1948年、松竹大船、斎藤良輔脚本、小津安二郎脚本+監督作品。
▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼
建設中の巨大なタンクが見えるとある住宅地
酒井家に戸籍調査にやって来た警官が、応対した主人の酒井彦三(坂本武)と妻のつね(高松栄子)から、家族の人員構成を聞き、時子と言う子連れの間借り人がおり、その主人は、まだ戦地から帰還していないと知る。
その時子は今、区役所に行ったようで外出中だった。
警官が帰ったあと、つねは、あの人、又、包んで持っていったようよ。大変ね…と、時子の生活の困窮ぶりに同情する。
その頃、時子(田中絹代)は息子の浩(青木放屁)を連れ、友達の井田秋子(村田知英子)のアパートに来ていた。
昔、鬼怒川温泉に行った時に着ていた着物を売ってくれないかと頼む為だった。
もう、着物はこれでお終いだと自嘲する時子。
秋子は、同じアパートに住んでいる野間織江(水上令子)に、その着物を見せ、以前のように売ってくれと頼みに行くが、織江は、あの人もバカだ。きれいなんだし、ちょっとその気になりさえすれば、お金は稼げるのに…とつぶやき、他から売ってくれたと頼まれた勲章を見せながら、子供に喜ばれる以外、買い手がないと苦笑する。
浩をおんぶして酒井家に戻って来た時子は、途中で買って来た塩をつねに渡し、リンゴが三つ100円もしたので1個だけしか買えなかったと嘆いてみせる。
二階の自室に上がって来た時子は、先ほどから浩が元気なく、ぐったりしているので、額におでこを当ててみると、熱があることに気づき慌てて、下の酒井夫婦に相談に行く。
彦三は、学校裏の大田と言う医者はどうかと勧める。
その夜、病院に連れて行った時子は、診察した医者(長尾敏之助)から、病名は大腸カタルで、今夜一晩が山だと知らされる。
入院することになった意識がない浩を前に、時子は、あんこ玉を食べさせてごめんね。お母ちゃんを置いてっちゃ嫌よと、浩にすがりつくのだった。
受付にいた看護婦二人は、誰か泣いてるんじゃない?と言い合う。
翌朝8時半、再び浩の容態を診察に来た医者は、もう峠を越えたので大丈夫だと言うが、その後、部屋に残った看護婦は、入院代10日分は前納していただくことになると時子に告げるのだった。
その看護婦も退室し、病室で浩と二人きりになった時子は、お金ないのよ。困っちゃったねと、まだ目覚めぬ息子に語りかけるのだった。
病院で徹夜して酒井家に戻って来た時子に、彦三は、寝るように勧めるが、二階に上がった時子は、鏡を見つめながら泣き出すのだった。
とある連れ込み旅館
常連客(三井弘次)や野間織江たちと麻雀をしていた女将(岡村文子)が、部屋から戻って来た客(手代木国男)に、相手をさせた新顔はどうだった?と聞くが、客は面目なさそうに、俺の身体の方が言うことを聞かずダメだったと報告する。
そんな客に対し、麻雀をしていた織江は、あの人高いのよ。そんな人に出会えただけであんたは運が良かった。あの人、なかなかうんと言わなかったんだから…と教える。
ある日、時子の所にやって来た秋子は、時子が織江の店に行ったんだって?と確認し、どうして自分に相談してくれなかったんだ!と責める。
時子は苦しそうに、あんたも苦しいことを知っているから…、あんたをみすみす困らせることが分かっていたから…、浩を死なせるわけにはいかなかった…と答えるが、どうして蓄えのない女にお金こしらえられる?女に一体何ができる?と逆に秋子に問いつめる。
反撃された秋子は、そりゃ、慰めるくらいしか何もできなかったかもしれないが、昔、自分が、広小路の織江の所に行った時、あんたに止められたのは、いまだに良いことを言ってくれた思っているのよと訴える。
時子は、私はバカだった。
家具もミシンも何もかも売ってしまえば良かったけど、あの人が帰って来ることを考えると、少しは家らしくしておきたかったの…と、苦渋の選択だったことを打ち明ける。
浩の退院の日になり、時子は、病院から浩を背負って帰るが、その様子を病室から見送る看護婦たちは、時子は28歳であることなど噂していた。
