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仁義の墓場

任侠、ヤクザ系の映画には疎いので、適切なコメントがなかなか浮かばないのだが、従来の任侠ものやピカレスクロマン(悪漢ロマン)のようなものは、ヒーロー映画の一種でもあったので、当然ながら、主人公たるヤクザや悪党たちを魅力的に描くのが普通だったように思う。

やっていることは犯罪でも、人間としてどこかしら観客を惹き付けるようなキャラクターになっていたはずである。

そうしないと、観客は主人公に感情移入できないからである。

ところが、この映画の主人公は、徹頭徹尾、観客が感情移入することを拒否するような造形になっている。

本来、ヤクザなどに共感してはならないんだという作り手の意思が見えるような突き放し方だ。

主人公石川は、自暴自棄の破滅型とでも言うのか、社会に同化することなど何も考えず、人の気持ちなど何も考えず、人に甘えるだけで身勝手そのもの。

ここまでは、若い時期にはありがちな反抗心の一種とも思えるが、途中から麻薬を打つようになってしまうのでは、もはや同情や共感しようもない。

その後の彼の行動は、もはや常人の想像を超えている領域だからだ。

ヤクを打つようになった後も、1人の女だけは愛し抜いたかのように描かれているが、それも元はと言えば無理矢理強姦した相手。

その暴力の被害者である地恵子が、なぜそんな主人公をその後慕うようになったかは謎である。

他に頼るべき人間が1人もいなかったからかも知れない。

この地恵子の献身振りから、主人公の人柄を推し量ることも可能だが、特定の女には優しかったという以上の想像はつきにくい。

それを、早く亡くした母への想いがあったなどと解釈することも出来るだろうが、それが主人公に同情すべき要素となるかどうかは疑問である。

このように、最後の最後まで主人公には感情移入できない作品なので、観終わった後も、何も心情的に残るものはないのだが、映像が凝っていることだけは分かる。

一画面一画面、カラーにしたりモノクロにしたり、画面を意図的に傾けてみたり…と、うるさいくらいに様々な手法を織り交ぜ、戦後の混乱した時代を表現しようとしているかのように見える。

確かに、作り込まれていると言うか、画面の中の情報密度は高く、安っぽい感じはほとんどない。

ドキュメンタリーという感じとも違うが、何か得体の知れない強烈なものを見せられたという感覚だけが残る稀有な作品と言えるかも知れない。

▼▼▼▼▼ストーリーをラストまで詳細に書いていますので、ご注意ください!▼▼▼▼▼

1975年、東映、藤田五郎「関東やくざ者」+「仁義の墓場」原作、鴨井達比古脚本、深作欣二監督。

主人公石川力夫の生家を始め、幼い頃の彼の写真が映し出され、当時を知る人々のインタビュー音声が挿入される。

良く泣く子だった。

母親を早く亡くした。

頭は良かった。

ずる賢い所があり、廻りのものを掌握する力は持っていた。

昭和16年 上京し、新宿のヤクザ、河田トオル親分の子分となった。

1年半の有期刑を受けた石川は、函館の少年刑務所に送られる。

暴れた理由は、親分の悪口を言われたというものだった。

俺は風船玉だと言っていたという証言の声

ただ上へ上へと登って行く風船玉だと…

タイトル

(モノクロ画面)昭和21年 新宿駅前

闇市では、志賀会のヤクザが、通りかかった通行人を勝手に引っ張り込み、革靴の底をわざと引き裂いて、その代わりにスルメを打ち付けて100円も取るというあくどい商売をやっていた。

