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好色元禄(秘)物語

1975年、東映京都、田中陽造脚本、関本郁夫監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

時は元禄時代。京都

竹林の中で落ち合い抱き合った男女は、呉服問屋「丹波屋」の若旦那世之介(名和宏)と、西念寺住職、清海(汐路章)の妾お夏(ひし美ゆり子)であった。

お夏は、法会の最中である清海の目を盗んで寺を抜け出して来たのであった。

お夏は世之介に、うちを女房にすると約束してくれと迫り、世之介は、母親の形見のかんざしを渡すと、これが自分の気持ちだとささやく。

タイトル

寺に戻ったお夏は、いつも通り、清海と一緒に風呂に入り背中を流してやるが、清海から露骨な行為を迫られると、急に吐き気を催したようになり、実はややこが出来たと告白する。

驚いた清海だったが、寺の中で赤ん坊の泣き声がしたのでは、檀家に示しが付かないと感じ、泣く泣く、腹が出て来たお夏を寺から出す事にする。

門前で見送る際、赤ん坊の着物用にと金を手渡した清海だったが、本当にその腹の子は、わしに種なんだろうな?と疑いの言葉を投げかけたので、怒ったお夏は、そんなことを言われるのなら、寺の中で生みますと言いながら、又、門をくぐろうとしたので、慌てた清海は、お夏に詫びて出て行かせる。

そんな様子を、お夏を連れて帰る役目を仰せつかった小坊主の西鶏(山田政直)がじっと見守っていた。

お夏の実家のある場所は、古い沼を埋め立てた土地で、悪臭を放ち、ヒルなどが生息する最悪の場所だった。

棺桶屋である父親と妹のお七(橘麻紀)は、急に戻って来た身重姿のお夏を見て驚くが、その場で着物を脱ぎ始めたお夏が、腹に仕込んでいたざるを取り出して放り投げるのを観ると唖然としながらも、棺桶をおさめる西念寺に顔向けが出来ないと嘆く。

あんな生臭坊主の種を仕込まれるほど馬鹿な女じゃないと笑っていたお夏だったが、玄関口に、まだ西鶏が立って聞いていた事に気づくと、慌てて追いかけようとする。

しかし、西鶏は、帰っても住職には話さないから大丈夫とお夏に言いながらも、女子は怖いとつぶやく。

そんな中、お七は、小間物業を営んでいる入り婿の久松(川谷拓三)の帰りが遅いと案じていた。

そんなお七にお夏は、女は自分を高く売らなきゃあかん。黙っていたら、生き血を吸われるだけだと言い聞かし、その後、丹波屋へ出かけると、又、世之介と寝て、金をせしめる。

翌日、井戸端でお夏にお七は、本当に丹波屋のような大店の若旦那が結婚してくれるやろか?と疑問を口にしたが、そこに酔った父親が千鳥足で帰って来る。

昼間から酒を飲む金がどこにあった?と詰め寄るお夏に、父親は、祝言の振る舞い酒だと言い、その祝言とは世之介の事だと教える。

驚いたお夏は、襦袢姿のまま丹波屋へ走って行くと、黒紋付に着替えていた世之介に、どういう事かと食って掛かる。

騒ぎに驚いた主人で世之介の父親である忠兵衛(坂本長利)が出て来て訳を聞くが、世之介は、こんな女は見た事もないとシラを切る。

気がふれた女だと、忠兵衛の命令で、店の男衆に河原まで連れて来られたお夏は、「殺せ!」と力みかえるが、その言葉に男衆が目の色を変えて迫って来たので、慌てて川に逃げ込み、身投げしようとする。

そのお夏を小舟に助け上げたのは、西鶏だった。

世をはかなんだお夏が、どこか遠くへ船を出してくれと頼むと、しぶとう生きて他人の生き血を吸うしかないと、およそ坊主らしくもない事を言い出す。

その夜、世之介は、新妻お新(三井マリア)との初夜を迎えていた。

行為の最中、物音に気づいた世之介は怪しむが、又、うぶな新妻との行為に没頭する。

そんな二人の寝床に一匹のシマヘビがはいよっていた。

やがて、おしんは股間に違和感を感じ立ち上がると、そこからシマヘビがぶら下がっていたので、それを見た世之介は怯えて逃げ出してしまう。

翌日、その事を面白そうに報告する西鶏の頬を、お夏は叩いて、復讐するになら自分でする。ガキの癖して…としかり飛ばす。

その頃、とあるお座敷では、花魁のおせん(窪園千枝子)を抱いた旦那が、絵師の栄斉(笑福亭鶴光)に、自分たちを写させた春画を描かせていた。

根が助平な栄斉は、もっと股を広げてくれと催促し、旦那がおせんの股をどんどん開いて行くうちに、おせんがよがり始め、腰巻きがぐっしょり濡れている事に気づいたので、栄斉に一斗樽を持って来てくれと頼む。

