TOP

映画評index

ジャンル映画評

シリーズ作品

懐かしテレビ評

円谷英二関連作品

更新

サイドバー

ぶらりぶらぶら物語

1962年、東京映画、松山善三脚本+監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

(産婦人科の新生児室で泣いている赤ん坊たちの姿

ラッシュ時のサラリーマンの姿などを背景に)

これが私たちが住んでいる世界。

天国かはたまた地獄か判らない。

愛して 恨んで そしてたあいなく死んで行く。

そんな中、私達はふとため息をつく。空を飛ぶトンビを憧れる。

人間の自由とは一体何か?そんなものがあるのか?

所詮、人間は人間のつながりの中でしか生きられない…(と、テロップが付く)

タイトル

九州八幡の鉄橋脇の土手で、上半身裸になり上着を繕っているのは、日本中を放浪している猪戸純平(小林桂樹)。

周囲に人がいないのを確認した彼は、こっそりへそくりの八万円を勘定し直すと、それを、腹に膏薬の紙で貼付ける。

そして、衣類などを「危険」と書いた赤い缶の中に詰め込み、橋桁の上にしまい込むと、傘をさして旅を続ける事にする。

途中、昼飯を食っていた工事人に声をかけ、この辺に飲食店がないかと聞くが、ないと言われる。

とある駅前食堂で「うどんかけ(素うどん)」に、持参の味の素とヤマサ醤油で味付けをしながら喰っていた純平は、女給(前原博子)を呼ぶと、うどんに蠅が入っていると注意する。

それを伝え聞いた主人鉄五郎(田武謙三)は、薄汚い身なりの純平が、無銭飲食をする為に嘘を言っていると反論する。

女房(市原悦子)も、今喰っているうどんは5杯目なんだから、4杯目までの料金は払って欲しいと言うが、純平があれこれ屁理屈を言うので、鉄五郎は怒り出し、居合わせた他の客と一緒に純平を掴まえて殴りつけようとしたので、純平は警察を呼んでくれと頼む。

一方、八幡署で、刑事(八波むと志)から、1本5円もしないような鉛筆を100円で売っていた桑田駒子(高峰秀子)が掴まり説教されていた。

駒子は、自分は原爆被害者救済の為に働いているのであり、利益の大半は寄付しているのだと弁解し、さらにその場で周囲の刑事たちにも聞こえるように、原水爆反対の演説を始め、自分を掴まえるのなら人権擁護局に訴えてやる。自分も原爆の犠牲者の一人なのだと息巻く。

呆れたように、刑事が、そう云う寄付行為をやるのなら、それなりの許可証が必要なのだと言い聞かせると、駒子は着ていたワンピースの肩のボタンを外し、胸元を見せるので、廻りにいた刑事たちは、鼻の下を伸ばして覗き込むのだった。

そこに、無銭飲食の現行犯として鉄五郎に連れて来られたのが純平だったが、駒子と目が合うと、互いにジェスチャーで合図をしあう。

二人は、年に1、2度、日本のどこかで会う顔なじみだったのだ。

同じ部屋の中で、互いに、姓名、職業などを聞かれるが、学歴を聞かれた純平は、神田大学夜間部中退、自由業と答え、それはルンペンじゃないかと刑事に突っ込まれる。

一方、駒子の方は、どうして結婚しないんだと聞かれ、男嫌いなのだと答えていた。

所持品検査をされた純平は、日頃持ち歩いているヤマサ醤油と味の素を出し、大抵のものはこの二つをかけると食べられるが、駅前食堂のうどんは出しがダメだったと言い、横で聞いていた鉄五郎を怒らせる。

