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聯合艦隊司令長官 山本五十六
-太平洋戦争70年目の真実-

一山本五十六の賛美とか反戦映画と言うより、思慮浅く、喉元過ぎれば熱さを忘れる付和雷同型の人間が多い、日本の大衆やマスコミへの警鐘映画のように思える。

今は、戦後と言うより、戦争の教訓が風化してしまった時代、又戦前の思想が芽生え出している危険な時代になりつつあるのではないか?と言う風にも取れる、なかなか意義深い作品になっている。

このマスコミや大衆への警鐘は、戦争だけに限った事ではないはずだ。

何事にも通用する国民性批判であり、真摯に耳を傾けねばならないテーマだろう。

そう言うテーマ性を浮き彫りにするための作品だけに、派手な戦闘アクションなどはほとんど描かれていない。

CGを使ったロングショット多様の画面作りは、アラは目立たないものの、やや迫力不足とも感じるが、元々、そう言う戦争見世物を目的としているのではないので特に気にはならない。

地味と言えば地味かもしれないが、決して退屈する事もなく、大人が観るには十分な見応え感はあると思う。

ただ一つ気になったのは、山本五十六のブーゲンビル上空での最期のシーン。

東宝5.15シリーズの三船敏郎主演版「連合艦隊司令長官 山本五十六」(1968)のラストシーンとほとんど同じなのだ。

銃撃された機内で山本長官があのような姿をしていた事は誰も観ていないはずで、フィクション演出だと思うが、やはりあの形以外に違った演出は出来なかったと言う事だろうか?

一種のオマージュのつもりなのかもしれないが、特に本作は、三船版のリメイクなどではないはずなので、同じ演出にする意味があったのだろうかと、妙に気になった。

▼▼▼▼▼ストーリーをラストまで詳細に書いていますので、ご注意ください!▼▼▼▼▼

2011年、「山本五十六」製作委員会、長谷川康夫+飯田健三郎脚本、成島出監督作品。

少年時代の山本五十六が、正座をして、仏壇を観ている。

彼の祖父は、戊辰戦争の経験があると親戚の男たちが話している。

その時、長岡は三日三晩焼かれて灰燼と化したそうだ…

少年五十六は、炎上する長岡の町を観ている気持ちになる。

あれから2、30年…

タイトル

海軍省の入口前に行進して来た陸軍の兵隊たちが、門の中に向かって銃口を構えたので、海軍の連中は騒然となる。

山本五十六(役所広司)も、その様子を二階の窓から眺めていた。

井上成美軍務局長(柳葉敏郎)が、横須賀の陸軍部隊は、日独伊軍事同盟への参加に消極的な海軍にいら立っているのだと五十六に教える。

そこに、米内光政海軍大臣(柄本明)もやって来たので、五十六は、今日は良からぬ所へ行かれませんようにと忠告し、米内もそれに従うと言い残して帰って行くが、五十六と井上は、あれはいつものように行くに違いない…と意見の一致を見る。

そんな五十六に会いに来たのは、東京日報の主幹宗像景清(香川照之)と新人記者の真藤利一(玉木宏)だった。

宗像は、海軍の弱腰に疑問を呈し、今の日本に渦巻いている不満を解消しないと、3年前の226事件のようなことが起きるのではないかと提言する。

今こそ、中国大陸での日本の正統な権利を邪魔するアメリカを打ち負かすときではないですかと熱弁する宗像に、五十六は落ち着いて、打ち負かせますか?と問いかける。

アメリカと日本との国力の差は歴然としていたからだ。

しかし、宗像は日露戦役での勝利を例に出し、国力の差があっても勝てると言う。

五十六は、努めて冷静に、あの時のロシアは革命の最中であり、特殊な状況下での勝利だった。今は国を賭けて勝負する時代ではなく、外交によってなされるべきであり、最終手段として戦争がある。むやみにこの国に惨禍を招いてはいけないとの持論を披露する。

それでも宗像は負けまいと、世論が戦争を求めていると反論するが、閉塞感をあおっているのはあなた方ではないか?世論とは、国民の真の声なのでしょうか?と五十六は疑問を口にする。

