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極楽大一座 アチャラカ誕生

1956年、東宝、白坂依志夫脚本、小田基義 監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

トラックの荷台を利用した舞台の上で演じられている芝居は、塩原多助を演じる後の天中軒雨右衛門(中村是好)と馬の青との別れ。

ハリボテの馬を演じているのは、前足が後の中村健之助(榎本健一)、後ろ足が後の市川金十郎(柳家金語楼)だった。

それを観ているのは、後の沢村谷之丞(トニー谷 )や後の尾上海苔蔵(三木のり平)ら、当時の兵隊たちであった。

その兵隊の中央に座って楽しんでいるのは、古沢将監隊長(古川緑波)だった。

そんな中、突如「退避〜!」の声。

敵機襲来に気づいた部隊の兵隊たちは、皆一斉に近くの防空壕に逃げ込むが、舞台上の三人、特に馬のハリボテをかぶったまま逃げていた二人は逃げ遅れてしまう。

何とか、馬の姿のまま防空壕へ逃げ込もうとするが、すでにそこは満杯で、兵隊たちから、馬のくせにこんな所に来るなと、地面に堪った泥水をかけられ追い払われてしまう。

仕方なく、元の方へ戻ろうとした二人の周囲を、敵機の機銃掃射が雨霰と降り注ぐのだった。

タイトル

元同じ部隊の兵隊だった中村健之助や市川金十郎は、戦後、旅回りの芸人一座を作り、どさ回りをしていた。

その日も、とある村にやって来た一座は、鳴り物入りでビラなどをまきながら子供たちを集めると、座長である市川金十郎が集まった人々に向かい、「太功記十段目 尼崎の場」の狂言をかけるので宜しくと口上を述べる。

その村にある古沢将監の屋敷に帰って来たのは一人娘の町子だったが、門をくぐった途端に、父親の「馬鹿者!」と言う怒声を聞く。

古沢将監が怒鳴りつけていたのは、町子の恋人で脚本家志望の若者中久保(石原忠=佐原健二)だった。

古沢は、自分も軍隊時代は芝居をやらせた事もあるが、脚本家など簡単になれるものではない。一人前になってから町子に会いに来いと叱りつけていたのだ。

堪らずに退散しかけた中久保は、庭先で町子に会い思わず抱き合うが、父親の町子を呼ぶ声に諦めてその場は帰るしかなかった。

その頃、村の小屋の楽屋では、市川金十郎と中村健之助が、興行主の荒金(谷晃)から、今日演ずる狂言の差し替えを迫られて困り果てている所だった。

この地は、徳川家康と戦った源義経が死んだ場所として有名なので、客は、義経を出さないと承知しないのだとめちゃくちゃな要求だった。

太閤記に義経なんか出せるはずがないと難色を示す二人だったが、興業主が言う事には逆らえなかった。

結局、「太功記十段目 尼崎の場」の竹藪の庵室の舞台が始まる。

武智十次郎光義を演ずる片岡寛太(如月寛多)に、許嫁初菊を演ずる女形尾上海苔蔵が絡む芝居が始まるが、客席には中久保と町子も観に来ていた。

しかし、同じ客席に古沢将監も来ている事に気づいた寛太や海苔蔵が、舞台裏に引っ込んだ時、その事を座長の金十郎に教える。

かつての部隊長が来ていると知った金十郎は、幕の影から、客席に座っていた古沢に頭を下げる。

その直後、舞台に登場したのは源義経を演じる川口義雄(南道郎)だった。

しかし、何も芝居に絡みようがないので、「さしたる用もなかりせば…」と唸る天中軒雨右衛門の歌に合わせ、そのまますごすごと引き下がるしかなかった。

その直後、古沢と中久保たちは互いの存在に気づき、町子と中久保は、こちらもすごすごと出て行くしかなかった。

舞台では、武智十兵衛光秀(明智光秀のこと)に扮した市川金十郎が曲げに電飾を付けた派手な演出で登場する。

武智は、竹やぶから一本竹を切り出すと、それを斜めに斬り、即製の竹槍を作る。

その竹槍を、庵の部屋にいるはずの真柴久吉(羽柴秀吉の事)を殺そうと障子に突き刺すが、中から聞こえた来た悲鳴は、聞き覚えのある母親皐月だった。

部屋から血まみれの胸元を押さえ転がり出て来る中村健之助扮する母親の姿を見た武智は、自分の早合点を知り呆然と立ち尽くす。

そこに、女形沢村谷之丞が演ずる妻の操が登場し、泣き始める。

一旦、舞台袖に引き下がった中村健之助は、早変わりで真柴久吉の衣装を着ける。

その真柴が舞台に登場、初菊と十次郎も再登場し、舞台は幕が降りる。

その夜、一座のみんなは、古沢邸に招かれ、旧交を温めていた。

古沢は、かつての部下たちとの思わぬ再会に上機嫌で、自分は今、戦争の回顧録を書いている。言わば「警世の書」だと説明するが、それを聞いていた女形の二人、海苔蔵と谷之丞は意味が分からない。