石のようなものを持っていたので、これは何かと聞く刑事に、純平がそれはウランの鉱石で放射能が出ると答えたので、刑事は気持ち悪がる。

服を脱がされた純平の腹に、大きな膏薬が貼ってあったので、訳を聞かれた純平は、ノミに喰われた所が化膿したのだと答え、刑事にまたもや気持ち悪がられる。

その後、若戸大橋の麓で、タバコを使った手品詐欺をやっていた伊賀の次郎吉(三木のり平)の元に姿を表したのが、警察を釈放された駒子で、無銭飲食で純平が掴まり、身元保証人が必要だが、こちらも危ない身なので助けられないと説明する。

同じような風来坊仲間なので次郎吉も同情するが、自分自身も警察に追われる身なので身元保証人にはなれないと言いながらも、あいつは八万円のへそくりをいつも腹に貼付けて持っているはずなのにと不思議がる。

駒子が本当なのかと確認すると、以前見た事があると次郎吉が言うではないか。

その後、釈放された純平と観光船に乗り、もうあんな詐欺商売は止めろと言われた駒子は、自分は、上野の地下道に捨てられていた子供時代の頃から、だまされるよりだます生き方をするようになった。放浪癖も今に始まった事ではないと説明する。

純平が、暑くなって来たので、これから北海道へでも行こうと思うと言うと、駒子は東京まで一緒に行かない?と誘う。

下関の埠頭で、釣った魚を七輪で焼いていた純平は、駒子の帰りを待っていた。

その頃、駒子は、書店の主人(十朱久雄)に、胸元を覗かせ、350円寄付をせしめていた。

その金で買った酒に睡眠薬を混ぜて、純平の元に戻って来た駒子は、二人だけの夕食を始める。

久しぶりの酒で酔った純平は、僕は金が好き。サラリーマンには自由がないし、自分は片親だったから、サラリーマンにはなりたくてもなれなかったと身の上話をする。

そんな純平が釣った魚を焼いてやろうか?と駒子が声をかけると、母親を思い出すので、そんな優しい言葉をかけられると泣ける。自分は人間らしく生きたい。働きたい時に働き、寝たい時に寝る。そんな生活がしたいと言いながら、お駒さんに惚れている。結婚して下さいと、急にプロポーズをする。

しかし、駒子は、あんたがサラリーマンになったらね。人間は人間の生活の中でしか自由になれないものなのだと言い聞かす。

そんな駒子の言葉が届いたのか届かなかったのか、いつの間にか睡眠薬が効いたらしく、純平はその場で眠り込んでいた。

翌朝、埠頭で目覚めた純平は、腹に貼っていた膏薬と八万円御へそくりがそっくりなくなっている事に気づき、慌てて下関駅まで駆けつけるが、すでに駒子の姿はどこにもなかった。

金を盗まれがっくりした純平は、駅前のベンチに腰をおろすが、その時、隣りで仲良く弁当を食べていた子供二人に、小母さんと名乗る女(団令子)が、手洗いに行くと言い残して、男(桂小金治)と二人で列車に乗り込んだのを見ていた純平は、捨て子だと直感し、慌ててプラットホームに女の子と男の子を連れて行き、列車を追いかける。

しかし、発車した列車に追いつく事は出来ず、純平は、二人の捨て子と取り残されてしまう事になる。

二人の子供を追いて立ち去ろうとした純平だったが、二人の子供は、追いかけっこでもするようにしつこく付いて来て、とうとう根負けした純平は、二人の子供を連れて旅をする事にする。

