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九ちゃん 刀を抜いて

コミック原作映画なのだが、原作者は、芸術家岡本太郎の父親岡本一平で、しかも、この映画化は、戦前から数えると4度目となる人気原作らしい。

さらに、主役の坂本九ちゃんと言えば、当時人気絶頂だったアイドル。

つまり、この映画は、アイドル映画でもある訳で、アイドル主演のマンガ原作もの企画と言うのは、この当時からあったと言う事になる。

坂本九は、これ以前にも、コミック原作の「アワモリ君」シリーズ(1961)に主演している。

本作も、「アワモリ君」シリーズ同様、劇中で九ちゃんが歌うオペレッタ時代劇みたいな作りなのだが、マキノ雅弘監督にしては、今ひとつ弾まない内容になっている。

さすがに、素材自体が古めかしい上に、歌舞伎調の演出などを取り入れているのも、今観ると、テンポを悪くしているように感じられなくもない。

時代劇なのに、チャンバラアクションがないに等しいのも物足りなく、コメディとしても時代劇としても中途半端な感じ。

一見、正月映画なのかな?と思わせるような雰囲気があるが、この作品、8月31日と言う真夏に公開だったようである。

民話の「三年寝太郎」を連想するような、超ものぐさ青年が主役なのだが、彼が江戸に出て来た途端、普通に歩き回る青年に変化しているのがまず不思議。

江戸一番の花魁高窓に見初められてからは、男としての責任感が芽生え…と言う展開は分からないでもないが、そこに至るまでも、それなりに三五郎は行動しているように見える。

高窓が、何の取り柄もない三五郎に惚れるのは、一見ナンセンスとして描いているようにも思えるが、「ダメンズが好きになる女」が今でもいるように、ダメな男を好きになる女と言うのは昔からいたはずで、そう言う現実を踏まえての発想のような気がする。

坂本九と同じマナセプロに所属していた九重佑三子も出演しているが、ラストシーンで歌う以外に、あまり見せ場はない。

このラストシーンで、九重佑三子などが言っている「沢庵で生き抜こう!」と言うのは、前年、テレビCMでヒットした弘田三枝子の「アスパラで生き抜こう!」とパロディではないだろうか?

水野十郎左に扮している大村文武は、東映版「月光仮面」で主役祝十郎を演じていた人。

豪快な唐犬権兵衛役を演じている東千代之介も珍しいが、登場シーンが少ないのが残念。

若き常田富士男が演じている出鱈目の半二などが観られるのは貴重かもしれない。

▼▼▼▼▼ストーリーをラストまで詳細に書いていますので、ご注意ください!▼▼▼▼▼

1963年、東映、岡本一平原作、城のぼる+吉川透脚色、マキノ雅弘監督作品。

江戸時代のとある茶店。

店に戻って来た母親お才(高橋とよ)は、枕元に置いてあるさといもに手を伸ばしているだけで起きようともしない息子の三五郎(坂本九)のものぐさ振りに、心底あきれかえっていた。

口にさといもを放り投げてやると、旨いもの食いてぇなと贅沢を言う。

一生懸命働いて、金儲けするんだねと諌めると、おらは、金儲けは好きだが、働くのは嫌いだと、寝たまま三五郎は答える。

父親の勧兵衛(水野浩)が出かけるので、何しに行くのかと三五郎が聞くと、今夜の米がないので、山に自然薯を掘りに行ったとお才は言う。

三五郎は、自分も人間が好きなものは同じように好きだが、その間の骨折りが嫌いなのだと言う。

おっ母、おらを生む時、働く骨を生み忘れたんじゃないか?とまで言うので、そんなはずがあるものかと否定しかけたお才だったが、そう言えば、あの時、豆を入れた鍋を気にしていたので、ひょっとすると、忘れていたのかもしれないなどと言い出し、泣き出してしまう。

それを、誰でも間違いはあると、寝たまま慰める三五郎。

ある日、三五郎が、美人絵を顔にかけて居眠りをしていると、わらじを買いに寄った旅人が、わらじをくれと声をかけるが、三五郎はどうぞというだけ、旅人は勝手に吊ってあったわらじを一つ取ると、金を出し、釣りをくれと言う。

それでも、三五郎が寝たまま、どうぞというだけなので、仕方なく、吊られていたザルの中から客が勝手に釣りを取って、首を傾げながら出て行く。

外の小川では、自然薯を洗いながら、勧兵衛が、三五郎にどうにかしてもらえないと、俺らは飢え死にしてしまうと嘆き、せがれを置いてわしらだけで夜逃げするかなどと提案するが、逆の話はあっても、そんな話は聞いた事がないとお才は呆れる。

