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土俵祭

1944年、大映京都、鈴木彦次郎原作、黒澤明脚本、丸根賛太郎監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

明治初年

触れ太鼓が響く中、鹿鳴館では洋装に身をまとった人々が踊っていた。

櫓太鼓は市民の安眠妨害だ。

相撲の如き、旧時代の遺物に観客が集まるのは遺憾しごく。

相撲全廃の火の手は鹿鳴館よりあがる。

そんな時代風潮だった。

玉ヶ崎(羅門光太郎)は、じっと自宅で考え事をしていた。

そこに女房が、先ほどから1時間も待たせている弟子志望の青年をどうするのか聞きに来る。

そんな女房と口喧嘩になった玉ヶ崎の様子を離れで聞いていた牧竜吉(片岡千恵蔵)は、おかみさんが可哀想ですと、いらぬ差し出口を挟んだために、帰れと玉ヶ崎から怒鳴られてしまう。

竜吉は、お前みたいなバカがいるから、相撲は、裸の手踊りだなんて言われるんだ。お前は西の小結だったな?じゃあ、わしは東に行くと捨て台詞を残して帰って行く。

東京相撲会所の会合を終え、玉ヶ崎と一緒に帰りかけた大綱(山口勇)は、ようするに、客を入れれば良いんだ。相撲をもっと面白く見せなけりゃいけないと言うのを聞いた玉ヶ崎は、そんな事を考えるのが、すでに向こうに負けているのじゃないかと反論するが、大綱は、お前、俺に意見するのか?とむきになって来る。

玉ヶ崎は、その時切れた大綱の下駄の鼻緒を直してやりながら、自嘲しようと言う事さと言い直すが、大綱は、お前の考えは甘過ぎると高飛車に言い放つ。

玉ヶ崎が迎えの人力車で帰った後、一足遅れて大綱を迎えに来た人力車を引いていたのが、大綱と同じ黒雲一門に入ったばかりの竜吉だったが、不機嫌な大綱に、遅いとどつかれてしまう。

明治18年 春場所

富士ノ山のしこ名をもらった竜吉は、土俵でめきめき頭角を現すが、部屋では先輩の大綱からいつも理不尽なシゴキを受けていた。

ある日、そんな富士ノ山に顔の傷を見つけた部屋の娘きよ(市川春代)がどうしたのかと聞くと、風呂で転んだなどと見え透いた嘘を言うので、その風呂の板と云うのは兄弟子と言うんだろう?と苦笑しながら傷の手当をしてやる。

そんな黒雲親方(大井正夫)は、今度、西の玉ケ崎と組む事にしたと説明しながら、常日頃から、相撲は勝ちさえすれば良いと云う考え方の大綱に、勝つばかりが相撲じゃない是と言い聞かすが、大綱は聞く耳を持たない様子。

ちゃんこの給仕をしていた富士ノ山は、大綱からいつものように虐められていた。

そんなある日、ふんどしかつぎとして場所にやって来た富士ノ山は、玉ケ崎のふんどしかつぎをしていたほばしら(岸井明)から声をかけられ、年も近い事から、すぐに友達になる。

そのほばしらと共に、大綱戦を土俵下で眺めていた富士ノ山は、兄弟子の汚い相撲の仕方に疑問を感じ考え込んでしまう。

その日、勝負に敗れた大綱は、親方の前で負けを悔しがりながら、おきよさんの婿は、どうしても大関じゃなきゃいけないのかと問いただしていた。

黒雲親方から、今のおめえには黒雲部屋の後は継がせねえと言われた大綱は荒れ、先に寝ていた富士ノ山の頭を蹴り起こす。

強情な一面もあり、いつも大綱に理不尽ないじめを受けていた富士ノ山が、ある日、裏庭で涙しているのを見かけたきよは、早く謝りなさい。日本一の富士ノ山が泣いていたんじゃおかしいよと慰めるのだった。

その後、地方巡業のため、列車で移動していた富士ノ山は、いつものように何か考え事をしており、友人のほばしらが語りかけても返事すらしなかった。

地方巡業で、地元のタニマチから接待を受けていた大綱に付いて行った富士ノ山は、酔ったタニマチから踊れと強要され、おれは踊る為に相撲取りになったのではないと拒絶したので、大綱から怒鳴りつけられる。

