TOP

映画評index

ジャンル映画評

シリーズ作品

懐かしテレビ評

円谷英二関連作品

更新

サイドバー

悪党

1965年、東京映画+近代映画協会、谷崎潤一郎「顔世」原作、新藤兼人脚本+監督。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

蜂の巣をバックにタイトル

十四世紀

この時代は、古い貴族社会を民衆のエネルギーがひっくり返し、新しい価値観が生まれた意味深い時代だった。

打ち続く戦乱に、都は飢餓に苦しむ事になる。

後醍醐天皇は吉野山にこもり、南朝を主張すると、金剛山には北朝を主張する足利尊氏が古い秩序を打破しようとしていた。

高師直(小沢栄太郎)は、足利尊氏の執事として楠木正成を討ち、都に君臨する事になる。

ある日、琵琶法師の歌「太平記」を聴いていた師直は、横で退屈そうに相伴させられていた侍従(乙羽信子)に向かい、今の歌の感想を聞くと、たいそう気に入ったなどとべんちゃらを言う。

他のお付きの女たちも、口を揃えて歯の浮くようなお追従を述べるので、師直は琵琶法師に歌の中の「アヤメ」の部分の意味を問うてみる。

すると法師は、室町時代、鵺(ぬえ)退治に功績のあった源頼政が恩賞として、「菖蒲の前(あやめのまえ)」と呼ばれる美女をもらい受ける事になるが、何人もの同じ様な美女の中から「菖蒲の前」を選べと言われて区別が付かず、困り果てて歌った歌であると法師は説明する。

それを聞いた師直は、自分は歌など歌えん田舎侍だと自嘲しながらも、生来の女好きは隠そうともせず、男と生まれたからには、一度くらい絶世の美女と悦楽をむさぼりたいものだが、千万人に一人と云うような女がこの世にござろうか?まだ一度も、そのような美女と会うた事がないなどとあけすけな事を侍従に聞かせる。

それを聞き流していた侍従だったが、都は広うございますなどと、何やら意味ありげな返事をしたので、聞きとがめた師直は、心当たりがあるのならぜひ教えてくれと頼む。

すると、侍従は、沢田宮の娘で顔世と言う美女がおり、今はうらぶれて田舎侍の北の方になってが、この前も会ったが、女の私が見てもうっとり見とれる程の方だと申し上げる。

その田舎侍とは誰じゃと師直が興味津々で尋ねると、出雲の塩冶判官高貞だと侍従は答える。

師直は、夏風邪で寒気がして来たと横になると、まだ居座っていた法師を下がらせ、鈴を鳴らしてお付きの女中を呼ぶと、何やら耳打ちをする。

侍従も引き下がろうとすると、少々申し入れたい儀がござると止めた師直は、女中が持って来た小袖と仁の香を、今の話の礼としてお収め願いたい。ほんの寸志でござると言い、さらに夏風邪は全快したが、別な病気に取り憑かれてしまった。それは恋の病じゃ。その病を治すと思い、お骨折りくださらぬかと頭を下げて来る。

侍従は、相手は夫がある身でござれば…と、仲を取り持つなど固辞しようとするが、一旦言い出した師直が引き下がるはずもなく、逃げを打たれるとますます執心がつのってしまう。仲介が無理なら、様子を拝ませてくれと両手をついて頭を下げて来る。

道ならぬ恋の橋渡しは罪だが、断るのも心苦しいと返答した侍従は、女の童に親しいものがいるので、湯殿の元にお連れしましょうと申し出る。

美女の裸身が見れると知った師直は興奮し、目がつぶれぬよう用心が肝要になって来たなどと軽口を叩き、侍従に連れられ、屋敷を抜け出す事にする。

塩冶判官高貞の館に到着すると、何やら、中から笑い声が聞こえる。

侍従顔見知りの童に問いただすと、酒盛りしている最中で、御代様は今まさに入浴中である。滝口は私が見る事になっているので、こちらには誰も来ないと言う。

喜んだ師直は、すぐにでも湯殿を覗こうとし、何とかなだめようとする侍従を蹴飛ばすと、湯殿の中を板の隙間からのぞき始める。

顔世は、今まさに湯から上がる所で、侍女たちから着物を着せられ、水気を拭かれている最中であった。

侍従が気づくと、師直は地面に臥せっている。

どうなされましたかと聞くと、水をくれ、目眩が致すと言いたい放題。

侍従が井戸から水を汲んで来て飲ませても、足がふらふら致すとか、苦しゅうござるとか、目が見えぬとか、今にも死にそうな事を言い出しへたり込んでしまうので、こんな所を家人に見つかったら一大事と、侍従は苦りきりながらも師直を支え、屋敷まで連れ帰る騒ぎになる。