古沢の方も、女形二人のなよなよした仕草や言葉遣いが理解出来ないようだった。

そんな古沢が、お前たちの芝居は古い。今はリアリズム、つまり本当らしい、新しい芝居をやれと忠告する。

しかし、その言葉を承った金十郎は、肝心の脚本がないのだとこぼすしかなかった。

数日後、町子が芝居小屋を訪れて来る。

ちょうど、興業主の荒金が、金十郎と健之助を前にして、お前らの芝居は喜劇でしかなく悲劇じゃないので客に受けない。今度の出し物を変えないなら給金を出さないと迫っていた所だった。

荒金が帰った後、町子はうなだれていた二人に、今度、中久保の脚本を上演してもらえまいかと願い出る。

しかし、その本を見た金十郎は、これは現代劇で、自分たちがやる性格のものではないからとすまなそうに断る。

それでも町子は諦めず、この本を上演して頂ければ、自分と中久保さんが結婚出来るのですと説明する。

それを聞いた健之助は同情し、金十郎に、どうせ今の芝居を続けても客は増えないのだから、とにかくやってみようじゃないかと説得するのだった。

かくして、中久保の脚本「最後の伝令」を演じる事にした金十郎は、座員たちを集め、その事を説明する。

まず、トムと云う役に選ばれた健之助がビックリする。

自分は英語なんてしゃべれないと云うが、全部日本語だと聞くと納得する。

さらに、女性の役は本物の女性にやらせるので女形はいらない。お前たちは男役をやってもらうと云われた海苔蔵と谷之丞は憤慨する。

義経役をやっていた川口義雄、歌を唸っていた天中軒雨右衛門も、自分たちの役目がないので困惑するが、片岡寛太は監督をやってくれと金十郎から頼まれる。

その頃、町子はと云えば、外で近所の子供たちに飴を与え、親兄弟や親戚をみんな芝居に連れて来てくれと営業しまくっていた。

金十郎の悩みは「女優」がいない事だった。

取りあえず、小屋で働いている女を集めても、皆、老婆ばかりで使い物になりそうもない。

その時、売店の娘おせん(旭輝子)に気付き、芝居をやった事はあるかと聞くと、学芸会で主役をやった事があると云うではないか。

学芸会では頼りなかったが、取りあえず使ってみるしかなかった。

その日の芝居小屋は、町子の営業が功を奏したのか、予想外の超満員だった。

もちろん、古沢、中久保、町子たちも観に来ていた。

まずは、健之助が幕前に登場して挨拶をする。

そして引っ込もうとすると、金十郎が首を出し、まだ舞台が出来ないので、もう少し伸ばせと言い出す。

仕方がないので、健之助は、この芝居は、1800年代の北米、南北戦争が舞台であると、しどろもどろながら解説し始める。

しかし、今度は、舞台の準備は出来た。いつまでしゃべっているんだと金十郎が注意したので、あわてて幕の中に逃げ込む健之助だった。

紙吹雪の雪が舞う舞台。

とある屋敷にやって来たのは、老いた役場の小使い(市川金十郎)だった。

応対に出て来たのは、この家の娘メリー(おせん)

そのメリーにメリーの父親宛の召集令を手渡した小使いは、お父さんは老いていても将軍なので戦に行かなければいけませんと気の毒そうに告げる。

父親に降りかかった不幸を嘆きながらも、メリーは愛しい恋人のトムの事を案ずるのだった。

そこにやって来たのが恋人のトム(中村健之助)で、「おお、メリー!自分は人道のため車道のため、尊い犠牲になりに行くんだよ」と告げる。

それに対し、メリーが「キスして!」と頼んだので、思わず抱こうとしたトムだったが、草の書き割りの影に隠れてプロンプターの役目をしていた監督の寛太が「本当にしちゃダメだ、格好だけだ」と注意すると、それをセリフと思い込んだトムは「本当にしちゃダメだ、格好だけだ」とおうむ返しに言ってしまう。

