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殿さま弥次喜多 怪談道中

1958年、東映京都、小川正脚本、沢島忠監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

お江戸日本橋に大名行列が通りかかったので、弥次郎兵衛(益田キートン)と喜多八(星十郎)は、他の町人たちとともに土下座して出迎えていたが、別な方向から、もう一つの大名行列が近づいてきたのに気づき、どうなることかと好奇心丸出しで様子を見始める。

案の定、両方の先頭を歩いていた警護の侍たちが歩み寄り、道を譲れ譲らないと言い争いが始まる。

その時、一方の駕篭が開き、中から顔を見せた尾州六十万石若殿徳川宗長(萬屋錦之介)は、もう一つの駕篭の中にいるのは、盟友の紀州五十五万石若君徳川義忠(中村嘉葎雄)と知ると、並んで旅をしようと言い出す。

互いの爺や、鏡兵部(杉狂児)と堀田帯刀(渡辺篤)は、とんでもないと若殿をいさめようとするが、宗長は、気にする様子もなく、「お発ち〜!」と自ら声を発したので、お供のものたちは、その指示に従うしかなく、両方の行列は並んで進み始める。

そんな様子を、弥次喜多の二人は感心したように見送るが、物陰からは、射るような目つきで行列を監視する浪人の一群と、別の巡礼娘の姿があった。

その後、宗長と義忠の駕篭は横に並んで街道を進んでいたが、後ろの方から、暴れ馬が近づいてくるのに、爺やたちが気づく。

何と、その馬の上にしがみついていたのは、弥次郎兵衛と喜多八の二人だった。

このままでは、行列に突っ込んで大事になると気づいた二人は、そろって馬の上から飛び降り、馬は、侍たちによってなんとか制止され、ことなきを得る。

その後、弥次喜多の二人は、宗長と義忠が宿泊した本陣の中で、二人を前にして、事の次第を説明することになる。

馬代をケチって、二人で一頭の馬に乗って旅をしようとしていたが、見知らぬ巡礼娘がいきなり馬に杖を投げつけてきたので、驚いた馬が暴走し始めたのだという。

自分たちは、決死の覚悟で馬から飛び降りたのだから、なんとかご容赦願いたいと釈明するが、処罰は免れそうにもないと感じると、でくの坊め!と喜多八が見栄を切ってしまう。

それを聞いた若殿たちは、でくの坊とは何のことかと問いただしたので、急に正気に戻った喜多八は、慌てて、良い男のことですとごまかして難を逃れる。

しかし、最前からの話をにやにやしながら聞いていた若殿二人は、急に刀を抜き、宗長が二人の方に近づいてきたので、弥次喜多の二人は覚悟を決めるしかなかった。

翌朝、弥次喜多の二人から奪い取った衣装を身にまとった宗長と義忠が、二人だけで本陣を抜け出し、旅を続けようと話し合っていた。

今後は、互いに町人に成り済ますため、侍言葉を使った方が、罰として相手の家来になり、相手の荷物を持つことなど、子供っぽい約束までする。

そんな二人の方に、「小春一座」と旗を翻した旅芸人一座が近づいてくる。

荷車に乗った女芸人たちが、自分たちの方に手を振っているのを観た二人は、てっきり、自分たちを呼んでいるものと早合点する。

宗長と義忠は、ずうずうしくも旅芸人一座の荷車に乗り込んで気安く女芸人二人に声をかけたので、道行く人全員に愛想を振りまいていただけの女芸人小春太夫(雪代敬子)やおすみ(桜町弘子)にあきれらる。

その頃、本陣の庭先には、「岡崎まで留守にいたす」と書かれた札をつけ、裸にされた焼き喜多の二人が機に縛り付けられているのを、両藩の爺やたちが発見し慌てふためいていた。

