TOP

映画評index

ジャンル映画評

シリーズ作品

懐かしテレビ評

円谷英二関連作品

更新

サイドバー

喜びも悲しみも幾歳月

1957年、松竹大船、木下恵介原作+脚本+監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

第一部

昭和7年

父親の葬式で国に帰っていた観音埼の燈台守、有沢四郎(佐田啓二)の新妻、有沢きよ子(高峰秀子)は、灯台に近づいても誰も迎えに来ていないので、今日は祝日かしら?と不思議がるが、四郎も、祝日なら国旗が出ているはずだろうと言いながらも怪訝そう。

手塚灯台長(小林十九二)以下、灯台関係者は、宿舎の中で全員、上海で戦争が始まったラジオニュースに聞き入っていたのだった。

その後、四郎を出迎えた灯台長は、父親の臨終に間に合ったかと聞いて来る。

はいと答えた四郎だったが、今日は嫁さんを連れて来たと言うので、全員ビックリして外に飛び出すと、四郎ときよ子に対し、万歳を叫んで出迎える。

夜は歓迎会になるが、四郎は間もなく勤務なのでと、勧められた酒を控える。

灯台に登り、日記を書いていた四郎の元にお茶を運んで来たきよ子が、何を書いているのかと興味を示すので、仕方なく四郎は、その場で読んで聞かせる。

僕は初めて結婚した。観音埼灯台は、明治2年に点灯した日本初の様式灯台である。本日、上海に戦果の火ぶたが切られた。1月29日。

階段を降りて帰ろうとしたきよ子は、入り口を塞ぐように立っていた不気味な女を見て悲鳴を上げる。

驚いて駆けつけた四郎は、話し忘れていて悪かったが、あの人は金牧さんの奥さん(桜むつ子)で、精神がおかしくなっているのだと教える。

どうしておかしくなったの?ときよ子が聞くと、7、8年前、遠い灯台に単身赴任した金牧さんと地元の漁師の娘の仲を邪推し始めた上に、子供さんもトラックに轢かれて亡くしたので…と四郎は辛そうに教える。

一ヶ月後、洗濯物を干していたきよ子に、国から藤井さんと言うお客さんが見えたと手塚台長が知らせに来る。

きよ子が会いに行くと、藤井たつ子(桂木洋子)は海を見ているばかりで、きよ子が何を話しかけても知らんぷり。

訳を聞くと、旦那様いるんでしょう?たったいっぺんのお見合いで、良く結婚出来たわねとたつ子は嫌みを言いはじめる。

どうして、あなたの事を思い続けていた蓮池さんと結婚しなかったの?あの人、今でもあなたの事が忘れられないのよとたつ子が言いがかりをつけて来るので、きよ子は、あの人の事など何とも思っていなかったのよ。あなた、蓮池さんの事が好きなのなら、結婚すれば良いじゃないと答えと、いきなりたつ子は、きよ子の頬を叩き、死んでやると云いながら、柵を超え海に乗り出そうとする。

その前から、それとなく二人の会話を聞いていた金牧次席(三井弘次)が飛び出して来て、たつ子を掴まえると、無理矢理自分の宿舎に引きずって来る。

連れて来られたたつ子を見た妻は「ばか…」と呟く。

金牧次席は、本当の愛も生きる意味も知らないあんたのようなはしたない女に、灯台守が怪我されてたまるか。国に帰りなさいと説教する。

その日、灯台の上で海を眺めるきみ子は、四郎に向かい、どんなに苦労しても、私、あなたと乗り越えてみせると決意の気持を伝える。

そこへ灯台長の息子が、女の人帰ったよと言いに来る。

そんな二人は、次に石狩灯台へ転勤する。

昭和8年

子供の通学の為、妻たちとは4年も別居生活を開いている木村台長(明石潮)と、いつもマンドリンを弾くのが趣味の鈴木次席(三木隆)とその妻(井川邦子)は、来月中旬頃生まれそうだと言う身重のきよ子らを出迎えてくれる。3月28日の事だった。

