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父と暮せば

原爆の辛さを忘れようとするのではなく、次世代に語り伝えて行くために生き抜こうと言うメッセージを込めた映画。

基本的に、一軒の家の部屋の中とその庭先辺りを舞台に、父と娘の2人との会話を中心に進む舞台劇のような雰囲気の作品になっている。

中でも、父親役の原田芳雄が広島の一寸法師を語るシーンなどは、まさしく一人芝居を観ているかのような迫力である。

対する宮沢りえの方も、なかなかしっかりした演技を見せている。

ただ、この内容を伝えるのに、映画と言う表現にする必要があったのだろうか?と言う疑問が若干ないではない。

映画的な要素はきわめて少ないように見えるからだ。

歌舞伎を観る機会が少ない地方の人向けに「シネマ歌舞伎」があるように、舞台演劇を見る機会が少ない地方の方達向けに作られた「シネマ舞台劇」のような感覚で捉えるべきなのかもしれない。

▼▼▼▼▼ストーリーをラストまで詳細に書いていますので、ご注意ください!▼▼▼▼▼

2004年、井上ひさし原作、池田眞也脚色、黒木和雄脚色+監督作品。

広島 1948年夏 

火曜日

雷鳴が響く中、福吉美津江(宮沢りえ)が悲鳴を上げながら自宅に帰って来る。

台所の机の足にしゃがみ込んで怯えていると、戸棚が開いて、座布団を防空頭巾のようにかぶった父親福吉竹造(原田芳雄)が、もう一枚の座布団を放ってくれて、早よそれかぶってこの中に入れと言ってくれたので、お父たん、おったんねと美津江は呟きながらも、父の言葉に従い戸棚のしたに隠れる。

お前は一体いつから、ドンピシャさんをそがいに怖がるようになったんじゃ?

女学校時代は陸上競技部で、ドンピシャがなっても平気で走っとったじゃないかと竹造が聞くと、あん時は3人しかおらんで、色んな事やらされたから、そんな事言っておられんかったと美津江は言う。

ドンピシャさんが怖くなったのは3年くらい前からじゃろう?ぴかっと光るからじゃろうと竹造は見抜く。

美津江は、戦時中、福吉旅館を陸軍に貸していた時、色々な物資が手に入ったと懐かしむ。

米、たばこ、缶詰…、竹造も思い出し、お前には母ちゃんがおらんかったけん、父ちゃん、一生懸命に育ててきたなどと呟きながら、そう言えば駅前で野口がイモ羊羹など売っていたが、マグネシウムのぴかっと光るのが怖くて、写真を辞めたって言うとったと言う。

光るものなら蛍の灯でも怖いと思うのは、被爆者の権利じゃと竹造は言う。

気がつくと、雨が上がって青空が見えていたので、戸棚を出てきた竹造は窓を開け嬉しそうに外を眺める。

麦湯飲もうかと、美津江は、父と自分の湯のみに麦湯を注ぐが、竹造は、わしゃ、良う飲めんとすまなそうに言う。

その竹造が、そう言えば、図書館で、木下さんがお前に饅頭くれただろう?と聞いて来たので、そのもらった饅頭を取り出した美津江は、2つもらった。2つは食えんので、1つは福吉さんが食うと言うと、わしゃ良う食えんじゃろと竹造は答える。

木下さんは、文理科大の先生言うとったな?と竹造が聞くと、授業を嘱託でやるって言うてた。1日くらいかけて広島歩き回ったって…、26じゃと、と美津江が教えると、お前が23じゃけん、良う似合うとると竹造は嬉しそうに言う。

木下さん、お前が好きだから饅頭くれたんやと、ハタキを部屋に欠けながら竹造がからかうと、美津江は4日前の木曜日の事を思い出す。

美津江が係をしている図書館にやって来た木下正(浅野忠信)が、原爆関係の資料はありますか?と聞いて来たので、今は、占領軍の目が光っているので、公表禁止されている。1人の被爆者として、あの夏を忘れようと思います。資料は残っとらんです。うちも父の思い出に残るようなものは全部処分してしまいましたと美津江は答える。