料亭「瓢」で働き、自慢の水炊きの残り物を女中(菅井きん)から恵んでもらった純平は、それを子供二人と分け合って食べる。

二人の子供に名前を尋ねると、小宮山武男(金子吉延)とマリ子(坂部尚子)と名乗る。

二人の両親は既に亡くなったらしく、長崎で小母ちゃんに育てられたと言う。

下関駅で小母ちゃんといた男を知っているかときくと、東西建設の社員で、歌が上手いのでキンコンカンちゃんと呼ばれているのだとも。

その後、警察署に二人を連れて行った純平は、一人で帰ろうとしかけていた所を巡査(中村是好)に見とがめられ、捨て子して帰る親と勘違いされ説教されてしまう。

またもや、二人の子供連れで旅を続けなければ行けなくなった純平は落ち込むが、子供の方は「有難や節」など歌いながら、楽しそうだった。

衣類や緊急時の缶詰などをしまっていた缶を取りに、鉄橋下の橋桁の所に戻った純平だったが、缶には、土砂以外に手紙が入っているだけだった。

手紙は駒子が書いた置き手紙で、シャケ缶、おいしく頂きました。預ったお金は三和銀行の定期預金にしました。年利五分五厘。有楽町で会いましょうと、ふざけたような内容だった。

純平はがっかりし、近くにいたカエルを掴まえて子供たちに食べさせようとするが、怒った二人の子供はどんどん逃げて行こうとしたので、さすがの純平も降参する。

子供二人と一緒に物乞いをする事にした純平だが、食べ盛りの子供二人を面倒見るのは並大抵の事ではなく、とうとう傷痍軍人のまねなどまでやってみるが、既に時代遅れで身入りに繋がらないと気づく。

マリ子は、歩きながら「誰よりも君を愛す」など、大人びた唄を歌っている。

そんな二人の子供のチューインガムを買って与えた純平は、自分ではふぐのみりん干しなど精力が付くものを買い食いしたせいか、町に貼られていたヌードショーのポスターに気を取られ、海に落ちてしまう。

住職が近所の檀家を前に、人間、色香に迷ってはいけないと説教をしていた寺に、30分くらい預っておいてくれと二人の子供を追いた純平は、ポスターに書いてあった室津館と言う小屋を探しまわり、ヌードショーを見物する。

新聞紙を、身体の前にぶら下げた踊子が、音楽に合わせ、少しずつ新聞紙を破って行くと云う趣向だったが、隣りで見ていた船の乗組員(谷晃)が、大阪じゃ、もうお触りの時代だと退屈そうに教えてくれたので、好奇心をかき立てられた純平は、その劇場名を聞く。

その後、二人の子供を連れ、錦帯橋を渡っていた純平だったが、下の河原から呼ぶ声がするので見下ろしてみると、伊賀の次郎吉が鮎を焼いているではないか。

降りて行って事情を聞くと、近くの岩国旅館にいけすがあるのだと言う。

つまり、その鮎は盗んで来たものらしかったが、食べろと勧めてくれたので、純平は握り飯をこの子らに食べさせてくれと頼み、自分も遠慮なく、焼き鮎を頬張り始める。

お前、お駒に定期預けたそうだな?と次郎吉から聞かれた純平は、腹立たしそうに、あいつは、自分も原爆犠牲者などと言ってケロイドを人に見せたりしているが、あれは、子供の頃に、あいつがいろりに落ちて出来たやけどの痕だと教える。

それを聞いた次郎吉は、戦争に負けて、どいつもこいつも悪くなったなと嘆息し、物乞いをやっているのなら、俺の空き巣を手伝わないかと誘うが、乞食はしても心の自由は失いたくない。泥棒と政治家だけにはなりたくない。あれは人間の屑だと言う純平から川に押し倒されてしまう。

純平と子供たちは、近くを通っていた馬車の荷台に乗せてもらう。

倉敷美術館で、ゴーギャンやルノアールの名画を観た後、純平は子供たちに、世の中で一番偉いのは誰だと思うと問いかける。

すると、武男 は「猿飛佐助」「鉄人28号」「キング・アラジン」と答え、純平を呆れさせる。

岡山に入り、桃の手入れをしていた農民に、自分は農林省のものだと名乗った純平は、あれこれ今年の桃の出来に付いて難癖をつけ、見本としてまんまと桃の身の付いた枝ごとせしめる。

