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ぶっつけ本番

実在したニュース・カメラマン故松井久弥氏をモデルとした映画らしい。

ここで言うニュース映像と言うのは、当時映画館で流れていた報道短編映画のことであり、手回しの16mmキャメラで撮っていた様子が分かる。

戦後の有名な事件の紹介に合わせ、キャメラマンの主人公も成長する姿を平行して描く形になっているが、記録映像で観る戦後史としては貴重ながら、正直な所、映画としてはやや単調な感じを受ける。

この主人公の家庭生活が、特に波瀾万丈と言った感じではないからかもしれない。

戦後、ゼロから家庭を築き上げた…と言う苦労は分かるものの、それは、当時の日本人全体に共通した体験だったのではないかと感じるのだ。

確かに、こういう猪突猛進型の主人公の行動は絵になりやすいのかもしれないが、映画として取り立てて意外性がある感じでもなく、取って付けた感が拭えないのだ。

ラスト近くの品川駅のシーンなども、まさか、ここで…なんてことになるんじゃないだろうな?と読めてしまう通りに展開するのも、実話なのかもしれないが、ちょっとわざとらしさを感じてしまう。

とは言え、見所もいくつもあり、やはり若き助手役の原を演じる仲代達矢と、その恋人を演じている吉行和子の愛らしさは目を惹く。

吉行和子は、これがデビュー作なのかもしれない。

タンカー火災事故と東京メーデーの衝突騒ぎのシーンは、ニュース映像と本編映像が良くマッチしており違和感を感じないのには感心した。

個人的に特に印象に残ったのは、今でも続く報道映像や写真などに、死体が写されない事情を説明する件が描かれている所である。

洞爺丸の悲劇などが続いた後、抗議が寄せられたことがきっかけになっていたらしいことが推測できる。

▼▼▼▼▼ストーリーをラストまで詳細に書いていますので、ご注意ください!▼▼▼▼▼

1958年、東京映画、水野肇 、 小笠原基生原作、佐伯幸三脚色+監督作品。

待ったなし!ぶっつけ本番!がニュースキャメラマンの合い言葉であり、彼らの使命です。

あらゆる工夫を凝らし、時には命がけの危険も顧みず事件現場に飛び込んで行きます。

これは、あるニュースキャメラマンの物語であります…とナレーションが入る。

昭和21年 東京は焼け野が原だった。

品川駅に入って来た引揚げ列車には、大勢の復員兵を待ちわびる家族が出迎えに来ていた。

そうした中、無事戦地から帰って来た松木徹夫(フランキー堺)も、妻の久美子(淡路恵子)と駅で再会し喜び合っていたが、そんな感激の家族対面シーンを撮影していた先輩キャメラマン小林(佐野周二)を見かけ声をかける。

小林も松木を認めると喜び、自分が持っていたキャメラを松木に持たせてやる。

久々にキャメラを手にした松木は感激しながらも、自分は今日から出直しですよと呟く。

妻と共に、報道映画社の車に同乗させてもらった松木は、そのまま会社に帰国の挨拶に向かう。

車を運転する平さん(田辺元)は、十八番の二・二六事件の時、岡田首相を乗せたことがあると言う自慢話を松木は久々に聞く。

会社に着いた松木は、懐かしい同僚たちと再会する。

彼らは忙しそうに働きながらも、給料は遅配続きだとぼやいてみせる。

製作部長の山田(小沢栄太郎)は、松木の復帰を喜びながら、しばらくは板橋の寮で住んでくれと伝える。

そんな中、電話がかかり、受けた企画部員の後藤(中村俊一)は、芝浦で隠匿物資の摘発だと声を上げ、ドンちゃん(堺左千夫)らキャメラマンたちが出動して行くのを、松木はうらやましそうに見送る。

昭和22年 まだ、隠匿物資の摘発のニュースが続く。

昭和23年 家財道具を積んだリヤカーを引く松木と、それを押して手伝う久美子。

松木はようやく、1年過ごした会社の寮を出てアパートを借りることが出来、キャメラマンとして一本立ちが出来たのだった。

昭和24年7月 国鉄の下山総裁が行方不明になると言う事件が起きる。

その後、常磐線の綾瀬と北千住の間のガード下でそのしたいらしきものが発見されたと言う電話が入り、後藤が場所を叫ぶ。

ソファで仮眠をとっていた新人キャメラマン原(仲代達矢)を叩き起こし、キャメラマンは全員現場に急行するが、すでに非常線が張られており、現場に近づけないことが分かる。