酒井家の二階に戻って来た時子は、いまだに戻らぬ夫、雨宮修一(佐野周二)の写真を見ながら、いつお帰りになるの?私、どうして良いか分からなくなりました…と語りかけ、本当に私がバカでしたと泣き崩れるのだった。
元気になった浩を連れ、秋子と共に、近くの土手に遊びに来た時子は、自分が浩と同じくらいの年頃、何を考えていたんだろう?私、もうすぐ30よと打ち明ける。
秋子も、私たちが店を辞めてから7年になるもの…と時の流れの速さに同調する。
時子は、もはや夢を失った自身に対する絶望感と、浩が早く大きくなってくれれば良いわと言う唯一の夢を語る。
ある日、浩を連れ、買い物から酒井家に戻って来た時子は、出迎えたつねから、旦那様のお帰りよと教えられる。
急いで二階に上がると、待ちかねていた夫の修一が、のんきに昼寝しているではないか。
時子は、浩にお父ちゃんと声をかけさせ、自分は買い物に出かけようと下に降りる。
すると、つねが、配給の酒をお裾分けしてくれる。
時子が出かけた後。山彦三は、雨宮さん、何年ぶりだって?と聞くと、つねは、足掛け4年ですってと答える。
夜、戦地でも肌身離さず持っていた幼い頃の浩の手形を出して、今、すでに眠っている成長した浩の手と比べながら、修一は帰還できたことを喜んでいた。
自分がいない間の浩の様子を聞いた修一は、はしかと大腸カタルを患ったと時子から聞くと、金はどうした?誰からか借りたのか?と問いかけるが、時子が困ったように口ごもってしまったので、不審に感じ、どうしたんだ?言えないことなのか?と問いつめ始める。
時子は思わず泣き出してしまう。
翌日、秋子が訪ねて来て、ご主人帰って来たんですってと喜ぶが、時子から、浩の病気とその金の工面の方法を夫に打ち明けてしまったと聞くと驚いて、どうしてそんなことを言ってしまったの?と問いつめる。
時子は、自分には隠し事をするなんてできなかったのだと涙ながらに答えるが、それを聞いた秋子も泣きながら、旦那様、とても苦しむわ。どうしたら良いのかしら?と自分のことのように心配するのだった。
その日、修一は、かつての勤め先だった出版社に出向いていたが、先に復帰していた佐竹(笠智衆)は、早く修一にも復帰して欲しいと頼む一方、何故か、表情が暗い修一に訳を尋ねる。
修一は、ちょっと不愉快なことがあったと答えるだけだった。
帰宅した修一は、時子から食事を勧められても、食いたくない!と不機嫌なままだった。
聞きたいことがあると言い出した修一は、いつから織江と言う女と知り合ったのかと時枝に尋ねる。
時枝は、初年の暮から、着物を売ってもらっていたのだと打ち明ける。
続いて、修一は、時子が言った店の場所をしつこく問いただす。
時子は正直に、記憶にある道筋を教えるが、収まらない修一は、相手をしたのはどんな男だった?と詰め寄る。
その時、近くで寝ていたと思っていた浩が起きて、夫婦の方を見つめていたので、時枝はなだめて寝かしつける。
癇癪を起こした修一は、茶筒を投げ捨て、その茶筒は階段を落ちて下まで落ちて行く。
今日は家にいてくれとすがりつく時子を押し倒し、修一は外に出て行く。
翌朝、修一は、橋を渡り、時子から聞いた店、月島の「桜井」を探し当てる。
客を装って中に入った修一は、案内された部屋で、隣の小学校から聞こえて来る唄を耳にする。
やがて、部屋にやって来た小野田房子(文谷千代子)と言う娘に年を聞くと21だと言う。
修一が、いつからやっている?どうしてこんな商売をやっているんだと無粋な質問をすると、房子は、父は働けないし、母はいない、兄も死んでしまったので、家の面倒を自分が見ているのだと言い、自分はこの小学校を出たのよ。良く銀杏を拾ったわと、窓から見える小学校を懐かしそうに見つめる。
耐えられなくなった修一は、金を置いてさっさと店を出てしまう。
近くの草原で修一が佇んでいると、先ほどの房子が、なぜ、お金を置いて帰っちゃったの?と言いながら近づいて来たので、修一がこんな所に何しに来た?と聞くと、お弁当を食べに来たのだと言う。
房子が、自分で作ったと言うパンを差し出したんで、それを少し分けてもらった修一は、いつも、夜までここで遊ぶと言う房子に、あんな商売辞めて、まじめに働くんだとアドバイスする。