そんな様子を、あの巡礼姿の娘が、勝手口からそっと覗き込んでいた。

本陣の外では、大名行列を付けねらっていた戸崎盛右衛門(阿部九洲男)らの一群も、事態を察知したらしく、慌ただしい動きを見せていた。

戸崎が放った浪人は、旅芸人一座に混じっていた弥次喜多の衣装の男二人を発見するが、顔を確認すると別人だったので、そのまま立ち去ってしまう。

そんな浪人たちの様子をおかしそうに見送っていた荷車引きの二人こそ、途中で、芸人と衣装を替えた宗長と義忠であった。

二人は岡崎の方に行かねばならないので、その後、小春太夫一座と別れることになる。

橋の上を通りかかった宗長と義忠は、突然発砲音を聞き、先を歩いていた宗長が倒れ込む。

驚いて、義忠が駆け寄ると、宗長の体に、今撃たれて落ちてきたらしい小鳥の死骸が乗っかっていただけだった。

すると、その銃の発砲者らしき小汚い浪人ものが近づいてくる。

垣内権兵衛(田中春男)と名乗ったその浪人ものは、よほど銃の腕前に自信があるのか、橋の下の河原でわらじを直していた女巡礼が、地面に刺した杖めがけて発砲する。

杖の上においてあった笠が吹き飛んだのに驚いた女巡礼は、橋の上を睨みつけながらもそそくさと立ち去ってゆく。

無茶なことをする浪人だとあきれながらも、話を聞くと、これから自分には士官の話が待っているのだと、自慢げに垣内は宗長と義忠に話して去ってゆく。

その夜、駿河屋という宿で夕食を食べ終えた宗長と義忠だったが、つい、「世は満足だ」と宗長が侍言葉を出してしまったので、義忠が、これからは自分が主人だと威張りだす。

そんな二人の給仕をしていた女中のお松(山東昭子)は、あんまはいかがか?と問いかけるが、二人は互いに首を傾げ合う。

「あんま」の意味が分からなかったのだが、見栄を張った宗長は、「あんまとはあんこのこと」だと義忠に知ったかぶりを教え、たくさん持ってきてくれと答えたので、お松は唖然としてしまう。

それでも、若い二人のことを気に入ったお松は、仲間の女中であるお竹(月笛好子)に、妙な二人組が泊まっていると教える。

そこへ、宿の主人が慌ててやって来て、巡礼娘が首つり自殺をしたと二人の女中に教える。

その頃、宗長は、侍言葉を使った罰として、主人になった義忠の足をもんでやっていたが、どこからともなく鈴の音が聞こえて来たので、気味悪がる。

その時、音もなく障子が開くと、不気味な顔のあんまが二人顔をのぞかせたので、二人は仰天するが、「お呼びになったあんまです」と聞くと、「巷では、茶坊主のことをあんまというのか」と宗長は、おびえた胸を撫で下ろすのだった。

一方、同じ駿河屋の別室では、戸崎盛右衛門一党が、宗長暗殺の相談をしていた。

そこにやって来たのが、銃の腕を買われて雇われた垣内権兵衛だった。

宗長らが泊まっていた部屋の下では、亡くなった巡礼を供養するために、棺桶の周囲に座ったお松やお竹らが、大きな数珠を回していた。

あんま二人に肩をもんでもらっていた宗長と義忠は、不気味な顔のあんまから、以前、この部屋で首つりがあったなどと嫌な情報を教えられ怖がるが、さらにあんどんが急に消えたので、ますますおびえだし、部屋の隅の方に逃げ出していた。

そんな臆病な二人を、暗闇でも平気なあんまはおもしろがって近づいて来ては、今日、この宿で、巡礼娘の行き倒れがあり、頓死だったらしいと聞かされる。

恐怖のどん底に陥った二人は、あんまを追い返すと、一つの布団に潜り込み震えだす。

二人とも、宿で死んだ巡礼娘とは、昼間、橋の下にいた巡礼娘のことであり、あの時、垣内権兵衛が撃った弾が当たっていて、その後死んだので、自分たちがやったと勘違いして恨みを残したのではないかとおびえていたのだった。

やがて二人は、一枚の布団だけでは寒いことに気づき、義忠が宗長に、家来なんだから布団を取ってこいと命じる。

おびえながらも、宗長が部屋を出ると、首つりがあったという部屋に一人取り残された義忠も耐えきれなくなり、思わず廊下に出ると、そこに、のっぺらぼうのような顔があったので肝をつぶす。

