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劒岳 点の記

2008年、「劒岳 点の記」製作委員会、新田次郎原作、菊池淳夫+宮村敏正脚本、木村大作脚本+監督作品。

※この作品は比較的新作ですが、最後まで詳細にストーリーを書いていますので、ご注意ください。コメントはページ下です。

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評石を三角点と云い、現在全国に10万600箇所にある。

その設置は、命を賭けた男たちの手で成し遂げられた。

明治39年秋

陸軍参謀本部に一人の男がやって来る。

陸地測量部測量手柴崎芳太郎(浅野忠信)であった。

庭先でその姿を認めた水本輝(田中要次)は、大久保徳明(笹野高史)閣下が呼んでいると教えるが、柴崎は承知していた。

見知らぬ男とすれ違い司令部に入った柴崎は、三角科長矢口誠一郎中佐(國村隼) から、未踏の地域剣岳登頂を命じられる。

日露戦争には勝利したものの、いまだにロシアはフランスと組み、挑戦を狙っているので、国防には万全を期さねばならない。

その為に、日本地図の完成は急務であり、来年、測量する事に決定したと云う一方的な司令だった。

陸地測量部の部屋に戻って来た柴崎に、今、日本山岳会の小島烏水(仲村トオル)が資料を求めに来たが、1等と3等三角点しか渡せなかったと水本が教える。

先ほど、柴崎が廊下ですれ違った男の事らしい。

日本山岳会とは、昨年発足したメンバーたちで、彼らも剣岳登頂を狙っているらしいので負けたくない。何とか早く、測量部の方で2等三角点網を完成させなければならないと水本は力説していたが、柴崎はもう聞いていなかった。

柴崎は電車で自宅のある神田橋に蛙が、去年結婚したばかりの新妻葉津よ(宮崎あおい)が停車場でにこやかに待ち受けていた。

柴崎は自宅でも、熱心に資料類を読みふけっていたが、葉津よには、今度の仕事は出発したら22日かかると教える。

翌日、柴崎は、3年前に身を引いた測量部の先輩である古田盛作(役所広司)を訪ねる。

ちょうど、弓の稽古をしていた古田は、柴崎に気づくと嬉しそうに自宅に招き、剣岳登頂計画の話を聞く。

以前、自分も登ろうとして果たせなかった古田は、案内人は芦峅村に頼もうと思うと云う柴崎に、芦峅の住人たちは剣岳を「死の山」と恐れているので、協力を得られるのは無理だろう。対岸に大山村と云う所があり、そこの宇治長次郎と云う男に頼むのが良いだろうとアドバイスをしながらも、自分も登りたかったとうらやましそうに呟く。

しかし、剣岳は、生半可な覚悟では登れない山だと、しっかり釘を刺すのも忘れなかった。

取りあえず、下見として富山駅に到着した柴崎は、いきなり声をかけて来た男に面食らう。

その男こそ、古田が紹介してくれた宇治長次郎(香川照之)だった。

先に送った荷物は、既に昨日駅に取りに来て運んでおいたと云う。

駅から6里もある大山村から、二日も続けてやって来てくれた事を知った柴崎は感動する。

大山に着いた時には雨が降っており、宇治の妻佐和(鈴木砂羽)が傘を持って、途中まで迎えに来てくれていた。

宇治の家に落ち着いた柴崎は、明日、芦峅に挨拶に行こうと思っていると告げる。

そんな柴崎に、宇治はあらかじめ用意していたらしい剣岳のスケッチを見せる。

それは、「落書きみたいなものですが」と謙遜する宇治の言葉とは裏腹に、見事なできばえで、柴崎はますます感心するのだった。

翌日、芦峅村の善堂坊を訪れた柴崎は、遍路相手に周辺の山々の解説をしていた総代の佐伯永丸(井川比佐志)に挨拶をする。

佐伯は、やはり、弘法大師がわらじ3000足を履き潰しても登れなかったと言う剣岳登頂計画には不快感を持っているようで、地元からの人足の手配は断るが、これまでの軍との付き合いに鑑み、資材などは全てそろえると約束する。