松木は脚立を持っていた助手の原に、川を渡るぞと言い出す。

鉄道脇まで到達した松木は、原に灯りを焚かせ、夢中でキャメラを回し始めるが、非常線で足止めされていた他社のキャメラマンたちは、この灯りに気づき、抜け駆けは止せと怒り始める。

報道映画社のキャメラマンたちは、今度だけは大目に見てやってくれと頭を下げるのだった。

この下山事件を写したニュースフィルムの試写を観た山田は満足していた。

現像室にいた松木の元にやって来た原は、編集部員の飯田マサ子(吉行和子)から、あんたが書いた請求書でたらめよと叱られる。

この仕事では、各キャメラマンに特別賞与が出た。

山田は、うちでも特別賞与を出せるようになったのかと感慨に耽りながらも、窓から建設中のビル工事を観ながら、風が通らなくなるなとぼやいていたが、東京のビルラッシュは盛んだった。

賞与をもらったキャメラマンたちは飲みに行こうか?等と誘い合っていたが、松木は、今夜辺り、生まれそうなんだと断って、1人妻が入院している病院へ向かう。

そんな松木の後ろ姿を見送りながら、山田は、学校も出ていないあいつがここまで一人前になるとはと小林に語りかける。

小林も、これが奴の天職なんでしょうと答える。

原は、自腹でかき氷を注文すると、先輩キャメラマンたちにおごるが、松木のお陰で他社からつるし上げを食うことが多くなった仲間たちの心境は複雑だった。

そんな中、又電話が入り、三鷹で空の電車が暴走し、死傷者が多数出たと言う知らせが飛び込んで来る。

キャメラマンたちは飛び出して行くが、そこに戻って来た原が、病院の松木さんから電話があり、自分も行きたいと言っていると後藤に報告する。

産婦人科の廊下の電話をかけていた松木は、なかなか生まれない赤ん坊を待つ時間が惜しく、事件現場に駆けつけたがっていた。

そこに原が駆けつけて来て、後藤さんは、今日は止せって言ってますと伝えるが、松木の逸る気持ちは押さえきれなかった。

原が持って来たキャメラを受け取り、現場に出ようとしていた松木は、背後に産声を聞き、病室から出てきた看護婦から男の子だと知らされると、赤ん坊の様子を聞き、病室を覗き込むと、久美子良くやったと声をかけ、すぐに原と共に現場に向かうのだった。

三鷹事件…

伊勢湾台風…

マラソン大会では、自転車にまたがって選手たちと並走し、手放しでキャメラを回す松木の姿があった。

又あるときは、国会から出て来て車に乗り込もうとする吉田首相を、その車の後部座席に忍び込んでいた松木が写すという突撃取材までする。

昭和27年 列車の車掌室に潜り込んで事件現場に向かう松木は、戻って来た車掌から、あんたら、本当はこの列車がひっくり返れば良いと思っているんでしょうと皮肉を言われる。

オイルタンカーの火災現場に駆けつけた松木だったが、清水海上保安部で、担当係官から、重油タンクに火がついており危険なのでタンカー付近に船は出せないと言う説明を聞く、他社の記者たちに合流する。

浜辺に出た松木は、そこに置いてあった一艘の小舟を発見、近所の子供3人に頼み、燃え盛るタンカーに船をつけてもらう。

身体ごとぶつからないと本当のニュースと言えないんだと松木は呟く。

縄梯子を昇り、甲板に登った松木は、夢中で火災の様子を写し始めるが、タンカーは徐々に傾き、下で待つ子供たちはおじさ〜ん、燃えるよ〜!と叫んでいた。

観測所では、すでにタンカーが40度に傾斜し、重油が海に流れ出したと報告がある。

夢中でキャメラを回していた松木も、さすがに危険を感じ降りようと下を見るが、子供たちが待っているはずの小舟の姿が消えていることに気づく。

もはやこれまでと観念した松木は、撮影済みのフィルム缶に、これを見つけた人は、報道映画社に届けて下さいと書き込み、死を覚悟する。

しかし、子供たちが浜に知らせたため、間一髪でポンポン船が救援に着てくれたため、松木は九死に一生を得る。

帰京後、その迫力満点の火災記録を試写室で観終わった山田は、これだけかね?と後ろで観ていた松木に尋ねる。

600フィートも回したんだがと、いぶかしげに答える松木に、燃えているトリス丸が映っているだけで、客観性が何もないじゃないかと山田は指摘する。

原は松木の仕事振りを弁護するが、撮影課長の小林も事故を見守る人々などの客観描写が欠落していると指摘、同僚の川崎(増田順二)も、今度のやり方は反対だ。子供を巻き添えにしているじゃないか。トリス丸まで小舟を焦がせたそうじゃないか?そう言うスクープ精神は間違っていると思うなと松木に告げる。

