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花のれん

1959年、宝塚映画、山崎豊子原作、八住利雄脚色、豊田四郎監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

大阪の呉服問屋の「河島屋」に、集金のため京都からわざわざやって来た織京の主人 (山茶花究)が、主人が留守だと言うので延々待っていたが、一向に戻って来る気配がないので苛ついていた。

主人のだらしなさを知っている為か、出された茶にも手をつけず、応対した女将の河島多加(淡島千景)が差し出した交通費も受け取ろうとせず、来月5日に又来ると言い残し帰ろうとしたので、多加は10日にしてくれと頭を下げて頼み込む。

いつものことながら、気苦労が絶えない御寮さんに同情し、奉公人のお梅(乙羽信子)が心配げに声をかけるが、多加のまだ幼い息子の久雄の面倒を観てやってくれと頼まれるだけだった。

その直後、新町のお茶屋で遊んでいた主人の河島吉三郎(森繁久彌)から電話が入り、金を持って来いとの催促がある。

吉三郎は、がま口(花菱アチャコ)ら、馴染みの芸人らや芸者を前に遊びほうけていたが、迎えに来た多加は、ほんのわずかな金だけ女将に払い、芸人らへの謝礼は渡さなかったので、女将は露骨に、芸人さんらはおもちゃではなくて生きてますがなと嫌味を返す。

芸人らは、多加の気持ちを察してか、吉三郎を御神輿のように担ぎ上げると、皆で店の外まで運び出す。

店に帰ると、番頭が丸山証券から電話があったと多加に知らせる。

その内容を聞いた多加は驚き、酔って先に寝ようとする吉三郎に、あなた、株で損をしたのですか?と問いかけ。私は今日はじめて、金が欲しいと思います。保証金どないしますん?と詰め寄るが、吉三郎は、自分は商人に向いてない。株をやったのも、金を儲けようと思っただけだと言い訳をし、多加を抱いてごまかそうとするので、怒った多加は、赤ん坊が寝ていた布団を隣に引きずって行き、ふすまを閉めてしまう。

妻に愛想を尽かされた吉三郎は、どないしてええか分からないと一人つぶやくので、多加は寄席に行って下座聞きはったらええのんと違いますか?と嫌味のつもりで口にするが、途中で、その自分の言葉にヒントがあることに気づき、それで商売になるやないですか!と続ける。

