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青蛇風呂

1959年、大映京都、吉田哲郎脚本、弘津三男監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

深川にある料理茶屋「白藤」の店先に、芸者を乗せた駕篭が次々に到着するのを目撃した岡っ引きの三次(中田ラケット)の子分、兵六(中田ダイマル)が親分に何事かと聞くと、今日は、「白藤の」主人清吉(伊沢一郎)の弟、佐助(高倉一郎)と、日本橋の大店「武蔵屋」の娘お妙(小町瑠美子)との婚約の祝があるのだと言う。

店の中では、すでに祝の席が始まっており、二人の仲人を勤めた津田屋幸兵衛(荒木忍)に、清吉とお妙の父親である武蔵屋喜三郎 (玉置一恵)が礼を述べていた。

そこに、清吉の女房であるおえん(毛利郁子)が酒を運んで来る。

外では、兵六が三次親分に、ちょっと「白藤」に挨拶に立ち寄って、ただ酒を飲ませてもらおうと意地汚いことを提案していたが、その時、与力を先頭に、捕り手たちが店の中に走り込んで行ったので、何事かと二人は戸惑う。

祝の席に乗り込んで来た与力は、その場にいた佐助を確認すると、浅草にある能登屋から香炉を盗んだ咎により、召し捕ると言いだすではないか。

何のことか分からない佐助は呆然とするだけだったが、骨董趣味の佐助が、数日前、能登屋にあった金象眼の香炉を欲しがっていた事実と、昨夜、裏口付近に、佐助の紙入れが落ちていたとの証拠から、犯人に違いないと言われると、反証のしようがなかった。

すぐさま家捜しが始まるが、廊下の鴨居の上に絡み付いている蛇が落ちて来たので、蛇嫌いな清吉は驚く。

台所で、ちゃっかり酒を呼ばれていた三次と兵六も、この騒動を知り驚くだけ。

佐助に縄が打たれ部屋から連れ出されると、祝の席には急に気まずい雰囲気が漂いだす。

武蔵屋の両親は、お妙を連れて帰るし、津田屋も帰り、他の招待客たちも、面倒なことに巻き込まれまいとしたのか、ゆっくり飲んで行ってくれと誘う清吉やおえんの言葉も聞こえぬかのように、そそくさと帰ってしまう。

家捜しをしても、与力たちは佐助が盗んだと言う香炉は発見できなかったが、みんな帰ったと知った清吉は、これで、武蔵屋さんとの中も終わりだとがっくり座り込んでしまったので、おえんは、誰かの罠かも…と、疑問を口にすると、私たちで証をたてましょうと、夫を励ますのだった。

その時、帳場を預かる源七(市川謹也)が二人の側にやって来て、佐助の部屋を調べていた所、香炉が見つかったと報告に来る。

驚いた二人が、佐助の部屋に行くと、机の上に載っていた砂時計を横に動かすと、からくり仕掛けで、その下に隠されていた香炉が持ち上がって来る。

それを見た清吉はうろたえ、役所に届けに行くと言いだしたので、おえいは、そんなことをしたら、佐助だけではなく、この「白藤」の店そのものがダメになってしまうと必死に止める。

そしておえいは清吉に、この秘密を知っているのは源七だけなので、その口を塞いでしまえば、誰にも知られることはないとささやく。

それを聞いた清吉は、あまりの申し出に動揺するが、自分は芸者出身だったので、なかなかこの家に嫁ぐことを姑に許してもらえず、その死後、ようやく今の座につけたのも、すべて佐助の力添えのおかげだなので、佐助を助けるためには心を鬼にしてとまで迫るおえいには、それ以上逆らえなかった。

夜、遅くまで、左手でそろばんを操りながら、帳簿をつけていた源七は、おえんから呼ばれ、清吉から酒を勧められながら、今日の香炉のことは黙っていてくれないかと頼まれたので、自分は最初からそのつもりだったと安心させる。