翌日の休日、3歳になった長男隆(大谷正行)と次男明を連れ、久美子と動物園に出かけた松木は、そこに展示してあった住宅模型を観ながら、早く一戸建ての家を持ちたい。地所は20坪くらい欲しいななどと久美子と夢を語り合うが、久美子は昨日の仕事のことで、松木が腐っていることに気づいていた。

そんな松木が、隆を連れ、猿を観に行こうとしていると、原がいることに気づく。

こんな所で何をしてるんだと聞いていると、原はそわそわするばかりで答えなかったが、そこに飯田マサ子がやって来たので、事情を察した松木は急に上機嫌になり、久美子らと合流する。

久美子は、原たちのお陰で松木の機嫌が直ったと感謝していた。

第23回メーデーを取材するため、報道映画社では、各デモ隊の進行方向に企画部員を派遣し、その動静を逐一、社の山田に報告させていた。

皆石などを拾いポケットに入れていると言う報告が入った後、企画部員の関口(内田良平)から皇居の方に向かっているとの連絡を受けた山田は、北部にいた大木(守田比呂也)キャメラマンたちも皇居前に集結させる。

毎朝ニュースのライトバンの上で、小林が三脚に固定した大型キャメラを回す。

原は、デモ隊の中に混じりキャメラを回し続ける松木に、フィルムを届ける役目を担っていた。

山田は、フィルムはいくらでも使って良いと言う許可を出していた。

やがて、皇居前で、デモ隊と機動隊が衝突し、両者にけが人が続出。

その様子をとり続ける松木は、いつしか泣きながらキャメラを回していた。

そうした最中、飛んで来た石が松木の額を直撃、流血した松木は、その場に倒れ込む。

それに気づいて駆け寄る原。

知らせを聞き、病院に駆けつけた久美子は、病室の前で山田と小林に会う。

入院した松木は、まだ安静を擁する状態だった。

病室から出て来た久美子に、小林は、3週間もすれば元通りになるそうですと慰めるが、久美子は、今度は怪我ですみましたが、これからはあまり無理なことしないで欲しいと呟く。

報道映画社では、関口が、大木の怪我は全治まで一ヶ月かかるらしいと噂し、ドンちゃんは、あいつの仕事はちょっと真似できねえなと感心していた。

そんな会社に戻って来た山田は、今後、松ちゃんを事件ものに回すのは考えものだな…と小林に語りかける。

小林の方も、松ちゃんは良いとしても…と口ごもるのだった。

それから退院した松木は、スキーや海水浴、金魚売りなど風物ばかり写すようになっていた。

会社では、ドンちゃんと川崎が、1万3000とか2万だそうだなどと話し合っているので、何事かと仲間が聞くと放射能の雨の話だった。

そんな所に雨に濡れ戻って来た松木は、関口が電話を受け、調布で花火工場が爆発したという知らせを受け、仲間たちが一斉に出かける姿を寂しげに見送っていた。

そんな中、山田に仕事を褒められた原が、松木に一身上のことで話があると近づいて来る。

マサ子との結婚話かと思っていた松木だったが、原はテレビに行こうと思っていると言い出し、正直に言うと金なんです。自分は生活を大切にしたいんですと言う。

君は大学出ているから何でも出来るよ。俺なんかこの仕事にしがみつくしかないんだと自嘲する松木に、原は、松木さんを尊敬していますと告白する。

それを聞いた松木は、今の俺に何か一文の価値もないよと吐き捨てるが、その時、新宿で三重衝突という電話が飛び込み、原は出かけて行く。

ある日、アパートでふて寝していた松木は、隣から聞こえて来る「お富さん」のレコードの音量に苛ついていた。

隆が、本を読んでくれとせがむが、母ちゃんに読んでもらえと相手にせず、食事の準備をしていた久美子から文句を言われる。

隣がうるさいと文句を言うと、金へんで儲けたらしく、明日ここを出て行く前祝いをやっているんでしょうと久美子はいう。

ますますいら立つ松木は、雨が窓際にしみ込んでいるじゃないか!と気づき、俺だって一生懸命働いているんだ!と癇癪を起こしたので、隆が泣き出してしまう。

久美子は、何か面白くないことがあったって、子供に当たらないで!と注意したので、気を取り直した松木は、隆を呼び寄せ膝に抱くと、「雨雨降れ振れ父さんが…♬」と歌を教え、「違うよ、母さんが…だよ」と隆に訂正される。