新聞社に戻って来た真藤は、同僚の秋山裕作(袴田吉彦)に、海軍省内ではまだ戊辰戦争が続いていると教える。

薩長出身者などが、互いに牽制し合っていると言う意味だった。

その中に混じる長岡出身の山本五十六が気苦労しているらしき事も真藤は感じていた。

真藤は、自ら編纂している「大日本帝国戦史」を読んでみる。

昭和12年支那事変勃発

ヒトラー、日独伊同盟の締結を呼びかけるが、日本国内で唯一反対していたのが海軍だった。

当然、米内、井上らに辞職要求が起きる。

後日、海軍省内部でも、なぜドイツと組まないのか?と井上に詰め寄る士官たちがいたが、五十六は、ヒトラーの「我が闘争」を全部読んだか?そこには、日本人は想像力のない劣等民族であるがドイツの手先に使うなら小利口であると書いてある部分が削除されて出版されている事を知っているのか?何事も大元までたどらんと…と注意する。

その後、ドイツはソ連と不可侵条約を締結する。

新藤が利用している小料理屋「志津」で、女将(瀬戸朝香)相手に一人飲んでいると、常連客のダンサー神埼芳江(田中麗奈)が厚化粧のままやって来て、戦争すると景気が良くなるの?と、そんな話題を話していた他の酔客に聞く。

酔客は、アメリカをやっつければ良いんだなどと無責任な発言をして喜んでいた。

山本五十六は、連合艦隊司令長官を命じた米内海軍大臣に、自分の今の仕事を継続させて欲しいと願い出ていた。

しかし、米内海軍大臣は、久しぶりに、風に当たって来ると良いと言うだけ。

退室した五十六は、ドアの外で待っていた井上軍務局長から頭を下げられる。

五十六は、君のお陰で三国同盟への加盟を免れてこれたと感謝するが、井上軍務局長は、支那方面に転属になります。これまでお世話になりましたと挨拶して来る。

山本五十六は、同期で盟友の堀悌吉海軍中将(坂東三津五郎)と自宅でスイカを食べながら、お前が司令長官をやってくれないかと頼むが、首になって5年になる自分なんかが代わってやることは出来ないとあっさり断られる。

五十六は、海に出るのは5年振りだった。

昭和14年9月 ドイツ、ポーランド侵攻、それに対し英仏は宣戦布告

新藤は必死に記事を書いていた。

昭和15年5月 ドイツは突如、オランダとベルギーに侵攻を開始、パリがあっさり陥落する。

こうした世界情勢の中、日本ではますます、三国同盟を求める声が高まった。

こうした世論は海軍の中にまで影響し、黒島先任参謀(椎名桔平)は、大和さえ出来れば…と悔しがり、空母赤城艦内での食事の時に仲間と口論になりかけるが、五十六のイワシ旨いなの言葉で、その場は収まる。

その時、五十六の前に「水饅頭」が出されたので、甘党の五十六は驚きながらも喜ぶ。

食堂に入って来たのは、同郷出身の零戦パイロット牧野幸一(五十嵐隼士)で、赤城の専攻部隊に転属になったと挨拶し、その「水饅頭」は故郷から送って来たものだと言う。

「水饅頭」とは、塩小豆が入った酒饅頭を椀の中の水に漬けた上に多量の砂糖をかけて食べる長岡の郷土名物だった。

翌日から、牧野の新人パイロットの実地訓練が始まる。

有馬と佐伯と言う新人に、飛びながら戦闘の基本を教え込む牧野。

牧野はその後、米百俵の話を聞かせ、人の上に立つ者は、絶えず未来の事を考えろと諭す。

その頃、五十六は三宅義勇作戦参謀(吉田栄作)と将棋を指しながら、日露戦争では10万人の死者が出たのに、国民や新聞は、そうした事実を簡単に忘れると嘆いていた。

しかし、「東京日報」では、宗像主幹が、三国同盟締結への檄文を書いていた。

海軍省でも、吉田大臣の後任大臣が、もはや海軍の弱腰に付き合うべきではないとの意見が強まった事を背景に、三国同盟締結に賛同するよう会議で迫る。

そんな中、1人立ち上がった山本五十六は、米国と日本との国力の差を示し、鉄、石油を依存している米国と戦えば、兵器の増産も出来なくなると説明し、対米戦が可能と言う根拠を示して欲しいと迫り反論する。

