1956年、東映京都、高岩肇脚本、内田吐夢監督作品。
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狩人の親子、照造(片岡千恵蔵)と次郎(植木基晴)は、雪山の中で見つけた猪にそっと近づいていた。
その猪をしとめようと、照造が弓を引き絞った瞬間、辺りを震わすような銃声が轟き、猪が逃げ出す。
しかし、照造は慌てず、逃げる猪に、二本弓を射かけ、両方とも命中させる。
倒れた獲物を捕ろうと、親子が近づいて来た時、別の方向から、突然役人たちが出現し、その猪を奪おうとしたので、照造は、それは自分がしとめたもので、銃の弾は当たっていないと抗議する。
それを聞いた役人は、これは、今度この地の代官に赴任される脇群太夫(月形龍之介)様のものだから、素直にさし出した方が良いと言いながら、鞭で照造の頬を殴りつける。
観ると、役人の背後に馬に乗った脇群太夫がずっと様子を見ており、馬を下りた群太夫は、そのような狩人の施しなど受けることはないと言いながら猪と照造の側に近づいて来ると、「珠は当たってないと申したな」と照造を睨みつけながら、役人が持っていた銃を取り上げると、その場で既に死んでいた猪に向かい一発銃を撃ってみせる。
その後、猪を抱えた照造と一緒に村に降りて来た次郎は、田んぼで働いていた祖父の和平次(高堂国典)に声をかける。
和平次は、うれしそうに、今年何匹猪を穫ったと聞くと、次郎は自慢げに、6頭目だと言い、これを売った金で、米や塩と「タカノヤマメ」を買うと答え、さすが照造のせがれだと和平次は笑う。
亡くなった次郎の母親である照造の女房およしに一目見せたかったと漏らす和平次の言葉に、つい、照造も目頭を熱くするのだった。
その頃、美鈴姫(高千穂ひづる)の依頼で、彼女の父親の書状を中納言に渡すために京都に向かっていた平田辰馬(伊藤久哉)が戻って来て、薩長倒幕の密勅が下ったと姫に報告していた。
天領地の隣にある江州野沢藩の藩主野沢右亮介(清川荘司)は勤皇派に加担しようと考え、神官平田信胤の息子平田辰馬と美鈴姫を京都に向かわせる。
照造と次郎は、京都へ大量の品物を運ぶ人夫の手伝いをしながら、ひょっとすると京都で戦が始まるのかも知れんなと話し合っていた。
一方、代官屋敷に赴任して来た脇群太夫は、前任者の大場主膳(河部五郎)に出迎えられ、諸般の引き継ぎをしたいと告げられるが、そんな必要はないと言い、すぐに米蔵に案内させると、五百俵は保管してあった米俵を確認すると、これをすぐさま京都へ送るようにと命じるのだった。
後日、農民たちは、再検地を行うと言うことと、農民も漁民も狩人も、それぞれ新たな年貢米を納めよと書かれた脇群太夫の名義の高札を観て驚愕する。
新たに始まった検地は、意図的に検査法をルーズにし、わざと従来の田圃の面積をより大きく見積もることで、今まで以上の年貢米を納めさせるためだった。
その検査法を観ていた和平次は、218分だったはずの田んぼを220分と言われたので、その場で役人に抗議するが、全く聞き入れなかった。
そんなある日、今度は天誅組なる賊が当地に逃げ込んだので、見つけたら金5枚を使わすと言う高札が立ち、山狩りが行われていた。
山小屋で食事中だった照造と次郎は、突然、戸口を開けて入って来た男女の姿を見て驚く。
男は、顔見知りの神主の息子平田辰馬と美鈴姫だったからだ。
辰馬が言うには、京都から山を越えてやって来たと言うが、山狩りの最中とあっては目立ちすぎると案じた照造は、二人に蓑がさを身につけさせると、雨が降り始めた中、抜け道を教えに、次郎と一緒に途中まで送って行ってやるが、山小屋に戻って来ると、そこには、脇群太夫と配下の者たちが勝手に上がり込み暖をとっていた。
その後、脇群太夫は京都守護職板倉帯刀(市川小太夫)に呼ばれ、上様は二条城を明け渡されたが、その上様の考え方とは違うが、お前は砦を構築し、最後まで勤皇派を近づけるなと命じられていた。
