1991年、オフィス北野+東通、北野武脚本+監督作品。
▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!▼▼▼▼▼
ゴミ収集車に乗っている茂(真木蔵人)は、防波堤に捨てられていたスノーボードを発見する。
先端が壊れたそのボードを持って帰る事にした茂は、家で修理し、彼女である貴子(大島弘子)と一緒に海へ出かけ、一人黙々とサーフィンを始める。
貴子は、静かに、そんな茂の様子を見つめている。
茂が聴覚に障害を持っている事を知る仲間達や、サーファー連中は、そんな茂の行動を冷笑気味に見ていたのだが…。
熱心にサーフィンを続ける茂の腕は次第に上達していき、やがて、仲間達にも一目置かれるようになっていく。
▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼
淡々とした青春の日常を切り取ったような内容で、普通の感覚からすると、クライマックス的な要素もあるのだが、それも、意図的に突き放したように描かれているために、ドラマチックな盛り上がりなどは涌いて来ないように作られている。
おそらく、貴子の方は、健常者ではないかと思われるのだが、これもまた画面上では、あえて、彼女の発声部分の音は入れられていない。
茂の行動に触発され、自分達もサーフィンを始める間抜けな若者二人組のコントめいた要素が途中から挿入されていく。特に笑えるようなものではないが、ちょっとしたアクセントのつもりか?
サーファーたちのセリフなどは、ドキュメンタリーのように、芝居っけを極力排除した、極めて自然体の発言のように聞こえるし、全体的にドラマ臭さを排除しようとする、監督の意志が感じられる。
ハンデを持った主人公を用意したのも、特に、そういう人に対する思いやり云々とか、差別問題などをテーマにするつもりだった訳ではないようだ。
恋愛ドラマ要素はあるが、それも意図的にさらっと撮られているため、さほど嫌みな感じはしない。
あくまでも、音とか色とか芝居とか、そういう「うるさい」要素をとにかく排除した、あくまでも「静かな静かな映像」を撮りたかったのだと思われる。
そうした意図を理解して観れば、本作の魅力は、自然にこちらの心に染み込んでくる。
そんな作品である。
神経がささくれ立つようなバイオレンス要素がないだけ、女性などにもお勧めしたい秀作。