翌日、松木は国会詰めに配置換えになる。

その日は、教育法案可決をめぐって、与党が強硬突破をするため、野党が廊下に押し出されている状況だった。

予備隊のニ個中隊が国会に向かったという知らせを受けた山田は、永田町台風さと笑う。

松木は、後藤の背中に肩車になり、廊下で衝突した野党と与党の議員たちの様子を写し始める。

いつの間にか、後藤の肩から転げ落ちた松木は、気がつかないうちに議員の背中にまたがっていた。

その日、久美子は、幼稚園に上がる隆のために、靴に名前を書いてやっていた。

そこに、上機嫌の松木がバターやキャラメル牛肉などを土産に持ち帰って来て、今日はステーキだというと、台所で自らフライパンで焼き始める。

何かあったの?と聞く久美子に、国会詰めになったんだ。今日は後藤さんに肩車して撮ったんだ。胸がすーっとしたよと夢中で語る松木。

そんな夫の様子を観ていた久美子は泣き出し、あんたってやっぱりそう言うことなのね。小林さんが言っていたことやっと分かったわと言い出す。

何のことか分からない松木が唖然として話を聞いていると、メーデーで怪我をした時、私余計なことを言ったの。もう良いの。何でも好きなことやって…と久美子は打ち明ける。

それを聞いていた松木は、次第に事情が飲み込めたのか、俺はずっと風物ばかり撮らされていたんだぞ!と怒鳴りつけると、ステーキをフライパンに入れたまま部屋を飛び出して行く。

後日、報道映画社では、4人のキャメラマンの送別会が行われていた。

中央テレビに移籍する関口と中西、そして原は東京テレビ、玉置は、札幌支社への転勤だった。

山田と小林が簡単な挨拶と乾杯の音頭をとり、その後、飲み屋で二次会をするが、終始松木は寂しげだった。

酔った企画委員の長谷川(佐伯徹)が、原にニュースや根性だよと絡み付くが、後藤が、皆寂しがり屋なんだよと長谷川をなだめながら、若い連中は三次会へ向かう。

残った川崎、ドンちゃん、小林は、自分たちも三次会をやろうと松木を誘って同じテーブルに座る。

小林は元気のない松木に元気を出せよと励ますが、松木は、何故僕は事件ものから外されたんですか?女房が何か言ったからですか?と聞く。

女房の希望で配置換えが出来る会社なんてないよ。僕だよと小林は答える。

ニュースが記録と思っているうちはダメだ。本当のニュースキャメラマンになって欲しいんだと小林はいう。

テレビが発展すると、速報と言う点ではやがて太刀打ちが出来なくなる。君のニュースには迫力や驚きはあるが、感動がないと指摘する小林の言葉を聞いた松木は、ますます考え込むのだった。

翌日、松木は、モク拾いの衣装を着て社に現れる。

その後の赤線というテーマどうでしょう?これで真実の人間を撮るんですと披露したふろしき包みの中の箱の中にはキャメラが仕込んであり、隠し撮りが出来ると自慢する。

山田の指摘を受け、顔もその場で汚す松木の熱意には、周りの仲間も笑うしかなかった。

水月楼の前で、モク拾いの真似をしていた松木は、路上に立っている娼婦を写そうとするが、地回りらしき連中に小突かれてしまう。

それを観ていたチャイナ服姿の娼婦(塩沢とき)が、松木を新顔だと思い込み、この辺ヤバいよ。モク拾いにも縄張りがあるからねと注意すると、水月楼に呼び込み、自分が出前を取ったらしきラーメンを食えと勧める。