後日、近隣の農民たちは役人に呼び集められ、今までお前たちがのうのうと生きて来られたのも、天領としての上様からのご加護があったからだ。今後は、その上様から脇群太夫が拝領された三つ葉葵の御紋入りの陣笠の前を通るときは必ず土下座をせよ。怠ったものは、ただちにひっ捕らえると、陣笠を往来に飾ったものを示しながら無茶なことを命じられる。
その日から、魚を外に売りに行く者や、旅の途中で立ち寄っていた野田藩の反物の行商人まで、藩内にいた男たちは、一切天領の関所から外に出られなくなる。
通行手形を差し出して容赦を願おうとした行商人など、目の前で、その手形を役人に割られてしまう有様だった。
大庄屋平田辰右衛門(薄田研二)の家に集まった農民たちは、この異常事態をどうすべきかと話し合っていたが、そこに、大庄屋の甥に当たる辰馬が、旅の途中で知り合ったと言う祭文語りの乾文五郎(加藤嘉)なる人物を連れてやって来て、大阪の伏見で観た話をみんなに聞かせる。
文五郎は、将軍様が夜逃げをする所を観たとおもしろおかしく語り出す。
その中には、新撰組や大砲なども混ざっていたと言う話を聞いた農民たちは、ことの成り行きを理解できなかったが、そんな農民の態度を観た文五郎は「倒幕の御詔勅が、薩長、土州に下ったのをご存じないのか?」と逆に驚いてみせる。
「王政復古」の意味すら知らなかった農民たちに、文五郎は、これからは徳川さんの代もご臨終、天子様の世の中になるので、天領などと言うもの自体なくなるでしょうと教えるのだった。
その後、藩内には、「15才以上の男は全員働くこと、山方、里方、湖方、それぞれ材木、牛馬、船などを差し出せ」と言う高札が立てられたので、それを観た男たちは八幡様に密かに集結すると、これは砦を作るに違いなく、そうなると、かえってこの地に戦をおびき寄せるようなものだと憂慮しあう。
リーダー格の弥七(片岡栄二郎)は、こうなったら若い衆は働くのを拒否して抵抗するしかないと言い出し、参加していた照造にも参加を呼びかけるが、照造は、自分は狩人でしかなく、会合や相談事など苦手だし、これまでもずっと一人でやって来たので、これからも一人でやるよと断るのだった。
その頃、神主である父の平田信胤(水野浩)の家にいた辰馬は、文五郎の話から戦況を分析していたが、その場にいた美鈴姫は、早く父上の待つ野沢藩へ帰りたがっていた。
照造や農民たちは、巨大な材木運びと言う重労働を課せられていた。
父照造と共に働いていた次郎は、道ばたに飾ってあった陣笠の前を通っても土下座をしなかったので役人に引き立てられるが、抵抗したので、それを取り押さえようとした役人が陣笠を地面に落としてしまう。
役人は、それを次郎のせいにしようとしたので、一部始終を見ていた照造は、子供のことなのでご容赦くださいと頼み込むが、ちょうどそこに馬でやって来たのが脇群太夫だった。
脇群太夫は、雪山で照造親子を見知っていたので、この場は見逃してやるが、その代わり、お前の自慢の弓の腕を見せてくれ。的はあのみかんだと、側に生えていたみかんの木を見ながら告げる。
照造は助かったと思い承知するが、脇群太夫は、部下にみかんを一つもぎってこさせると、それを次郎に持たせ、みかんを頭の上に乗せ、木の下に立ってみろと言い出す。
照造は、息子の頭の上のみかんを矢で射てと言われているのだと気づくと、必死に止めてくれと群太夫に嘆願するが、群太夫は表情も変えず、言葉にも耳を貸そうとしないばかりか、出来ぬとあれば、小せがれは生かしておけん。己の腕で己の運命を切り開く。これこそ男らしいではないかなどと嘲笑する。
次郎は健気にもやってくれと声を出していたが、耐えきれなくなった照造は、その場にいた農民たちに、一緒に命乞いをしてくれと頼む。
しかし、弥七らは無言で見ているだけ。
