

そこに服部半蔵が来て、秀次は高野山で3日後に切腹と決まったと報告する。

その後、病気で臥せった秀吉は、秀頼だけを愛でていた。

そこに家康が見舞いに訪れたので、秀吉は、淀と秀頼を頼むぞ。徳川殿、秀頼の後ろ盾になってくれ。変わらぬ忠誠を約束して欲しいと頼む。

家康はすぐに、その場で、私も世嗣血判させて頂きましょうと承知する。

文禄4年7月15日 関白秀次、高野山に於いて誅殺せらる。

その現場に石田三成も立ち会っていた。

五右衛門は、伏見城の天井裏に忍び込む。

見張り番の部屋の天井から、火鉢の中眠り薬を付けた針を落とし、見張りたちを全員眠らせると、秀吉の寝室に入り込む。

すると、寝ている秀吉が苦しんでいたので、病気か?と五右衛門は怪しむ。

秀吉は、ただ、秀頼の名を呼んでいた。

何だその様は?全てを投げ打って命を狙っていた相手が、こんな老いぼれだったのか。秀頼が天下を取るか?天下は徳川家康が取るんだ。日本24州を盗み、朝鮮まで盗んだのはお前ではないか。もっと苦しめ、女房子供の苦しみ、知るが良い。耳鼻をそぎ、苦しめてやろうと思ったが、今のお前には極楽だ。息の根を止めずに苦しみ抜かせてやる。ざまあ観ろ!と言い捨てると、五右衛門は去って行く。

秀吉の死後ー労せずして主導権を握った家康は、実質上天下をその手中に握った。(…とテロップ)

行軍する家康の部隊

服部半蔵は五右衛門に会いに来ると、上様がお前に来て欲しいと言っているんだと伝達するが、家康は俺を使って天下を取ったつもりかも知れんが、俺は家康の手を借りて、女房子供の仇を討ったんだ。天下など、誰が取ろうと知ったことかと吐き捨てると、そのまま濃い霧の中に消え去ってしまう。