取りあえず、宇治と共に、近くの山に登ってみた柴崎は、故郷山形でも馴染んでいた「むしかり(虫狩)」と云う植物の赤い実を見つけて喜ぶ。

そんな二人とすれ違った一人の少年案内人が、宇治の方をじっと睨みつけていた。

柴崎は、大きな岩陰のある石仏を熱心に拝んでいる宇治の姿に気づき、自分も軽く手を合わせてみる。

夕方、その夜泊る天幕を作り終え、手製のこけ汁(キノコ汁)を柴崎に振る舞いながら、宇治は、剣岳に登れる可能性がある道は三つあると自説を披露する。

その意見を聞きながら、日本海側にあるその頂きから遠く富士山が見えたので柴崎は驚く。

翌日、二人は、その三つの道をそれぞれ下見してみる事にする。

劔御前から前劔を登る二つ目の道に向かった二人は、そこで一人念仏を唱えていた行者(夏八木勲)に出会う。

一応、可能性がある三つの道を見終えた柴崎だったが、どれも登るのは難しそうだった。

そんな柴崎に対し、宇治は、自分はこの山が好きだと、根っからの山好きである事を吐露する。

その後二人は、井口岳、三の澤などを見て回る。

10月3日、立山連峰に入って七日目、豪雨に見舞われた柴崎は、それまで美しいだけだった山が、厳しさの中にある事を知る。

翌日、剣岳南壁にたどり着いた宇治は、わらじを脱ぎ、裸足になって登ってみせるが、それを見ていた柴崎は、機材を持っての登坂はとても無理だと知る。

そんな二人は、目新しい天幕を張っていた小島烏水と、その仲間の岡野金次郎(小市慢太郎)に出会う。

彼らも、剣岳登頂の為の下見に来ていたらしく、三日前から当地に来ていると云う。

彼ら山岳会が、ヨーロッパの最新鋭の機材類を持っている事に驚いた柴崎は、「剣岳に遊びで登るのは危険です」と注意してみるが、それを聞いた二人は気色ばみ、来年、私たちは、あなたたちより先に剣岳に登ってみせますよと主張する。

山での冬の到来は予想より早く、ある日、吹雪に襲われた柴崎と宇治は、下見を切り上げ下山する事にするが、宇治は、あの行者様を連れて行かないと…と道を戻り始める。

あの行者は、洞窟の中で念仏を唱えていた。

行者は、声をかけた柴崎たちを測量隊の人間と知っているようだったが、「雪を背負って登り、雪を背負って降りよ。それが古くから行者の間に言い伝えられている言葉だ」と柴崎に教えた後、すでに体力の限界に来ていたらしく、その場で気絶しかける。