三五郎に出来そうな商売は何かないだろうか?、せめてバカかか○わものだったらあきらめもつくが…と頭をひねる勧兵衛だったが、まずは大名か?などと言い出す。

茶屋のせがれがそんなものになれるはずがないとバカにしたお才だったが、三五郎は自分に似て器量よしなので、役者はどうか?と言い出す。

勧兵衛は、次は侠客だろう。侠客なら、とりあえず格好さえつけておけばどうにかなるだろう。江戸の幡随院長兵衛みたいな侠客にしようと決心し、二人して、包丁と鉈を寝ている三五郎に突き出して、お前は侠客になれと迫る。

三五郎は、この場で殺されるのは良いが、死ぬまでの骨折りが嫌なので、それじゃあ、侠客になってみるかと渋々承知する。

翌日、とりあえず、刀と、侠客らしき派手な格好をした三五郎は、見送る両親を前に、22の今日まで男前に育ててくれてありがとうと気のない挨拶をする。

お前がいなくなれば、米5合口減らし出来るだけでも上出来だと勧兵衛は安堵する。

お才は、夜寝るときは、はばかりに行くんだぞとか、まるで三五郎を幼児扱い。

勧兵衛は、出かけて行く三五郎に、事があったら、無精をせずに、刀だけは抜くんだぞと声をかける。

三五郎は、試しにその場で刀を抜いて見るが、何の手入れもしていない刀身は錆び付いていた。

のろのろ旅立った三五郎は、茶店に立ち寄る度に水だけを注文する。

水だけだと「ただ」だったからだ。

そんな三五郎も、ようやく江戸の「相生橋」に到着し、側の茶屋で、又水を注文したが、それが到着する前に、橋の上で何やら騒ぎが始まる。

観れば、一人の町奴、唐犬権兵衛(東千代之介)が、阿部四郎五郎(原田甲子郎)ら直参旗本白柄組の横暴さに文句をつけたのをきっかけに、互いに刀を抜いた所だった。

周囲は見物人が取り囲み、一発触発の状況だったが、そこに近づいて来たのは1人の僧侶だった。

編み笠を取ったその顔を観た唐犬も阿部も、その僧を知っていた。

有名な沢庵禅師(西村晃)だったのだ。

旅から戻って来た所らしい沢庵禅師は、ご無沙汰しましたと、その場にいた見物人たちに挨拶すると。ここは天下の往来、こんな所で喧嘩をすれば通行人の邪魔になる。又、どちらかに死人でも出れば、自分が見捨てて行く訳にも行かなくなり、わしも迷惑する。

せっかく抜いた刀、何か斬らねば落ち着かぬというのなら、このたくあんを斬って気を沈められよと言いながら、懐からたくあん漬けを一本取り出してみせる。

唐犬と阿部たちは、そのたくあんを斬り、双方刀を納めて別れる事にする。

去って行く唐犬を親分と追いかけようとした三下を捕まえた三五郎、あれはどういう人かと聞くと、あの人は幡随院長兵衛の子分で、犬を蹴殺した事で知られる唐犬権兵衛で、自分はその18番目の子分出鱈目の半二(常田富士男)と名乗る。

犬を蹴殺すと侠客になれるのか?と不思議がった三五郎だったが、橋のたもとには「近頃、辻斬り多し」の注意書きが立っていた。

その夜、唐犬のお供で又、相生橋にやって来た半二は、あまりの寒さに震え上がり、どうして侠客は襦袢や股引を履いちゃいけないんです?と聞く。

唐犬は、見栄を張って生きているからと教え、さっき、お前の腹の中に股引飲ましてやったろう?と言う。

酒の事を言っているのだった。

その時、暗がりに隠れて待っていた三五郎が刀を向けて唐犬に近づいて来る。

唐犬は、見事に錆び付いた刀を振りかざす奇妙な若者を前にして、戦う気などさらさらなく、かえって、お前のようなとっぽい野郎ははじめて観たが、面白い奴だなとすっかり気に入ったようで、2分やると言い出す。

喜んでその金を受け取った三五郎だったが、又刀を向けて来て、俺が侠客に向かない事は百も承知だが、他にできる仕事もない。嫌なら俺の子分になれなどと突拍子もない事を言い出す。