青木政次(今井健二)がそんな連中に仕事の確認に来る。

その金を缶に詰めて持ちかえる途中だった志賀会組員の前に立ちふさがったのは、河田組の石川力夫(渡哲也)だった。

あらかじめ仲間に段取り分かってるな?と確認していた石川は、急に拳銃を相手の足下に撃ち込むと、逃げ出す。

(カラー画面)組に戻って来た石川は、兄貴分から、いらんことしやがって!志賀会と出入りでもなったらどうする!と叱りつけられていた。

河田親分(ハナ肇)は、在日米軍のパーカー中佐と通訳(中田博久)と握手して、にこやかに送り出している所だった。

横流しの洋酒を大量に手に入れたのだ。

叱られて面白くない石川は、組を後にすると、露天の饅頭を勝手に盗んで食いながら、近所のパンパンたちがたき火をしている場所で、わざと立ち小便してみせる。

そんな石川に声をかけて来たのは、今井幸三郎(梅宮辰夫)と言うチンピラだった。

最近調子づいている三国人が集まる中野の「錦勝亭」という店を襲撃しないかという相談だった。

杉浦誠(郷英治)や田村弘(山城新伍)と言った仲間も一緒に話に加わっていた。

その夜、今井のスケのパンパンのお照こと照子(池玲子)が、アメちゃんのオンリーからもらって来たと言いながら拳銃を見せる。

その銃を手に、石川、杉浦、田村、今井の4人は、営業中の中華料理屋「錦勝亭」に入り込み、二階で開かれていた賭場に乱入すると、その場にいた徐辰(汐路章)らに拳銃を乱射しながら、売上が入った手提げ金庫を強奪して逃げ出す。

徐辰たちも後を追いかけて来たので、石川は路地に逃げ込み、一件の売春宿の女中部屋の窓から中に飛び込む。

そこにいたのは、地恵子(多岐川裕美)と言う娘1人だったので、口を押さえて黙られると、外の騒動が治まるのを待つことにする。

しかし、その途中で、地恵子!と部屋の外から呼ぶ先輩たちの声が響き、驚いて動いた弾みで、地恵子が使っていたアイロンが畳に転げ落ち、焦げ始めたので、慌てて水をかけ畳を拭き取るが、焦げ跡はくっきり残ってしまう。

見習い女中の地恵子にとっては、大変な失態だった。

それを察した石川は、今盗んで来た金の一部を渡そうとするが、地恵子は受け取ろうとしない。

外が静かになったので、石川は、持っていた拳銃と金を全部、地恵子の元に残し、後で取りに来るからと言い残して、困惑する地恵子を残し、自分は外へと逃げ去って行く。

その騒動で襲撃した今井たちも、襲撃された徐辰たちグループも、全員検挙され、同じ牢に収容されることになる。

互いに牢の中で喧嘩を始めたので、慌てた警察は、両グループを別の牢に分けるしかなかった。

その直後、首謀者は誰だ?と聞いて来たので、渋々今井たちが挙手すると、何故か署長室へと連れて行かれる。

そこで待ち受けていた署長は、お前らのお陰で、今まで手を焼いていたあの連中を捕まえることが出来たと感謝し、わざと牢の鍵を今井らの目の前に置いてみせる。

署長の意図を計りかねた今井らだったが、どうやら逃がしてもらえるらしいと気づくと、礼を言ってその鍵を受け取り、自分らの方の牢の鍵だけ開けて出てしまう。

今井は向かいの牢から、俺たちも出してくれ!と頼んで来た徐辰に、中野のシマは俺たちのものだ!と言い残して去って行く。

今井のヤサでパンパンたちも交えたドンちゃん騒ぎに参加した石川は、俺たちと気楽にやろうや。あんなビッ○の親分に使われていてもつまらんだろう…と誘われるが、返答もせず、踊りの中に巻き込まれる。

その後、地恵子の部屋にやって来た石川は、窓ガラスを叩いて中に知らせると、地恵子は包んでおいた金と拳銃を押し返そうとするが、部屋の中に入り込んだ石川は、嫌がる地恵子に何もせんと言いながら抱きつきいて行く。