師直は、「徒然草」で有名な吉田兼好(宇野重吉)を呼び寄せると、自分に代わって、恋文を書いてくれと頼む。

兼好はあっさり承知すると、すらすらと歌を紙に書いてみせる。

「玉の緒よ絶えなば絶えね 長らえば忍ぶることの弱りもぞする」、「新古今集」の式子内親王であった。

先人の作った歌である事を知った師直は、ちょっとがっかりするが、それでも、そう言う歌を知っているだけ偉いと兼好を褒める。

吉田兼好が、文には香を焚き込めておくよう助言したので、師直は天竺の香をもらっているので、あれを使おうと言い出し、女中に持って来させると、その場で焚き、侍従に手紙に香りをしみ込ませる。

それを持たされた侍従は、又、塩谷判官の館に向かい、外で菓子をむさぼり食っていた童に、これを御代様に昨日の方からだと言って渡し、返事を明日の昼までにもらうよう伝えてくれと言いつける。

翌日、侍従は、返事が入った箱を持って師直の元に帰って来る。

喜んだ師直が中を改めると、何と、中に入っていたのは、昨日自分が送った吉田兼好の恋文そのままではないか。

起こった師直は、兼好を呼びつけると、その事を話し、どうした事だと思うと意見を聞くが、中を開いてご覧にならなかったのでしょうと言う。

しかし、師直は、紐の結び方が昨日と違うし、中を改めた事は間違いないと反論すると、いかな貞女と言えども、この文を読んで心を動かさないものがいるはずがないと兼好は自信満々の様子。

怒った師直は、兼好を下がらせると、坊主なら経でも読んでろ。ちょっと世捨て人を気取って人気を得よって。公家と一緒で、ああいう奴は腹が腐っていると罵倒する。

その後、和漢の学がある家臣を呼び寄せると、侍従から事情を聞いて恋文を書いてみろと命じるが、歌など歌えぬ家臣も侍従も困り果ててしまう。

侍従は再び、兼好の元に向かうと、この年で主を失うと、女のみでは食べて行く事が出来ない。負けたものは、勝ったものに媚びへつらうしかないのだと泣きつき、もう一度、恋文を書いてもらうようすがりつく。

兼好は、田舎侍師直の俗物振りに呆れながらも、又してもさらさらと一筆書いてやる。

10日ほど後、塩谷判官の屋敷では、その手紙を読みながら、山城守宗村(殿山泰司)と判官の弟、六郎(加地健太郎)が苦りきっていた。

師直の邪心を諦めさせるしかないが、下手をすると、思いのほか酷い目に遭うかも知れないと心配していたのだ。

ちょうど顔世に会いに来ていた侍従を連れて来させると、最近、去るお方の為に艶かしい手紙を取り次がれているとか?と宗村が迫ってみる。

成り上がりものに利用されただけのものを責めようとは思わぬと宗村が懐柔し、手紙を差し出してみせるが、侍従は笑ってごまかすばかりなので、肝に据えかねた六郎は立ち上がると、「お前のようなものがおるから、成り上がりものが増長するのだ!」と怒声を張り上げながら侍従の腕を取り痛めつけて吐かせようとする。

侍従は、もう懲りました。分かっておれば、それで宜しいではないですかと開き直ったので、六郎はますます力を込めて攻め付けるが、人殺し!助けて!と侍従が叫び出した時、「その女をせめて何になる」と言いながらやって来たのは塩谷判官(木村功)だった。