そんな行者を背負って、柴崎当時は吹雪く山を下りる。

何とか、麓の宿に到着した二人だったが、そんな二人を呼んだ行者は「なぜ助けた?どんな事でもなせばなる。自信を持つ事だ」と励ましの言葉をかけてくれる。

駅で宇治と別れた柴崎は東京に戻るが、彼の報告を受けた矢口中佐は登坂不可能とする柴崎の結論に激怒する。

古田は、かつて第二三角点を設置しているではないかと云うのだ。

矢口中佐や大久保少将が不機嫌なのは、富山日報と云う地元紙が、山岳会と測量部の剣岳登頂合戦を面白おかしくおかしく報じている事に起因していた。

矢口中佐は、軍のメンツにかけ、もはや後には引けないのだと柴崎に檄を飛ばす。

その後、図書館で古田と再会した柴崎は、来年四月になったら早めに現地に向かい、良く観察するしかないだろうとアドバイスをもらう。

伸び放題だったひげを剃り、自宅に戻った柴崎は、山で摘んだ「むしかり」の実を、宇治の奥さんからもらったと葉津よに見せる。

その頃、宇治の方は、早くも来年の準備に余念がなかった。

明治40年春

柴崎は、測量部で、一緒に剣岳に向かうベテラン、タケキチこと木山竹吉(モロ師岡)と、ノブこと若手の生田信(松田龍平)に会っていた。

ノブは結婚し、今妻は八ヶ月ですと教える。

自宅で、最後の準備に追われたいた柴崎だったが、そのリュックに、葉津よはそっとお守りを忍ばせる。

富山に着いた柴崎たち測量部は、営林署に挨拶に行くが、担当者はいかにも迷惑顔だった。

営林署をでた柴崎に寄って来たのは、富山日報の記者牛山明(新井浩文)と云う男だったが、柴崎は全く相手をしなかった。

その後、宇治が大山村で集めた人足たちと出会った柴崎たち測量部は、これから27カ所にやぐらを建てるのだと云う仕事内容を教えるが、それを聞いた宮本金作(螢雪次朗)、岩本鶴次郎(仁科貴)、山口久右衛門(蟹江一平)ら3人の人夫たちは、日当60銭じゃ合わないと愚痴をこぼし始める。