それではと、唐犬も刀を抜いて対峙すると、すぐにビビった三五郎は「助けて」と尻餅をついてしまう。

唐犬は、可愛いな、兄弟分になってやっても良いと言い出し、名を聞いたので、三五郎は勧兵衛のせがれの三五郎だと名乗るが、立とうとしても腰が抜けて立てない事に気づく。

唐犬は、そんな三五郎の左腕を出させ、刀の先でちょいと突くと、痛さで三五郎はすっくと起き上がるが、その腕の血を嘗めてやった唐犬は、自分の左手にも傷をつけ、その血を三五郎に嘗めさせ、これで兄弟の契りはすんだと言う。

唐犬は、俺の方が年上だから兄貴という事にさせてもらうぞと言い、三五郎もそれを承知するが、図々しい事に、侠客に子分の1人もいないのはみっともないので、さっきの子分を譲ってくれないかと言う。

唐犬は承知し、当座の小遣いとして5両渡すと、半二もくれてやると言う。

そこに、用事で出かけていた半二が戻って来て、三五郎を辻斬りを勘違いしたのか斬り掛かって来る。

そんな半二に唐犬は、こいつは今から俺の兄弟分で、お前の親分になったんだと教えるが、橋の欄干に逃げていた三五郎はバランスを崩して川に落ちてしまう。

水の中で三五郎は「上を向いて歩こう」を歌い始める。

水面に浮かび上がり、そのまま流されながら歌っていた三五郎だったが、やがて、漁り火を焚き、小舟で夜釣りをしている老人を観かける。

老人は網七(織田政雄)と言い、妻が病気になってしまい、その借金25両が返せないばかりに、娘のお光(九重佑三子)を身売りさせてしまったので、何とか金を稼ごうと、川鮒を捕っていたのだった。

そんな網七の小舟に近づいた三五郎が、とっつぁん、今晩わと川の中から声をかけると、網七は、土左衛門が口をきいたと驚きもせずに答える。

俺はまだ土左衛門にはなっていない。上げてくれないか?と頼んだ三五郎だったが、金にならないものを上げるつもりはないと網七が言うので、金なら持っていると三五郎は答える。

それならばと、小舟の上に助け上げてくれた網七は、すぐに手を差し出してくる。

三五郎が金を渡そうとすると、袖口から出て来たのは鮒だったので、それも網七は受け取る。

結局、さっき唐犬からもらったばかりの5両を網七に渡した三五郎だったが、気がつくと、行灯をつけた半二も、自分を捜して川を流れて来たではないか。

網七は、小舟に近づいて来た半二にまで、お前、金あるか?と聞く始末。

その頃、幡随院長兵衛(進藤英太郎)に、上がりの金を渡していた唐犬は、額が少ないじゃないかと言われ、実は…と、腕も度胸もないし、持っている刀は赤いわしの三五郎と兄弟分になり、5両を渡してしまった事を打ち明けていた。

それを聞いた幡随院長兵衛は、そんな三下奴の相手をするのは止めとけと注意するが、唐犬は、あんな愛嬌のある奴の方が、かえって江戸一番の花魁高窓に惚れられたりするんじゃないかと、唐犬は笑って答えるのだった。

半二と共に網七の家で濡れた着物を乾かす事になった三五郎は、娘のお光を銀風呂に行かせてしまったと網七から聞いても、世間知らずなので意味が分からなかった。

呆れた半二は、銀風呂って言うのは、酒飲んで、湯女と言う名の女と…と教えてやるが、世間知らずの三五郎には今一つ飲み込めないのだった。

しかも、その銀風呂は、四谷六法白柄組の支配下にあり、阿部四郎五郎にいたぶられ、気が狂った女もいるそうですと半二は言う。

その頃、その阿部四郎五郎と白塚組の連中は、銀風呂で酒を飲み、何とか、高窓太夫をものにしたいなどと悪のりしていた。

そこに、新しい湯女として連れて来られたのが網七の娘お光で、阿部たちに面通しをすませた後、奥へと連れて行かれる。

年が開け、新年を迎えた唐犬の所に挨拶に来たのが三五郎。

しばらく顔を見なかったが、さっぱりお前、名前が売れてねえじゃないかとからかった唐犬は、これから吉原へでも行って、郭の馴染みの1人でも作らないと、お前くらいになると巾が利かないぜ。さしずめお前なら、三浦屋の高窓太夫じゃないと釣り合いがとれめえと言う。