騒ぎを聞きつけた和平次夫婦も駆けつけて来て、自分を身代わりにしてくれと土下座するが、群太夫はやらぬとあらば、わしがやってやると言い、鉄砲を持って来させると、その切っ先を次郎の方に向ける。
さすがに照造は覚悟を決めると、やると言い出す。
次郎に目を閉じるように呼びかけた照造は弓を引き絞るが、その際、二の矢を持っていることを群太夫は見逃さなかった。
照造が放った矢は、見事に次郎の頭の上のみかんに命中するが、それを観た群太夫は、あっぱれ、さすが名人だと褒めた後、二の矢を持っていたのはなぜだと照造に問いかける。
照造は、窮地を脱した安堵の気持ちもあり、もし射損じたら、二の矢でおまえ様の胸板を射抜くつもりだったと正直に打ち明ける。
それをやはりな…と笑って聞いた群太夫だったが、お前は以前、何者かを山で逃がしただろう?野沢藩の美鈴姫か?と問いかけ、どちらにしても、みどもの命を狙うような奴を見逃す訳にはいかんと言い出し、照造と次郎の二人を配下に命じて捕まえさせる。
約束が違うと暴れた照造だったが、多勢に無勢、とうとう取り押さえられてしまう。
その時、群太夫の元に使者が駆けつけて来て、板倉からの手紙を渡したので、それをその場で読んだ群太夫は、二段構えの砦は任せられよと板倉様に伝えてくれと使者に告げながら、指を折っていた。
屋敷に戻った群太夫は、後10日あまり…と、残された日程を試算すると、まずは、領内の不平分子の一掃をと、配下たちに命じる。
船で野沢藩に向かっていた平田信胤、辰馬親子と美鈴姫は、役人たちの船に襲撃され、抵抗しようとした辰馬は斬られ、そのまま海に落ちてしまう。
乾文五郎はさらし首になっていた。
弥七たち、若衆15名も捕まったと高札が掲げられる。
弥七たちは、近くにある岩島に送り込まれる。
そこでは、既に多くの反乱分子が捕まっており、石の切り出し作業をやらされていた。
その中には、あの照造の姿もあった。
弥七は、次郎のことを案ずる照造に、爺婆と村中で面倒を見ているので安心しろと教える。
和平次とふく(毛利菊枝)は、田んぼの藁積みの中に次郎を隠しており、時々、握り飯など差し入れをしていた。
怪我をした辰馬も村人たちに助けられ、小屋でかくまわれていたが、周囲には絶えず役人たちがうろついていたので、うっかり外に出ることもままならなかった。
捕まって代官屋敷に連れて来られた平田信胤は、野沢右亮介に会いに行くつもりだったのか?と石を抱かされ、役人たちから拷問を受けていた。
一方、群太夫は、牢に入れた美鈴姫に同じような尋問をしていたが、美鈴姫は人違いですと言うだけだった。
群太夫は、その後、板倉から、味方は敗北したので、何とか薩長だけは食い止めろと命じられ、最後の勤めをいたすと答えていた。
脇群太夫は、翌日、鉄砲隊100名を野沢右亮介の元に差し向けると、美鈴姫は預かったと脅した後、藩内の男をすべて集め、第二の砦を十日以内に作れ。さもないと、照造たちの命はないぞと大庄屋平田辰右衛門を呼びつけて命じる。
その命令を帰って農民たちに伝えた辰右衛門だったが、それを聞いた農民たちは、到底そんなことは不可能であり、仮に砦が完成したとしても、自分たちなどはみんな殺されるかも知れないので、この際、海の衆や山の衆とも協力して抵抗しようと話し合うが、それを黙って聞いていた辰右衛門は、明日、もう一度、自分が掛け合いに雪、駄目だったら、自分もみんなと共にぶち当たると決意を述べる。
翌日、再び代官所に向かった辰右衛門だったが、脇群太夫は、島のものを助けたくば、後九日間で砦を完成させろと言うばかり。
力なく帰りかけた辰右衛門は、その場で取り押さえられ、無理矢理牢に入れられてしまう。
別の牢内では、平田信胤が拷問を受けて衰弱していたが、そこに娘の平田鶴乃(八汐路恵子)を連れて来て父親の姿を見せた群太夫は、父親を助けたくば、わしの言う通りにしろと迫る。
