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楢山節考('58)

1958年、松竹大船、深沢七郎原作、木下恵介脚色+監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

黒子が拍子木を打ち、幕の上にタイトルが重なる。

幕が開き、セットの隣村から歩いて来た男(東野英治郎)は、納屋の中の石臼に自らの前歯を当て、考えあぐんでいたおりん婆さん(田中絹代)が外に出た所で、自分の村で後家が一人で来た、三日前に夫の葬式をすんだばかりだと声をかけてくる。

年を聞くと45歳と、自分の息子で、嫁に死なれた難儀している辰平(高橋貞二)と同じだったので、聞いたおりんは、それはちょうど良いと喜ぶ。

そんな所に腹を空かせて帰って来た孫のけさ吉(市川団子)が、お婆の歯は33本あるなどと憎まれ口を聞くので、28本しかないとおりんは怒る。

その頃、遠くから、祭りの準備の音が聞こえて来る中、辰平は、幼い子供3人と一緒に、谷に落ちて死んだ妻の墓参りをしていたが、そこにやって来たおりんは、お前の嫁さんが来る。自分も来年は70だから、楢山様に行こうと思っていると告げる。

辰平は、そんな母親の申し出に良い気持ちはしなかったが、おりんにせがまれ、おぶってみることにする。

おりんは、自分はいまだに歯が丈夫で、若い者と同じように何でも食べられるのが恥ずかしいと言いながら、落ちていた石で歯を折ろうとしながら、歯の抜けた年寄りになって、楢山様に行きたいと力説する。

自宅に戻って来る途中、近所の浜やんが、「鬼の歯を33本♬」などと、おりんの歯の丈夫さをからかう歌を歌っていたので、辰平は怒るが、浜やんは、けさ吉のまねをしただけだと笑う。

辰平は、その後、孫のけさ吉も叱りつける。

幕降りて、場面転換

けさ吉は、親父の嫁さんなんかいらん、俺がもらうと言い放つと、又、「鬼の歯、33本そろえた♬」などと婆の悪口を唄いだす。

年の一度の白萩様の祭りの日、朝から白米を炊いて準備していたおりんの家に、突然、隣に住むおりんの幼なじみ、又やん(宮口精二)がよろけながら入って来る。

又やんは嫁から飯をろくに食わせられていないらしいく、炊きたての飯を食いたそうなそぶり。

そんな情けない又やんに、おりんは、お前は俺より1つ上だ。山に行く気がないんじゃろう?と呆れながらも、白米を食わせてやる。

そこに、又やんを探しに来た息子(伊藤雄之助)がやって来て、卑しいまねをしている父親を引きずって帰る。

その後、おりんは、家の前でぽつんと座っている見知らぬ女を見かけたので声をかけると、隣村から兄の紹介で来た玉やん(望月優子)だと言うので、辰平の嫁が来た喜んだおりんは、家の中に招き入れて、すぐに、白米とおかずを出して食わせる。

魚を二尾も出してくれたおりんの気前の良さに驚いた玉やんは、この前来たのは、自分の兄じゃ、おばあやんが良い人だからと言うもんで…と言いながら、白米にかぶりつく。

玉やんが飯を食っている間、祭りに出かけた辰平を迎えに家を出たおりんは、納屋に入ると、石臼の前に座り、とうとう前歯を自らぶつけて折ってしまう。

血まみれになった口をゆすぐため、家の前の小川で口を濯いでいると、家の中で異変に気づいた玉やんが、どうした?と声をかけて来たので、歯がダメだと、血まみれの口を開けて見せる。

その後、よろよろと踊りの会場へ向かったおりんだったが、踊っていた村の衆たちは、口から血を滴らせながらやってきたおりんの姿を見せ騒然となる。(画面全体に、赤いフィルターがかかる)

辰平はあわてて、おりんを背負って帰る。

帰宅した辰平は、そこにいた玉やんに驚いて立ちすくむが、米の飯が炊いてあるのを見ると、年の一度の白い飯だ!おっかあ、どんどん食え!俺も食うとやけっぱちのように言うと、自ら飯を茶碗についで黙々と口に詰め込み始める。