その話を聞き終えた竹造は、受付は2人おるやろうが?お前は今じゃ無口になってしまった。そんな愛想なしのお前に話しかけたと言うのは、お前に気がある証拠じゃと言う。

明日会うんじゃろ?と竹造が聞くと、千年末の所で会う約束をしたが、2度とうちに声をかけん撮って下さいと言うつもりだと美津江は言う。

うちは幸せになってはいけんのじゃ…と寂し気に言う美津江に、竹造は、だからわしは、恋の応援団長として出て来とるじゃないかと言う。

わしが現れたのは、先週の金曜日からだ。木下さんに会うた時、お前の胸はときめいた。そのときめきからわしの胴体は出来た。ため息から手足が出来たんじゃ。あの時、入口から入って来た木下さん観て、こっち来んかな?と願うたろうが。その願いから、わしの心臓は出来とるんじゃと、竹造が説明すると、もう、おちょこらんといて下さい!夏休みの読書会がもうすぐあり、比治山の松林に3〜40人もの子供たちが集まってくれる。みんな楽しみにしてくれとるので、その準備をせんとならんと言うと、竹造は、暗闇の中に静かに消えて行くのだった。

水曜日

蚊よけのため、杉の青葉を焼いている。

美津江は、読書会用の原稿を書いていた。

太田川からちょんみり山に入った所に、おじいさんとおばあさんが住んでいました…と、自分で声を出して原稿を読んでみる。

働こうとせんおじいさんの代わりに、おばあさんが川に鮎獲りに出かけ、川の水飲んだら腰伸びて良い女房になってしもうた。家に戻って来たおばあさんが若返った事を知ったおじいさんは、自分も川に出かけてみるが、夜になっても戻って来ん。

そんな話を聞きながら、台所にエプロン姿でいつの間にか現れた竹造は、すり鉢でいりこを擂って、それにミソを加え、「じゃこみそ」をこしらえていた。

心配したおばあさんが、提灯を持って行くと、川の側に、欲の深そうな赤ちゃんがおぎゃあと泣いとった…と美津江が、話を終えるのを聞いていた竹造は、わしやったら、最後は、入れ歯が転がっとった…と変えるなと口を挟むと、美津江は、話をいじっちゃいけんて!と怒る。

今日の昼休みも、口争いしちょったな?と、竹造は、又木下さんのことを蒸し返す。

出来ん事は出来ません!と美津江が木下に断った事の事を言っているのだった。

木下さんは、郷里の岩手に引き上げる事になった時、大手町のお不動産の所で弁当を食おうとしたんですって。その時、何気なく座った尻の下が痛いので、良く観てみたら、下に原爆瓦が1枚あったそうじゃと美津江は父に教える。

竹造は、美津江が持って帰って来た原爆瓦を観ると、原爆瓦、刺々しいの、おとろしいのと怯え、被爆者の身体の中から出て来た大きなガラス片、曲がってしまった薬瓶などから思わず目を背けてしまう。

木下さん、原爆資料を部屋にため過ぎて下宿から追い出されそうになっているんですって。それで、原爆資料を図書館で預かってもらえないだろうかって言うんで、1日考えさせてくれんかって答えといたと美津江が言うと、竹造はいきなりハンカチ貸しんさいと言って、1枚のハンカチを受け取ると、それで、「じゃこみそ」を入れた小さな壺を包んで、これを明日、木下さんに渡してやりんさいと言う。

木下は、あなたの被爆体験を子供に伝えるためにも、僕の資料を使って何か出来るのでは?と美津江に提案する。

その時も美津江は、話をいじっちゃいけんって!出来ん事は出来ません!と拒否する。

その話を聞いた竹造は、思わず、ひらめいた!と言い出す。

お父たんのひらめいたのお陰で、おじいちゃんの身上はほとんど食いつぶしてしもうて、小さな旅館1つしかこうなったでしょう!と美津江は叱る。

それでも竹造は、めげず、みんなが良う知っちょる話に、資料を入れてみ?お話じゃけん、風に昇り虹になるんや!証拠は残らん!