その直後、黒島先任参謀は、山本長官より至急電を受け取る。

電文は、「作戦準備開始すべし」だった。

久々に自宅に帰って来た五十六は、妻禮子(原田美枝子)と子供たちと共に夕餉を囲むが、父親らしく、長男に食事の作法を教えたり、魚を子供たちに切り分けてやったりする。

その後、再び、東京日報の宗像と新藤が、五十六に会いに来て、国防とはと言う質問をするが、五十六は、国力を育て、外交手段により戦争を避くることが国防であると言う加藤友三郎元総理の言葉を引用する。

それを聞いた宗像は、しらけたようだった。

しかし、その後、日本は三国同盟を締結する事になる。

赤城の中で、自分の零戦の操縦席に誰かが乗っている事に気づいた牧野は誰何しながら近づくが、それが山本五十六であると知ると緊張する。

五十六は、これでモナコに行けないかな?カジノと言うのがあるそうだと語りかける。

そんな五十六に、昔は、徳川の恩に報いたそうですが、今は何の恩に報いれば良いのでしょう?と牧野が問いかけると、五十六は、我々を生んでくれた親であり、育んでくれた国土、この日本のために尽くさねばならんと言う事だねと言い聞かせる。

その頃、黒島先任参謀は、必死に作戦を書いていた。

ある日、五十六と同期で赤城艦長の南雲忠一航空艦隊司令官(中原丈雄)が会いに来る。

五十六は、飯でも一緒に食わんか?と誘うが、引き継ぎがあるのでと、南雲司令官はすぐに赤城に戻って行く。

東京日報で、新藤が同僚たちに、山本五十六と南雲忠一が互いに相容れない性格であると言う事を説明している時、電話が鳴り、ドイツがソ連との不可侵条約を破棄したとの知らせが入る。

この思わぬ展開に忙殺され、宗像主幹が山本五十六とのインタビューに来れなくなったと詫び、一人会いに来た新藤は、ドイツが北方の敵を倒せば、同盟国である日本も有利になるのではないかと五十六に聞くと、五十六は、その目的地はどこかね?と逆に問いかけて来る。

新藤は、大東亜共和圏ですと即答するが、五十六は冷めたように、本当にそんな所があるのなら行ってみたいと皮肉る。

インタビューを終え、帰りかけた新藤に、五十六は、これからの若いものは、目も耳も心も大きく開いて広い世界を観なさいと忠告する。

黒島先任参謀は、黙々と作戦計画を練っていた。

社に戻った新藤も又、必死に記事を書いていた。

その後、会議の席において、ドイツが欧州で勝てば、戦いが終わる可能性があるとの報告が上がる。

永野修身軍令部総長(伊武雅刀)は、戦はやってみないと分かりませんよとうそぶく。

ある日、赤城の五十六の元に、飛龍の山口多聞艦隊司令官(阿部寛)が挨拶に来る。

山口は、やはり止まりませんか?と尋ね、五十六は、止まらないな。いつから海軍は戦争を好むようになったのだろうなと答えるが、山口は、変えて下さるのは長官であると信じておりますと伝える。

牧野は、赤城甲板上で佐伯らに始動していたが、そこにやって来た五十六と山口が声をかけ、牧野の部下たちの出身地を聞く。

山口と鹿児島だと言うので、五十六は苦笑し、薩長と長岡が協力してくれと山口と共に激励する。

やがて、東條英機が総理大臣になり、新藤が食事をしていた小料理屋「志津」では、客たちが、これで現役の陸軍大将が大臣だと愉快がっていた。

そんな浮かれた客たちを前に、女将は、うちの甥は、昨年、支那で死んだわ…と戦争の愚かしさを口にする。

東京日報の真藤は秋山に、山本五十六の人生は、そのまま「大日本帝国戦史」に重なるようなものだと説明しながら、五十六は昔、左手の指を2本欠損している傷痍軍人である事も明かす。