塩谷判官は、手紙を受け取り読むと、妻たるもの、守るべきものを守っておれば良いのじゃ。師直には逆らえんと呟く。

その夜、その師直は、侍従はまだか!遅い!と苛立っていた。

侍従は、まだ、塩谷判官の屋敷の側で隠れていた。

顔世(岸田今日子)は、寝付けぬまま起きていたが、近づいて来た塩谷判官に、私の事で色々心を乱しましても申し訳ありませんと詫びる。

しかし、塩谷判官も妻をねぎらい、顔世は御簾を降ろすと、塩谷判官に寄り添い口づけを交すと、出雲へ早う帰りとうございますと甘えかかる。

塩谷判官は、新田義貞がこもっているうちは、戦は収まらんだろう。

かえってその方が、警護の仕事があって助かると返事をする。

武蔵守様が恐ろしゅうございますと顔世が怯えると、相手にしなければ、その内先方が根負けしてしまうだろうと、塩谷判官は慰める。

どんな事があろうとも、私をかぼうて下されと言う顔世に、かばってみせる。そちは私の命だ。そなたを帝より頂いて…。宮仕えしていた頃の恋しい人を思い出しているのではないか?と塩谷判官はからかう。

その後、床に付いた顔世の側に近づいて来たのは、縁の下に隠れていた侍従だった。

声をかけられ起きた顔世は、あなたの事、渡し、本当に迷惑していますと抗議する。

侍従は、手紙の返事を頂かなければ、私には帰る所がございませぬと泣き始め、あなたもお困りでしょうが、私も困っているのですと哀願する。

顔世は、このままでは私はもう御所には帰れなくなる、私をそっと静かにしておいて下さいと拒絶するが、侍従は、私には誰も頼る人がいない。かりそめの言葉でも良いのです。師直様の機嫌を損じては、私は生きて行かれませぬ。助けると思って、一筆書いて下さい。書いて下さるまで、私はここを動きませぬ、否、帰れないのでございますと泣き崩れる。

諦めたように顔世は立ち上がると、さらさらと一筆文をしたためる。

その返事を受け取った師直は喜び、文を読んでみるが、言葉の意味が理解出来ない。

持って来た侍従も殿様の気持が通じたのですなどと調子の良い事を言うだけで、本当の意味は分からぬ様子なので、薬師寺次郎左衛門(高橋幸治)を呼び寄せると、この文の意味を教えてくれと聞く。

文を読んだ薬師寺は、これは「不邪淫戒」、人妻に思いを致してはならぬと歌ったものですと教える。

道ならぬ恋を戒めたものか…、しかし、こちらは道ならぬ恋をしたいのだからのう…と師直は嘯く。

侍従はお諦めなさいませと勧めるが、なぜ諦めねばならんと答えた師直は、塩谷判官に北国の黒丸を攻めに行けと伝えろと、急に言い出す。

北国より早馬が到着すると、みんな斬れ!と師直は命ずる。

知らせを受けた塩冶判官家では、六郎が、これは師直の見え透いた企みだ。みすみす狼藉を働かせるようなものと憤る。

しかし、塩冶判官は、計られたと将軍に訴え出るか?人々は我らの不運を笑うだろう。無理が通るのだ。道理が引っ込むのだ…と自嘲する。

一方、師直の方は、これから面白うなる。北国黒丸の城…。塩冶が出発したら、堂々と乗り物で乗り付けてやろうと笑うので、それを側で聞いていた侍従は、それはあんまりなと呆れる。

塩冶判官はかつて敵方に付いていたのが裏切ってこちらに付いたので、新田義貞が討てたのだと師直が説明すると、侍従は、それでは恩人ではありませぬかと、ますます驚く。

しかし、師直は、そんな奴は油断出来ぬと言い放つ。

お付きの侍が、判官は身代様と一緒に出発するのでは?と口にすると、そんな事はするまい。妻子はわしの目の届く所に置く事になっているからと師直は断言する。

その言葉通り、顔世を一緒に出雲へお連れになっては勧める六郎たちに、塩冶判官は帰国に妻を連れて行けるか。顔世を信じていると言うだけ。

宗村は、男たちが戦に出れば残るのは女ばかり、何の狼藉が起こるか…と心配を口にする。

それでも塩冶判官が、我らには先祖が出雲にある。未来がある…と言うので、六郎は堪らず、兄上は屈辱を受けても未来が欲しいのですか?兄上は姉上を好いておらん!と責める。

侍従は秘かに顔世の元にやって来ると、このような事になった事を詫びるが、顔世は。あなたを恨みますと態度を硬化させる。

侍従は、あんな手紙を書いたから…と、まるで責任が顔世の方にあるとばかりに反論し、ほんのちょっとでも師直に顔を見せてやれば、万事巧く片付くのでございます。内緒で行けば分からぬではないですか。これが乱世の道理でございますと顔世に迫る。