すると、房子は、私がその気になっても、男はみんな私をバカにするじゃない。兄さん、どうしてあんな所へ行ったの?やっぱり、私のこと、お飾りだと考えてるじゃないと反論して来る。
それは違う…と戸惑う修一だったが、房子は信じようとしなかった。
修一は、君はまだ若い。ちっともダメじゃない。2、3日したら、又ここに来るよと約束する。
その後、出版社の佐竹に会い、時子の過ちと、房子のことを打ち明けた修一に、佐竹は、房子の方は雇っても良いが、奥さんは許してやれ。奥さん、可哀想だと助言する。
修一は、しようがないと思っているが、気持ちが許さない。何かくすぶっている。良く寝られないし、怒鳴りたくなる。自分でもどうにもならないのだと告白する。
社内で酒を飲みながら、許しているのなら、感情以上に意志を働かせて、早く抜け出すことだと佐竹は言う。
帰宅すると、夕べも帰宅しなかった修一を心配していた時子が安堵して迎える。
時子は、せっかく帰国を楽しみにしていた修一を、こんな思いにさせた自分をすまなかったと詫びる。
修一は、又、感情が高ぶり、部屋を出ようと立ち上がったので、それを止めようと階段の前に立った時子だったが、修一から押されたので階段を下まで転げ落ちてしまう。
下の廊下に倒れた時子を観てさすがに驚いた修一は、大丈夫か?何ともないか?と声をかけるが、その場を動こうとはしなかった。
何とか、起き上がりかけた時子を発見したのは、ちょうど外出から戻って来たつねだった。
どうしたのか?と聞かれた時子は、おっちょこちょいだから足を滑らせただけと言い訳すると、片足を引きづりながら階段を上って行く。
修一は、部屋の中で座っていた。
そんな修一に、足を引きづりながら近づいた時子は、あなたが苦しんでいるのを見ていられない。どうか、気の済むようにしてくれ。あなたが泣いちゃ嫌です。このままでは私も苦しいんですと訴える。
修一は、その言葉をかみしめ、そうするより仕方なかったと良く分かる。忘れよう。俺は忘れる。お前も二度と考えるな。もっと深い愛情を持つんだ。俺もどうかしていた。もう良いんだ。もう泣くなと言うと、時子に、立ってみろ、歩いてみろと命じる。
時子が素直に立ち、よろめきながら歩いてみると、その時子を修一は抱きしめる。
修一は、この先まだ長いんだ。
どんな苦難が待っているか知れないが、どんなことがあっても動じない二人になるんだ。それでこそ、本当の夫婦なんだ。良いな?分かったなと、すがりつく時子に言い聞かせる。
時子は、修一の背中に回した自分の手のひらを、ぎゅっと握りしめるのだった。
巨大なタンクが間近に見える住宅地
浩は、紙芝居に近所の子らが群がっている近くで、他の子と一緒に、無心に遊んでいた。
▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼
後年の小津作品とはかなり雰囲気が違うシリアスな内容になっている。
社会進出する機会がなく、夫にすがる以外に経済力がほとんどなかった当時の女性の弱い立場が招いた家庭の悲劇が描かれている。
田中絹代は、自ら危険な階段落ちをやるなど、身体を張った熱演をしているが、どうしても、妻の行動を許せない夫、修一の心理と共に、今の感覚からするとなかなかその行動や心理に感情移入しにくいものがある。
男女間の問題は、二人だけの心の中のことであり、第三者が立ち入れない部分はあるにせよ、映画として観ている観客側としては、何ともすっきりしないモヤモヤ感だけが残るような気がするし、ラストの修一のやり直しのメッセージも、何か取って付けたような印象がしないでもない。
ひょっとすると、その釈然としないモヤモヤ感、イライラ感自体が、この作品が伝えたかった部分ではないかとさえ考えたくなる。
この時期の田中絹代は、微妙に老けた童顔少女といった感じで、20代後半と言う年齢設定とも巧く合致しないし、今の美少女や美人と言う雰囲気ではなく、劇中、きれいだと言われているほどにはきれいに感じない所も、感情移入しにくい要素かもしれない。