日本は国際連盟を脱退していた。

四郎は、きよ子も最近、灯台の灯の事を絶えず気にかけるようになったと感心していた。

きよ子も、この頃、ぐっすり寝る事がなくなったと答える。

やがて、そんなきよ子に陣痛が襲いかかる。

早めに病院に行っておいた方が良いのでは?とかねがね口にしていた四郎と木村台長は狼狽するが、雪の中、産婆が間に合わないかもしれないと、四郎は自分が取り上げる決心をする。

そりに乗った産婆が宿舎に到着した時、中から赤ん坊の泣き声が聞こえて来る。

産婆が中に入ると、四郎が泣きながら外に飛び出して来て、後から追って来た木村台長が「おめでとう!女の子だよ」と祝福する。

昭和9年、長女雪野を背負ったきよ子と四郎は、春を迎えていた。

昭和10年、鈴木夫妻と一緒に正月用の餅つきをしていた四郎の元に、郵便局長(坂本武)が一通の電報を持って来る。

それを読んだ四郎は、又喜んで外に飛び出して行く。

木村台長は、有沢君はいつもうれしい事があると外に飛び出すなぁ。国の信州に帰った奥さんに男の子が生まれたんだよと、笑いながら鈴木夫妻に教える。

信州で、母(岡田和子)と長男光太郎のお宮参りに出かけた時、意外な人に会ったの…と、きよ子からの手紙に書かれてあった。

その人とは、藤井たつ子の事だった。

たつ子は、来月の節分にお嫁に行くのだときよ子に打ち明けて来る。

その相手とは、蓮池だと言う。

観音崎から帰った後、あそこで海に飛び込んだつもりになって、あの人とどうしても一緒になろうと思った。

蓮池はその後兵隊に行き、3年待った後、今回の結婚にこぎ着けたので、今後はあの人にすがりついてがんばるわと言っていた…と書かれた手紙の最後には、鈴木さんの奥さんはいかがですか?りんごを送って来ますと結ばれていた。

実は、鈴木次席の妻は病気にかかり、ここの所ずっと臥せっていたのだ。

木村台長は、行きが降りしきる外で、一人剣舞に励んでいた。

そんな木村台長も、寂しさに耐えかねているのだろうと、病床の妻と鈴木は語り合っていた。

妻は、世間では私達の事なんて誰も知らないでしょうねと嘆息するが、鈴木は、僕の苦労は君が知っているし、君の苦労は僕が知っているよと答える。

そんな二人の元にやって来た木村台長は、鈴木に酒を振る舞う。

ある日、四郎の元に子供が電報を持って来る。

それを読んだ四郎は、万歳と叫び、又外に飛び出して行く。

きみ子は一日に帰って来ると云う知らせだったのだ。

馬車に揺られながら、迎えに行った四郎ときみ子、雪野、光太郎の家族は灯台に帰って来る。

四郎は馬車の中で、鈴木次席の奥さんは夕べから急に悪くなったと教える。

三日も霧笛が続いて忙しかった鈴木次席は、そんな妻の看病を、今、四郎たち家族が乗って来た馬車で町の病院まで連れて行きたいと木村台長に申し出る。

木村台長は、町まで三里もあるぞと止めようとするが、今夜も危ないかもしれないと言う鈴木次席を説得出来るはずもなかったので、四郎が付いて行く事にする。

しかし、出発して間もなく、鈴木次席は妻がもうダメだと悟る。

御者は、急に泣き出した鈴木次席の声で事態を悟ると、馬車を止め、方向を変えると、又来た道を灯台に戻る。

それを出迎えたきみ子や木村台長の前で、妻の遺体を抱いて馬車から降りた木村次席は、雪の中を数歩進むと跪き、この灯台の光は沖の方まで届いている。俺もお前も、この光を守る為に今まで生きて来たんだと、妻の遺体に語りかけるのだった。

昭和12年

又、転勤となり、石狩灯台を後にした有沢一家は、伊豆大島灯台‎、豊後水道の水子島灯台 、そして、五島列島の女島灯台と渡り歩く。

まさか、日本の一番端まで来るとは思わなかったわとため息をつくきみ子に、四郎は、部屋の真ん中にたっている灯台などありはしないさ。どこへ行ったって日本の端さと慰める。

