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八甲田山

1977年、橋本プロ&東宝&シナノ企画作品。

「砂の器」(1974)で大儲けした橋本プロが東宝に持ち込んだ企画。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!▼▼▼▼▼

明治35年(1902)、青森の日本陸軍第8師団では、迫り来るロシアとの戦争に向けて、耐寒訓練の必要性を痛感、冬の八甲田山踏破訓練を企画する。

この任に当たったのが、弘前歩兵第31連隊の徳島大尉(高倉健)と、青森歩兵第5連隊の神田大尉(北大路欣也)の二人であった。

二人は各々、綿密に調査していく過程で、この訓練が無謀な物であった事を後になって悟るが、会議で快諾した手前、後戻りは出来ない。

徳島大尉の方は、安全性を考慮、中隊編成で距離的には長い迂回路を選択。
一方、神田大尉も中隊編成を願い出るが、山田大隊長(三國連太郎)の面子にこだわった横槍が入り、大部隊編成と、山田大隊長を含む大隊部隊の随行を承諾させられてしまう。

やがて、別々に出発したこの二つの部隊の運命に、くっきりとした明暗が分かれていく…。

山田大隊長の横槍は雪中行軍が始まってからも続き、命令系統は混乱、本来、指揮権を持っていたはずの神田大尉はなすすべもなく、道を見失った山中で何とか打開策を探ろうと悪戦苦闘するが、悪天候にも阻まれ、次々と部下は倒れていく。

「天は我を見放した!」、神田大尉の悲痛な叫びが「白い地獄」に吸い込まれていく。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

本当の雪山で撮られた、壮絶な「死の行軍」描写は確かに迫力がある。
だが、遭難映画である以上の人間ドラマは、徳島大尉と神田大尉の友情、斉藤伍長(前田吟)の兄弟愛、神田大尉の心理的孤立など、いくつか描かれてはいるが、全体的にどこか散漫な感じは否めず、3時間近い劇中の大部分を占める、雪景色ばかりの単調な画面展開には、さすがに途中から飽きてくる事もまた確かである。
重装備で雪中行軍をする大勢の役者たちの顔は、大きなスクリーンで観ても、誰が誰だかほとんど見分けもつかず、セリフがある人物であれば、かろうじてその声で見分けられるような状態。
これもドラマとして、画面に感情移入しにくくしてしまった一因ではないか。

時折挿入される、四季折々の美しい青森の風景描写も、人間ドラマの掘り下げが弱いために、「砂の器」ほど、観る者の胸に迫ってこない。

劇中、「雪ん子」のような愛らしい姿で登場する、秋吉久美子の可憐な存在が、唯一、一服の清涼剤的役割を果たしているのが貴重。

生真面目な作風で、興行的大成功もおさめたものの、本作の何ともいえぬ「大味感」は、その後の日本映画の大作群にも確実に影を落としていく事になる。
いわば、そうした分岐点にある作品としても、記憶されるべき作品だろう。