その頃、三浦屋の玄関前で腹を出して寝ていたのは幡随院長兵衛だった。

その周囲には、おもしろがって見学している客たちが集まっていた。

そこに三浦屋から出て来たのが、白柄組と水野十郎左(大村文武)

酔った水野は、幡随院長兵衛を見ると、いたずら心を出し、幡随院長兵衛のタバコ盆からキセルにタバコを詰め、一服すると、その火の付いたタバコ玉を、長兵衛のでべその中にそっと置く。

それでも、長兵衛はぴくりともしないで寝ているので、水野は、さすが評判の町奴と褒めて去って行く。

その直後に、長兵衛に近づいたのが三五郎で、まだ寝ている長兵衛のでべその上に、自分もキセルから火の付いたタバコを重ねて置いてみる。

すると、すぐに「熱!」と叫んで長兵衛は起き上がり、何をしやがるんだ!と三五郎に怒鳴りつける。

あれ?やっぱり熱いんだと三五郎が驚くと、当たり前だ、さっきは水野の時は仔細があって我慢していたのだと長兵衛は言い、お前は何者だと迫る。

すると、三五郎が、俺は、幡随院長兵衛の大頭、唐犬権兵衛の兄弟分三五郎だ!と見栄を切り、サビだらけの刀を抜いてみせたので、幡随院長兵衛は、そうかお前が三五郎か、俺が幡随院長兵衛だと名乗る。

三五郎は驚くと同時に平身低頭し、実は唐犬から言われ、吉原にやって来たと伝える。

それを聞いた幡随院長兵衛は、お前のような三下だと、名のある花魁は相手にしてくれないぜと苦笑する。

ところがその時、三五郎に「お若いの、お待ちなしゃんせ。本当に好いたらしいお方。その意気地のない所が良い所」と声をかけて来た花魁(南田洋子)がいた。

唖然とする幡随院長兵衛を尻目に、三浦屋に三五郎を連れて入って行く花魁。

座敷に連れて来られた三五郎は、私はあなたに決めた。高窓が一番良い女と聞いて来たが、お前が一番良いと褒めるが、それを聞いた花魁は、わちきがその高窓でありんすと答える。

感激した三五郎は、「会いたかった~♩」と気持ちを歌い始める。

三さんと言いながら、着物を脱いだ高窓大夫の下着は、何故か子供用の着物だった。

主を置いて、心の中を話す人はいない。まずは聞いてくだしゃんせと言い出した高窓は、自分の過去を話し始める。

何でも、彼女は元々武士の娘であり、幼少の頃、父の小坂左兵衛(有島竜司)は、時の将軍家光より、放浪癖のある沢庵禅師の監視役を仰せつかったと言う。

それで、自宅の庭に庵を建て、そこに沢庵禅師を住まわせて、毎日監視を続けていたが、ある日、いつものように、庵の窓に見えるはげ頭に挨拶をした父、左兵衛は、よくよく見れば、それが沢庵禅師の頭ではなく、机の上に伏せておかれたやかんである事に気づく。

沢庵禅師に逃げられたと察した左兵衛は責任を感じ切腹、母は正気を失い、妹のお礼を連れ川に身投げ、その時生き残った姉のお年が自分なのだと言う。

今着ているこの子供用の着物は、12の時。自分が店に売られて来た時に着ていたものと言うのだった。

外は、雪が降り始めていた。

三五郎は、お前の為なら何でもすると張り切るが、高窓は、三さんとこうしているだけで良いと手を取り合う。

翌朝、三浦屋を出て帰ろうとする三五郎だったが、入口で呼び止めた高窓が口づけをねだるような顔をしたので、感激した三五郎は入口に戻ると、3度もキスをする。

そして、歌いながら上機嫌で帰路についた三五郎だったが、途中の土手で、待ち伏せしていた白柄組の数名に取り囲まれてしまう。

刀を突きつけられた三五郎は、この命は俺だけのものじゃないと自慢げに言うので、その女は、水野様のものだと白柄組はいきり立ち、刀を抜けと迫って来る。

仕方なく、三五郎は錆び付いた刀を苦労して抜くと、私はあなたのものよ!と言いながら戦い始めるが、これが意外と強く、白柄組の連中は、不思議な剣法を使うぞ!オランダ剣法だ!と狼狽し始め、とうとう全員三五郎にやっつけられてしまう。