そんな家の入り口の前に集まった子供たちは、おりんに向かって「鬼婆」と悪態をつく。

村に秋が来て、けさ吉は、木の上で、妊娠した松やん(小笠原慶子)と語らっていた。

一方、おりんや玉やんと共に、稲刈りをしていた辰平は、なぜか手を止めぼーっとしていた。

おりんと、玉やんが注意すると、これっぽっちの田んぼ、そんなに急いで刈ることはないと辰平は言い、わずかばかりの収穫を背負って帰ることにする。

その途中、右足を怪我してうずくまっていた又やんを発見したおりんは、なぜ、楢山さんに行かんのじゃ?わしは行くぞと言い聞かせるが、又やんは、嫌じゃと叫んで逃げ出す。

その日の夕食時、食欲おう盛な松やんと一緒にいろりの前に座っていたあさ吉は、目の前にいるおりんに、いつ楢山に行く?と期待するように聞く。

けさ吉は、早い方が良いと言い出したので、それを聞いていた玉やんは、遅い方が良いと反論する。

おりんは、雪が積もる前に行きたいと考えていた。

その夜、村に泥棒が入り、村中総出で「楢山さんに謝るぞ〜」と口々に言いながら、裸足で外に出て来る。

おりんは、泥棒に入ったのは鵜宿の雨屋か?と驚く。

そんな中、裸足で来るのが掟なのに、一人わらじを履いてやって来た又やんが発見される。

それを知った息子は、掟通り、みんなで袋だたきにしてくれと言い出す。

しかし、平気で父親を虐待しようとする息子の姿を見かねた辰平は、又やんは足をけがしているのだからと、暴行を止める。

雨屋の連中は12人、家の村は8人、まともに戦うと勝ち目はなかった。

備蓄食料が盗まれ、辰平も、この冬は越せそうにないと覚悟を決める。

雨屋の先代は、山の根を掘ったそうだと松やんが人ごとのように言い、いきり立った又やんの息子は、雨屋は又来るぞ、根絶やしにするしかないと物騒なことを言い出す。

おりんも、からす泣き(死人が出る)じゃろと心配し、又やんの息子も、今夜あたり、お弔い出るかも知れないと同調する。

さすがに迷っていた辰平も、家に戻ると、おりんの山行きを承知するしかないことに気づき、おりんにその旨を告げると、おりんはやっとその気になってくれたかと安心するのだった。

それを聞いた玉やんは、泣き顔を見られまいと、外の小川で顔を洗いに出、けさ吉の方は愉快そうに唄い始める。

そんな中、ふてくされたように部屋に仰向けに寝ていた辰平は、悔し涙を流していた。

その後、おりんは、玉屋んを外に呼び出すと、ヤマメの穫れる秘密の場所を教えてやると、川の岩場に連れて行くと、誰にも言っちゃならねえと固く口止めするのだった。

その時、近くで人の気配がしたので、慌ててあんどんの火を消した二人だったが、近くを通り過ぎて行ったのは、予想通り雨屋の連中だった。

しかし、そのことを伝え聞いた辰平は、雨屋のことはもう良いと返事をする。

正月まで、後四日と迫った年の瀬、家の障子貼りや掃除などをすませたおりんは、ぐずぐずしている辰平に向かい、早く村の衆に自分が山に行くことを知らせて来いとせかす。

その時、雪バンバが振って来たのを二人は気づく。

その夜、おりんの家に、山登りのしきたりを伝える五人がやって来て正座する。

山に行く作法、守ってもらいやしょう。一つ、お山に行ったら、ものを言わぬこと。

一つ、家を出るときは、誰にも見られてないように出ること。

一つ、お山から帰るときは、必ず後ろを振り返らぬこと…と言いながら、説明する村人は、自分の前に来た水瓶から、柄杓で一杯水を汲んで口に運ぶと、隣に座った村人に水瓶を渡す。