同じ席にいた玉ケ崎は、そんな富士ノ山をじっと見ていた。

それからは、富士ノ山がいくら、大綱に稽古を願い出ても一切相手にされなくなる。

孤立無援になり、海辺で泣いていた富士ノ山に近づいて来たのは玉ケ崎だった。

おめえ、酷い目にあっているようだが、やけを起こしちゃいけねえぜ。稽古は引き受ける。意地でもお前を鍛えたくなった。意地っ張りだから…と云う玉ケ崎の言葉を聞いた富士ノ山は、しまったと悔やむ。

これほどの人物を見抜けず、かつて罵倒した自分が恥ずかしくなったからだ。

しかし、胸を借りた玉ケ崎は強く、富士ノ山は全く歯が立たなかった。

地方巡業から帰った富士ノ山は、親方と一緒に八百善に行った一行とは別れ、ほばしらを連れて部屋に戻って来る。

そんな富士ノ山の様子を見たきよは、お前、少し変わったねと褒め、富士ノ山の方も、おいら少し凸凹が取れたかもしれませんと頭をかく。

きよから羊羹を出してもらったほばしらは、きよの事を別嬪だなと褒め、昔の事を色々想い出すなと子供時代を懐かしむが、富士ノ山の方はおふくろの事など知らない、どっかの寺の赤い柱の事しか思い出さないと、不遇な子供時代を送ったらしい事を打ち明ける。

俺のおふくろは土俵、兄貴は玉ケ崎、弟は前にいると、ほばしらの事を指す富士ノ山だった。

明治18年 夏場所

富士ノ山は、番付外ながら、推薦により、本場所から関取扱いされる事になる。

喜ぶ富士ノ山に、きよと玉ケ崎はそれぞれ祝儀を渡す。

そんな富士ノ山に近づいて来た大綱は、うぬの兄弟子は誰だと言いながら殴りつけたので、それを見かねた玉ケ崎が止めに入り、何の罪もない弟弟子を殴るのが兄弟子か?と注意する。

そんな玉ケ崎と大綱の一番は物言いが付き、結局、互角として、預かり置かれる事になる。

そんな場所後、玉ケ崎の師匠である白玉親方(葛木香一)が病気で入院し、その見舞いから戻って、すぐに弟子たちの稽古をつけてやっていた玉ケ崎が、ほばしらと戦っている時に、足をくじいてしまう。

その直後、白玉親方は急死してしまい、玉ケ崎の足の負傷で引退、後見になると新聞に報じられる。

親方を失った大綱は、相変わらず、強くなりゃ良いんだ。勝ちゃ良いんだと言う考え方だったが、玉ケ崎の方は、自分の代わりに戦ってくれる弟子が欲しいと考えて、竜吉だけは自分が守りたいと思っていた。

そんな玉ケ崎から相談を受けた黒雲親方は、富士ノ山を玉ケ崎に譲る事にする。

それを知ったきよは、父親である黒雲親方の意向を聞くが、竜吉が移籍に承知した事を知らされると、裏庭に富士ノ山を呼び出すと、意気地なし!とののしり、やろうと思っていた富士山の絵をその場で破り捨てる。

その絵を拾い、玉ケ崎部屋を移籍した富士ノ山は、親方が湯治で不在の間、繋ぎあわせた富士山の絵を稽古場に貼って、ほばしらと共に稽古に励む。

ところが、その稽古中、ほばしらは右足をくじいてしまい、富士ノ山は唯一の稽古相手を失ってしまう。

すまながるほばしらを他所に、富士ノ山は一人で黙々と稽古を続ける。

やがて、湯治から玉ケ崎親方が帰って来るが、猛稽古の直後で、飾っていた富士山の絵に頭を下げた直後だった富士ノ山は、腰が抜けたように立てなくなってしまい、親方やほばしらから笑われる。

その後、黒雲親方はきよに、おめえ、最近さっぱり元気がねえなと言いながら、誰かからお前宛に番付を送って寄越したものがいると言いながら見せる。

きよが、その番付を見ると、「富士ノ山竜吉」の名前の所に印が付けてあったので、きよはその場で番付をくしゃくしゃにしてしまう。

しかし、その後も、富士ノ山からの番付はお千代宛に届き、悔しさもあり、きよは破り捨てていたが、明治19年夏場所、明治20年夏場所…と、着実に富士ノ山の名前の位置は徐々に上位に移っていた。