しかし、それは、宗長が、手ぬぐいを顔にかぶって待ち受けていたいたずらで、結局、二人はそろって、布団を取りに行くことにする。

廊下の途中で、お松に会ったので、布団が欲しいというと、それなら布団部屋にあるという。

教えたお松の方は、お竹に、事の次第を教えると、布団部屋にあの二人がいて、どうやら誘っているようなので会いに行こうと言い出し、急に厚化粧を始める。

布団部屋を探していた宗長と義忠は、そこに入ったとたん、白塗りをした異様なお松とお竹が待ち受けていたので、飛び出して逃げ出す。

恐怖におびえきった二人は、垣内権兵衛や戸崎盛右衛門が相談をしていた部屋の中も、気づかないまま走り抜けてしまう始末。

途中で、あの巡礼娘に出くわしたので、肝をつぶした義忠は下の階に降り、ちょうどそこで行われていた通夜の席に加わると、みんなと一緒に大きな数珠を回し始める。

一方、宗長の方は狭い物置部屋に逃げ込み、怖さのあまり、地団駄を踏んでいたが、その衝撃で古い床が抜けてしまい、棺桶を真ん中に通夜を行っていた部屋に落ちてしまう。

そんな人騒がせな騒動を起こした二人は、駿河屋を追い出されてしまい、夜中に箱根の山を越えなければいけなくなる。

暗い山道を、おびえながら歩いていた宗長と義忠は、またもや、どこからともなく巡礼が鳴らす鈴の音が聞こえて来たので、こわごわ振り返ってみると、あの巡礼娘が追ってくるではないか。

驚いて逃げ出した二人は、小さな祠のそばにたどり着いたので、お祈りを捧げ始めるが、そんな二人の足下に、巡礼が持つ鈴が落ちてくる。

二人が振り返ると、すぐそばで、頭にろうそくを立て、木に藁人形を打ち込んでいる「丑の刻参り」をしている白装束の女の姿を発見する。

振り向いたその女は、あの巡礼娘だった。

恐怖の頂点に達した宗長と義忠は、またもや逃げ出し、明かりが見えたので、その小屋に走り込むが、そこにいたのは、白髪の山姥のような老婆(岡島艶子)だったので、肝をつぶした二人は表に飛び出すが、そこに待ち構えていたのは、雲右衛門(加賀邦男)を頭とする山賊グループだった。

小屋は、山賊の見張り小屋だったのだ。

しかし、それを知った宗長と義忠は、初めて安堵した表情になる。

二人とも、幽霊は恐いが、相手が人間だと誰も怖くないからだった。

そんな二人に様子を見て逆上した雲右衛門は、大きなまさかりを振りかざして襲いかかってくるが、武芸のたしなみがある宗長と義忠にとっては適うはずもなく、すぐに、家来の山賊もろともねじ伏せられてしまう。

参った雲右衛門は、さぞかしなのある大親分でいらっしゃるのでしょうと平伏したので、調子に乗った宗長は10代目石川五右衛門、義忠は雲霧仁左衛門と適当に名乗る。

そんな中、雲右衛門の情婦お滝(浦里はるみ)は、情けない雲右衛門の姿に愛想を尽かし、そそくさとその場を後にするのだった。

一方、近くの木陰からは、あの巡礼娘が、そっと二人の様子をうかがっていた。

翌朝、宗長と義忠は、山賊たちが作った騎馬に股がり、愉快そうに山を下りていた。

その日、尾州六十万石と紀 州五十五万石の大名行列は、主を失ったことを隠し、何事もなかったかのように旅を続けていたが、そんな宗長が乗っているはずの駕篭を山の中で待ち受けていたのが、戸崎盛左衛門と垣内権兵衛らだった。

垣内は、銃の狙いを宗長の駕篭に定め、引き金を引くが、駕篭の中に乗っていたのは、宗長の衣装を着させられた弥次郎兵衛で、一瞬、寝ぼけて姿勢を崩したことが幸いし、銃の直撃を免れる。

しかし、垣内は、慌てふためく列の様子を遠目に見ながら、手応えがあったと戸崎に教える。

その頃、宗長と義忠の二人は、祭りでにぎわう三島宿に来ていたが、どうやら、自分たちを捜しているらしき侍の姿を見つけたのと、目の前に、懐かしい「小春太夫一座」の小屋ができていたので、迷わず、その中に逃げ込むことにする。

二人を捜していた浪人たちも、小屋の中に入り込むが、楽屋にいたのは、作り物の馬だけだった。

もちろん、その馬の中に入っていたのは、宗長と義忠で、このままでは見つかると思った二人は、小春たちが踊っている最中の舞台に馬の姿のまま出て行ってしまう。

それを観た客たちは大笑い。

踊りを邪魔された小春太夫たちは、迷惑げに、二人を楽屋に追い返そうとするが、後ろ足をやっていた義忠が、何気なく客席を見ると、そこにあの巡礼娘の姿があったので、前足担当の宗長にそっと耳打ちし、おびえた二人は、馬の着ぐるみをまっぷたつに引き裂いて、右往左往する醜態を見せる。