空腹ではなかった松木だが、バレてはならじと、無理にラーメンをすすり込んだので、よっぽど腹を空かせていたんだねとその娼婦に同情されてしまう。

その直後、客引きを始めたその娼婦の様子を、松木は持っていた隠しカメラでしっかり写すのだった。

その後も、洞爺丸沈没、相模湖の内郷丸遭難事件、第五福竜丸で被爆した久保山さん死去、吉田内閣総辞職、鳩山内閣成立などの事件、ニュースが続く。

報道映画社内部では、ニュースに死体を出すことの是非について話し合っていた。

色々批判が出て来たからだった。

人災の場合は、警告の意味も含め、死体を出す。天才の場合は避けるということで波動だろうと山田が提案するが、ドンちゃん等から、人災と天災の区別なんて付きにくいし、そんなこといちいち気にしていたらニュース映像なんて撮っていられないよとの反論が出たので、後は編集部任せということになる。

その後、毎朝新聞が、孤児をテーマに組んでみたいと言っているがと山田が話、誰をキャメラマンにするかと相談すると、その場で小林が松木を推薦する。

松木もやらせてみて下さいと願い出る。

福田会という孤児院を、長谷川と共に取材することになった松木は、施設の子供たちにキャメラを向け始める。

そんな中、保護司(野村昭子)の女性に連れられた1人の少女が施設に連れて来られる。

こうした子の中には、1週間くらい口をきかないことも多く、今はこの施設だけで50人くらいを預かっていると言う。

自分の年の名前も知らない子。

出かける時、いつも戸棚におやつを入れて働きに出かけた母親が亡くなったという子は、今も、棚の中におやつを入れてやらないと食べようとはしない。

食事を皆で一緒にとる様子を窓から撮る松木。

その足下には、病気なのか、1人寝ている子供がいる。

そんな中、正二くんという子供が面会室に呼ばれ、自分の子供ではないかと会いに来た両親と面会するが、右の脇に赤い痣があると言う特長を調べようと、子供の服を脱がせた母親は、痣がないことを知り、落胆で泣き崩れる。

正二くんというこの方も、面会室で1人寂しげに椅子に座り続けるのだった。

そのニュース映像を映画館で観た久美子は、自分だけではなく、周囲の観客たちも泣いているのを確認し、連れて来た隆とともに帰路につく。

すると、新橋不動産屋から出て来た松木とであったので、良いニュースね、私見直しちゃった。あなたが夢中になっているのが分かるわと素直に今観て来たニュース映像のことを褒める。

隆が、母さんは2回も観たんだよと松木に教えると、嬉しそうな松木は、土地が見つかったので、契約金を払って来た所だ。坪1000円で60坪。池袋の端の方だと久美子に報告する。

鉄道をまたぐ橋の上に、隆を追って来た松木は、今6万払っちゃうと、家建てるの、ずっと先なんだと笑うが、久美子は、今日は良い日ねと微笑み返すのだった。

昭和31年11月8日、南極に向かう「宗谷」の取材にキャメラマンたちは駆り出されるが、ポンちゃんが気がつくと、自分の分のフィルムも取っていった松木が、岸壁を離れ始めた「宗谷」の船上から撮っていることに気づく。

松木の方も途中で船が離れたことを知り、慌てて甲板に降りるが、南極へ同行する川崎キャメラマンと遭遇し、君の仕事は立派なものだよと褒められる。

結局、松木のためにタグボートを呼んでもらうことになる。

その後、松木はようやく念願の一軒家を建て、そこに引っ越す日がやってくる。

子供たちのために、ささやかな庭先にはブランコが作られていた。

原たち、仕事仲間も引っ越しを手伝ってくれ、やがて、久美子と2人で、部屋の中の片付けを済ませると、もう雨漏りもしない。洗面器も必要ないと感激する久美子に、まだまだこれからだと励ます松木も、いつしか涙ぐんでいた。

賑わうキャバレーの映像

報道映画社では「戦後十年史」と言うニュースフィルムを編集終え、試写を行っていた。

東京メーデー、朝鮮戦争の結果38度線を堺に南北分裂した朝鮮、果てしないインフレ、迫り来る餓えとの戦い、下山事件、そして再建への道…

戦後十年、原爆を受けた広島、70年間は草木も生えないと言われた土地に咲く朝顔

そして、「安らかにお眠りください。あやまちは繰り返しませんから」と書かれた原爆慰霊碑の除幕式

観終わった山田は、色んなことがあったねと感慨に耽る。

小林も、良くここまでやって来たものだと呟く。

その日はクリスマスだったので、全員町へ繰り出そうとする中、松木だけは、坊主にプレゼントをせがまれているもんでと言いながらまっすぐ帰宅することにする。

そんな松木に、山田は、来年からチーフになってくれ。南極へ行った川崎も強く君を推薦するんだと伝える。

そして手渡された毎朝新聞宛の手紙を開くと、中から子供が書いた手紙が出て来て、ニュース映画のおじさん、僕は3つの時、お母さんがいなくなりました。でも、親捜し運動のニュースを観て、僕と会いたくてたまらなくなり、会えることが出来ましたという感謝の手紙だった。