幡随院長兵衛の家にやって来た三五郎は、三浦屋に出かける小遣いを出してくれと頼むが、長兵衛は、毎日毎日遊び過ぎだと止める。

しかし、横に控えていた唐犬は、親分出してやんなよ。水野に負けますぜと助け舟を出したので、幡随院長兵衛も水野の野郎に負けられるか、いくらでも持って行け!と言い、小判を三五郎に差し出す。

一方、水野の方も、町奴夫なんかに負けてたまるか!俺が自分で高窓を引っこ抜いて来ようと息巻き、三浦屋に出向いて行く。

三浦屋の入口で三五郎は水野と鉢合わせ、こうなれば、公衆の面前で、堂々と決着をつけようぞと言う事になり、高窓太夫以下、店のもの総出で、水野と三五郎のどちらを高窓が選ぶか競争が始まる。

高窓は、わちきが惚れたのは、この三さんとはっきり答えたので、怒った水野は刀を抜きかけるが、高窓は、さぁ斬りやんせと動じない。

三五郎も、この場で刀を使うとは、少し話が違ってやしねえか?水野、返事をしやがれ!と見栄を切ったので、水野は負けを認めるしかなかった。

その後、久しぶりに網七の家に行ってみた三五郎は、ずっと留守番をしていた半二から、父っつあんが、おいらの刀を持っていなくなったと聞く。

半二を連れ、相生橋へ探しに行った三五郎は、25両とつぶやきながら刀を振りかざし向かって来る網七に遭遇する。

娘を取り戻す金が集まらない網七が、やけを起こして、辻斬りのマネをしていたのだった。

説得しても迫って来る網七に追いつめられた三五郎と半二は、又、橋の欄干から川の中に落ちてしまう。

濡れ鼠になった2人が、網七の自宅に戻ってみると、起き上がれない病床の妻が止めようとしていた中、網七が首を吊ろうとしていた所だった。

網七が首を吊った瞬間、梁にかかった重さで家全体が傾いたので、その瞬間、三五郎と半二は家に中に飛び込む。

家はかろうじて倒壊を免れた。

半二が、柱代わりになって梁を支えたからだ。

そんな中、三五郎は網七から、娘のお光は、実は8年前、あの川で拾ったものだと言う説明を聞いていた。

母親と心中したらしく、母は既に死んでおり、助けた娘の方は自分がお光と名を変えて育てて来たが、本当の名前はお礼と言い、生死の分からぬお年と言う姉がいると言うではないか。

それを二度聞いた三五郎は、それならお光は、俺の妹だぜ。明日になったら、おいらが会わせてやる、一切合切おいらに任せてやって下さいと網七に言う。

その後、三浦屋で話を聞いた高窓は、一人で行くのは危ないと止めるが、三五郎は、お年、待ってろよ!と格好をつけてお光こと、お礼を助けに出かける。

途中で、幡随院長兵衛とその手下一行がどこかへ向かう所へ遭遇したので、侠客は人を見殺しにしちゃいけないんですよね?と聞き、加勢を頼む三五郎だったが、幡随院長兵衛は、今日は事情があって我慢だと言って、そのまま通り過ぎてしまう。

その頃、水野や阿部たち、白柄組の一行は、寒い最中なのに、全員、扇子で扇ぎ、暑がりの我慢大会をしていた。

そこに1人の太鼓持ちが、ご注進!と駆け込んで来て、幡随院長兵衛たちも、我慢大会をするようで、不忍池でみんな丸裸になって浸かるそうですと言うではないか。

それを聞いた水野は、町奴に負けてられるか!みんな、裸になれと命じる。

一方、不忍池に、裸になって浸かっている幡随院長兵衛一家を観ながら、三五郎は呆れて歌い始める。

水野は、阿部四郎五郎が面白い趣向を見せてくれるそうだと全員に紹介し、阿部は、冬牡丹の鉢を持て!と命じると、布をかけられた大きなものが座敷に運ばれて来る。

布をとると、それは、後ろ手に縛られたお光だった。

阿部は、これは、雪の積もった冬牡丹のつぼみだ。水野が酒を1杯飲み干すごとに、着ているものを脱がせてみせると趣向を説明する。

水野は、その場で盃の酒を飲み干して行き、その度に、お光は着物を脱がされて行く。

その間も、幡随院長兵衛たちは、不忍池で我慢大会を続けていた。

お光は、腰巻き一つの姿になるが、いよいと最後の一枚と固唾をのむ白柄組の面々を前に、これから後は、自分が楽しむと言いながら、お光を抱き上げて、隣の寝室へ連れて行ってしまう。