鶴乃は、その晩、和平次とふく夫婦の家に一人やって来ると、回状だと一通鵜の手紙を手渡す。
そこには、今夜丑の刻に森に集まれと書かれてあったので、村中に回状を回して知らせる。
その回状を読み、森に集まった村の男たちは、待ち伏せていた役人に皆捕まってしまう。
翌日、綱をうたれ、砦の場所に引き立てられて来た男たちは、これまで公方様のお世話になっておきながら、徒党を組んで反乱を企てるとは不届き千万、幸い、内通するものがあったので事前に判明したが、本来なら打ち首にすべき所だが、砦構築を手伝うことで許してやることにする。後8日間で完成させろと脇群太夫から通達される。
一緒について来た女房たちは騒ぎ出し、捕まった男たちの中からも、内通者とは誰だろう?そう言えば、大庄屋と和平次の姿が見えないと言う声が上がる。
女房たちも同じ考えになり、平田辰右衛門と和平次の家に向かうと、二人を出せと、辰右衛門の妻おとき(松浦築枝)と、和平次の妻ふくに激しく言い寄る。
二人とも、夫はまだ帰って来ていないし、密通などするはずがないと否定するが、女房たちお怒りは収まらず、中には石を投げるものさえいた。
ふくは、女房たちを従え鶴乃の家を訪ねると、回状のことを確認するが、鶴乃は何も答えられなかった。
その夜、鶴乃は、一人、入水自殺を図る。
島に幽閉されていた照造は、陸に向かい「次郎!」と叫んでいた。
その次郎は、湖に貝を拾いに出かけて、流れ着いた鶴乃の死体を発見する。
知らせを聞いた辰馬は、妹鶴乃が遺していた書き置きを女房たちの前で涙ながらに読み、平田信胤、和平次と平田辰右衛門 の3人は、代官屋敷の牢の中に入れられていること。自分は父親を助けたい一心で、偽の回状を和平次に渡してしまった。自分の死を持って許して欲しいと言う鶴乃の告白を知る。
その内容を聞いた女房たちは、自分たちの浅はかな行動を反省し、ふくやおときに謝罪する。
ふくも、厳しく鶴乃に迫った自分を責めていた。
鶴乃の辛い胸中を察した女房たちだったが、このままでは、自分たちの子供たちは飢え死にし、夫は死んでしまうと危機感を募らせる。
そうした中、しづ(赤木春恵)は、我々弱い女たちにも死ぬ力はある。死ぬ力さえあれば何でも出来る!代官をやろう!と言い出し、それを聞いた他の女房たちも賛同する。
その決意を聞いていた辰馬は、最初は止めようとしていたが、最後には自分も腹をくくり、女たちと作戦を練り始めるのだった。
翌日、大木運びで砦の柵の前まで来てへたり込んでいた夫に、草むらに隠れていた女房は一通の手紙をそっと手渡す。
その日の重労働が終わり、休憩小屋に戻って来た夫は、こっそりその手紙を読み、明日の朝、上庵寺の鐘が鳴ったら襲撃するので、見張りを押さえて欲しいと書かれた内容を、小屋の中にいた男たちにも見せる。
一方、一人、父照造らが幽閉されていた小島に泳いで渡った次郎は、照造と再開し互いに抱き合うが、何しに来たと照造から聞かれると、鶴乃姉ちゃんが死んで、おじいも大庄屋や神主も全員代官屋敷に捕まったと教えると、頭に乗せて来た女房たちからの手紙を渡す。
そこにも、明日の朝、代官屋敷を襲撃するので、お前さんたちも島抜けして手伝ってくれと計画が書かれていたので、その場に寝ていた弥七たち全員が起きて来て協力することを約束する。
照造は、そんな仲間たちの前で、はじめて泣くと、自分は以前、何でも一人でやると言ったが、今こそみんなとやらせてくれと詫びる。
その言葉を聞いた弥七は、それを聞いて、胸がすっとした。照造が協力してくれるのなら千人力だ。みんなで沖の船まで泳いで行こうと言い出す。
照造は、満身の力を込めて、両足を繋いでいた鉄鎖を引きちぎると、弥七たちと共に、沖に浮かんでいた二隻の小舟まで泳ぎ始めるのだった。
小舟に乗り移った照造たちは、二隻の小舟を漕いで陸に近づく。