芸人仲間とは日頃から付き合いがあるので、その方面からの協力も得られそうだと考えたのだった。

しかし、吉三郎の怠け癖は一向に直らず、がま口が見つけて来た寄席も、場末にあるのが気に入らないようだった。

そんなだらしない吉三郎に、多加は、丁稚9年、手代3年、番頭2年と言うじゃないですか。あなたも丁稚になったつもりでやって下さいと発破をかける。

そんな多加の元にやって来たがま口は、自分も丁稚にしてくれと頼み込む。

ある日、お梅の同じ在所の金貸し石川きん(浪花千栄子)が店にやって来て、横柄な態度ながら、金のありがたみを教えてやると多加に告げる。

やがて、「河島屋」を売った金で場末の寄席を買い、「天満亭」と名付けると、吉三郎と多加は新しい商売を始める。

しかし、なかなか芸人たちの融通が上手くいかず、がま口が舞台に出て、場を持たせると言うようなこともある。

多加は、寄席の前で「冷やし飴」を売り、1本2銭のものを、寄席代とコミで7銭で売り、次々に客を獲得する。

その後も「関頭炊き」の屋台なども始めるが、吉三郎の遊び癖は一向に止まず、寄席はそっちのけで、遊び歩く毎日が続く。

お梅は、多加に言われ、客たちが食べ散らかしたみかんの皮を集めさせると、それを薬屋に売って金にするのだった。

こうして、多加は必死に商売に励み、金をこしらえて行ったが、吉三郎の方は、その金をちょろまかし、外でおしのと言う女を作ってしまう有様だった。

そのことを知った多加は、吉三郎を問いつめるが、悪びれもせず吉三郎がその事実を認めると、もう嫌や!と叫び、寄席を飛び出すのだった。

そこに、当のおしの(環三千世)がやって来たので、吉三郎はその場でずっと話を聞いていたがま口に、多加の様子を見に行かせるのだった。

神社の前で佇んでいた多加を発見したがま口は、何とか、なだめて寄席に連れ戻そうとするが、つい口が滑り、吉三郎とおしのの関係を前から知っていたことをばらしてしまう。

それでも、がま口は、最近、多加に色気がなくなり、ぎすぎすして来たと注意すると、多加は何のためや…と一人悔しがるのだった。

そんなある日、多加は、おしなが待っていた旅館に出向いて行く。

吉三郎が心臓発作を起こし、急死したのだった。

多加はすぐに家に運びたいと申し出るが、医者は、警察を呼ばないと無理だと言う。

多加は、水と線香を持って来た女中に、それは家であげるから、下げてくれと頼み、せめて、本家のお通夜に行かせてくれとすがりつくおしなの頬をはたいて帰って行く。

その夜の夜伽には、多加の知らなかった吉三郎の別の女が線香を上げに来たので、それを目の当たりにして悔しがった多加は席を外す。

そんな多加を心配したがま口は、お梅にそれとなく様子を見に行かせる。

お梅は、多加の部屋に入り、ボンボンに着せる喪服をタンスから出す時、白無垢の着物を発見する。

船場では、主人を亡くした妻は、二度と男に近づかないと言う誓いを込め、白無垢の喪服を着るそうですねとお梅が聞くと、それは、お母はんが、入れてくれたものやと説明し、白無垢姿に着替えると、再び読経が続いていた部屋に戻り、居並ぶ客や芸人たちに、寄席は主人の道楽から始めたものだが、吉三郎存命中同様、これからもよろしくお願いしますと挨拶をし、がま口初め、芸人たちは、改めて多加に頭を下げるのだった。

独り身になった多加は、前以上に商売に精を出すようになり、新しい寄席を法善寺近くに探すようになる。

それを知ったがま口は、一等地である法善寺で寄席をやるには、色物だけではダメで、落語家はんを呼ばないと客は来ないと忠告する。

それを承知していた多加は、法善寺で日がな一日待ち、名のある落語家の姿を観かけると自ら声をかけ、家の寄席に出てくれないかと直談判を始める。

しかし、馴染みの小屋と契約している落語家たちが、無名の寄席などに出れるはずもなく、落語家たちは相手をしないか、多加を女と観てからかって来るかだったが、多加はそのからかいをうまく交わしながら、何とか、落語家を獲得しようとしていた。

そんな多加の元に、お梅が、寂しがる息子の久雄を連れて来たので、ぜんざいを食べさせながら、今後も、このお梅をお母はんの代わりやと思うて言うことを聞きなさいとなだめる。

その後、多加は、法善寺にある金沢亭()から店を譲り受ける交渉を料亭でする。

隣の部屋には、がま口が控えており、会話の一部始終を聞いていた。

金沢亭は、花菱亭と名付けたいと言う多加に高い値段を提示し、わざと酒をこぼし、濡れた多加の膝をなでながら、独り身では寂しくないか?わてで良かったら…と口説こうとし始めるが、その瞬間、隣のがま口を呼び寄せた多加は、今の行為は、大阪商人が左肩を叩いたことでしょう?商談成立ですなと一方的に言うと、唖然とする金沢亭の前に芸者を呼び集めるのだった。

その夜、天満亭に戻って来た多加は、下足番から、客の下駄がなくなったと聞かされ、急いでがま口に新しい下駄を買いに走らせると、その客に詫びを言い、しばし椅子に腰掛けて待ってもらう。

間もなく、がま口が新しい下駄を勝って来たので、マッチの火でその底をあぶった後、多加は客に手渡して返す。

客は、自分のより良い下駄だ。あんたは女の席主さんですか?それは苦労でしょうと言葉をかけ帰るが、その姿を観たがま口は、今のは、市会議員の伊藤さん(佐分利信)だと教える。

ある日、落語家の松鶴が話を忘れたと口座で言い出し、客が騒ぎ始める。

がま口が口座に登り、頭を下げても話をしようとしないので、多加は焦るが、その内、がま口が、竹の先に質札を刺して落語家の前に突き出すと、噺家はすらすらと落語を始める。

この時代、女に入れあげ、借金を作ったあげく、話を質に入れる噺家がいたのだった。

桟敷のお客から助けてもらったと従業員の女が言うので、そちらに目をやると、ちょうど桟敷席から伊藤が立ち上がり帰ろうとする所だった。

多加は近づき、今の礼を言い、質札を出すのにおいくらかかりました?と金を払おうとするが、伊藤は、いつぞやの下駄は重宝していますとそれを断り、困った時は相談に乗りますよと言い残して帰って行く。