必死に抵抗する地恵子だったが、犯されてしまった後、金は貸しといてくれよと言う石川の無責任さに思わず泣き出す。

新宿のヤクザ野津善三郎(安藤昇)は、「光は新宿から」をスローガンに選挙運動中だったが、河田はその野津に応援協力していた。

一方、バーに飲んでいた石川は、池袋の池袋親和会の青木政次が店に来ており、ホステス相手に景気良く金をばらまいている姿を発見する。

さらに、見慣れぬホステスがいたので他のホステスに素性を聞くと、あの青木の紹介だという。

石川は、青木の紹介で入ったというホステス夏子(衣麻遼子)がトイレに行くと、後をつけ、いきなりトイレの扉を開けると、女を引きずり出すと殴りつける。

異変に気づいた青木が駆けつけると、石川は、この女をブクロへ連れて帰れ!ジュクは水が合わないと言ってるぞと脅すと、ドスで青木を斬りつけて逃げ出す。

その後、入院した青木を見舞いに来たのは、石川の兄貴分松岡安夫(室田日出男)と遠山敏 (曽根晴美)だった。

病室に待機していた池袋親和会の梶木昇(成田三樹夫)は、松岡が低姿勢に差し出した見舞い品などを観ても無言のままだった。

そのことがかえって、親和会側の怒りが尋常ではないことを現していたので、松岡は話を付けるきっかけすら掴めないまま引き下がって来るしかなかった。

もはや、親和会との出入りは避けられないと悟った河田は、しょうがねえな…とぼやきながらも兵隊を集めさせる。

正座してかしこまっていた石川は、うちの組のためと思って…と言い訳するが、お前のはハタキを叩いて、障子を破っているようなものだ!と河田は叱りつける。

(モノクロ画面)河田組と親和会の衝突は避けられない情勢となり、両者のにらみ合いは続く。

その様子を田村と共に石川に知らせに来た今井は、お前バカだなぁ~…、どうするつもりだと話しかけるが、石川は今にのヤサでふて寝するだけだった。

河田と野津が顔を揃えていた新宿の東口振興会事務所に警察署長がやって来る。

警察や河田は野津に間に入って欲しかったのだが、親和会の目的がブクロからジュクへの進出の足がかりなら、野津が介入するのはまずいと考えていた。

しかし野津は、河田が懇意にしている在日米軍のパーカー中佐に銭を掴ませたらどうかと提案する。

このアイデアには河田も感心する。

やがて、睨み合いが続いていた土手にMPが乗ったジープがやって来て、アメリカ軍司令部からの命令として、即刻退去するよう命ずる。

これにはどうすることも出来ず、親和会も河田組も引揚げるしかなかった。

河田組では、松岡が石川に、今回の件ではあれこれ100万からの物入りだ!と余計な金を使ってしまったことを叱りつけていたが、松岡が姿を消すと、俺のお陰で親和会を追っ払ったようなもんじゃねえかと石川は、あたかも自分の手柄のような言い方をし出したので、聞いていた組員たちは呆れてしまう。

その1ヶ月後、野津は5000票差で落選する。

ある日、「割烹 松月」の中で開かれていた賭場で遊んでいた石川は、接待目的で遊びに来ていた代議士が負けが込んでくると帳場から金を融通してもらっていたので、自分も同じように融通してくれと申し込むが、もちろん相手にされるはずがなかった。

そこに顔を出した野津は、親の顔に泥を塗るようじゃ、本当の男になれねえぜと言いながら、自分の金を石川に渡してやる。

店を出て来た石川は、衣紋掛けつっぱらかしたような格好しやがって…と野津のことをバカにすると、外に停めてあった乗用車のガソリン入れ部分の蓋を開けると、様子を見に来た野津の配下の組員たちの目の前で、今もらって来た金に火をつけ、その中に突っ込んだので、車は大爆発を起こす。

これを知った河田は激高し、組に戻って来た石川を、見かねた組員たちが止めに入るほど木刀で何度も殴りつけ、出て行け!帰って来たかったら指の1本でも詰めて来い!と怒鳴りつける。