そしていよいよ、永野修身軍令部総長に呼ばれた山本五十六は、開戦を命じられる。

その後、五十六は一人寂しげに長岡甚句を歌いながら、これが天なり名と言えども、情けなきことなれども、運命とは過酷なもんじゃ…と考えながら、日記を書く。

ある日、五十六の元にやって来た黒島先任参謀は、作戦の概略がまとまったと言いながら「真珠湾攻撃」と書かれた計画書を差し出す。

作戦会議が行われ、この「真珠湾攻撃」作戦を提出するが、南雲は、南方の油田を撃つべきだと反論する。

しかし五十六は折れず、この作戦は博打ではない。緒戦で叩くのは敵の空母だ。空母が日本に近づけば、本土の空が危ない。早期講和以外に日本が生き残るすべはない。刺し違える覚悟で敵の全てを潰す。失敗すれば日本は負けると断ずるのだった。

その一方、永野修身軍令部総長は南雲を呼び出すと、戦艦を一隻たるとも沈めてくれるなと頼む。

その日、自宅に帰って来た五十六は、祝の意味か鯛を買っている事を知るが、妻の禮子が風邪で臥せっていると言うので、子供たちとお膳を禮子の寝ている部屋まで運び入れ、そこでみんなで一緒に夕食を取ることにする。

しかし、その日の夕食に出された鯛に手を付けるものは誰一人いなかった。

その夜、禮子の寝ている部屋にやって来た五十六は、昔、拝領された懐中時計を禮子に手渡すのだった。

受け取った禮子も、その意味する所は分かっていた。

その後の作戦会議で、黒島先任参謀は、真珠湾の指令は「ニイタカヤマノボレ」だと知らせる。

五十六は、緒戦の後講和が成功すれば、全員直ちに帰って来るように通達するが、これに南雲が反対する。

しかし五十六は、守れなければ、今すぐ辞表を出せ!と全将校たちに命ずる。

さらに五十六は、民間人の居住区を攻撃してはならんことと、特殊潜航艇作戦は認めるわけにはいかないとも通達した後、アメリカへの最後通知だけは間違いないようにやるように確認させる。