次に水瓶を前にした村人(西村晃)が、目的の場所までの行き方を詳細に教える。

その次に座っていた二人は、水を口に含んだだけで、水瓶は前の村人の位置に戻されながら、一人ずつ帰って行く。

最後に家を出る村人は、見送る辰平に対し、辛ければ、七谷からお前だけ帰って来たも良いのだと教える。

その夜、隣の又やんも、息子に背負われて山に登りかけていたが、途中で逃げ出すと、おりんの家に助けてくれと言いながら逃げ込んで来る。

そんな騒動を見ていたけさ吉は、爺も婆も山へ行け!と憎まれ口を言い、それを聞いたおりんは、明日の晩に行くわと返事する。

次の日の夜、辰平は、背負子におりんを乗せると、楢山に向かう。

それを一人見送る玉やんは、じぶんを暖かくこの家に迎えてくれた日のことを思い出し、泪するのだった。

途中、月が隠れてしまったので、歩きながら辰平は背中のおりんに向かい、あれこれ話しかけるが、おりんは一切、口を聞こうとはしなかった。

七谷の所まで来た辰平は、さすがに別れを惜しみ、何か行ってくれと母親にせがむが、おりんは、手で行けと命ずるだけだった。

鳥居をくぐって奥へ向かうと、そこには、多数の白骨が散らばる不気味な場所だった。

おりんは、辰平の背中からおりると、持って来たむしろを地面に広げ、握り飯を一つ受け取ると、残りを辰平に持って帰らせようとするが、そこで感極まった二人は抱き合う。

辰平は、背負子を持って泣きながら帰るが、その途中で、又やんを崖から突き落とそうと争っている息子の姿を見かける。

慌てて、その息子を止めに行くが、息子は又やんを崖から落としてしまう。

その後、辰平ともみ合いになったその息子も又、足を滑らせて崖下に落下して行く。

呆然とした辰平は、雪が舞い降りて来たことに気づくと、「お母!」と叫びながら、おりんを置いて来た場所へかけ戻り、「お母!本当に雪、振って来たな!」と呼びかけるが、むしろの上で正座し、合掌していたおりんは、片手でさっさと行けっと合図を返すだけだった。

辰平は駈け戻り、途中に置いていた背負子を拾うと、そのまま一目散に山を降り、家まで帰る。

朝になっていた家の中からは、けさ吉の「鬼の歯33本そろった♬」とはやす歌が聞こえて来る。

出迎えた玉やんは、辰平と一緒に楢山の方向を見つめると、わしらも70になったら、一緒に山に行くんだね…とつぶやくのだった。

時が過ぎ、機関車がとある田舎の駅に到着する。

その駅名は「おばすて」と記されていた。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

深沢七郎の原作を、いかにも芝居を観ているかのように、オールセットで描いた寓話的作品。

後年、ロケ中心に作られた今村昌平監督版(1983)とは、かなり印象が違う。

田中絹代は、本作のために本当に前歯を抜いたとかで、その女優根性には頭が下がる。

セットで撮影されていると言っても、登場するセットの数も半端ではなく、それなりに予算をかけた大作だと思う。

本作での見所は、何と言っても、山へ行くのを嫌がり、老いてなお、最後の最後まで、生きることへの執着を見苦しいまでに演じている宮口精二と、その酷薄な息子を演じている伊藤雄之助の対比だろう。

全般的に、役者たちは舞台芝居風の演技をしているように見えるのだが、今あまり馴染みがない高橋貞二や、最初から最後まで祖母の存在を疎んじているすて吉役を演ずる市川団子などは、他の作品での演技の記憶があまりない人たちだけに、その様式的な演技が今ひとつピンと来ない部分がある。

特に、孫のけさ吉のキャラクターなどは、リアルに考えると、愚かで嫌な奴でしかないのだが、その毒もあまり感じなければ、コメディリリーフ的なおかしさもなく、全体の話の残酷さを、寓話として緩和する役割なのだろうだと推測するだけである。

それでも、クライマックスの山の中でのシーンは見応えがあり、雪は降っていなかった山道のセットが、帰りは、降って来た雪で真っ白に変化している所など、その美術の手間の掛け方には目を見張るものがある。

山に入ると決めたらみじんも気持ちを揺るがさず、最後は雪の中で黙って合掌し、静かに死を待っているおりんの姿は神々しいくらいである。

今村昌平監督版とは、全く毛色の違ったタイプの秀作だと思う。