孤島の女島では、誰も遊び相手がいないので、雪野はつまらなそうだった。

すぐに、灯台で仕事をしている四郎の元に遊びに来る。

そんな雪野を持て余しながら、四郎自身も、長い孤立生活に苛立って来ていた。

夕餉の膳で、飯がぬか臭いと文句を言ってしまったのだ。

同じように苛立っていたきよ子の方も、子供の事を考えるとどこかへ移れないかしら?玉の浦退息所なんかはどう?と提案するが、そんなに行きたかったら、すぐに荷物をまとめて国にでもどこでも行けば良いじゃないかと癇癪を起こし、二人の子供を誘うと外に飛び出してしまう。

そこに飯をもらいに来た野津(田村高廣)が、早く荷造りした方が良いですよといらぬおせっかいをしたので、聞いていた四郎は怒る。

そこに、台長が明日は嵐が来ると言いに来て、今から行くったって、便船が来るのは一週間も先じゃないですか。本土への連絡船が、10日にいっぺんのこんな島では喧嘩にならないよときよ子を諭す。

その通りだと気づいたきよ子はばかばかしくなり、二人の子供相手に唄を歌っていた四郎の元へ来ると、嵐が来るから手伝ってと言葉をかけ、四郎もあっさり言う事を聞く。

取りあえず、玉の浦退息所へきよ子と二人の子供を船で送る事にした四郎だったが、子供より自分が一番島を出たがっていたのかもしれないわ。それに雪野もだんだん無口な子になって行くのも心配だしと話しかけて来るきよ子の言葉も耳に入らないように、盧溝橋事件を報ずる新聞記事に気を取られていた。

昭和13年 国家総動員法制定

昭和14年 第二次世界大戦勃発

昭和15年 フランス、ドイツに降伏

本土の祭りに子供二人を連れて来たきよ子は、野津から声をかけられ相談があると近くに誘われる。

それを聞いたきよ子は戸惑い、灯台長の奥さんも、常々娘は灯台守の妻だけにはするなって言っているし…と話を伝える事を躊躇する。

玉の浦退息所に、雪野と光太郎を連れて帰って来ていた野津に自転車で追いついて来たのは、灯台長の娘で、野津が結婚したがっていた真砂子(伊藤弘子)だった。

彼女は、そんな野津の気持など知らないので、二人の子供を自転車に乗せ先に連れて帰る。

その後、話はしてみたけど、やはり、先方の奥さんも乗り気ではないと断りの返事を野津にしたきよ子だったが、野津は諦めません。一生に一度位はめちゃめちゃにだだをこねたい。奥さんみたいに、見合い結婚した人には分からないんですと抵抗する。

その夜、野津の元にスイカを持ってやって来た真砂子は、自分は野津さんの事は好きだけど、灯台の人にお嫁に行こうとは思わない。でも別に私、あなたを振った訳じゃないのよ。仲良くしましょうと云うので、野津はふて腐れる。

女島の灯台に戻る野津を見送るきよ子は、さっきあなたから、見合い結婚した私には分からないって言われてどっきりしたけど、今では私、夫に恋してると伝えといてねと言う。

一ヶ月後、真砂子が書留を持って来る。

その後、船で本土にやって来た四郎は、久々に再会したきよ子や子供たちに、転勤だ。今度は日本の真ん中だよとうれしそうに教える。

第二部

佐渡島の弾埼灯台

12月8日、日本は米英に宣戦布告をする。

兵隊を港に見送りに行った帰り、灯台守の新人水出(田中晋二)は、地元の青年たちと喧嘩をして灯台に戻って来る。

顔に青あざを作って戻って来た水出の事を、今や次席となった灯台の四郎に知らせたきよ子は、呼んで来いと言われ、水出を呼びに行く。

事情を問いただすと、島の若い連中から、戦争逃れの為に灯台守になったと言われたのだと言う。

それを聞いた四郎は、急に自分も一緒に怒り出し、俺が行って話をつけてやると、水出に案内させる。

相手は、地元の網元の息子のようで、向かった屋敷の中では宴会が行われていた。

水出の姿に気づいた相手の息子は立ち上がり、その父親も何事かと色めき立って玄関口に出て来るが、そこに立っていたのが灯台次席の四郎と知ると、喧嘩の相手を間違えている。一緒に飲みましょうと座敷にあげ、上座に座らせて接待し始める。