さらに、トムが「ヴァイオリンの音が聞こえる…」と続けたが、肝心の音が聞こえて来ない。

監督があわてて、「ヴァイオリン!ヴァイオリンの音!」と注意すると、屋敷の書き割りの中でうどんをすすっていた金十郎が、自分の役目だと気づき、うどんを口から垂らしたまま、慌ててヴァイオリンを奏で出す。

しかし、その後も、きちんとセリフが入ってない健之助は、プロンプター役の寛太のト書きの言葉さえもそのままおうむ返しにしてしまうので芝居にならない。

とうとう腹に据えかねた寛太が文句を言い、健之助も苛立って言い返し、二人は舞台上でつかみ合いになる。

慌てた金十郎が出て来て、客の前で喧嘩なんかするなと注意して舞台袖に引っ込む。

そこに出て来たのは、伝令役の海苔蔵で、男役であるにもかかわらず、いつもの癖で、舞台上で横座りになると、「メリーさん、メリーさん、大変だ!愛しのトムが重傷を負った」と言うので、横で聞いていたトムは、まだ出番じゃない!早すぎる!俺はまだここにいると怒鳴り、寛太と二人で海苔蔵を舞台から放り出す。

メリーが「それにお父さんまで…」と続けたが、その父さん役が出て来ない。

寛太から促され、屋敷から出て来たのは、まだ先ほどの小使い役の衣装の上着を脱いだだけの金十郎だった。

寛太から指摘され、まだ衣装を着ていなかった事に気づいた金十郎は、あわてて屋敷の書き割りに戻る。

金十郎が衣装を着込んでいる間、場を繋ぐ為に登場したのが義経役の川口義雄、又、いつものごとく「さしたる用もなかりせば…」と言いながら、そのまま引っ込むしかなかった。

しかし、そこに再び出て来たのが、伝令役の海苔蔵で、また「メリーさん、メリーさん、大変だ」とやらかしたので、再び寛太に放り出されてしまう。

ようやく、衣装と口ひげを付けた将軍役の金十郎が舞台に登場する。

それを見たメリーは「お母さんを呼んで来ます」と云いながら屋敷に舞い戻る。

その後出て来た母親とは、今までメリーをやっていたおせんが早変わりをした姿だった。

何せ、女優が一人しかいないので、こうする以外になかったのだ。

その妻の姿を見た将軍は、「人生は陽炎のごとし、60年は夢だったなぁ…、今鳴るラッパは…」と名調子を言うが、そのラッパの音がしない。

再び「今鳴るラッパは…」と繰り返し、寛太が小声で催促をすると、屋敷の書き割りの裏でヴェイオリンを弾いていた健之助は、あわててラッパと交換すると吹き鳴らす。

しかし、その音はどう聞いても、お腹を下したような情けない音しか出ず、舞台上の将軍は腹を押さえて苦悩する様で答えるしかない。

怒った将軍役の金十郎は舞台袖に入り、健之助からラッパを奪い取ると、こうやって吹くんだと見本を吹いてみせる。

しかし、又舞台に戻った将軍は、健之助の吹く屁のような音でずっこけ、思わず、カツラを落としてしまったので、慌てて拾ってかぶり直すが、それは後ろ前だった。

もう客席は爆笑の嵐だった。

中久保は恥ずかしそうにうつむいていたが、古沢は大笑いしていた。

メリーは、その後も母親との二役を何度も繰り返すしかなく、最後にはとうとう、メリーの衣装で母親の声色を言ってしまう混乱振り。

そこへ、またまた、出番を飲み込めない海苔蔵が「メリーさん、メリーさん」と登場するので舞台はめちゃくちゃ。

屋敷の塀の向こう側を、馬にまたがった将軍と、銃剣の列が通り過ぎるが、その時、塀の書き割りが倒れてしまい、馬の人形をまたいでいる金十郎の姿や、銃剣の書き割りを持ってしゃがんでいた谷之丞の姿が丸見えになってしまう。

メリーは「私の愛しいトムは今頃どうしているかしら?」と舞台上で芝居を続ける。

しかし、その時、肝心の伝令役海苔蔵は、小屋の近くの橋の上で、村の女相手に、今度の芝居では邪魔者扱いされて面白くないと愚痴をこぼしていた。

そこに、川口義雄が呼びに来るが、何度も舞台から追い出された海苔蔵は、すっかりふてくされて行きたがらない。

その間、舞台では、メリーが同じセリフを繰り返して場を繋いでいた。

ようやく舞台に連れ戻されて来た海苔蔵は、マンガの本を片手に、衣装も上着を着たままだった。

それを見た草の書き割りの後ろにいた寛太が取り上げ、嫌々舞台に出た海苔蔵は、嫌々そうに「メリーさん、メリーさん、愛しのトムが重症だよ」とお馴染みのセリフを言い捨て、寛太からマンガを取り戻して帰って行く。