そんな中、タケキチは、山はこれに限ると、注文していた編み笠をかぶる。

人夫やタケキチたちと別れ、別行動するつもりだった柴崎当時の前にやって来たのは、以前、下見の時に立山宝泉岳ですれ違った若い案内人だった。

何と、その案内人は、宇治の息子の幸助(タモト清嵐)で、父親が地元の反対を押し切って剣岳に登る手伝いを買って出た事に怒っているのだった。

しかし、自分に食って掛かる息子を殴りつけた宇治は、柴崎に無礼を詫びる。

4月24日、いよいよ測量部は、まずは鷲岳から三角点選点作業を開始する。

しかし、若いノブは、測量よりも、早く剣岳に登らないと山岳会に遅れをとってしまうと苛ついていた。

そんなノブを、タケキチと柴崎が黙らせる。

天幕の外で焚き火に当っていた人夫たちも、山岳会の方が日給が20銭も高いなどと愚痴をこぼしていた。

その話を天幕の中で耳にした柴崎は、思わず、故郷山形の民謡を歌い出す。

それを聞いた人夫たちは、黙るしかなかった。

二日目は、選点しようとした一行だったが、雲に阻まれ目標が見えず、その日は諦めて下山する事にする。

測量は忍耐だった。

番場島平に天幕を移した一行は、老いた金作と久右衛門を残し、その日の作業に出発するが、雪崩に巻き込まれてしまう。

柴崎やタケキチらは、すぐに雪の中からはい出すが、ノブの姿が見えない。

慌てて、手旗が落ちていた近くの雪を掘り、埋まっていたノブを救出する。

ノブは身体に異常はなかったが、戻った天幕でのんきに談笑している人夫たちの態度を睨みつけていた。

柴崎は、人夫たちとタケキチを一足先に下山させ、あれこれ道具の準備をするように頼む。

その頃、児島ら日本山岳会のメンバーたちも富山駅に到着していた。

それを待ち受けていた富山日報の牛山は、剣岳への登頂は測量部の方が勝つと、地元では噂ですよと焚き付けるのだった。

柴崎、ノブ、宇治の三人は、五色ヶ原で吹雪に出会い、天幕に戻ろうとしていたが、途中、自分たちが登って来た足跡を見失ってしまう。

ノブは、案内人である宇治の責任だと責めるが、宇治は一人列を離れると、じっと耳を澄まし、雷鳥の鳴き声を聞くと、こっちだと二人に声をかける。

近作たち人夫とタケキチたちは、無事、立山温泉に到着していた。

ようやく天幕に戻れたノブは、宇治に先ほどの事を謝る。

しかし、その後、嵐はさらに激しさを増し、天幕が飛ばされそうになったので、三人は天幕の支柱を外し、天幕にくるまるようにその場に身を横たえるしかなかった。

その後、天候の異変に気付いた人夫たちは、再び天幕の所まで戻って来て、遭難寸前だった三人を救出する。

翌朝、立山温泉の布団の中で目覚めた柴崎は、枕元に置かれた私物の中に、いつの間にか葉津よが忍ばせていたお守りがある事に気付き、苦笑する。

横に寝かされていたノブは発熱しているようだったが、さすがに若く、すぐに起き上がってみせる。

一方、測量部の焚き火後を山で見つけた山岳会の児島らは、連中は、室岳から劔御前の尾根を狙っているようだと推測する。

その後、岡野が滑落するが、何とか無事だった。

そんな山岳会のメンバーと山ですれ違った大山村の漁師二人は、熊を一頭撃ち、麓に降りて来た所で、宇治に出会い、山岳隊のメンバーが室堂のっこしに来ている事を教える。

それを宇治から聞いた柴崎は、実は五色ヶ原で、自分もあなたの事を疑っていたと謝る。

その後、柴崎はタケキチに、こんな山奥まで来て、地図を作る意味って何なんですかね?と問いかけてみる。

東京では、葉津よが、宇治の妻佐和宛に手紙をしたためていた。

6月16日、柴崎たちは、最初の櫓と三角点を設置し終えていたが、日本山岳会の方は、まだ、剣岳への登り口を捜しあぐねていた。

そんな中、遠くで歩く測量部の姿を見つけた岡部は、手旗信号で「ここからは危険、本日は下山する」と送ってやる。それを望遠鏡で確認するノブ。

柴崎は宇治に、南壁へ言ってみようと持ちかけるが、宇治は難しそうな表情を見せる。

ノブの乗り気だったので、仕方なく、南壁へ向かった一行だったが、そこに設置してあった山岳隊がその場に残していた天幕を見つける。

山岳隊は又すぐに、ここに戻って来ると云う意味だった。

それを見て焦ったのか、ノブはザイルを使って一人で登ってみると言い出す。

しかし、しばらく登っていたノブは足を滑らせ、命綱で宙にぶら下がってしまう。

そのザイルを必死に宇治は引っ張っていたが、やがて、ザイルが切れ、ノブは雪の斜面に滑り落ちてしまう。

すぐさま、側まで降りて来た鶴次郎がノブの安否を確認するが、ノブは足を痛めただけで何とか無事だった。

結局、下山するしかない一行だったが、その途中で宇治は、強風に飛ばされている山岳隊の天幕を発見する。

立山温泉の宿には、測量部から玉井要人(小澤征悦)工兵大尉がやって来ており、本部では山岳会に負けられないと躍起になっていると知らせる。

一方、宿が満員で、裏庭に天幕を張り、その中で寝ていたノブは、外で人夫たちがしゃべっていた雑談を聞いて沈んでいた。

人夫たちは、柴崎やノブが、なぜあんな無茶な事をしたのかと不思議がり、焦ったんだろうと噂していたのだった。

そこへ、富山日報の牛山が又取材に来るが、柴崎は苛立った態度を見せるだけだった。

山岳会の方も、メンバーの一人吉田清三郎(橋本一郎)が、膝の古傷に悩まされていた。

翌朝、他のメンバーたちより遅れて宿を出発しかけていたノブは、宇治を訪ねて来た幸助を、宿の主人岡田佐吉(石橋蓮司)から紹介される。

母親からの差し入れと、父親への手紙を持って来たと云うので、それを預ったノブは山を登って、測量部と合流する。

差し入れの浮かし芋をもらった人夫たちは喜んで頬張りはじめる。

ノブは、柴崎たちに、妻が女の子を出産したと知らせて来たと教える。

その後、天幕の中にいた宇治に手紙を渡したノブは、同じように父親になったと報告し、頭を下げて出て行く。

7月2日、測量部一行は、奥大日岳で山岳会のメンバーたちと出会う。

小島は柴崎に対し、やはり自分たちの行為は遊びだったのかも知れないと、態度を和らげる。

そんな小島に対し、柴崎は「何で山に登るんですか?」と問いかける。

東京の古田も、柴崎からの手紙に返事をする形で、地図を作ると云う事は、自分自身を知る事ではないか。国家の為ではなく、地図はそこにいる人の為に必要なものではないのかと伝える。