しかし、清吉は、そんな源七に、おえんが毒を入れた酒を震えながら飲ませてしまう。

まだ仕事が残っているのでと部屋を後にした源七だったが、すぐに障子を突き破り、畜生!やりやがったな!と叫びながら、咽を押さえて倒れ込む。

その身体を、おえんに手伝わせて裏庭に運んだ清吉は、古井戸に落としてしまい、今しがた、源七が口にしたお猪口も一緒に投げ入れ、蓋をする。

翌朝、店先では、板前の長吉(越川一)が帳場がいないと騒いでいたので、おえんが、帳場なら上方に行ってもらったと嘘を付き、仕入れはいつも通りやってくれと命じる。

その後、津田屋がやって来て、先日武蔵屋に納めた結納を返しに来て、今朝方、佐助は牢に入れられた。結局、証がたてられなかったらしいと報告すると、武蔵屋が、今回の縁談はなかったことにしてくれと言いにくそうに、清吉とおえんに伝える。

しかし、その武蔵屋では、お妙がそわそわしていた。

いまだに佐助が罪を犯したとは信じられなかったからだ。

その後、お妙は、北町奉行所に出向き、開(ひらき)小源太(島田竜三)様に会わせてくれと門番に頼む。

ちょうどそこに、外回りを終えた開が帰って来たので、お妙は、佐助が香炉を盗んだとは思えないので調べ直してもらえないかと頼む。

開は、お妙の昔なじみだったからだ。

開は、諦めた方が良いとなだめるが、お妙の必死な態度を見ると、無下に断りきれなかった。

その頃、三次と兵六が、「白藤」に来て、清吉夫婦を慰めていたが、そこに開がやって来て、佐助の骨董を見せてくれと頼む。

三次と兵六は、裏庭伝いに、佐助の部屋に向かっていたが、地面に突然ねずみが走ったので、それに気づいた兵六は驚き、持っていた十手を、古井戸の中に落としてしまう。

三次は呆れ、降りて行って取ってこいと命じるが、兵六は寒いので濡れるのは嫌だと抵抗。

そんな二人の諍いを耳にした開は、側にいた清吉が、後で店のものに取りに行かせますからと申し出る表情がおかしかったので、遠慮せずに取って来いと、兵六に声をかける。

清吉は、ますます狼狽し、お茶を運んで来たおえんも、古井戸に入ろうとする兵六の様子を目撃して、思わず盆を取り落としてしまい、そうした二人の様子を、開は注意深く観察していた。

兵六は、はしごを古井戸の中に下ろし、降りて行くが、ハラハラしながら見守っていた清吉夫婦を尻目に、あっさり十手を見つけて上がって来たので、二人は胸を撫で下ろすが、なぜ源七の死体が見つからなかったかと一抹の不安も覚えていた。

開らが帰った後、確かめるために、古井戸に近づいた清吉は、蓋の部分に蛇が載っていたので驚き、源七は生きていると怯えだす。

その後、「白藤」に旅籠の越前屋と言う男がやって来て、うちで泊まっていた客から預かって来たと清吉に包みを渡すが、中を開いてみると、それは、あの源七と共に古井戸の中に捨てたはずの猪口だった。

これを渡した客と言うのはどんな男だったと聞くと、前にここで働いていた源七様とおっしゃっていたと言うではないか。

やはり生きていると感じた清吉は、おえんと共に、越前屋に出向くと、源七と言う客に会わせてくれと女中に頼むが、さっきお発ちになったと言うではないか。

人相風体を確認すると、首筋に大きなほくろがあり、左手でそろばんを弾いていたと言うので、清吉は、本人に間違いないと確信する。

その夜、無人のはずの帳場から、帳簿をつける音が聞こえて来たので、おえんと共に帳場に向かった清吉は、障子の向こうに男らしき人影が見えたので、思い切って障子を開けてみるが、帳場のそろばんの上にとぐろを巻いている蛇をつける。