ある日、多加は突然、がま口を従えて出雲に旅立つ。

安木節の人を大勢連れて来ると言うのだ。

がま口は、そのアイデアに反対するが、人の言うことなど聞かない多加の性格を知っていたので、仕方なく後について行く。

出雲で行われた安木節大会を観た多加は、その中から、見込みがありそうな娘たちを選抜し、大阪に来てくれと、家のものに直談判を始める。

しかし、農民である父親(内田朝雄)たちは、娘は、紡績に口減らしに出すのだと拒否されるが、多加は、田んぼの中に入り込み、紡績に行かせるのも大阪に出すのも同じことじゃないですかと、しつこく頼み込むのだった。

多加は、当地に、伊藤が仲間たちと一緒に来ていることを知る。

伊藤は多加に、あなたは商売の他に何か考えることはあるのですか?と聞き、その夜、安木節の人材集めに成功し、一安心して、庭の縁台で横になっていた多加に近づいて来た伊藤は、あなたは、商売に一生をかける人だと声をかける。

その後、伊藤が一人で入浴していることを知った多加は、その浴室の前で自分の名を呼ぶ伊藤の声に何事かに迷うが、私、何を考えているんだろうと、自分で叱責する。

結局、伊藤とは何もないまま大阪に戻った多加だったが、若い娘たちが、歌い手のお種(飯田蝶子)の唄に合わせ踊る安木節は、臨検席で警官が見守る中でも大当たりし、客席も交えて踊り出す熱狂振りだった。

皆、憑き物に取り憑かれたみたいやと呆れながらも、客と一緒に踊り出した多加は、この後もどんどん、安木節の娘たちを連れて来ようとがま口に命じるのだった。

その後も寄席を広げて行った多加は、とうとう通天閣を買うまでに上り詰める。

招待した記者たちからの質問に答え、がま口は、先代が寄席を始めてから18年、今では26軒も寄席を持つようになったと説明する。

その日、多加は息子の久雄を連れて通天閣に昇ろうとしていたが、その久雄の姿が見えないことに気づく。

お梅に聞くと、久雄は東京の大学を受けに行ったのだと言う。

自分には、何の相談もなかったは驚き、字も分からん芸人さん相手の商売に学問なんかいらない。すぐに呼び戻してくれへんかとお梅に命じるが、お梅はもっとボンの気持ちを考えてあげて下さいと反抗するので、久雄はわての子や。わての思い通りに育てますと多加は叱りつける。

その後、がま口と二人で通天閣の展望台まで登った多加に、記者たちが、写真ようにこれを撒いてくれと紙吹雪を手渡す。

多加は、その紙吹雪を大阪の街に撒きながら、こういう風に、わての花のれんを大阪中に散らしたいんやとがま口に次げる。

その時、従業員がやって来て、困ったことが起きた。春団治藩が、他の小屋に出るゆうてはりますと知らせに来る。

驚いた多加は、そのままがま口を連れて、春団治(渋谷天外)の家に乗り込む。

春団治は、後家と一緒だったが、他の小屋に出てもらっては困ると多加が言っても、こちらにも生活があるので…と、言うことを聞かない。

すると、がま口は、その場に会った家財道具に次々と差し押さえの札を貼り始める。

春団治は負けじと、多加のことを、後家ガンさん(後家の頑張り)と皮肉るが、多加は、そんな春団治の口に差し押さえの札を貼って帰る。

通天閣から付いて来た新聞記者たちは、その春団治の様子を面白がり写真に撮る。

帰り際、がま口は、春団治はもう席には出てくれへんやろな…とつぶやき、加も、もうしんどうなって来たと弱音を見せる。

その後、二人そろって、法善寺に参るが、席に帰ると、春団治が口座に上がっていると従業員が知れせて来る。

何と、口に差し押さえの札を貼られた春団治の写真が夕刊に載ったことで大評判になり、しかも、春団治も、札が貼られているのでしゃべれないと言う表情をおもしろおかしく見せていたので、満員の客席は大受けだった。

がま口が、その札を取ると、安堵したように春団治は話を始める。

その時、多加は、桟敷を帰ろうとする伊藤の姿を発見し話しかける。

伊藤は、今日の春団治は面白いが、脂っこいと言う。

その後を追うように、寄席を出た多加は、満員になったお礼参りをしますと告げ、又、法善寺に参るのだった。

その後、一緒について来た伊藤にご相談があるので付き合ってくれないかと言うと、伊藤は腕時計で時間を確認して承知する。

すき焼き屋で二人きりになった多加は、伊藤から、おかしな付き合いだった。今度はこっちがお礼する番だ。あんた、どこへでも付いて来てくれますか?と言われ動揺する。

その後、伊藤から「相談って?」と言われて、はじめて自分の用向きを思い出したように、息子久雄の大学進学のことを切り出す。

それに対し、伊藤は、大阪の商人は、大学行くのは邪魔だと言いますけど、私もそうでしたが、行きたいと言うのなら行かせてあげた方が良いとアドバイスした後、春団治の口封じをするのは行き過ぎだよと皮肉も付け加える。