メリーは「とうとう死んでしまったわ」と泣き始めるが、その時、胸を押さえ苦しそうなトムが屋敷から出て来る。

しかし、寛太から注意され、出場所を間違えた事を知ったトムは、又屋敷に戻り、裏側から塀の外の書き割りに廻る。

そして、入り口の書き割りから入ってメリーと再会したトムは、「俺は最後の伝令として死ぬんだよ。もう目が見えない。口がきけない…」と言いかけるが、そこにどさっと、雪用の紙吹雪がまとめて落ちて来る。

せっかく良いシーンなのにと怒るトム役の健之助。

気を取り直した健之助は「この手紙…、これを税務署…、違った。軍司令部に届けてくれ…」と続けるが、今度は雪が全く降って来ない。

寛太が「どうした?雪だ、雪!」と天井裏のスタッフに怒鳴りつけるが、その時、舞台にくわえ煙草に浴衣姿のまま出て来た谷之丞が、ちり取りで舞台上の紙吹雪をかき集め始める。

寛太が「くわえ煙草でなんだ!」と叱りつけると、ふてくされた谷之丞は、その場にタバコを捨てて戻って行く。

又、雪用の紙吹雪が降り始めた中、トムは末期の水をメリーに頼む。

メリーが持って来たコップの水を、雪の上に座って飲み干したトムは「末期の水は旨いなぁ…」と呟くが、次の瞬間、「俺はもう…、熱い!」と飛び上がる。

尻の下に、さっき谷之丞が捨てた火のついたタバコが落ちていたのだ。

紙吹雪が煙を出し始めたので、慌てて谷之丞らが水を持って来てかける。

トムはもう一度「もう目が見えない。口がきけない…」と芝居を続けると、そこにいきなり運動靴が落ちて来る。

荷重にいるスタッフが落としたものらしい。

再び仕切り直し、「もう目が見えない。口がきけない…」と続けるトムだったが、またまた海苔蔵が乱入して来たりしてもうめちゃめちゃ。

呆れたトムが「最後のセリフだよ!」と愚痴り、「我が軍が勝ったか!万歳!」と立ち上がった途端、銃声が響き渡り、トムは倒れるが、その時幕が閉まったので、トムは首を挟まれてしまう。

客席は大騒ぎだった。

金十郎は、客が怒っている、もうダメだとがっくり。

しかし、その舞台に上がって来た古沢は、なかなか傑作だとベタ褒め。

続いて上がって来た荒金も、客がこんなに喜んだのは初めてだ!アンコールに応えてくれと意外な事をみんなに伝える。

やがて再び幕が上がり、寛太、おせん、金十郎、健之助の四人は、客席に挨拶をするのだった。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

53分と云う短い尺ながら、伝説のアチャラカ芝居「最後の伝令」がそっくり劇中劇の形で登場する貴重な中編映画。

『ゴジラの逆襲」(1955)で有名な小田基義の演出だが、「最後の伝令」以外の場面は凡庸で、笑えるような部分はほとんどない。

今観てもおかしいと思えるのは、三木のり平の女形シーンくらいで、他の喜劇陣は全体的に生彩がない。

ロッパは完全な傍観者的な立場だし、エノケン、金語楼も、特にギャグ的な事はやっていない。

しかし、これが「最後の伝令」の舞台シーンになると、にわかに面白くなるからすごい。

舞台での名作らしいが、この映画で見る限り、舞台版も舞台裏の芝居と舞台上の芝居の二重構造になっているはずだと分かる。

言わば「楽屋落ち」の面白さなのだが、役者たちにろくにセリフも何も入っていない急ごしらえの舞台のドタバタのおかしさは絶品。

ここでは、それまで面白くなかった役者たちが、皆生き生き見えて来るから不思議。

中でも笑ったのは、うどんをすすり込んでいた金十郎が、ヴァイオリンを弾かなければならないと気づき、口から大量に垂らしていたうどんを、髪をかきあげるように左肩に乗せ、ヴァイオリンを弾き始めるシーン。

メリーとその母親の二役を演じているおせん役の旭輝子とは、神田正輝の実母である。