今井のヤサにやって来た石川は、田村らに傷の手当を受けながらも、ドスでも出刃でも貸してくれ!指落とさないと男が立たない!とわめき散らすのだった。

昭和21年10月28日

河田組の玄関戸を叩いて入って来た石川は、顔中包帯をしていたが、いきなりドスを抜くと、親分である河田に襲いかかる。

河田も日本刀で応戦しようとするが、石川に斬られ重傷を追う。

河田は倒れながらも、逃げた石川を早く捕まえるように命じる。

河田組を逃げ出した石川が向かった先は地恵子の部屋だった。

酒をくれ!と頼む石川のために、地恵子は先輩娼婦たちの眼を盗んで酒を酌んで来てやる。

それを飲んだ石川は頭を抱えて寒いと言い出し、地恵子にむしゃぶりつくのだった。

数日後、自首して来た石川は、1年6ヶ月の実刑を言い渡され、府中刑務所に収容される。

親分を襲撃するということは、ヤクザ社会に挑戦状を叩き付けるようなもので、ヤクザたちは競って石川の命を付けねらった。

ムショの中での石川は、死への恐怖のためか、凶暴性が増したという。

共同部屋で暴れ回る石川は、布団蒸しの状態で看守たちによって独房へと運ばれる。

傷が癒えた河田は、石川に10年間の関東所払いを各組に伝えていた。

昭和23年10月

府中刑務所を出た石川を待っていた今井と杉浦は、しばらく大阪に行っていろと勧める。

石川は、出発前に又地恵子の元を訪れる。

抱いた地恵子は熱っぽかったので、具合が悪いんじゃないか?と案ずる石川だったが、今晩大阪に出発すると告げる。

そして、何かと金がいるので、四谷荒木町に知りあいの店があるので、そこに勤めてくれるかと一方的に頼むのだった。

(モノクロ画面)そして1年後… 大阪

この当時の石川を知るものはほとんどいない。

唯一、釜ヶ崎の病院のカルテに石川の名が残っており、肺結核の診断が書かれてあるのみである。

さらに半年後…

ある木賃宿のベッドで、娼婦と抱き合っていた石川は、その娼婦がペイを自分に打っているのを観て、そんなに良いものなのか?と聞く。

娼婦は、こんなこと(セックス)するよりもずっと気持ち良いと言うので、石川は1本200円、セックス込みで400円という金を渡して、試しに打ってもらうことにする。

やがて、ペイ中になった石川は、ペイの売人の事務所に乗り込むと、あるだけくれと言うとドスを抜いて脅す。

その時、背後から銃を撃って、全部出せ言うとるやないかと言いながら援護して来たのは、偶然居合わせたペイ中毒患者小崎勝次(田中邦衛)だった。

(カラー画面)キャバレーで一緒に飲み意気投合した2人は、一緒に東京に戻ることにする。

2人が向かったのは、今や今井組を率いる親分になっていた今井の賭場だった。

金の代わりのつもりか、石川はマッチを、小崎はタバコの箱を差し出したので、中盆は冗談はやめてくれと困惑するが、そこに困惑しながらも顔を見せたのが今井だった。

自分の部屋に呼び寄せた今井は、どう言うつもりだ?10年所払いのはずが、まだ1年ちょっとしか経っていないじゃないか?河田組に見つかったら、指の1本、2本じゃすまねえぜと石川に迫る。

金庫番になっていた田村は、今井に目配せをされるまま金を渡して帰らせる。

杉浦は、奴はペイをやっているぜ。もう1人は中毒だぜ。どうする?と今井に呟く。

ほっとけば、ヤクザ社会の中での自分の体面も潰されるし、又何度もたかりにやって来ることは眼に見えていたので、今井は苛つき、あんなペイ中、どうしようもねえじゃねえかと吐き出すしかなかった。

石川は戻って来たことは、すぐに河田の耳にも入る。

所払いくらいじゃ、甘過ぎたのかも知れんな…と呟く河田の言葉を聞いていた松岡は、任せてくれますか?と密かに消すことを促すが、今のところは若い者に見張らせておけと河田は答える。

荒木町の料亭で働いていた地恵子は、突然やって来た石川を観て驚いたようだったが、時々咳き込んでいた。

今井は河田に呼び出され、石川を匿っているのに、うちに知らせないのは筋目が通らないのじゃないか?と追求される。

河田は、石川には10年と頃払いさえ、きちっとけじめつけてくれれば良いんだと念押しするので、組に戻って来た今井は、もう河田組は知っているぜ。俺も渡世人だ。お前、東京から身を隠せよ。温泉でもどうだ?と石川を説得しようとするが、売りたきゃ売ったって良い!函館の小刑で会ったとき、どんな時にも身体を張って助けるのが兄弟だって、お前言ってたじゃないかと石川は怒鳴りつける。

今井も、兄弟分の賭場でたかりやってるのお前は何なんだ?と叱りつけるが、興奮した石川はいきなりドスを抜くと今井に斬りつけ、一緒にいた小崎も、拳銃をぶっ放して逃げ出す。

その後、今井組の懸命の捜索にも関わらず、2人の行方は杳として知れなかった。

それから1週間後の昭和24年10月10日

土砂降りの中、今井組の玄関戸を叩き中に入ってきたのは、雨合羽を来た石川だった。

石川はいきなり拳銃を取り出すと、応対した組員を撃ち、二階に上がると、怪我のため布団に寝ていた今井に襲いかかろうとする。

今では今井の妻となっていた照子が必死に止めようとするが、その右腕を撃ち抜くと、戸棚に隠した拳銃を取ろうと手を伸ばした今井の背中に股がり、数発中を撃ち込んで逃げ出す。