しかし、これが、客には大受けとなってしまう。

けがの功名で客受けは良く、小春大夫たちも馬の正体がなじみの二人だったと知っては怒るに怒れず、和気あいあいと、宗長と義忠は、小春大夫一座と別れることができた。

その後、二人は、桔梗屋と言う宿に泊まる。

その宿には、戸崎盛左衛門と垣内権兵衛も泊まっており、近づいてくる大名行列の様子を二階の窓からじっと監視していた。

しかし、両藩の行列は、特に変わった様子もなかったので、暗殺に失敗したと悟った垣内権兵衛は、その場で銃を取り出して再び撃とうとする。

それを押さえた戸崎盛左衛門は、機会を待て!大井川だ!と説き伏せる。

一方、夕食の膳を運んで来た女中が、三人分部屋に置いたので、宗長と義忠が首をかしげていると、これはお連れの女性の分だと言われたので、またあの巡礼の幽霊に取り付かれているとおびえた二人は、宿から逃げ出そうとする。

その時、ふと中廊下の反対側の方を見ると、自分たちの衣装を着た、あの弥次喜多コンビも逃げ出そうとしているではないか。

弥次喜多は、退屈な旅であるだけではなく、命まで狙われていると知って、もうこれ以上、若殿のまねをさせられるはたまらないと、逃げ出そうとしていたのだった。

あきれてその様子を見ていた宗長と義忠は、お滝から声をかけられる。

お連れの女とは、山賊の情婦、お滝のことだったのだ。

一方、逃げる所を捕まえられた弥次喜多の二人は、爺や二人の相談の上、このまま本物の若殿のおとりとして、岡崎まで連れて行かれることになる。

夕食の膳に戻った宗長と義忠は、お滝が持ちかけて来た「儲け話」なるものを、迷惑げに聞かされていた。

二人を季題の大泥棒と思いこんだお滝は、三人で協力して、名古屋城の天守閣にある「金の鯱」を盗み出そうじゃないかと持ちかけて来たのだ。

しかし、宗長にしては、自分の住まいである名古屋城のものを盗むなどという話に乗れるはずもなく、興味がない様子を見せたので、起こったお滝は、二人のことを「でくの坊!大バカやろう!」とののしって部屋を飛び出してゆく。

その時二人は初めて、「でくの坊」が褒め言葉ではないらしいことを悟るのだった。

その頃、名古屋城の天守閣には、怪しげな姿をした者たちが出現していた。

寝所で寝ていた城主徳川宗真(明石潮)は、「父を返せ!金の鯱の中に塗り込められた父を返せ!」と不気味に迫る怪しげな物の怪の声に目を覚まし、「また出たか!」と苦しんでいた。

このところ、天守閣付近に毎夜怪しげな物の怪が出るという噂が広がり、家来たちも近づかなくなっていたのだった。

そんな中、毎夜のように物の怪に脅され、睡眠を妨害されていた宗真は、体調を崩していた。

兄宗真の異変を知り、駆けつけて来た徳川宗高(中村歌昇)の前で、宗真は「宗長はまだか…」と、うめいていた。

その頃、その宗長は義忠とともに寝ていたが、その枕元から巾着袋を抜き取っていたのが、こっそり戻って来たお滝だった。

しかし、部屋を抜け出そうとしたお滝に、それは小銭しか入ってないぞと声をかけて来たのは、眠った振りをしていた宗長だった。

起き上がって、小判が入ったもう一つの巾着袋を取り出してみせた宗長に、恥をかかされたと知ったお滝は、怒って逃げ出す。

その様子を愉快そうに見送った宗長と義忠だったが、何やら庭先が騒がしいので何事かと出てみることにする。

すると、宿泊客たちが、独りの女を取り囲んで泥棒呼ばわりしているではないか。

どうやら、お滝の犠牲者たちらしい。

ところが、捕まって詰問されてるのは、お滝ではなく、あの巡礼娘だったので、驚いた宗長と義忠は、その娘に足があることを確認した上、泥棒なら逃げ出した。その人は泥棒じゃないと声をかける。