多加は不満そうに、商売だすもん…、これまでずっとこれで来たんどす…と反論するので、伊藤は、やっぱりあんたは、商売を一生する人だ。身体を大切にしなさいよと諦めると、電話をかけて来ると言い席を外す。

ところが、追加のお銚子を運んで来た女中が言うには、お連れはんは電話のことで心配事があったのか、先に帰られたと言うではないか。

むしゃくしゃした多加は、窓の障子を開け、川の向こうの夜景を見ると、にぎやかなこっちゃ、カフェも…と言いながら、猪口を投げ捨てると泣き始める。

時代は漫才全盛となり、安木節は廃ってしまったので、お種は楽屋で落ち込んでいた。

芸人たちは、がま口から給金をもらっていたが、給料が安くなったお種は、そんながま口に文句を言う。

がま口は、お種が作った借金の証書を見せるが、お種はそれをその場で悔しそうに破ると、他の芸人たちに「皆、騙されてるぞ!」と叫びながら席を出て行く。

そんな中、東京の大学から久雄(石浜朗)が帰って来る。

しかし、今や28軒の寄席と、100人の芸人を要していた多加は、多忙を極めていた。

そんな母親に久雄は、もっと寄席も近代的に切り替えないといけない。労使の関係も明朗にせんと…と理屈を言い出し、これから、友達と会う約束があると言う。

多加は、その友達て誰や?と聞くが、久雄は教えようとしなかった。

そこへ電話が入り、多加が出てみると、伊藤が誰かの選挙違反の罪を背負って自殺したと言う知らせを受ける。

多加はあまりのことに言葉を失うが、遺体は府庁の裏門に運び出されると聞いたので、一人その様子を見に出かける。

車に乗せられる担架を新聞記者が写真に撮っていた。

その夜、会計整理が終わったがま口が多加に報告に行くと、多加は一枚の写真を観ていた。

新聞記者から3000円もの大金をだして買い取った、伊藤の遺体が運び出される写真だった。

それを知ったがま口は、気でも狂うたんですかと驚くが、これまで、わてはきつい商売をして来たが、これはわての一生一度の贅沢ですと言いながら泣くので、それを見たがま口は、あんたにもそんな女に気持ちがあったんか…、何も知らんと、わしが馬鹿やった…と言いながら、部屋を後にすると、壁に飾ってあった先代吉三郎の遺影を見上げ、わしはただの番頭や、弁慶や…とつぶやくのだった。

一方、部屋に一人残っていた多加も、あの人は、大阪の男らしく、はっきりものが言えんお人やった…と悔し涙を浮かべる。

やがて戦争が激化し、久雄が出征することになる。

見送る多加は、見知らぬ娘(司葉子)が久雄に千人針を渡している姿を発見する。

久雄に、その娘のことを聞いても、無事帰って来たら結婚しようと思う。お梅がみんな知っています。寄席の経営に付いてもお梅に話していますと言うだけだった。

その夜、お梅を呼び出し話を聞くと、ボンボンは、寄席を継ぐのは気が進まない、娘の名は京子と言うと教えられる。

それを聞いた多加は、手切れ金考えて、あの娘のお腹を観たけど、大丈夫そうやったと言うが、そんな多加の態度を観ていたお梅は、お母ちゃんは、何でもお金に換えると言っておられます。私はこの年になるまで、お代わりさんになってあの方を育てて来ました。もう少し、ボンボンのことを考えてあげて下さいと訴える。

しかし、多加は、あんたに久雄をやったつもりはないと叱りつける。

お梅が諦めたように部屋を出て行くと、多加は、わては一人や…とつぶやいて泣き崩れるのだった。

戦争で芸人たちも大勢兵隊に取られ、今や、大阪の落語会も全滅の危機を迎えていた。

そんな愚痴をこぼしているがま口の元に、一通のはがきが届く。

差出人は久雄だったので、すぐに多加に渡すと、多加はお梅も読んで一緒に読み始める。

13日の午後3時、京橋に来て下さいと書いてあったので、多加は、もう3時過ぎていると慌てるが、がま口が、今日は12日やと教え、皆、その慌てぶりに笑い出す。

しかし、その場を離れたお梅は、やっぱり親子やな…。河内の在所に帰ろうか…などと独り言をつぶやくのだった。

翌日、京橋で無事、一旦帰還した久雄と再会した多加は、お梅に作らせたおはぎなどを食べさせようと、近くの國光旅館に連れて行くが、久雄はただ眠いと言って、ベッドに横になる。