栄斉は、何で一斗樽なんか?と不思議がりながらも部屋を出るが、その間、我慢できなくなった旦那はおせんの身体にむしゃぶりつく。

ようやく、たらいを持って栄斉が戻って来て部屋の障子を開けたとたん、中から大量の水が噴き出して来る。

それは、おせんの股から発射された「潮吹き」だった。

部屋の中では、旦那も傘をさし、「春雨じゃ」と洒落ていた。

ある日、出会い茶屋から帰りかけていたお夏は、こんな所には縁がないはずの妹お七がやって来たのに気づいたので、訳を聞くと、夫の久松から、ここにいるお客に、かんざしを届けるように言われて来たのだとお七は答える。

しかし、その客は、かんざしなどは興味なさそうで、お前の亭主に10両払ってあると言いながら、いきなり、お七に身体を求めて来る。

その頃、帰宅して来たお夏は、こっそり金勘定をして喜んでいた久松に、あんた、お七を売ったな?と詰め寄る。

それを聞いた父親も、久松が持っていた金に気づくと、目の色を変えて寄越せ!と詰め寄り、突き飛ばされると、包丁を持ち出して来る。

久松ともみ合ううちに、倒れた父親の腹には、自分が持っていた包丁が突き刺さっていた。

それを見た久松は怯えて、お夏に、俺がやったんじゃないと弁解しだすが、その内、興奮して来てお夏の身体を押し倒す。

恨むなら、地の底まで腐っている、この土地を恨んでくれと言いながら、久松はお夏を相手に行為を始めるが、そこに帰って来たのが、ぼろぼろになったお七だった。

お七は、目の前で、亭主の久松が姉を犯している姿を目撃すると、父親の腹から包丁を抜き取り、それを持って久松に近づいて行く。

気配で振り向いた久松だったが、その腹をお七は突き刺す。

その直後、錯乱し、亭主を殺めてしまったので、自身番に届けて来ると外に飛び出しかけたお七を止めたお夏は、何とか説得して、久松の死体を引きずり、沼に捨てる事にする。

お七は、片足を持って引きずりながら、死んでもなお、久松が勃起したままである事に気づくと、いとおしそうにそれを口に含むが、お夏に叱られる。

久松の身体は女二人の力では重く難儀をしていたが、その時、突然現れて、死体を沼に放り込んでくれたのは、又しても、西鶏だった。

しかし、不思議な事に、久松の死骸は沼に沈まず浮かび上がったまま。

それを見ているうちに、お七は、後を追いたいと言い出し、沼に入りかけたので、お夏と西鶏で必死に止めて家に帰る。

家にたどり着いた西鶏は、昔、堺の港に、100人の男を相手にした遊女がいたと言う噂があったが、あれは、罪を犯した女が、その罪滅ぼしのためにやっていたのかも知れないと話すが、それを聞いていたお七は、自分もそれをやる。己の身体をめちゃめちゃにして、御上の裁きに替えてみるのや。それが、死んだ久松はんへの供養になるかも知れんと言い出す。

その後、比丘尼の姿になったお七は、西鶏が漕ぐ小舟に乗り、乱交騒ぎをやっていた船に乗り込むと、鈴を鳴らしながら歌い始める。

側に控えた西鶏が、今宵が姫始めで、すべてただで差し上げますと説明すると、それまで、他の遊女を抱いていた船乗りたちが、全員、お七に群がり始める。

西鶏は、その男の数を勘定しようとするが、もうむちゃくちゃな状態だった。

その後、「唄比丘尼」として行脚を始めたお七の元に、長蛇の男たちの列が出来る。

その一人一人に、お供として同行していた西鶏は、番号札を配って行く。

千人供養の看板を、路傍に立つお堂に立てかけ、その中で、お七の供養は続いて行く。

そんなお千の身体を、夜、風呂で洗ってやる西鶏は、最近、お七が太って来たと感心する。

お七自身も、男はんの出さはるもんをたっぷり栄養にしているのか肥えてきましたと微笑むと、最近ではだんだんと、この供養が楽しみになって来たと打ち明けるのだった。

一方、お夏の方は、こっそり世之介に付け文を送って、焼け木杭に火をつける事に成功していた。

世之介は、お夏を又抱きながら、嫁はんとは別れたと教える。

久々に実家に戻って来た西鶴は、世之介がお夏に送った反物の山を見ながら、ほんまに世之介の嫁にならはるのですか?とお夏に問いかけるが、あれは子鴨や。その内、親ガモがネギをしょってやって来ると、お夏はうそぶく。