その後、泥酔した四郎をリヤカーに乗せ戻って来た水出の姿を見つけたきよ子は呆れて雪を四郎の顔にこすり付ける。

正気付いて道に立ち上がった四郎は、女島の台長さんが亡くなった。奥さんや真砂子さん、どうするんでしょう…。野津さん、転勤ですって、真砂子さんの事好きなのにと言うきよ子の言葉を聞かされる。

昭和17年

2月16日 シンガポール占領

4月18日 日本本土初の空襲

灯台長以下、四郎やきよ子は、兄を戦争で亡くし、一人ハーモニカを吹いていた水出の元に来ると、黙祷をする。

そんなある日、嵐が灯台を襲い、先端の小型灯台の灯が消えたので出かけると灯台長が四郎に言いに来る。

しかし、四郎は自分が行くと言い出し、水出に船の手配を頼むが、どこも船を出してくれないので、自分が漕ぎますと言う水出と共に嵐の海に乗り出して行く。

それを本灯台の上から見守る灯台長ときよ子。

やがて、小型灯台にたどり着いた四郎が、無事、灯をともし、懐中電灯を回して成功を知らせるのが見えたので、きよ子は安心する。

御前埼灯台

昭和20年

きよ子たちは子供を連れ、防空壕で空襲から身を守っていた。

ある日、きよ子が近所の主婦たちと共に竹槍訓練に参加していると、隣りに立っていた夫人が貧血を起こしたのかうずくまる。

仕方がないので、自分が家まで送る事にするが、そこに、野津さんが来ると雪野が知らせに来たので、名取(夏川静江)と名乗った相手の夫人は礼を言って一人で帰る。

野津に食べさせようと、家族総出で貝を拾っていた時、あの野津がやって来る。

一家は大歓迎するが、野津がお嫁さんをもらったんですと云うので背後を見やると、何と、近づいて来たのは真砂子だった。

思わず走って近づいたきよ子は、砂浜に倒れ込むと、近づいて来た真砂子の足にすがって泣いて喜ぶ。

野津は種子島に転勤になっていたのだが、その間もずっと手紙を出し続けていたと云う。

真砂子の方は、姉妹には、灯台の人しか結婚しないと母に言ったの。前から、野津さんの事が好きだったのかも…と、きよ子に打ち明けるのだった。

戦況は悪化し、金華山灯台、塩屋埼灯台、犬吠埼灯台、綾里埼灯台で、次々と殉職者が出る。

ある日、敵機をやり過ごした御前埼灯台にきよ子を呼びに来た少年は、名取と名乗ると、母が奥さんを呼んで来て欲しいと言っていると伝える。

行くと、名取夫人は病気で寝込んでいた。

きよ子はそれから毎日、色んな食料を、名取の息子進吾と一緒に母親の元に持って行ってやる。

途中、進吾から話を聞くと、名取家は東京で大きな料亭をやっているらしかった。

ある日、四郎と一緒に近所の草むしりをしていたきよ子は、早く戦争辞めてくれれば良いのにと本音を口にするが、それを聞いた四郎は「バカ!」と叱りつける。

そこに、名取の夫(北竜二)が挨拶にやって来る。

その夜、灯台の上の手すりから海を見ていたきよ子は、お父ちゃんから「バカ」と言われたのは初めてだと喜ぶ。

四郎は、今まで、喧嘩しても「バカ」とだけは言わないように気をつけていたのだと打ち明ける。

それを聞いたきよ子は、これからもどんどん「バカ」と言っても良いけど、私も、子供の事だけは譲らないわよと釘を刺す。

四郎は、誰も喜んで自分の子供を死なせたい親などいない。でも、国の為に捧げているんじゃないかと言い聞かすのだった。

新聞に、B29が新型爆弾を広島に投下した事、玉音放送の事などが載る。

終戦後、名取家が東京に戻る事になり、進吾と弟のタケシが雪野と光太郎に別れを言いに来る。

雪野はちょっと寂しそうだった。

野津夫婦も又転勤する事になり、今度は北海道の端と報告に来たので、きよ子は自分たちも最初は苦労したけど何とか乗り越えて来たので、今度はあなたたちががんばりなさいと励ますと、野津は、僕たちも負けずにやろうじゃないかと真砂子と握手をする。