やがて土手を歩いていたマリ子は、右側にブドウ園で働く人々、左側の河原でゴルフをする人々を見ながら、働いている人と遊んでいる人はどっちが偉いの?と純平に問いかけ困らせる。

何とか、岡山の中心街まで歩いて来た三人だったが、子供二人が歩くのを嫌がって来たので、無理をして急行電車に乗り込み大阪を目指す事にする。

純平は、検札が来ませんようにと、割れたお守り札に祈り居眠りを始めるが、すぐにやって来た車掌(立原博)に、岡山の隣り駅東岡山までの切符しか買っていない「てっぽう(無賃乗車)」だと見抜かれてしまう。

とにもかくにも、何とか大阪に到着した純平は、料亭の板前(東京ぼん太)に「お触りストリップ劇場」の情報を教え、その代わりに、店の残り物のスッポン雑炊を分けてもらうと、子供二人に食べさせる。

大阪城の石垣に隠していた木材やのこぎりなどを使い、即席の「イザリ車」を作った純平は、自らそれに乗り子供たちに引かせると、物乞いを始めるが、すぐに地元ろ地回り(パン猪狩)が所場代を要求して来たので、嫌になって心斎橋の上に場所を移すが、近くのサラリーマンたちは皆、アンプル剤を飲んでいる連中ばかりで、誰も金など投げてくれるものはいない。

しかし、拾ったがま口に新宮市までの切符が入っていたので、それを使い、純平の守り本尊である神倉神社の火祭りを見に行く。

祭りが終わった後、神倉神社に一人参りに行った純平は玉砂利に跪き、お袋が死んだ時、自分に残してくれたのは、借金とお守り札だけだった…と、神社に向かって独白を始める。

大阪の大空襲の時、心斎橋の川の所に連れて行かれた時、そのお守り札は二つに割れていた。

きっと、自分の身代わりになってくれたのだろう。

戦争が終わって17年、同じ心斎橋でがま口を拾ったのも、何かの運命かもしれない。

子供時代は、新聞配達や納豆売りをやり、小、中学校は一番で卒業したが、上京し、鉄砲の弾を作る会社に勤め出したら、陸軍中尉が僕に、物資を横領したと身に覚えのない罪をなすり付け、結果的に前科一犯になってしまった。

平和になればなるほど、人間は悪くなる一方で、そんな世の中で生き延びて行くには、裏切られるより裏切ってやろうと、社会の外に出ようと思うようになった。

人間が人間を支配し、平和の為と言いながら、米ソは原水爆の実験している。

天禄と言って、昔は、米の飯とお天道様は付いて来るものと言われていたが、今ではそんな事もなくなってしまった。

僕はグータラな人間です。神様の意思に反している人間です。ケチでスケベです。

おふくろの膝の上で、思い切り泣けたらどんなに良い事でしょう。

僕の心は今、ぞうきんのように汚れています…と懺悔するのだった。

純平は二人の子供を連れ、蒸気機関車で浜松に向かう。

浜松と言えば「うな丼」だとばかり、ウナギの養殖場に出向いた純平は、又しても、自分は「水産庁の人間だ」と嘘を付き、死んだウナギをせしめようとするが、返事をした男(佐野浅夫)も、水産庁の人間だと答える。

しかし、何とか、死んだウナギを一匹もらえたので、喜んで帰っていた純平だったが、そこに武男が「マリ子が死んじゃうよ!」と駆けつけて来たので、慌てて河原に向かうと、飯ごうで飯を炊く準備をしていたらしきマリ子が倒れていた。

慌てた純平は、マリ子を抱えて、近所の医者に向かうが、看護婦から、医者は留守だと断られる。

実は医者はいたのだが、純平の身なりを見て差別したのだったが、それに気づかない純平は、ちょうど往診に出かけようとしていた別の医者(西村晃)に診てくれと頼み込むが、紹介状がないとダメだと断られてしまう。