明治21年 春場所

その日の土俵を終え、部屋に帰って来た富士ノ山は、おかみさんに向かって、今日の勝負では、相手のしきりがはっきり見えたと報告する。

明治21年 夏場所

黒雲親方は、娘のきよを呼び、上方から届いたお前との縁談に決心がついたかと尋ねていたが、きよは返事を躊躇っていた。

そんなきよに黒雲親方は、俺ももう年だし、お前も二十歳だ。この部屋は大綱に継いでもらうが、その大綱との結婚話は断ったんだから、今度はお前が曲げて言う事を聞いて欲しいと頼む。

明治22年 春場所

贔屓筋の桐山から、お前に大綱の嫁になって欲しいと云う話があったが、お前が大綱を嫌いなのなら、上方の方との話を承知してくれと重ねて頼んでいた。

明治22年 夏場所

料亭「川新」から帰りかけていた富士ノ山は、やって来た人力車が二人乗り用だったので怪訝に思うが、これしかなかったのだと車屋は恐縮する。

折しも雨が降っている事もあり、近くにいた芸者が駆け寄り、一緒に乗せて行ってくれと頼む。

この様子を近くで目撃していたのが、きよで、富士ノ山の横に仲良さそうに乗り込む芸者を、てっきり富士ノ山の恋人と勘違いしてしまう。

明治23年 春場所

大関に昇進していた富士ノ山は、かつての兄弟子大綱との勝負に挑む事になるが、その時、大綱のタニマチである桐山から小舟に呼び出された富士ノ山は、大綱に花を持たせて、6勝1敗の引き分けと云う事にしてくれないかと相談される。

どうやら、大綱からの依頼ではなく、桐山の独断のようだったが、それを拒絶し、絶対に大綱には勝ってみせると言い切った富士ノ山は、船から川に飛び込むと、泳いで岸まで逃げ帰る。

その次第を桐山から聞かされた大綱は、余計な事をと文句を言うが、お前は大関が目の前だったものだから…と桐山から言い訳を聞かされると、むしゃくしゃし、勝ちさえすりゃ良いんでしょう?と言い捨てると、羽織を窓から放り捨てる。

それを窓の外で拾ったのはきよだった。

そんな大綱を呼び寄せた黒雲親方は、明日の相撲の心構えは出来たかと問いかけると、大綱は、あいつには必ず、土俵の土をなめさせてやるぜと大きな口を叩く。

そんな大綱に我慢の緒が切れた黒雲親方は、勝ちゃ良いと言う考えは今日限り捨ててくれ。裸は清浄無垢だ。勝ちさえすれば良いと云うのは芸人の根性。お前のそんな考え方が、弟弟子たちにも蔓延し、相撲を下等なものにしてたのに気づいたか。

富士ノ山は、いつしか、そんなお前の影響を受け、汚い相撲をやるようになっていたので玉ケ崎にやったのだ。

俺は自分で正しい気風を作る事をせずにあいつを手放してしまった。

裸と裸、魂と魂、土俵に生きる俺たちだけが知る生き甲斐を、しみじみ味わってみてはどうかと言い聞かす。

それを表で聞いていたきよは、富士ノ山が部屋を出た事情を自分が勘違いしていたと気づき、持っていた富士山の絵をじっと見つめるのだった。

その頃、濡れ鼠になって部屋に戻って来た富士ノ山は、自分は富士山の絵がないと調子が出ないので、ちょっとこれから稽古場に取りに行くと言い出していた。

しかし、富士ノ山が、明日の勝負では、親方と大綱との預かり試合のけりをつけますと言うので、聞いていた玉ケ崎は、お前、何か考え違いしてないか?強いばかりが相撲じゃないぜ。正しい精神の裏打ちがあってこそ光り輝くものだぞと叱る。

富士ノ山は、その言葉に反省し、親方夫婦に頭を下げる。

すると、誰か訪問客に気づいたおかみさんのおこぜが応対に出て、その直後、今、富士山の絵を持って来てくれた人がいるよと、富士山の絵を見せながら言うではないか。

富士ノ山が玄関に出てみると、そこにはきよが立っていた。

部屋に招かれたきよは、かつて自分が破った富士山の絵が、きれいに修復され今でも大事にされているのを見ると涙ながらに、もう二枚あったはずだけどと聞く。

富士ノ山は、一枚は稽古場、もう一枚はしまっており、いつも富士山の絵を下帯に挟んで稽古をしていましたと答える。

親方の気持も知らず、お前を意気地なしなんて言ってごめんよと、きよは謝り、東京の見納めに、明日はしっかり見させてもらうよと云うので、驚いた富士ノ山が事情を聞くと、私も人並みにお嫁に行くんだよ。上方の人なんだ。お前も幸せにお暮らしよ。きれいな人だねと言うではないか。