それを一緒に見つけたおえんは、源七は、あんたの嫌いな蛇に生まれ変わって呪っているのよと告げる。

翌日、裏庭でこそこそしている植木職人に化けた三次と兵六を見つけたおえいが、何をしているのかと聞くと、二人は諦めて、実は、開の旦那から、こちらを見張るように命じられたので仕方なく…と、おえんから酒を振る舞われるままに弁解する。

すっかり酔っぱらった三次と兵六は、通りで会った開に、何か、「白藤」で変わったことがなかったかと聞かれ、源七と言う男が上方に行っただけと報告する。

二人はその意味すら気づいていなかったが、聞いた開の方は厳しい表情になる。

後日、自ら「白藤」に出向いた開は、清吉とおえんに、源七とやらが上方に向かったそうだが、品川の宿を調べた所、そのようなものが通ったと言う記録は残っていなかったと疑問を口にする。

すると、おえんは、ちょうど海路があったので、それで参りましたと弁明する。

そこに、上方の帳場から手紙が届きましたと女中が持って来たので、開の手前もあり、慌てて、別室へ駆け込み中身を確かめた清吉は、上方にいると清吉の筆で書かれた文章を読んで腰を抜かしてしまうと、「もう、たくさんだ!」とうめいて、すすり泣き始める。

すっかり体調を崩し、寝込んでしまった清吉を診に来た医者は、そっとしておくことだとしか言えなかった。

そんな「白藤」に、お妙が見舞いにやって来る。

眠っている清吉の側に座ったお妙は、急に、「源七!許してくれ!私が悪かった!」とうわごとを言う清吉を見てしまう。

自分はもう、この家の嫁だと思っているので、このままここにいさせてくれと頼むお妙だったが、ご両親にこのことが知れたら、まとまるものもまとまらなくなるから帰ってくれと言うおえんや、起きた清吉の頼みを聞いて、諦めることにする。

その頃、道で三次と兵六に出会った開は、命じておいた見張りもせずに何をしているのかと聞くと、二人は、実は「白藤」に女将からの依頼で佐助の身代わりを捜していたのだと言う。

そこに、お妙が来たので、佐助は明日の朝、佃島に送られることになったぞと教えた開は、何か言うなら今のうちだぞと聞くと、お妙は、うわごとで、寝込んでいた清吉さんが源七さんに詫びていたと教える。

その夜、一人、風呂に入ろうとしていたおえんだったが、不安を感じた寝床の清吉がおえんの名を呼ぶと、風呂場からおえんの悲鳴が聞こえて来る。

驚いた清吉は、ふらつく身体を支えながら立ち上がると、風呂場に向かうが、そこで見たのは、洗い場で蛇に絡まれていたおえんの姿だった。

蛇から逃れようとしたおえんは、湯船の中に落ちてしまう。

慌てて、救い上げようとした清吉だったが、突如、裏口から入って来た謎の覆面の浪人に、おえんは助け上げられる。

覆面の浪人は、「良かったな」の言葉を残し、正体も明かさずすぐに帰ってしまう。

翌日、ざすがにおえんは、もうこの家にはいられない。逃げましょうと言いだすが、自分は源七に祟られているのだから、どこへ行っても同じこと、お前だけ一人で亀戸の寮に行けと勧める。

一人「白藤」を出て行くおえんの姿を見かけた三次と兵六は、後を付けてみることにする。

一方、「白藤」に一人残った清吉は、あんどんが急に点滅したり、障子に源七らしき人影が映るのを見てさすがにたまりかね、台所へ行くと、水を飲もうとするが、その蓋にも蛇がいたので肝をつぶした所に、源七の幽霊が出現する。

亀戸の寮の前で見張っていた三次と兵六は、慌てて中に逃げ込む清吉の姿を見かけたので、こっそり中に入ってみるが、庭先で怪しげな覆面の浪人ものと出くわしたので、二人は肝をつぶしてしまう。