そう言い出した竹造は、広島の一寸法師の話を、エプロン劇場じゃと言いながら話し始める。

赤鬼に食われた一寸法師が、高度580m、1秒感で摂氏1万2000度になる原爆が爆発した。太陽が2つ出来たようなもんじゃ、その熱で溶けて剣山のようになった原爆瓦で、鬼の肝臓をごしごしかきむしり、曲がった薬瓶で、知りの穴に栓をしてやる!などと話し始めるが、聞いていた美津江は、耐えられなくなり、止めて!と叫ぶ。

割れたガラス片が、人間の身体をハリネズミのように引き裂いたんじゃ!と興に乗って話していた竹造自身も、あまりの残酷さに怯えたのか、どえりゃあものを落としてくれた…。人間が人間の上にお日様を2つも並べおって…と呟くと、そんな話をしても、広島の人間には辛い事になる。悪い事をした…と謝罪すると、明日は、「じゃこみそ」だけで我慢しておいたが良いと言い聞かせる。

色々気をつこうてくれてありがとうございました。お父ったん?…と美津江は呼びかけるが、竹造はm又いつの間にか、闇の中に姿を隠していた。

木曜日 雨

竹造は、まだ美津江が帰宅していない部屋に出現し、1人で雨漏りの箇所に鍋や金だらいなどを置いて廻っていた。

そこら中雨漏りだらけだったのだ。

最後に、濡れかけていた美津江の文机を窓際に持って行ってやるが、その時、広島市外府中町… 瀧澤様方 木下正様と宛名書きされた封筒を見つけたので、中の手紙を取り出して読む。

そこには、原爆資料、私の所でよろしければ、1人住まいですからお預かりしますと書かれてあった。

そこに、雨でお話会、流れてしまったので早引けです。どっか悪いんですと言いながら、美津江が帰って来たので、原爆病出るんか?と竹造は心配する。

やがて、雨がやんだので、竹造は窓を開け放つ。

「じゃこみそ」まだ渡しとらん…、比治山に行かんかった、雨降っとったし…、木下さんい会っちゃいけん思って…。その木下さんが比治山の方から来るのが見えたんで早引けしたと美津江は言い、私、人を好いたりしたらいかんのです…。もう、ほっといてくれんさいやと父を拒否しようとしたので、竹造は、応援団長をなめたらあかんぜ!と凄んでみせる。

良えじゃないか、その顔で…、もしかして原爆病か?あれがいつでるか分からんから、好いちゃいかんと思うとるのか?生まれて来るねんねのことが心配か?竹造が何故か恋愛に消極的な美津江のことを案ずると、もしねんねが病気を持っていたら、一生懸命育てようと、そがい言うとられました…と美津江が答えるので、そこまで話とったとは知らんかった…と竹造は、意外と木下との仲が進んでいる事に驚いてみせる。

そやから会うちゃいけんのですと美津江が言うので、巧く行けばいくほど会えんと言うのか?と竹造は納得できかねるように聞き返す。

すると美津江は、ちょっとそこに座ってくれんさいやと竹造に言うと、うちよりもっと幸せになって良い人が大勢いるのですと語り出す。

うちなんか、幸せになっちゃいけんのです。福村昭子さん覚えとる?うちが福吉と言う名前なので、8年間通して二福(ふたふく)呼ばれとった。その福村さんとは一緒に昔話研究会作った仲やった…と言う美津江の話を聞いていた竹造は、ずっと成績も競っとったからな…と、その同級生を思い出す。