武士たるもの、夜襲をかけるときも、敵の枕を蹴り、起こしてから斬るのが筋、最後通知なく攻撃すれば、日本の名が泣くからな…とつぶやく。

12月8日

ハワイに向かって飛び立った牧野以下、第一次攻撃隊は、上空から真珠湾に攻撃を加えながらも、肝心の空母がいない事を知る。

しかし、赤城にはハワイより「トラトラトラ(我、奇襲に成功せり)」を入電する。

山本五十六は、藤井政務参謀に、最後通牒は攻撃前に確実に届いているだろうな?と再度確認する。

赤城に帰還した牧野は、部下の1人、小池が戻って来ない事を案じていた。

第一次攻撃の不十分さを感じた山口多聞は、第二次攻撃の必要ありと具申するが、赤城よりの返信はなかった。

南雲も、全艦隊無傷で帰還するため、反転する。

黒島先任参謀は再攻撃するよう提言するが、五十六は、ここは南雲の判断に任せようと答え、泥棒だって、帰り道は怖いよと冗談を言う。

奇襲成功の報を受けた永野軍令部総長は、万才と歓喜に沸く部下たちを前に、空母はいなかったか…とつぶやく。

しかし、この奇襲成功の知らせに、日本中が沸く事になる。

五十六は、アメリカ大統領ルーズベルトの、1941年12月7日は、日本による宣戦布告なき奇襲攻撃は、屈辱の日として歴史に残るだろうと言うラジオ放送を聞き驚く。

日本からの最後通牒は、攻撃1時間後にアメリカ側に伝えられた事が分かったからだ。

藤井政務参謀は、外務省からの最後通牒は、確かに事前にアメリカの日本大使館に伝えられたが、通訳などに手間取ったようだと苦しげに弁解する。

その不手際を知った参謀たちは激怒するが、五十六は黙って、将棋盤を持つと艦橋の外に出て行くと、苦しい戦いになるだろう…と心の中で考えるのだった。

小料理屋「志津」でも、常連客たちが真珠湾攻撃を大喜びしていた。

その後、五十六は、姉高橋嘉寿子(宮本信子)からの手紙を、干し柿の差し入れを嬉しそうに食べながら読んでいた。

雪深い自分の村でも、五十六の武勲は伝わっており、村人から礼を言われると言う内容だった。

東京日報では、草野嗣郎(益岡徹)が、シンガポール陥落などの記事を前に、これで売上が伸びるぞと大喜びしていた。

しかし、堀中将などは、五十六を前に、真珠湾は大失敗だったなと正直な感想を述べていた。

これで、アメリカ側は、日本を討つ大義名分が出来たと言う事だからだ。

五十六は、やるんだったら、もう一回ハワイをやると決意していた。

アメリカが体勢を立て直すのは、そう時間を擁しないだろうと予測していたからだった。

堀が、お前は国民に取って神様みたいなものになったらしいなとからかうと、五十六は、神様なら最初から戦争などやらんと真顔で答える。

やがて、東京日報の宗像主幹と新藤が、五十六へのインタビューにやって来るが、宗像は手放しの上機嫌振りで、次なる戦略について聞いて来る。

しかし、五十六が次の段階として希望していたのは講和であり、始めた戦を終わらせるのが、軍人の最も大切な勤めなのです。世論や新聞がどう言おうと、国を滅ぼしてはいかんのですと述べると、宗像はしらけて席を立って帰る。

その後を追って席を立った新藤は、先日の個人インタビューの事を感謝する。

そんな新藤に、五十六は、世界を良く見る事だとアドバイスする。

赤城から、三宅参謀を伴って町へ出た五十六は、幼女と老婆が2人でやっている甘味所に入り、汁粉などすするが、お代わりをしようと丼を幼女に差し出した時、指の2本ない左手を見せてしまったため幼女は驚く。

すぐに自分の失態に気づいた五十六は幼女に詫びるが、その幼女が古びたリボンを髪に付けている様子を目にする。

黒島参謀は、次なる「ミッドウェイ作戦」をまとめたものを五十六に提出する。

これで、敵の空母が出て来ると言うのである。

東京日報では、この新しい作戦についての情報が漏れている事に新藤は首を傾げていた。

真珠湾の時は、一切、情報が流れていなかったからだ。

その時、突如、空襲サイレンが鳴り響き、東京に敵の空襲が始まる。

それを知った五十六は、房総沖に飛行場(空母)が出来た訳か…と察知する。

空襲での被害をつぶさに撮って来た写真を新聞社で観た新藤は、これが空襲か…と唖然とする。

その後、永野軍令部総長は、又、南雲司令官を呼ぶと、次回作戦では南方に前線基地を作る事を優先するよう、個人的に指示を与えていた。

作戦会議が始まり、敵の空母など来ないと言う参謀もいたが、敵の空母を叩くつもりの五十六は、赤城の攻撃機の半分には魚雷を抱かせておくように。日本の上空に敵機を飛ばせてはいかんと力説する。

かくして「ミッドウェイ作戦」は始まり、悪天候の中、南雲機動部隊は出撃するが、先頭を切った赤城艦橋では、南雲を取り巻く参謀たちが、空母など来ないので、攻撃機には全部、陸用爆弾だけで十分であると南雲に進言していた。

しかし、第二航空戦隊飛龍上の山口司令官は、匂うな…、空母はおるぞとつぶやいていた。

その後、偵察していた潜水艦から空母発見の方が五十六の元にもたらされるが、それは南雲も傍受しているはずだし、今通信しては、こちらの位置を敵に悟られてしまうので連絡は見送られる。