その夜、天幕の中では、息子の幸助からの手紙を読み、涙していた。

幼い頃、宇治に初めて山に付いて行ったときの事が書かれ、頑張ってくれと父親を励ます内容だったからだ。

宇治は翌朝、その息子から励まされた事を柴崎に伝える。

柴崎は、剣岳の雪渓を見つめていた。

業者が教えてくれた「雪を背負って登り、雪を背負って降りよ」の意味を探っている事に気付いた宇治は、山に危険は付き物です。無理をしても行きましょう!と励ます。

今回も、金作と鶴次郎は残して行く事にする。

出発した測量部と出会った山岳会の小島は、三ノ澤から登るんだろうと推測する。

柴崎、ノブ、宇治、タケキチ、久右衛門の五人は、綱で互いの身体を結び、雪渓を登り始める。

やがて、ついに剣岳山頂に近づいた時、先頭を登っていた宇治は、自分の綱を外すと、自分は案内人なので、ここからは皆さんが先に登って下さいと言い出す。

しかし、それを聞いた柴崎は、我々はもう、立派な仲間です。あなたがいなければここまで登れなかった。最後まで案内お願いしますと説得する。

納得した宇治は、再び綱を身体に結びつけると山頂を目指す。

明治40年7月13日、剣岳山頂に到達した一行は、すぐさま四等三角点を作る。

そんな中、宇治は、近くの岩陰に落ちていた不思議なものを発見していた。

それに気付き近づいて来た柴崎たちも驚く。

そこに落ちていたのは、行者が使う錫杖の金具だったからだ。

剣岳は未踏の地ではなかった事になる。

柴崎からの至急電を受け取った陸軍参謀本部では、矢口中佐が激怒していた。

大久保少将も玉井工兵大尉に、「剣岳の事自体、なかった事にならんか」と打ち明けていた。

軍にとっては、何の役にも立たんと云う事だった。

その通達を受け取った柴崎やタケキチは、雨の中、手紙を捨てる。

富山日報でも、測量部の登頂が初登頂ではなく、四等三角点では記録にも残らないと報じられていた。

それを東京で読んだ葉津よは、どんな事があっても、葉津よはあなたの味方ですと呟き、山形の民謡を歌い出すのだった。

柴崎の元には、又、牛山がやって来て、業者が亡くなったと知らせる。

行者様は最期、あのものたちは剣岳に登ったのかと聞かれたそうですとも。

8月3日、柴崎たち測量隊は、別山から剣岳の三角測量をしていた。

測量機を覗いていた柴崎は、剣岳山頂に、日本山岳会のメンバーたちが到達した姿を見つける。

こちらに向かって岡野金次郎が手旗慎吾を送って来る。

「剣岳初登頂、おめでとうございます。この歴史的登頂は、日本登山史に構成まで語り継がれるでしょう。

生田信、木山竹吉、宮本金作、岩本鶴次郎、山口久右衛門、宇治長次郎、柴崎芳太郎、剣岳を開山したのはあなた方です。ただ地図を作る為に、自らの仕事をされた事を心より尊敬します。」

それを双眼鏡で確認したノブは、今度は自分が山岳会に向かい手旗信号を送り始める。

「剣岳登頂おめでとうございます。小島烏水と山岳会の皆さんの栄誉を称えます。あなたたちは、私たちのかけがえのない仲間です」

かくして、地図は完成した。

それは、彼らを支えた家族たちの記録でもある。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

全編、信じられないくらい美しい山の姿を捕らえた見事な山岳映画である。

その自然の美しさを見るだけでも、この映画を観る価値はあると思える程。

一応、山岳会と測量部との初登頂合戦、他にも宇治親子の和解とか、若いノブの成長なども描かれているが、そうした人間たちの営みは、山の風景の中では豆粒のような行為でしかない。

山を愛している者たちは、最期にその事に気付き皆和解しあうが、人間社会にしがみつき、見栄を張るしか生き方を知らない軍人たちが、対照的に愚かしく描かれている。

四季折々の山の姿をどっしり捕らえた映像も見事だが、時折出て来る、本当の滑落シーンには驚かされる。

もちろん、安全対策は十分に取った上でのアクションだろうが、従来、この手の撮影には人形が使われるのに慣れている目には新鮮に感じられる。

過酷な撮影に耐え抜いた現場のスタッフや俳優陣の努力には敬意を表したい。