うちはいつも二番やった。彼女は顔もきれいで、一女小町、女専小町とはやされていたと美津江が続けると、おかやんの方がきれいかったんじゃないか?と竹造が茶々を入れる。

知っとったよ、福村さんのお母さんに手紙を出したの。福吉屋竹造 静江様参る…と書いて…、参るは、女性が使う脇付じゃと美津江もお返しをする。

昭子さんから幸せにならんといけんかったんです。うちをピカから救うてくれた…と美津江が言うんで、あの時、庭には、俺と2人しかおらんかったと竹造が不思議がると、あの時、昭子さんは、県立二女の先生と岡山の水島に行っとったんです。

(回想)モノクロ映像

庭先に降りていた美津江は、上空を飛んでいるB-29から何かが落とされるのを偶然目撃する。

その時、庭の履き掃除をしていた竹造も、美津江に教えられ空を見上げる。

又、暴力ビラかいね?と言いながら、美津江は手に持っていた福村昭子へ宛て出そうとしていた手紙を落としたので、それを拾おうとかがんだ瞬間、周囲は白光に包まれる。

(回想あけ)かがんだ時に、横にあった石灯籠の影になってうちは助かった…と美津江が思い出すと、わしは正面から観てしもうたと竹造は悔しがる。

あの手紙と灯籠が熱線を庇うてくれたんです。

昭子さん、あの時、水島からイ版列車で帰っとったんです。謄写版が必要になって…。8時ちょっきりに学校に出かけた。爆発を受けたのは赤十字支店の辺りじゃったそうです。

お母さんが昭子さんを見つけたのは翌日やった。学校の廊下に並べられとったそうや。もんぺの後ろが焼け落ちて、お尻が出ており、便が少しひからびて付いとったそうじゃ…と美津江は辛そうに打ち明ける。

人並みの幸せ、求めてはいかん言うお前の気持ちは分からんでもないが…、昭子さんのお母さんとの約束のようなものでもあったんか?と竹造も辛そうに聞くと、ピカの3日後、8月9日午後遅く会った。うちは宮島に逃げて堀内先生の家に匿ってもらっていた…と美津江は言う。

女学校のときの生け花の先生じゃな?と竹造は相づちを打つ。

朝、宮島を発って、昼ゴル家に着いた。

泣き泣き、お父たんの骨を拾いました。

その後、昭子さんの家に行ったんじゃが、お母さんは防空壕に寝ていましたが、背中が火ぶくれになっていたので腹這いになって…。お母さん、うちの顔を観るとごつい喜んでくれて、うちを抱きしめて、良う来てくれんさった言うてくれた。でも、昭子さんの話をするうちに、顔色変わってうちを睨みつけるようになり、なしてあんたが生きとるん?うちの子やもうて、あんたが生きとるんは何でですか?言うて来た。そのお母さんもやがて亡くなった。生きとるの、申し訳ない!聞きとうない!うちの友達、あらかたおらんようになった。あれから3年も経つのに、まだ帰っとらん人もおるのです…と美津江は絞り出すように話す。

竹造は、わしとお前のことなら、とっくの昔にけりはついとるはずだと言うと、美津江は、あの時の広島は、死ぬのが自然で、生きとるのは不自然なことやった。生きとるのが申し訳のうてならん。でも死ぬ勇気もなくて、できるだけ静かに生きて、その時が来たら、出来るだけ早う姿消そう思うとります。この3年は困難の3年です。ここまで生きて来ただけでも褒めてやってちょんだいよ…と続ける。

そして、家を出て行こうとするので、どこへ行く?と竹増が聞くと、本の修理し残して来ているので図書館へ行くと美津江が言うので、これは投函しときんさいや、速達で…、これはお父っつあんの命令じゃ!と、木下宛の手紙を渡す。

金曜日

美津江の家の中には、木下から預かった原爆資料類が置いてあった。

庭先で石灯籠を眺めていた美津江は、その下に転がっていたお地蔵さんの首を見つめる。

そのお地蔵さんの顔の半分は焼けただれていた。

父ったん!