その言葉通り、お夏の家に、世之介の父親忠兵衛がやって来て、どこまで忠兵衛 をたぶらかす気や?と怒鳴りつけながら、置いてあった反物を全部持って帰ろうとしだす。

その内、お夏が着ている着物も、自分の店の品物と気づくと、それも返せと迫るが、それを笑顔で聞いていたお夏は、どうぞ、脱がせて持っていて下さいと挑発する。

苦りきった表情で、忠兵衛はお夏の帯を解き始めるが、くるくる回りながら肌けたお夏は、そのまま忠兵衛に抱きついて行く。

さすがの忠兵衛も最初は抵抗していたが、とうとう辛抱できなくなり、お夏の身体を抱く事になる。

抱かれながらも、お夏は愉快そうに、一人暮らしの女にこんな事をして、責任を取って下さいねと忠兵衛の耳元でささやく。

かくして、大店丹波屋の嫁になったお夏は、紹介するために忠兵衛が呼び寄せた世之介が、複雑な表情で「お母はん」と呼びかけるのに対し、愉快そうにウィンクをして返すのだった。

一方、お七の方の千人供養は「満願の日」を迎えていた。

千人目の男は、黙って、お七の身体に重なって来るが、目をつぶっていたお七がうっすら目を開けてその顔を確認すると、驚いた事に、それは死んだはずの久松だった。

お七は感激し、生きていたんや!と喜ぶが、久松は、そんなお質の首を絞め始める。

しかし、気がつくと、久松の息は絶えていた。

見ると、久松の腹の傷から流れ出した血を、ヒルが吸っていた。

お七の「千人供養」は、翌日から「一万人供養」に変わっていた。

竹林で会ったお夏にその事を報告に戻って来た西鶏は、普賢菩薩の話などしなければ良かった。まさか、あの人が生き仏になるとは…と後悔する。

見ると、すっかり大店の女房になったお夏は、お七同様肥えていた。

お夏も又、男が出すものを栄養にしているようだった。

お夏は、そんな西鶏を、皮かむりが、世の中分かったように何を偉そうに言っているんやとバカにする。

そして、座ったお夏は、自らの股を開き、観音様を見せつける。

そのお夏の誘いに乗り、童貞を捨てる決意をした西鶏は、坊主を止めると言い出す。

あっと言う間の行為を終えた西鶏に、立ち上がったお夏は、これでお別れやなと告げる。

立ち去って行くお夏に向かい、西鶏は、名前も変えます。鶏だと地面を這いつくばるだけで飛べないから、鶴になって世間を上空から見るようにします。皮かむりでない目で…「西鶴です」と叫ぶ。

そんな言葉が聞こえたのか聞こえないのか、竹林の中を歩くお夏は爽快そうに微笑んでいた。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

「ウルトラセブン」のアンヌ隊員こと、ひし美ゆり子主演のポルノ時代劇。

製作から手を引いた東宝を首になったひし美ゆり子は、70年代、松竹や東映と言った他社作品に出演していたが、主演は珍しい。

東映も又、プログラムピクチャーの一環として、テレビでは表現できない「ポルノ映画」を作っていた時代だったので、当時の無名女優たちは、そう言う路線を嫌って、映画界を去るか、脱ぐ事によって映画に出続けるかのどちらかを選択せざるを得なかったのだろう。

今では考えられない状況だが、当時はそう言った時代だったのだ。

この映画は、そうした中、なかなか面白い作品になっている。

当時、まだ無名だった俳優しか出ていない低予算映画ながら、きっちり時代劇スタイルは保ち得ている。

その後量産される、テレビ用の東映時代劇に雰囲気が近いようにも感じられるが、ちゃちさはあまり感じない。

エロシーンだけではなく、きちんと笑えるシーンや、怪奇めいた幻想シーンなども挿入されており、娯楽映画として、きちんと話を組み立てている事が分かる。

当時の東映ポルノは、ただ、女優さんが大胆に裸になっていると言う以外、それほど今の感覚で言う嫌らしさはなく、かえって、あっけらかんとしている分、他の要素が希薄だと退屈になりがちなのだが、この作品は、その辺のバランスが絶妙。

決して芝居がうまい訳ではないが、どこかさばさばした所のあるひし美ゆり子のキャラクターにも、作品の雰囲気が合っているように思える。

キネ旬データベースの世之介役は中林章と記してあるが、今でも、悪役などで活躍している名和宏ではないかと思われる。

川谷拓三の風貌は当時から間違いようもなく、この作品でも小心者を良く演じている。

この作品を観て、一時期話題になっていた「窪園千枝子の潮吹き」を思い出す事が出来た。

 


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