しかし、いきり立った客たちは、声をかけて来た二人も仲間だろうと言い出す始末。

頭に来た宗長は、持っていた小判を全部差し出し、これは自分の金だが、お前たちにやるからその女を助けてやってくれと頼む。

かくして、またもや宿を追い出された二人は、お小夜(大川恵子)と言う巡礼娘と一緒に旅を続けることになる。

巡礼娘は、宿で死んだ娘とは別人であることを知った宗長と義忠は、自分たちがこれまで、意味もなく怖がっていたことを悟るが、お小夜の方は、どうして自分を助けてくれたのか?私の心は悪いものでいっぱいよ。私のようなものは、代官所へデモさしだされて殺された方が良かったのだと自虐的なことばかり言い、とうとう泣き出したので、聞いていた宗長と義忠は訳が分からなかった。

その時、暗殺に失敗し、やけ酒を飲んだ垣内権兵衛が近づいて来て、3人に声をかけて来たので、ばつが悪くなったお小夜は逃げ出してしまう。

宗長と義忠もまた、垣内に絡まれるのを恐れ、そそくさとその場を逃げ出すのだった。

大井川では、川渡しの川人足、ゲタ蔵(喜早哲)、パク助(高見沢浩)、ゾウ太(遠山一)、万貫(佐々木礼司)らが客待ちの間、小屋の中で歌を歌っていた。

そんな大井川に、藁人形をそっと流していたのは、あのお小夜だった。

その時、人足たちが「心中だ!」と声を上げる。

川を見ると、二人の人物が溺れかかっている。

すぐに助けに行ってみると、なんと言うこともない浅瀬だったのであきれる。

どうやら二人は、川人足を雇う金がなかったので、勝手に川を渡ろうとしていたらしい。

あきれながらも同情もした4人の川人足たちは、宗長と義忠が腹を空かせていると知ると、自分たち用の握り飯を小屋で振る舞ってくれる。

そして、金がないという二人に、今日は、尾州と紀州の殿様が川を渡るので、お前たちも川人足になって手伝えと助言する。

二人は、それをきいて顔を見合わせるが、面白そうなのでやってみることにする。

川人足に化けた二人は、弥次喜多が化けた殿様を乗せた駕篭を担いで川を渡り始める。

ずっと駕篭に乗ったままだった弥次喜多の二人は、暑いので、いつの間にか裸になっていた。

時々、お供の爺やたちに、わざと川の水を引っ掛けるといういたずらを交えながら、宗長と義忠は、自分たちの偽者を運んでいたが、その駕篭の中に宗長が乗っていると思い込んでいた垣内権兵衛が、対岸から銃を構えていた。

その銃の引き金が引かれる一瞬前、前の方を担いでいた宗長本人が、足を滑らせ、駕篭を川に落としてしまったため、またしても銃弾は外れてしまう。

この不始末の罪を受け、牢に入れられることになった川人足20名の中に、宗長と義忠も含まれていた。

大牢の中では、牢名主として高く積まれた畳の上に一人偉そうに座っている男がいた。

見ると、それは、箱根の山賊の頭領、雲右衛門だった。

宗長と義忠の姿を見た雲右衛門は驚き、二人こそ牢名主にふさわしい石川五右衛門と雲霧仁左衛門大親分だと、皆に紹介する。

一方、宗長が川に落ちたという知らせを受けた各大名たちは、お見舞いに訪れるが、そこには偽者の弥次喜多しかいないので、爺やたちは懸命に人払いをするしかなかった。

二度までも命を落としかけた弥次喜多は、まんじゅうを食べながら、部屋の隅で抱き合って震えていた。

その頃、二度も暗殺に失敗した垣内権兵衛は、戸崎盛左衛門から、奪われた拳銃で撃たれ、川に落ちていた。

その様子を近くで目撃していたお小夜は、戸崎たちが立ち去った後、川から垣内権兵衛を救い出す。

牢の中では、宗長と義忠を喜ばそうと、川人足の歌とともに、全員が踊っていた。

しかし、一人宗長は、命を狙われているのは自分だと気づき、その理由を考え抜いていた。

名古屋城に戻った戸崎は、城主の弟、徳川宗高から、兄宗眞を亡き者にせよと命じられていた。

宗高は、物の怪に化けていたおかね(松風利栄子)も呼び寄せ、父の恨みを晴らせるときがきたぞと言い聞かせる。

牢の中では、宗長が、雲右衛門の口から、最近、名古屋城の天守閣に現れる物の怪の話は本当らしいという話を聞かされていた。

その頃、お小夜と垣内権兵衛は、堀田帯刀や鏡兵部がいる本陣に駆けつけ、これまでのことを洗いざらい説明していた。

そこに、若殿の行方が分かったという知らせも届く。

何と、牢に入っていると知った二人の爺や、お小夜と垣内権兵衛らは、驚いて駆けつけると、二人の若殿を外に出す。

お小夜は、自分は名古屋城を作る人足頭だった松吾郎の娘だと素性を明かし、今まで、父親が人柱として城で殺されたと坂崎大膳(進藤英太郎)から聞かされていたので、姉おかねとともに、宗眞、宗長親子双方に復讐してやろうと付けねらい、命を狙っていたのだと説明する。