その後、石川と小崎の居場所を突き止めた今井組と河田組、そして野方警察署50名がボロアパートの周囲を取り囲む異様な状況になる。

警察署長はメガホンを使い、すぐに出て来るよう呼びかけるが、石川は窓越しにいきなり発砲して来る。

部屋の中では、銃を手にした今井に最後の弾を渡した後、ペイもなくなったと騒ぎ出していた。

下にいた組員たちや警官は、この銃撃に対抗するため、投石を始める。

やがて、銃弾が切れた石川は、ドスを抜いて外に飛び出して来るが、あっという間に取り押さえられ、逮捕される。

(白黒画面)昭和25年5月9日、地裁判決が下り、石川は懲役10年の刑が言い渡される。

その後、借金を重ねた地恵子が石川の保釈金を用意する。

保釈された石川は、何を思ったか、今井組にふらり1人でやって来て、仏さんを拝ませてくれないかと申し出るが、応対に出て来た照子は、それだけはね、お断りするよ。あんただって分かってるでしょうときっぱり言い渡す。彼女の右手は不自由になっていた。

咳き込んで寝込んでいる地恵子のヤサに潜り込んだ石川だったが、その後もペイを打ち続けていた。

そんな石川は、窓の外の電線に引っかかっていた赤い風船を観る。

地恵子は吐血すると、優しく拭いてやる石川だったが、ありがとうと言いながらも地恵子は泣いていた。

昭和26年1月20日、我が身をはかなんだのか、地恵子はカミソリで自らの手首を切り自殺する。

その10日前、石川は地恵子のことを、妻として籍に入れていた。

焼き場で、地恵子の骨を骨壺に入れる最中、石川のサングラスからは、ぼろぼろと涙が流れ落ちていた。

その後、髪に鉛筆で、何かを書き記した石川は、骨壺を抱えたまま、一件の石屋の前に来ると、墓を作って、これを彫ってくれとその紙を手渡す。

受け取った石屋(三谷昇)は、3人一緒かね?と確認するが、石川は持っていた金を渡すと、残りは後で必ず届けるからと約束するのだった。

石川は、河田組にやって来る。

河田や組員たちの前に骨壺を置くと、その蓋を開け、中から骨を取り出すと、ポリポリを食べてみせる。

それを観ていた松岡は、嫌がらせのつもりか?と突っかかるが、石川は、おやっさん、長い間迷惑をかけたけど、俺もそろそろ一家を起こしたい。ついては、鳥をくれませんか?2丁目に空いているあの土地…と言い出す。

呆れた様子で聞いていた河田だったが、厄介払いのつもりなのか、やるよと返事をする。

石川は、そこにビルを建てたいんで、銭を2000万ばかり出してくれないかと言い出したので、黙って聞いていた松岡は、何言ってるんだ!このキ○ガイ野郎!と罵倒するが、石川は相変わらず、骨をかじり続けていた。

さすがに相手をしていられないと感じた河田は席を立ってしまう。

石川は、骨壺の蓋を閉めると、サングラスをかけ、又来るぜと言い残して帰って行く。

その後、河田組がやっている射的場にやって来た石川は、ビール瓶を割ると、それでその事務所にいた若いものを脅しつける。

連絡を受けてやって来た遠山は、ペイが欲しいんだろ?と言って、子分の谷山に渡させると、石川は骨壺を持って黙って出て行く。

遠山はすぐに組に電話を入れる。

石屋に戻って来た石川は、何がおかしいのか、文字を彫っている石屋の横に腰掛けたまま笑い始める。

石屋は、何がおかしい?気が散るから黙ってろと言う。

骨壺を持って、墓所にやって来た石川は、墓に供えてあった湯のみの水にペイを溶き始める。

その近くの墓には、赤い風船が結んであった。

そんな石川の背後に迫っていたのは、遠山から連絡を受けてつけて来た松岡と若い衆だった。

彼らは日本刀を持っており、いきなりしゃがんでいた石川の背中目がけて斬りつけて来る。

しかし、怯えていたせいか手元が狂い刀が折れてしまったので、2人目の刺客が石川に斬り掛かる。

この騒ぎの最中、風船の糸が切れ、空に向かって浮かび上がって行く。

血まみれになり横たわった石川は、大空に向かって小さくなって行く風船を見上げていた。

疫病神とも言うべき石川は、この時も一命を食い止める。

昭和26年8月 上告は棄却され、石川は又、府中刑務所に収監される。

6年後の昭和32年2月2日

刑務所の屋上に毛布を背負って1人立った石川を発見した看守たちは、下から必死に馬鹿なことは止めろと叫んでいたが、次の瞬間、毛布をはねのけると、屋上から身を投げ、地上に叩き付けられる。

石川の独房の壁には「大笑い 30年の馬鹿さわぎ」と書かれてあった。

石川と地恵子が入った墓石には「仁義」と彫られていたが、どうしてそのような言葉を刻ませたのかは知る由もない。