多加は、久雄の上着のポケットに小遣いを入れてやったりするが、やがて目覚めた久雄は、この間硫黄島に行って来た。今生きているのが不思議な気持ちや…と教え、多加に、一刻も早く大阪から疎開してくれと頼む。

しかし、商売があると言う多加に、寄席商いが重荷になっているのなら辞めたらどうですか?と忠告する。

それでも多加は、戦争は今に終わる。そうしたら寄席は又流行る。自分は今日まで、お前の為に頑張って来たのだと説明するが、久雄は、寄席商いには興味が持てない。母さんは商売の鬼や。そんな母さんが哀しい。何もかも金に換算する。白無垢着た時から本当の人間の心をなくしたんじゃありませんか?そんな商いなんて継ぎたくないんですと答える。

芸人たちを縛って、あんなあくどい商売するなんて…と批判を続ける久雄の態度に耐えきれなくなった多加は帰ろうとするが、その時、空襲警報が鳴り響く。

旅館の支配人が顔を出し、大阪が焼けていると教えると、多加はすぐさま部屋を飛び出して行く。

久雄も後を追おうとするが、旅館の外に出た時、もう母親の姿は見えなかった。

多加は、焼ける家の間を逃げて来る群衆に逆らうように大阪の街へ帰っていた。

戻って来ると、法善寺も寄席も、焼け野が原になっていた。

それを目の当たりにした多加は、何もかも久雄の言うた通りになってしもうた…、久雄!と叫んでその場にしゃがみ込む。

その時、「お母さんか?お母さん!」と呼ぶ声を聞く。

多加に抱きついて来たのは京子だった。

お母さんのお顔は影から観させてもろうていました。久雄さんから、一番先に慰めてやってくれと言われていましたと京子は説明し、今日、神戸でお会いになったんでしょう?と聞いて来る。

京子は、あの人はきっと帰って来ます。そしてここに何か建ててくれます。そうでなかったら、生きていけへんと言うので、その言葉を聞いていた多加は、そうや、わても、今日まで、そうやって生きて来たんや!と力強く答える。

その時、「御寮はん!」と言う声がして、がま口も近づいて来ると、このお不動さんによう参りましたなと話しかけて来る。

京子が、焼けた不動明王にバケツの水をかけてみると、水蒸気が立ち上ったので、まだ生きてます!と喜ぶ。

やがて、朝が明けたと京子は多加に教える。

朝日を観ながら、多加は、これで大阪も代が替わるんや…とつぶやく。

それを聞いていたがま口も、代が替わる…と繰り返す。

多加は京子と共に、いつまでも朝日の方角を見つめるのだった。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

直木賞を受賞した山崎豊子の原作を映画化したもの。

主役は、吉本興業の創始者吉本せいと言われているらしい。

寄席で成功したヒロインが通天閣を買う所などは、確かにそのように思える。

冒頭部分は、森繁演ずるダメンズ亭主と淡島演ずるしっかり妻との奇妙な夫婦関係が、まるで「夫婦善哉」のように描かれている。

その亭主が夭折すると、ヒロインは前以上に、商売の鬼になって行く。

元々商才があった上に、不遇さが彼女に強靭な精神力を与えたのだろう。

しかし、その反面、息子との縁は薄くなり、お代わりさんとして子育てを託したお梅に息子を取られてしまったような孤独な境遇になる。

ふとした縁で知り合った伊藤とも、深い仲には発展せぬ間に二人に突然の別れが訪れる。

淡島千景が達者なのは前から知っていたが、この作品でのアチャコのシリアス芝居には感心させられる。

当時人気者で売れっ子だっただけに、作品によっては、精彩を欠く作品もないではなかっただけに、この作品への力の入れようがうかがえる。

落語家が、持ちネタを質に入れるなどと言う有名なエピソードも描かれている。

基本的にサクセスストーリーである上に、寄席と言う興味深い世界が描かれているだけに、最後まで惹き込まれる見応えのある内容になっている。

吉本がモデルの話なのに、松竹新喜劇の面々が登場していると言うのも興味深い所である。

吉本側は、モデルにされているだけに、芸人を出しにくい立場だったのかもしれない。