上庵寺で待機していた者たちは、海から近づいて来る小舟を確認すると、すぐさま鐘を打ち鳴らし始める。
その鐘の音を聞いた女房たちは、めいめい顔に鍋煤を顔に塗ると、棒を持って家を出る。
各家から出て来た女房たちはやがて合流し、大群になって砦の建築現場へと向かう。
一方、砦の見張り台から降りて来た役人たちは、その場で男たちに倒されてしまう。
近づいて来た女房たちと閉じ込められていた夫たちは、柵を倒すと互いに抱き合い、再会を喜び合う。
そして、そのまま男女とも代官屋敷に向かう。
門を開けろと叫ぶ農民たちの声に気づいて起きた脇群太夫は、うろたえるなと部下たちを叱咤する。
農民たちは、大木を門に打ち付け、門を破ると、中に侵入するが、そこには、人質となっていた平田辰右衛門、平田信胤、和平次が引き出され、そこに銃を突きつけた群太夫と配下の者たちの姿があった。
自分たちにも、鉄砲隊の銃が向けられていることを知った農民たちは、じりじりと、門の外に追い出されて行くが、その時、海岸に到着し、裏の塀を乗り越え、屋敷の中に入って来たのが、島に幽閉されていた照造たちだった。
背後から攻め込まれたことを知った群太夫たちは慌て、人質を盾に抵抗しようとするが、照造たちは猛然と戦い始める。
これに気づいた表の農民たちも一斉に代官屋敷に入り込み、米蔵を襲撃して、米を取り戻す。
鉄砲隊の銃撃もむなしく、照造たちの猛烈な抵抗に耐えきれなくなった群太夫たちは、裏から海岸に逃げ出すと、照造たちが乗って来た小舟に乗り込み、必死に沖へ逃げ出して行く。
それを海岸まで追って来た照造たちだったが、深追いするなと止める照造に従い、その場で、逃げて行く群太夫の哀れな様子を見ながら、全員で大笑いするのだった。
その後、全員で、代官屋敷の柱に綱を巻き、村人全員で綱を引いて、大きな代官屋敷を引き倒すと、崩れたその屋根の上に駆け上がって、皆で喜び合うのだった。
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非情な悪代官が、村人を虐待して巨大な砦を作ろうとする…と言う展開は、後年の大映映画「大魔神の逆襲」(1966)や「スター・ウォーズ」(1977)を連想させる。
この展開では、それこそスーパーヒーローでも登場しないと解決しそうにもない設定に思えるのだが、解決へと向かうきっかけは、女房たちの子供と夫を守ろうとする決死の決意と言う所が面白い。
虐げられた労働者決起映画なのだ。
主人公は、農民や漁民、狩人など、天領内の庶民全員と言うことになり、その分、片岡千恵蔵の影は薄くなっている。
冒頭の照造と脇群太夫の出会いとか、途中で、ウィリアム・テルのパロディのようなシーンがあるので、クライマックスでも、照造の弓が生かされるのかと期待していたが、全くそう言う展開にはならない所が若干物足りなくもある。
脇群太夫の家臣として、加賀邦男や吉田義夫などおなじみの顔ぶれも登場しているが、全体的に、群衆ドラマの印象が強いので、個々の俳優の印象は皆一様に薄くなっている。
しかし、それを補うように群衆シーンの迫力は圧巻で、1000人規模のエキストラシーンは唖然とさせられる。
早朝から、数名のメイクや衣装が、総掛かりでエキストラたちの扮装を作って行ったのだろうが、その準備だけでも丸一日近くはかかったのではないかと想像する。
岩の島の頂上付近まで人が登り、石を切り崩しているシーンやラストの代官屋敷の屋台崩しも迫力がある。
まさに、全盛期の東映時代劇の底力を見せられた思いがする。
あえて、この作品の主人公をあげるとすれば、それは悪代官を演じている月形龍之介であろう。
上司から無理矢理命じられる砦構築事業に、一言の反論もせず、黙って敗北する運命にある将軍家に忠誠を誓い、庶民を押さえつけるその姿は、中間管理職としての哀れさも感じられ、ダース・ベイダーにも似た魅力すら感じる。