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花のき村と盗人たち

1975年、東映教育映画部、新美南吉原作、矢吹公郎脚本+演出作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

ある所に、花が好きな人が集まるきれいな村があり、「花さき村」と呼ばれていました。

今日は、お釈迦様をまつる「花祭りの日」でした。

「花さき村」と書かれた杭にとまったカラスの久郎は、三味線を弾きながら歌い始める。

タイトル

森の中から、村の外れにある水車小屋に近づいて来た集団に久郎は気づく。

先頭を歩いて来た怪しげな男に久郎が名乗ると、その男も歌いながら自己紹介をし始める。

生まれは信州の村はずれ。名は熊五郎と言うその親分は、子供の頃から手癖が悪く、昨日まではこそ泥だったが、今日は4人の子分ができたので、はじめて親分になったらしい。

その後から付いて来た4人は、釜師の釜右エ門、錠前師の海老之丞、角兵衛獅子をやっていた角兵衛と大工の息子の鉋太郎。

その子分たちに村の様子を探らせに行かせた親分は、久郎と二人で水車小屋で待つことにする。

のんびりキセルのタバコを吸い始めた親分は、はじめての親分業に満足な様子。

久郎にも仲間になるかと聞くが、結構です、いくら何でも泥棒なんて…と久郎が断ると、ちょっとむっとしたのか、久郎の頭から、ちょんまげのかつらを取って、くるくる回して愉快そうに笑う。

見かけほど、親分は、人は悪くなさそうだった。

そこに、釜師が戻って来て、良いものを見つけたと親分に報告する。

聞けば、三斗炊きの大釜があっただの、寺の鐘を鋳潰せば茶釜を50も作れるとか、昔の商売の続きみたいなものばかりで、穴の開いた鍋をぶら下げているので、それは何だと親分が聞くと、30文で直してやると言い、預かって来たと言う。

呆れた親分は、もう一度ちゃんと金目のものを見つけて来いと叱りつけ、釜右エ門を村に追い返す。

続いて、錠前屋の海老之丞が戻って来て、この村はダメだと言う。

訳を聞くと、どの家の蔵もまともな鍵などついておらず、ついていても粗末なものばかりだと言う。

親分は呆れて、鍵を売るんじゃない。金目のものを探すんだと叱り、もう一度村に追い返す。

続いて、角兵衛獅子の角兵衛が戻って来て言うには、花菖蒲がたくさん咲いた家があり、そこのおじいさんが篠笛を吹いていた。あんまり上手なので聞き惚れてしまった。さらに行くと小さな尼寺があり、そこにが村人が集まり、小さなお釈迦様に甘酒をかけていたので、自分もいっぱいかけさせてもらったら、甘酒をごちそうになったなどとうれしそう。

親分は、角兵衛にも、もう一度村で金目のものを探して来いと追い払う。

最後は、大工の鉋太郎が戻って来て、金持ちを見つけたと言う。

良く聞いてみると、その屋敷の天井や床は、皆薩摩杉の一枚板で作ってあったなどと言い出すので、さすがに一緒に聞いていた久郎も笑い出してしまう。

親分は、天井板盗んでどうすると怒り、鉋太郎も村へと追い返すのだった。

水車小屋の前に出て、久郎と一緒に寝そべった親分は、泥棒の親分も楽じゃないとため息をつく。

空なんて観たのも、ガキ頃以来だと言う。

その時、突然、子供たちの「泥棒!」と叫ぶ声が聞こえて来たので、見つかったと思った親分は怖じ気づくが、良く見ると、子供同士が泥棒ごっこをしているだけだった。

その時、どこから現れたのか、子牛を引いた一人の子供が親分に近づくと、この紐を持ってて欲しいのと頼む。

親分が何気なく、その紐を受け取ると、そのわらじを履いた子供は、「お願いね」と念を押して、村の方へと去って行った。

子牛を預けられた親分は、じゃれついて来る子牛をかわいがりながら、笑い出す。

あんまり笑ったので、ぽろぽろ涙が出て来てしまった。

久郎が不思議がると、子分たちが苦労して村を探しまわっていると言うのに、自分は何もしないで、もう一頭子牛盗んだとしたらどうする?と親分は言うが、その後も涙はとまらなかった。

可愛いじゃないか。あの子が泥棒のわしに、子牛なんかあずけるなんて…と言いながら、泣き続ける親分。

それを観ていた久郎は歌い出す。

花を見つめていた親分は、甘えて来る子牛を抱きながら、腹減っただろう?でも、俺は乳が出ないんだと詫びる。

その目からこぼれた涙が、子牛の身体にこぼれる。

そこへ、子分たちが戻って来て、金緒茶釜を見つけたなどと報告するが、もう、盗むことより、戻って来ない子供のことの方が気がかりな親分は、子供を捜して来いと命ずる。

子分たちはあっけにとられ、泥棒根性はどうしたんです?と問いかけるが、親分は、どうしてもあの子に返してやりたいんだと言いながら泣き続けるのだった。

仕方がないので、皆で村中を聞いて回るが、この辺りのお百姓衆は、そんな子供は見たことないと言うし、子牛も知らないと言う。

とっぷり夜も老け、親分たちは困ってしまうが、その時、大工の鉋太郎が、恐る恐る、村役人の所で聞くのはどうだろうと言い出す。

それを聞いた親分は、怒るどころか賛成し、すぐに行くと言い出す。

出迎えた村役人は、かなりの年配者だったが、見慣れぬ泥棒たちを不審がり、まさか、泥棒ではなかろうね?と聞く。

親分は、自分たちは江戸から西に行く職人でと、それぞれの職業を教え、自分は百姓だと答える。

それを聞いた村役人は、疑って悪かったと詫び、ちょうど今、月を観ながら、一人でいっぱいやっていた所なので、一緒にどうかね?と酒を振る舞ってくれる。

屋根の上では、久郎も一人酒を飲み始める。

その温情を受けた親分は、又しても泣き出したので、それを観た村役人は、おや?泣き上戸か?涙は心を洗うと言うではないかと慰める。

すると、親分は、実は、自分たちは泥棒なのだと正体を明かしてしまう。

白状するつもりじゃなかったが、ご老人を欺くことができなかったと言うのだ。

親分は、自分はともかく、子分たちは今日から始めた素人なので、許してやってくれと頼む。

それを聞いた村役人は、あんたは、お百姓とな?だったら、わしは少し田畑を持っている。わしに代わって、耕してくれぬか?最愛、あんたには牛も持っているし…と言ってくれる。

それを聞いていた、屋根の上の久郎も泣き始める。

翌朝、子分たちは、それぞれ正業に戻ることにし、村から旅立って行く。

親分は、子牛と一緒に、お百姓に戻って働くようになる。

こうして、泥棒の親分は生まれ変わりました。

ある日、親分は藁草履をお地蔵様に供えました。

藁草履を履いていたあの子は、お地蔵様に違いないと思ったからです。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

霊友会の企画、東映動画が作った教育アニメ映画。

27分の短編で、性善説に基づいた心洗われる良いお話である。

泥棒の親分を演じているのは、声優界の重鎮滝口順平だが、この作品では、前半、ミュージカルのように歌うシーンもある。

ちょんまげのヅラをかぶり、三味線を弾くカラスの久郎は、アニメオリジナルキャラではないだろうか。

お釈迦様をまつる「花の日」の話なので、子供はお釈迦様の化身ではないかとすぐに想像したが、お地蔵様だったと言う落ちは、ちょっと意外だった。

小学生くらいや、童心に戻りたい大人向けの、ほのぼのとしたメルヘンだと思う。