その時出現した竹造に気づいた美津江は、あれで半分だそうですと、原爆資料の事を伝える。

次はどのくらいで着く?オート三輪で、1里10丁言うとったの運転手?と思い出した様子の竹造は、お風呂勧めろ!と焚き付けようの竹筒を持っている。

ビール1本買うて来た。お父たんが食べてくれたら嬉しいだけど…と、準備しておいた昼食を見せる。

すると竹造は、夏休み取れんか?と急に言い出す。

宮沢賢治の故郷やと、竹造は、木下の故郷のことを言う。

美津江も、「永訣の朝」は好きな詩じゃ…と応し、「星巡りの歌」じゃと言いながら、赤い目のサソリ〜♬と歌い出す。

それを聞いていた竹造も、星の歌なら、わしも小学生の頃作った。木下さんが岩手行こう言うたら求婚じゃ、分かっとるじゃろな?と竹造は念を押す。

お父たん…、美津江は庭に転がる、半分顔が焼けただれたお地蔵さんを思い出す。

ひげ剃り用のカミソリはあるか?と竹増が聞いて来たので、カミソリの類いは置かん事にしている。自分はこれから堀内先生の所で生け花のお手伝いをしようと思う。木下さんに宛てた手紙は玄関口に置いておく。大事な資料は大切に保管します。でも、私の事はお忘れください…と美津江は言うので、お前は病気や。昭子はんらに後ろめとうて、申し訳ない病や!と竹造は怒り出す。

すると、美津江は、違う!ほんまに申し訳ないと思うているのは、お父たんに対してなのよ。申し訳ない。お父たんを見捨てて捨てた。あん時、お父たんは、ささらのさらになっとった。それをうちは見捨てて逃げよった…。今又、お地蔵さん観た途端、はっきり思い出した。

お父たんを地獄のような火の中に置き去りにした人間じゃ!うちらの上に家があった。お父たんは良う動けん…。何十本もの材木に組しかれとった。お父たんを助けてつかあさい!と声を限りにおらんだが、誰も来てくれん…と美津江は辛そうに話す。

広島中で同じことが起こっとったんじゃからな…と竹造が頷く。

材木持ち上げようとしてもいけん。地面掘ったがいけん。髪の毛ちりちり燃えとる…と美津江。

わしゃ、逃げえ言うたが、お前は嫌やの押し問答。その内、わしはチャンポンケしようと言い出した…と竹造。

なしてパー出さんのじゃ?!早う逃げえや!と叫ぶ、当時の竹造。

お父さんに最後の親孝行して行くんや!と美津江。

良う逃げんのやったら、わし、ここで死んだるぞ!お前が生きたんも、わしが死んだんも、納得ずくじゃ!と竹造が叫ぶと、わしもお父さんと一緒に死なんといけんかったんじゃ!と美津江も叫び返す。

惨いのう…、ひどいのう…、なしてこないして、別れんといけんのじゃろう?こげん惨い別れが今までにあったやろうか?一等終いに言った言葉聞こえちょったか?わしの分まで生きてちょんだいよ!お前はわしに生かされとるんじゃ!お前の図書館もそれを伝えるためあるのと違うか?そっがいにアホたれやったら、他に代わりを出してくれや!わしの孫じゃ!ひ孫じゃ!…と竹造は必死に訴える。

その頃、木下はオート三輪の荷台に乗って、美津江の家に向かっている所だった。

美津江は、台所で人参を千切りしながら、今度はいつ来てくれんさるの?と父に聞くと、それはお前次第じゃ。しばらく会えんかもしれんね…と答えた竹造は、こりゃ、いけん!薪つぐの忘れちょった!と言いながら、闇の中に消えて行く。

お父たん、ありがとうありました。

(カメラが上に振ると、そこは原爆ドームの崩れた屋根。その下の地面には、2輪の花が咲いていた)

 


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