何の話だか分からないと富士ノ山が戸惑うと、「川新」から二人乗りの車で行くのを見かけたんだよときよが言うので、あれは名前も知らない全くの他人で、車はあの時、二人乗りしかなかったのだと富士ノ山は寂し気に弁明する。

それを聞いたきよも、自分の早合点に気づき、こちらも寂し気な表情になる。

そんなきよが帰ると言うので、富士ノ山は自ら車を呼んで来ると表に出かけるが、その後ろ姿にきよは。私、二人乗りは嫌いだよと言い、おかみさんから別のものが呼びに行くのにと呼び止められると、富士ノ山も間違っちゃ困るので、独り乗りのやつをあっしが呼んで来ますと言って出て行く。

それを部屋で聞いていたきよは泣き崩れるのだった。

外は雪が降り始めていた。

翌日、きよも見守る中、富士ノ山と大綱の一戦が始まる。

きよの前にいた客たちは、富士ノ山の意気があがっていないと心配しており、それを耳にしたきよも案じていた。

いよいよ時間いっぱいになり、互いに見合った富士ノ山だったが、なぜか「待った」をかける。

さらに二度目のしきりでも「待った」

三度「待った」をかけた所で、観ていた客から、いつもの癖が出て来たと云う声があがる。

調子が良い時に富士ノ山が見せる、回しを叩く癖が出たと言っているのだった。

四度目のしきりで両者はぶつかり合い、力の入った勝負が続くが、最後には富士ノ山の上手投げが決まる。

それを見ていた黒雲親方は、横で一緒に観戦していた玉ケ崎に声をかける。

きよは、前にいる客に、「日本一」と声をかけてくれと頼む。

言われた客は、大きな声で土俵に向かい「日本一!」と声をかける。

富士ノ山は横綱になり、土俵入りを披露するのだった。

その日も、富士山はそびえ立っていた。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

黒澤明が鈴木彦次郎の原作を脚色した、珍しい「相撲映画」

強情っ張りの青年が、その素質に目をつけた相撲取りから引き抜かれ、一人前の横綱になるまでのサクセスストーリーに、最初の部屋の娘との恋愛感情を絡めたストーリーになっている。

1943年に黒澤が作った「姿三四郎」同様、スポーツ素材だが、ストーリー展開的には、かなり単調な印象だし、何となく全体的に古めかしさを感じないでもない。

若さ故、人を見る目がまだなく、一旦は見限った人物が、実は自分に目をかけてくれていた思慮もある立派な人物だった事に気づき、反省して師と仰ぐ辺りまでは、いかにも単細胞風の若者を演じている千恵蔵の珍しさもあり、それなりに見れるのだが、相撲に精進し始め、徐々に番付を登って行く辺りから、話は、きよの早合点と言う、やや滑稽な「悲恋もの」の方に比重が移ってしまった感じで、スポーツものとしての迫力や面白みは逆に薄れているように思える。

やはり、役者がやりなれないスポーツものを演じている限界がある為に、どうしても、勝負そのものの面白さで見せると云う訳にいかない恨みがあるのだ。

悪役としての大綱にしても、もう少し土俵上での強さ表現があれば、ラストの勝負の緊張感も高まったと思われるが、土俵以外での嫌な人物表現ばかりなので、一方の真面目な富士ノ山の出世振りを見ている観客としては、富士ノ山が勝って当たり前のような雰囲気でラストの勝負を見てしまうような気がする。

娘の心情に最後まで気づかない黒雲親方の鈍感さや、自分の早合点に気づいてもなお、一旦決めた結婚話を翻そうとはしないきよの判断、さらに善悪のありきたりな描き方など、今の感覚で観ると、不自然に感じるような部分が多いのが、古めかしさを感じる所以かもしれない。

それは、演出や脚色のせいではなく、もともと原作自体が古めかしい描き方だったからかもしれない。

とは言え、片岡千恵蔵の力士ぶりは、実に絵になっている。

別に太っている訳ではないが、顔の大きさが回し姿に合うのだ。

時代の変化の中で衰退しかけていた相撲界に、見せ物根性だけではなく、精神の裏打ちを求める事こそ大切なのではないかと弟子に説く親方たちの意見は、何やら、今の相撲界や映画界の事を皮肉っているようにも感じる所が興味深い。

ひょっとしたら、若き黒澤が、当時の映画業界に感じていた不満をこのセリフに込めていたと推測すると、その後の彼の仕事のやり方に繋がりそうなのだが…、はたして…?