昭和25年

志摩の安乗埼灯台

保栄台長が、勤続30年の表彰で上京していた為、四郎が代理で、11月1日の灯台記念日の挨拶をする事になるが、あれほど、きよ子と一緒に練習していたにもかかわらず、本番ではしどろもどろになる。

それを後ろから見ていたきよ子も又、自分の手のひらをつねっていた。

そこに、賭場まで買い物に行っていた雪野(有沢正子)と光太郎(中村嘉葎雄)が自転車で戻って来て、二人にプレゼントをする。

雪野は四郎にマフラーを渡し、光太郎はきよ子にバッグを手渡す。

そこに郵便屋がやって来て、東京の名取夫人からの手紙を届けに来る。

内容は、差し出がましいようですが、これまでの恩に少しでも報いる為、雪野を東京で勉強させてあげたいと云う申し出だった。

それを読んだ四郎ときよ子は複雑な気持になるが、雪野は大喜びし、光太郎もうらやましがったので、きよ子はあんたもその内大学へ行くようになったら東京に行かせてやると言ってしまう。

その夜、灯台の上に登った四郎は、又手すりから海を見ながら、光太郎まで大学に行かせるとなると、金がかかるぞと心配するが、きよ子は喜ばせてあげましょうよと言いながらも、四郎の眉に長い毛が一本伸びている事に気づくと抜いてやるのだった。

瀬戸内海の男木島灯台

昭和29年

きよ子は電話を聞きながら青ざめると、すぐに、海に釣りに出ていた四郎を呼びに走る。

どうしたと聞く四郎に、光太郎が死にそうなんですと叫ぶと、近づいて、怪我をして入院したと今警察から電話があったのだと教える。

急いで灯台に戻った四郎だったが、仕事を思い出すと、俺は抜けられんよ。お前一人で行って来いと言い出す。

四郎は、ここで初めて、灯台長になっていたのだ。

仕方なく、一人で本土に向かったきよ子は、迎えに来た高校教師と共に病院に向かうが、その車の中で、光太郎は不良から刺された事、大学入試に失敗してから悪い仲間と付き合うようになっていた事、学校にはここの所来ていなかった事などを知らされる。

高松赤十字病院に到着したきよ子は医者から呼ばれる。

きよ子は四郎に電話を入れ、もう、難しいと言われた。あなた、すぐ来て下さいねと頼むが、四郎は、ダメなのだったら、行っても仕方ないよ。もう交代時間だ。仕事が終わったら行くよ。光太郎に言ってくれ。父さんもがんばるから、お前もがんばってと、と伝える。

病室で光太郎と面会したきよ子は、大学に入れずやけを起こしたのね?と優しく語りかけるが、光太郎は、父さんにすまなくて仕方なかった。僕、東京に行くの、諦めるよ。父さんの後を継ぐよ、舞鶴の養成学校に行くよ。大学なんて行かなくても、父さんの方が偉いよと言う。

うとうとしかける光太郎に、眠いの?ときよ子が問いかけると、目の中で灯台の光がくるくる回っているよ。父さん、会いたいな…と呟いた光太郎だった。

知らせを受けた名取夫人も、雪野を連れ、列車で高松に近づいていた。

仕事を終えた四郎も、船で病院に向かう。

しかし、病院に着いた四郎を、きよ子は涙ながらに向かえる。

四郎、きよ子、雪野、名取夫人は、光太郎の遺骨を持って、灯台に戻って来る。

名取夫人は、私が東京に誘いさえしなければこんな事には…と申し訳ながるが、四郎は運命です。光太郎を殺したのは世の中の罪です。真面目一点張りでここまで生きて来た私達が、こんな報いを受けるなんて…と悔しがる。