ミッドウェー島に近づいた航空隊から、空港に敵機がいないと言う連絡が入る。

敵に気づかれていたのだ。

南雲は、もう一度空母がいないかどうか参謀に確認するが、心配無用との答えが帰って来ただけだった。

その後、天候が回復。

五十六は、雲が晴れたら、空から南雲たちの船は丸見えだと案じながらも、三宅参謀を将棋に誘う。

赤城の艦橋では、参謀長が第2次攻撃機を発進させるよう南雲司令官に進言していたが、その時、敵空母発見の報が入る。

山口司令官も、第2次攻撃の必要ありと赤城に発信するが、南雲は攻撃機に取り付けていた陸用爆弾を嫌いに転装するよう命じる。

第2次攻撃隊に機雷を転装し終え、発信命令を出した直後、敵機が長門上空に飛来、たちまち攻撃を受ける。

山口司令官は、刺し違えても、敵を一隻でも沈めなければ、末代までも嘗められるぞと、航空艦の指揮を執る事にする。

山本五十六は、三宅参謀と将棋を指しながら、次々と入って来る山積も空母を失ったと言う報告を聞いていた。

ヨークタウン攻撃中、沈没間近の飛龍艦上では、山口司令官が、この体験を生かして強い海軍を作って欲しいと部下たちに伝え、形見として帽子だけを託すと、部下たち全員を船から下し、自分だけ飛龍と運命を共にする。

その報告を聞き届けた五十六は、ちょうど、将棋を詰んだ所だった。

作戦に失敗した黒島は宇垣纏参謀長(中村育二)に夜襲をかけるよう進言し、それが受け入れられないと知ると泣き出すが、そこにやって来た五十六は、黒島もう良いと慰め、日本に帰ろうと告げる。

黒島参謀は又泣き出す。

その後、五十六に南雲司令官が会いに来たと知らせに来た三池参謀に、五十六は、南雲を責めるなよと言い聞かせる。

南雲と一緒に、黙って茶漬けをすする五十六だったが、南雲司令官は、泣きながら茶碗を手にするのだった。

東京日報では、ミッドウェイでの戦況が、あたかも日本が勝ったかのように書かれていたが、証拠写真は一枚も掲載されていなかったこともあり、小料理屋「志津」に来た新藤は沈んでいた。

日本に戻って来た五十六は、又、前に立ちよった甘味所に来るが、応対に出て来た老婆は、申し訳なさそうに、配給の小豆も砂糖もないので店を閉めていると言う。

それを聞いた五十六は、寂しげな表情になるが、買って来たリボンを、幼女に渡してくれと老婆に手渡すのだった。

東京日報の新藤は、その後、ガダルカナルに投入された海軍。トラック島に戦艦大和が碇を下ろしたなどのニュースなどを注視していた。

米内光政と会っていた堀悌吉は、いくら資源が豊富な南方を占拠しても、日本へ物資を運ぶ輸送船を次々と沈められたのではどうしようもないと言う愚痴を聞かされていた。

やっぱり講和のチャンスはシンガポールだったと言う大臣に、堀は、山本は講和に持ち込むのを諦めておらんでしょうと聞くと、大臣も、そうだね。山本君は諦めんねと答える。

そんなある日、山本五十六の元に、井上成美が江田島の教官に推挙してもらった礼をしに来る。

五十六は、兵学校には君が必要であり、若い力を作ってくれ。頼んだぞと励ます。

戦艦大和の中での会議で、門倉司令官が何故総攻撃しないのか?と提案するが、参謀長が苦しげに、油がないのだと教える。

五十六は、海軍に陸軍に対して責任がある。ガダルカナルの将兵たちを救う撤退作戦を成功させるのだと指示する。

それを聞いた門倉は、駆逐艦の護衛は自分にやらせて欲しいと進言する。

陸海空1万人の救出作戦は成功するが、門倉指令が戦死したと言う方が五十六にもたらされる。

東京日報では、海軍が「転進」と言う言葉を使った事へ違和感を感じていた。それは「撤退」のことではないかと思われたからだ。

そこに宗像主幹が来たので、新藤は、世間はミッドウェーが大敗だった事に気づき始めていますと進言するが、銃後の指揮を高めるのが我々の努めだろうと答える。

新藤は、そうでしょうか?と疑問を口にするが、全国民は一丸となって戦っていると宗像主幹は断ずるのだった。

昭和18年4月 連合艦隊司令部はラバウルに基地を移す。

新藤は、最近、「転進」の文字が増えた事に気づいていた。

戦争は短期決戦ではなく消耗戦になったが、誰もそれを口にするものはいなかった。

山本五十六は、戦死者名簿を読んでいたが、そこには馴染みの名前がいくつも載っていた。

戦争が始まって1年4ヶ月…

五十六は、作戦会議で、ソロモン、ニューギニアの敵兵力を撃滅する最後の決戦を行った後、戦力範囲を緊縮すると発言する。

事実上の撤退命令だったが、マリアナまで撤退した後、講和を目指すとしながらも、動揺する参謀たちを前に、前線基地は残す。隊員たちは捨て石になってもらうと五十六は発言する。