小林は、新聞社にニュース映像を撮ったおじさんを捜してくれと依頼があったそうだよと教える。

さらに封筒の中には、施設でオルガンを弾く先生や手をつなぐ子供たち、それをキャメラで写す松木の姿が描かれた子供の絵が入っていた。

山田は、松ちゃん、これで君も本物だと褒め、その絵は、他のキャメラマンたちにも見せるため、壁に貼ることにする。

その日、子供への土産を買って帰る松木は上機嫌だった。

本物か…と、自分で言ってみる。

帰宅すると、子供2人は既に寝ていたので、明日は9時までに引揚げ列車取材のため品川駅に行かなければいけないと久美子に伝え、プレゼントは風呂の煙突の側に下げておくことにする。

隆も8つになり、小学生になることを改めて松木は考えていた。

品川駅で小林さんと会ったのが、もう10年も前だぞと、自分が引揚げて来たときのことを思い出す2人。

石ころだらけの道を、リヤカーで引っ越した時、いつまで経っても家が見えなかったときは哀しかったわと久美子が思い出すと、そんな道、ず〜っと歩いて来たんだと答える松木。

ほんの少しずつだけど、僕等も進んでいるんだな…と呟いた松木は、急に声を張り上げて、来年から俺、チーフキャメラマンだと報告する。

10年間の苦労がやっと認められたんだ。これからもレンズを通して社会に飛び込んで行きたいよと張り切る松木に、あなたはそうじゃなくちゃと励ます久美子。

気がつくと、クリスマスプレゼント用に、久美子が編んだ、親子揃いの毛糸の帽子があることに気づいた松木は、自分用の帽子をかぶってみる。

その時、子供たちが目を覚まして来たので、2人にも帽子をかぶせ、プレゼントを探させる松木。

サンタさんはどこから来るか考えてごらん?お屋根から煙突を通っては言って来るのですと言うヒントで煙突がある風呂場だと気づいた子供たちは、そこに下がっていた大きな靴下の形のプレゼントを発見する。

中には、自動車の玩具が入っていた。

早速廊下で遊ぶ子供たちの様子を、松木はいつまでも愉快そうに見つめていた。

翌朝、久美子手作りの帽子をかぶった松木は、品川駅で、東京ニュースの記者たちと合流。

早速、ホームにいたシベリアのスーチンから帰って来るという父親を待ちわびる親子などにインタビューし始めた松木は、その内線路内に降り、自分なりのキャメラ位置を探し始める。

やがて、引揚げ列車が遠方からホームに到着し、松木は夢中でその映像を映し始めるが、背後から接近して来る電車に気づかなかった。

線路に座ってキャメラを回していた松木は、電車にはねられてしまう。

しかし、ホーム上では、感激の対面シーンが繰り広げられており、誰も松木がはねられたことに気づかなかった。

線路の脇には、まだゼンマイが廻っているキャメラが落ちていた。

葬儀の後、2人の子供たちは、相変わらず無邪気に遊んでいた。

報道映画社の方でも、元の忙しさが戻って来ていた。

山田は電話で、外房で転覆事故の方を受け、ドンちゃんたちが出かけて行く。

壁の出欠表には、まだ「松木徹夫」の名を記した木札が残されていた。

「1957年度ブルーリボン授賞式」

亡くなった松木は特別賞を受賞し、妻の久美子が代理で表彰式に出席していた。

原は、そんな授賞式の様子を撮っていた。

会場には、山田、小林、飯田マサ子らも出席していた。

賞状を受け取った久美子は、挨拶を求められ、子供たちも父親のことを誇りに思って生きていけるとするながら、それは皆様から送られた暖かい愛情のお陰だと思いますと頭を下げる。

壇を降り、下で待ち構えていた山田や小林と合流した久美子は、壇上で懸命にキャメラを回す原の姿に松木の姿をだぶらせ、松木も生きていたら、ああだったでしょうねと呟くのだった。

壇上の原の姿は、いつしか笑顔でキャメラを回す松木の姿になっていた…