雪野は父親の側に残ると言い出すが、あなたは大学を卒業しなさい。光太郎が、父さんの後を継ぐと言ってくれたから、それで言いのときよ子は言い聞かすのだった。

四郎は遺骨を抱えるとデッキに出る。遺骨になった光太郎に、近づいて来る灯台の明かりを見せる為だった。それを後ろから見つめるきよ子も泣いていた。

昭和30年

四郎ときよ子は、名取夫人に招かれ、東京に向かっていた。

名取夫人と雪野に出迎えられ、名取が経営しているレストランにやって来た二人は、そこで成長した進吾(仲谷昇)と再会する。

昼食を済ませた後、名取家に招かれた四郎ときよ子は、待っていた名取から思いがけない話を持ちかけられ返事に窮する。

雪野を、貿易会社に勤めて海外に行く事になる進吾の嫁にくれないかと云う申し出だった。

弟のタケシの方は、今、菓子の勉強にフランスに行っているのと言う。

四郎は、しばらく考えさせて下さいと云うしかなかった。

その頃、当の進吾と雪野は、応接間で、互いの手を添えあっていた。

灯台に戻って来たきよ子は、ここにいると、光太郎や雪野が貝を拾っているのが見えるようだと言い出す。

四郎は、我々は転々としたと言っても日本国内だったが、外国となると…と、娘を案じて言葉を詰まらせる。

でも、もう雪野の気持は進吾さんに行っているわ。前に言ったじゃない。私、子供の事では言うだけは言いますってときよ子は答える。

そんな二人の元を訪ねて来たのは、すっかり老けていたが、あの藤井たつ子だった。

たつ子は、あの人、酒に溺れて家を潰してしまったと言う。

自分は,その後、飲み屋で働いたり色んな事して来たが、あの人から殴られたり蹴られたり…、私、意地になっていたんじゃないんです。夫婦になったと言う自分の定めにしたがって来ただけ。あの人が仙台で空襲にやられた時、今際の際に、他の人に生ませた子供を育ててくれと手を合わせて死んだんです。でも、戦後何とか育て上げたその子が、今では私を養ってくれているんです。今は静岡で芸者屋の飯炊きですと過去を振り返ってみせる。

そして、観音崎の事、思い出しますね。あなたは、たった一度の見合いで、良いご主人をもたれたんですねとうらやましがるのだった。

その時、四郎が手紙をきよ子に手渡しに来たので、たつ子は帰る事にするが、外に飛び出して行った四郎を案じて、何かあったんですか?と聞くので、あの人、うれしい事があると外に飛び出すんですよときよ子は教えるのだった。

昭和32年

教会で、雪野と進吾の結婚式が執り行われた。

出席した四郎もきよ子も泣いていた。

正体を受けやって来ていた野津も泣いて、真砂子に呆れられる。

雪野を子供の頃から知っているからこその涙だった。

灯台に戻って来た四郎ときよ子は、わしたちも、25年も船の安全を守って来たんだ。お前とわしの手でスイッチ入れようかと云う四郎に従い、きよ子も一緒に点灯スイッチを入れる。

双眼鏡を手に、手すりから海を見ていた二人は、やがて、エジプトのカイロに向かう雪野と進吾が乗った船を見つけると、下にハンケチで合図を送り、霧笛を鳴らしてもらう。

それを雪野と並んで船のデッキで聞いた進吾は、こっちも汽笛を鳴らしてもらうと船長に掛け合いに向かう。

四郎は、船を双眼鏡で見つめながら、あの子はわしが取り上げた。へその緒を斬るときは手が震えたっけ…と過去を思い出す。

あの子たちもこれから苦難が待っているでしょうねと心配するきよ子に、否、わしはうんと楽しい事があるように思うよと答えた四郎は、船からの汽笛の応答が聞こえると、さらに霧笛で応答するのだった。

デッキで灯台を見つめる雪野は、「父さん、母さん、ありがとう…」と呟いていた。

又、二人きりになった四郎ときよ子は、その後も新しい灯台に向かうのだった。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

主題歌も有名な、木下恵介監督の名作の一本。

日本各地の灯台を舞台に、家族愛、生と死、出会いと分かれ…などが描かれている。

今観ると、かなり、お涙頂戴的な要素の羅列のように感じないでもないが、それでも感動は色あせる事はない。

各地のロケーションもすごいが、新婚時代から初老までを演じ分ける佐田啓二と高峰秀子、若き田村高廣、仲谷昇、中村嘉葎雄らの初々しさにも注目したい。

桂木洋子の老け役と云うのもちょっと珍しい。

川上景司の手になる、嵐の特撮シーンも見事。