牧野たちが乗る飛行隊の出撃を見送る山本五十六。

牧野は、偵察飛行を終え、基地に戻ろうとしたとき、一瞬、太陽の光のまぶしさに目を閉じかけるが、その太陽を背にして敵機が急降下して来たので、避ける時間もなく撃たれてしまう。

牧野は最後、「母さん…」とつぶやき、墜落して行く。

「い号作戦」が終了し、マリアナに向かう連合艦隊。

その後五十六は宇垣参謀長に、18日の前線視察に自分が出向くと言い出す。

参謀たちは危険なので止めようとするが、こんな顔でも、観れば隊員たちは喜んでもらえる。ありがたい事だと五十六は譲らなかった。

その後も、三宅参謀が、小沢長官から、前線視察を止めるように、行くとすれば護衛も増やせと進言された旨、五十六に伝えるが、五十六はいつもの通りで良いんだと答えるだけだった。

ずいぶん若い奴が死んで行ったな…。日本の未来を背負うものが先に逝く。こんな老いぼれがまだ残ってな…、向うで会ったらどんな顔をすれば良いものか…と五十六は寂しげにつぶやく。

一方、東京日報の宗像主幹の元に、坊主頭になった新藤がやって来て、山形歩兵連隊に入るよう知らせがあったと報告する。

宗像は、日本のために立派に戦って来い、新藤!と励まし、新藤は、行って参ります!と答える。

前線視察の前夜、参謀たちが、もう一度、五十六に翻意してくれるよう部屋の前に頼みに来て、部屋の前で躊躇していたが、気配で察知した五十六は中に入るよう促す。

すると、下戸のはずの五十六が、洋酒を飲んでいるではないか!

それを見た参謀たちは、五十六が何か決意をしている事に気づき、何も言わずに、一緒に酒をごちそうになる事にする。

宇垣参謀長が、いつも聞いていた五十六の長岡甚句のマネを始めると、五十六自ら、長岡甚句を歌い始める。

翌日、無線係が、長官が視察に向かうとの電文を打っていたので、上官があわてて止めさせる。

敵に、司令長官の動静を教えているようなものだったからだ。

結果、山本長官の行動は敵に筒抜けになり、暗号を解読されていた。

ブーゲンビル上空、バラレ基地へ後15分と言う時、敵機が山本機に襲いかかって来る。

パイロットは、緊急着陸しようとするが、すでにエンジンをやられており、山本五十六も、微動だにしない姿ながら、すでに息はなかった。

そのまま、長官機は、ジャングルの中に墜落して行く。

やがて、天応陛下の玉音放送があり、戦争は終結する。

焼け野が原になった東京に戻って来たのは新藤だった。

山本五十六が望んでいた講和とはかけ離れた形で戦争は終わった。

山本の家族も、皆正座して、玉音放送を聞いていた。

五十六がいなくなって、戦争をやめさせる人がいなくなりました…、新藤はそう考えていた。

我々は何に負けたのでしょう?我々は何を間違えたのでしょう?

50年後、100年後、その答えを国民が忘れるには十分な時間かもしれない。

東京日報では、宗像主幹が、何事もなかったかのように「民主化」の言葉を強調するよう部下に指示を与えていた。

誰よりも戦争を避けていた人が、戦いの火ぶたを切らなければいけなかった事を私は忘れません。

昭和12年、私たちはこの世界を良く見る事から始めなければいけないと思っています。

目と耳と心を開いて…

新藤は、復帰した新聞社の屋上から、廃墟と化した東京を観ながらそう考えていた。

在りし日の山本五十六は、じっと海を見つめていた…