寮の中の仏壇を拝もうとしていた清吉は、算盤を勘定する源七の声を聞き、又、大嫌いな蛇がいたので、ふすまを次々に開いて奥の部屋へと逃げ込む。

すると、一番奥の部屋には、あの源七が倒れており、旦那様…、罪もない私に毒を盛って殺し、よくも井戸へ放り込んだな。この恨み晴らしますぞと、恨めしげな声でつぶやいて来る。

さすがに、それを見た清吉は失神してしまう。

すると、おえんが現れて、醜い顔になった源七の方に近づくと、やっと片付いたようだね。やっと「白藤」が私たちのものになった。後は婿入りの準備をするだけとしなだれかかる。

起き上がった源七は、醜い顔のあざの作り物をはがすと、倒れた清吉の首筋を触りながら、まだ息があることを確認すると、その場で紐を首に巻き付け、締め殺そうとする。

その時、その手の側の畳に小束が刺さったので、驚いた源七は、やって来た開が、この家の中で見つけた香炉を示しながら、佐助を無実の罪に陥れ、蛇嫌いの清吉をも亡き者にしようとしたお前たちの大芝居もこれまでだと突きつけて来る。

その背後からは、三次、兵六と、捕り手たちが多数なだれ込んで来る。

おえいは別の部屋に逃げると、部屋の中央の畳を上げ、その下にうごめいていた多数の蛇を手づかみで投げつけて来るが、もはやこれまでと観念すると、その場で舌を噛んで果てるのだった。

倒れたおえんの死体に、蛇が不気味にも絡み付いていた。

佐助の無罪が証明され、めでたく、お妙との婚礼が執り行われることになり、木遣りを歌う男たちに先導され、お妙の乗った駕篭が、佐助と清吉が出迎える「白藤」の前に近づいて来る。

その様子を観ていた開と三次、兵六の三人は、うれしそうに、清吉たちに挨拶をすませると、又、見回りに出かけるのだった。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

蛇女優と呼ばれた毛利郁子主演の怪奇ミステリ。

話自体はシンプルだし、蛇の出し方なども凡庸なので、特に恐ろしいと感じるような展開ではないが、コメディリリーフとして登場しているダイラケ(中田ダイマル、中田ラケット)の軽妙さも手伝い、大衆向けの娯楽ものとしてはテンポ良く仕上がっていると思う。

毛利郁子は「蛇女優」と言われるようなきわもの感はなく、見た目はごく普通の美人だし、前半部分で、かいがいしく夫に尽くす良妻を演じているので、ミスディレクションの役目はきちんと果たしている。

蛇を怖がらずに、素手で触れると言う所が「蛇女優」の面目躍如たる所なのであろうが、逆に言えば、蛇を身体にはわせたり、手で握れるくらいのことしか出来ないので、蛇の出し方も平板になってしまうと言うことだろう。

しかも、話の性格上、目立ちすぎてはいけないこともあり、最後まで、ちょっと印象が弱いのは仕方ない所か。

本作では、そんな毛利郁子と、蛇が苦手で、しかも、自分が犯したと思い込んでいる犯罪の影に終始怯えるあまり、とうとうノイローゼ状態になってしまう清吉を演じている伊沢一郎、そして、名探偵役に当たる与力、開小源太を演じている島田竜三の三人が、皆同じように影が薄いと言うか、存在感が弱いのが、ちょっとインパクトに欠ける部分かも知れない。

ひょっとすると、一番目立っているのはダイラケの二人かも知れない。

タイトルは、一時期の新東宝作品のように、観客の好奇心をくすぐる「コケ脅かし」でしかない。

本当に湯船一杯に蛇がうごめいており、その中に裸で入ってみせると言うくらいの根性があったら、さぞやもっとすごいきわもの映画になっていただろうと想像するくらいである。

作られた時代が時代なので、まだ女優が脱いだりすることはなく、毛利郁子は浴室でも襦袢姿になるだけである。