お光の綱を解いてやった阿部は、お光から頬を打たれるが、構わず強引に抱きつこうとしたとき、つい立ての背後に隠れていた三五郎が飛び出して、人間が人間を玩具にする権利はないんだ!と言いながら、赤く錆び付いた刀を突きつける。

座敷に戻って来た阿部と三五郎の姿を観た白柄組は、こいつは、おかしなオランダ剣法を使う奴だと言い出し、おっかなびっくり、三五郎の相手をし出す。

三五郎は、屋根伝えに、お光を逃がすと、自分もその後を追って屋根伝えに逃げる。

玄関から外に飛び出した白柄組は、表を通りかかった初荷の荷車と通り過ぎるが、その荷車こそ、半二が引き、箱の中に三五郎とお光が隠れていたものだった。

それに気づいた白柄組が、その後を追って町中にやって来るが、そこには同じような初荷の荷車がたくさん往来していた。

一方、不忍池に駆けつけて来た太鼓持ちが、事の次第をご注進と告げに来る。

それを聞いた幡随院長兵衛は、そいつは行かねばなるめえと言い出し、全員、さらし姿のまま池を上がる。

三浦屋の前に荷車を引いて来た半二は、箱の中に入っていた三五郎とお光を降ろす。

三五郎は、待っていた高窓に連れて来たお光ことお礼を会わせる。

高窓は、お礼かい?と聞き、姉さん!と答えたお礼と抱き合う。

その頃、三浦屋に近づこうとした水野と白柄組は、通りの真ん中で通せんぼしていた幡随院長兵衛と唐犬権兵衛に進路を塞がれる。

両者は刀を抜き合い、にらみ合いになる。

騒ぎを聞きつけ見物人が集まり、半二もその場に駆けつけるが、同じくその場に近づいて来たのは、あの沢庵禅師だった。

この沢庵の仲裁が気に食わんかの?と天下の沢庵禅師に言われれば、双方刀を納めるしかなかった。

それを見つけた半二は、慌てて三浦屋へ戻り、下から「沢庵が来た!」と二階の三五郎に声をかける。

それを聞いた三五郎は、高窓ことお年と、お光ことお礼に、沢庵が見つかった。親の仇がと教え、すぐに敵討ちの準備を始めさせる。

その頃、沢庵禅師は、真冬だと言うのに浴衣姿の幡随院長兵衛と、帷子姿の白柄組のやせ我慢振りをからかっていたが、そこに、赤いわしを持った三五郎が「覚悟!」と言いながら斬り掛かって来る。

身を避けた沢庵に三五郎は、小坂左兵衛の仇だともう一度言うと、ああ、あのおっちょこちょいの事かと理解したらしき沢庵は、仇討ちの白装束を着てやって来たお年とお礼の二人の前で座り込むと、話を聞くか?首を斬るのはその後で良かろうと言い出す。

話を聞いてやる事にした三五郎に、沢庵は、あの頃の自分は漬け物の研究をしており、庵の地下に潜り込む毎日だった。

それを左兵衛に気取られたくなかったので、いつも窓際に、やかんを伏せておき、自分の替え玉として使っていたのだが、あの日も、同じようにやかんを伏せて地下室に潜っていた時、そのやかんを観た左兵衛は、逃げられたと早合点して、自分が地下から上がって来た時には、もう左兵衛は切腹、一家は離散した後だったと言う。

沢庵は、懐から、「沢庵漬けの仕方書」なる巻物を取り出し、それを三五郎に渡すと、向う3年、左兵衛の末裔だけに、この秘伝の漬け物を売る事を許可し、3年が過ぎたら、広く世間に公表してくれと条件を出し、それでも、この首を斬るか?と迫る。

話を一部始終聞いていた幡随院長兵衛と水野や白柄組の一同も、その赤いわしで見事斬れるか?と、三五郎に迫って来る。

三五郎は、沢庵がいつも持ち歩いていたやかんを拾い上げると、お年、お礼、存分に親の仇を討つんだと言い、二人は、そのやかんを懐剣で叩いてみせる。

後日、三五郎は、お年とお礼、さらに、国元から呼び寄せた両親と網七とで「東海屋」と言う沢庵漬け屋を始める。

歌の得意なお礼は、「沢庵で生きぬこう!」と言うと、「ポリポリ、パリパリ♩」と沢庵ソングを歌い始める。

その店の周囲には、沢庵を手にした幡随院長兵衛、白柄組を始めとする江戸の衆たちが、全員歌に合わせて、沢庵をかじるのだった。