町まで出て、市民病院に入った純平だったが、ここでも順番待ちが長くて、急患を診てくれない。

ところが、偶然そこにいた駒子が純平を発見、あんたの身なりでは誰も見てくれないから、私が医者に見せるとマリ子を預る。

結局、マリ子は、過労と軽い日射病だと判明、数日入院する事になる。

河原にやって来た駒子は、川で武男の下着を洗ってやりながら、国鉄と病院は一等に限る。全てこの世は金次第。金は使う為にあるのだ。トクホンじゃないんだから、膏薬みたいに身体に貼っておくものじゃない。私には良心があるなどと説教するので、純平はだんだん不機嫌になり、近くの畑にあったスイカに八つ当たりして蹴飛ばしてしまう。

すると、仕掛けてあった鳴子が鳴り出し、近くにいた農民たちが一斉に、最近ここらに出現するスイカ泥棒だと駆けつけて来て、純平をぼこぼこに殴りつける。

毎日、駒子は、病院のマリ子を見舞いに行ってやり、とうとう退院の日がやって来る。

純平と武男がマリ子に因んでビーチボールを持って病院に迎えに行くと、看護婦から手紙を渡される。

中には、自分はデモに付いて行きます。マリちゃんから、あなたの事を色々聞かされた。あなたの今までの人生は運が悪かった。日本人全体も運が悪くて、あんなバカな戦争をやってしまった。二人で力を合わせたらきっとできるはず。入院費用はあんたの定期預金から払っておきました。マリ子ちゃんを見ていると、自分の不幸な少女時代を思う出しました、駒子…と書かれてあった。

駒子は、「国民平和大行進」のデモ隊の後ろから、プラカードを掲げ、一人「三たび許すまじ原爆を」と唄を歌いながら付いて行っていた。

静岡の茶畑の中を歩きながら、武男は九九を言っていた。

マリ子が「婦人病には中将湯」と立て看板の字が読めると自慢すると、武男も負けじと「何はなくとも江戸むらさき」と看板を読んでみせる。

鉄橋の下の河原で、地元の子供たちと双六遊びをやりながら、せしめた野菜のキュウリを食べる純平。

子供たちと一緒に、川で水浴びをしているうちに、マリ子のビーチボールが流されてしまったので、マリ子は泣き出す。

遊び終わってその場を立ち去る純平たちに、子供たちがゾロゾロと付いて来ようとする。

自分たちも東京に連れて行ってくれ。おじちゃんは、自分たちの父ちゃんよりも面白いと、すっかり気に入られてしまったのだが、さすがに困った純平は、そんな子供たちを追い返すしかなかった。

ヒッチハイクをしてみるが、なかなか車は停まってくれない。

それでも三人は、ようやく東京駅まで到着する。

純平は、弁松の弁当を子供二人に食べさせながら、会うは別れのはじめなり。小母ちゃんに可愛がってもらえよと言い聞かすと、キンコンカンちゃんが働いている建設会社の工事現場に言って所在を聞くが、今は品川の現場だと言う。

そこに行ってみると、あの小母ちゃんが、ヨイトマケの仕事をしていた。

小母ちゃんは、武男とマリ子の姿を見るとしっかり抱きしめ涙を流すのだった。

その場から逃げるように走り去った純平は、これで良いのだと自らに言い聞かせるが、有楽町の宝くじ売場の前で駒子と再会した時には涙を流していた。

その後、おでん屋に腰を落ち着けた駒子は、子供たちに情が移ったと嘆く純平に、それが人間ってものだよと同情する。

その夜、子供二人を寝かしつけた小母さんの元に、キンコンカンちゃんが帰って来て事情を聞く。

3年間も面倒を見てやったんだからもう良いだろう?追い出してしまえ。来年春には、俺たちの子供も生まれるんだぞと言い聞かせるが、小母ちゃんは、あの子たちには私が必要なんだ。私がいないと生きて行けないと泣き出す。