徳川宗高を陰で操っていた本当の黒幕は坂崎大膳だと皆は知る。

尾張名古屋城では、その夜も、おかねが扮した物の怪が、宗眞の寝所に出現し、「返せ〜!人柱の父を返せ〜!」と迫っていた。

一方、天守閣には、忍び装束姿になったお滝が、懲りずに金の鯱を盗もうとやって来ていたが、そこに姿を見せたのが侍姿に戻った義忠だったので、やっぱり手伝いに来てくれたのかと感激する。

しかし、そこに、能面をかぶった怪しげなものたちが数名現れたので、義忠はそのものたちと切り合いを始める。

訳を知らないお滝は、唖然として、義忠の戦いを見つめるしかなかった。

一方、血の付いた小刀を手にしたまま、宗眞の寝所から逃げ出して来た物の怪を前にした坂崎大膳は、おかねが宗眞を刺したに違いないと確信すると、もうお前は用がなくなった。父を斬ったこの刀であの世に送ってやると言いながら刀を抜く。

しかし、物の怪が顔にかぶった能面を外すと、その中から現れたのはおかねではなく、いつの間に戻ったのか、宗長の顔だった。

宗長は、その場で坂崎の悪事を暴いてみせるが、証拠を見せろと迫られると、証拠はこれだと、連れてきたお小夜と垣内権兵衛を出してみせる。

もはやこれまでと、撃ちかかって来た坂崎の一党と斬り合いながら、天守閣を上る宗長。

天守閣部分で、義忠と合流した宗長は、二人協力して坂崎一派を斬り捨ててゆく。

戸崎盛左衛門も坂崎大膳も斬った二人は、これまでは脅かされてばかりいた幽霊を、とうとう退治したぞ!と笑い合うのだった。

元の姿に戻った弥次喜多の二人は、尾張藩に召し抱えになった垣内権兵衛から、城の外につまみ出されていた。

義忠が紀州に帰ることになり、垣内権兵衛、お小夜、おかねらがひざまずく前で、義忠を城門で見送る宗長は、義忠と「お発ち〜!!」と声を合わせるのだった。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

「殿さま弥次喜多 捕物道中」(1959)、「殿さま弥次喜多」(1960)と続く、中村錦之助、嘉葎雄兄弟主演「殿さま弥次喜多シリーズ」の第一弾。

2、3作目は、ミュージカル風の軽いコメディだったので、この作品もタイトルから想像して、軽いファンタジックコメディの類いかと思っていたが、意外としっかりした本格派時代劇仕立てになっていた。

この作品も基本的にはコメディタッチなのだが、おちゃらけ要素だけではなく、きちんとした復讐もののストーリーが用意されているので、ラストは、なかなか迫力あるチャンバラが楽しめる。

錦ちゃんが、敵と戦いながら、五層もの天守閣を部屋中央の階段をどんどん上っているさまを、クレーンがワンショットで追っているように見えるシーンは圧巻。

実はこれ、ワンショットではなく、階と階のつなぎ目の黒みの部分で合成してあるのであり、中央に階段がある部屋のセットは一つだけなのであるらしい。

確かに考えてみると、スタジオ内に、こんなに高いセットが作れるはずもなく、屋外に作ったにしては、照明がどの階も同じようにきれいにそろっていることなどがおかしい。

かなり昔からある手法らしいのだが、今観ても、これが合成だとは言われるまで分からないと思う。

錦ちゃん、嘉葎雄兄弟はいかにも若々しく、元気いっぱいと言った感じ。

明るいコメディタッチということもあり、気兼ねなく楽しめる娯楽作になっている。

ファンタジックな要素なほとんどないので、合成や特撮の類を期待していると肩すかしを食らうが、元々、そういう作品ではないのだ。

二組の大名行列が旅をするシーンなど、数えきれないくらいのエキストラを動員して撮られており、当時の東映時代劇の底力を見せつけられるような出来になっている。