それを聞いたキンコンカンちゃんも、置いてやるよと言い出すが、気がつくと、隣りの部屋で寝ていたはずの武男とマリ子の姿は消えていた。

二人の会話をこっそり聞いていた二人は、勝手に逃げ出したのだった。

翌朝、おでん屋の屋台の中で寝ている駒子を乗せ、純平は張り切って屋台を引っ張っていたが、おでん屋の主人(左卜全)は、自分の家はこっちだとあわてて追いかけて来る。

その頃、武男とマリ子は、とある橋の欄干の裏側から、純平が隠していたシャケ缶を見つけていた。

たまたまその近くにいた次郎吉に教えてもらったらしい。

そこに、純平が引いた屋台が通りかかる。

子供たちの姿を見た純平は驚いて停まったので、乗っていた駒子は転がり落ちる。

子供たちと抱き合った純平は、三人で北海道に行こうと提案するが、それを聞いていた駒子がストップをかける。

今日は東、明日は西みたいな生活をして、子供に何になるのだと云うのだ。

何でも見てやろうと云う精神だと純平が答えると、みみっちいとバカにする駒子は、あんたは私と結婚してサラリーマンになるのよ。人間の自由なんて、がんじがらめの人生の中にこそ、本当の人間の自由があるのよと説得する。

都電に乗った純平は、別れの記念にと言って、人形峠で拾ったウラン鉱を次郎吉に渡す。

その礼をしようと、次郎吉は、女性客のバッグから財布を盗もうとするが、見張っていた刑事(松村達雄)に現行犯で掴まってしまう。

そんな次郎吉に、純平は、味の素と醤油を譲ってやるのだった。

電車を降りた駒子は、小母ちゃんと呼びかける二人の子供たちに、これからはママって呼ぶのよと教え、純平と共に、雑踏の中を歩き始めるのだった。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

小林桂樹が主演している所から、ちょっと「裸の大将」を連想したりする、ロードムービーの形を借りた風刺コメディ。

まず、びっくりするのが、タイトルデザインのすばらしさ。

冒頭のスタッフロールは、本当のスタッフ本人たちが、シャレたデザインの看板を身につけ登場。

続いて、キャストたちは、それぞれ、デザイン化されたセットの中に本人がその役の扮装で登場。

最後に、監督自らが後ろ手に綱に縛り付けられ、くるくると空中で廻っている姿で登場。

エンディングは、小林桂樹、高峰秀子、金子吉延、坂部尚子の四人が、太い綱で一緒くたに、うれしそうに縛られている姿と「終」の文字が出て来るなど、最後までシャレのめしている。

自由とは何か?平和になるほど人間は悪くなる。この世はエロとグロばかり…など、色々な風刺が込められている。

純平、駒子は、不運さもあり、世の中からはじき出された者同士だが、世の中を恨むんでいる純平に対し、駒子の方は、もっと世の中を現実的に捕らえており、純平と自分が結婚し、純平に社会性と云う枷をはめる事で、二人とも真の自由を得られると理解している。

純平と駒子は、本質的に夢想家の男と、現実派の女の象徴なのかもしれない。

そこに、二人の不運な子供が絡む事で「疑似家族」になって人間らしさをみんなが取り戻して行く過程を描いている。

幼い兄妹を演じている金子吉延と坂部尚子は、共に名子役として有名で、特に、後に「仮面の忍者 赤影」の青影役でお茶の間の人気者になる金子吉延は、まだ幼いながら、奔放に演じている。

完成したばかりの若戸大橋をはじめ、当時の各地の風景が貴重。

非常に楽しい作品なのだが、放送禁止用語が随所に登場している為、ソフト化やテレビ放映は難しいと思われるのが残念。

あっけらかんとした駒子を演じる高峰秀子には、「カルメン故郷に帰る」での純なストリッパーリリイのキャラクターがどことなく重なっているような気がする。