顔世は、みんな私を踏みにじったんですよとなじる。

たった一度だけ、目をおつぶりなさりませ…と侍従がさらに迫っている時、「侍従!そなた、良い知恵を持っているの。俺にも乱世の道理を教えてくれ」と部屋に入って来ると、「この腸の腐った奴め!」と殴りつけながら、侍従を柱に縛り付けてしまうと、「師直の犬め!」とつばを吐きかける。

塩冶判官は顔世に近づくと、いかがするのか?行くのか?俺を助ける為に行くのか?と問いかける。

顔世は「酷いお言葉!」と哀しそうに憤慨する。

俺が発った後、師直が来たらどうすると問いつめる判官に、顔世は死んでしまいます。私はあなたの妻でございますと言い切る。

それを聞いた判官も、お前が死んだと聞いたら、俺も北国で討ち死にするぞ。二人が死んだら、塩冶一族は助かると答える。

顔世は、一緒に死にとうございますと判官にすがりつくが、柱に縛られながらそれを聞いていた侍従は、突然笑い出す。

顔世は気にせず、私の事より一族の事の方が大切なのですかと問いつめると、判官は、何よりもお前を愛していると言いながら口づけを交す。

たった一人の人だ。侍従、よく観ておけ!これが俺たちの愛だ、本当の愛だ!と判官は叫ぶ。

その頃、宗村は、判官殿は浜街道を移動するが、自分たちは丹波より播磨へ抜けて合流しよう、二手に別れて出発する算段をしていた。

翌朝、師直は朝から上機嫌で、うがいと洗顔をすませると、田舎ではいつもこうして食べていたのだと女中たちに説明しながら、庭先で朝食を食べ始める。

そこに家来が駆けつけて来て、顔世殿が裏手よりこっそり逃げもうしたと報告する。

侍従はどうした!と師直が聞くと、侍従の姿も見えないと言う。

判官はかねがね、南朝に思いを寄せていると思っていたが、妻も一緒に逃げ出した所を見ると、まさしく謀反の下心がある。軍勢の用意をしろ!戦だ!と師直はいきり立ち、顔世は生け捕りにしろ!他は皆殺しだと命じる。

侍従は綱で手を縛られ、顔世を乗せた輿の後から連れて来られていた。

顔世は途中で哀れがり、戒めを解いてやれと宗村に命じる。

妻が別の道で付いて来ているとは夢にも思っていなかった判官は、途中で宗村たち一行と合流すると愕然とするが、ご迷惑でしたか?と近づいて来た顔世から言われると、もう良いのだ。どうせ明日は出雲の地に着くと答える。

しかし、そこに師直が放った桃井播磨守(森幹太)を頭とする追っ手の軍勢が川向こうに姿を表し、謀反の疑いあり!お命頂戴する!と口上を述べて来たので、判官は訳が分からず棒立ちになる。

取りあえず近くの小屋に逃げ込んだ判官一行だったが、もはや逃げようもなかった。

山城守宗村は、顔世を連れ出した自分の判断が、謀反と取られた事を悔やんで詫びるが、判官は、かくなる運命じゃ。これが小国の運命じゃ…と慰め、ただ悔しきは、路傍に屍をさらす事だ。城に戻って、合戦したかった…と悔やむ。

しかし、覚悟を決めた塩冶判官は、逃げ道はないが、真っ正面から牙を剥いて戦うのだと、家臣たちに告げ、足軽と女たちは逃がしてやれと命じる。

それを聞いた侍従は礼を言うが、判官は「そちは逃がさんぞ」と冷たく言い放つ。

足軽と女子供は助けてやってくれと、六郎から声をかけられた播磨守は、顔世殿を引き渡してくれれば、こちらも陣を解いて帰りますと声をかけて来る。

判官は、我ら一族諸共!と叫ぶ。

小屋を逃げ出した足軽は、次々に敵に斬り殺されて行き、女たちは、近くの草むらに連れ込まれ犯されて行く。

小屋に残っていた判官は、「侍従殿、あなたは逃がしませんぞ。この世の生き証人になってもらう。師直、否、あまた世の人に伝えるのだ。生きた証人だけが伝える事が出来るのだ」と侍従に言い含める。

六郎が「さらば!地獄で会おうぞ!」と言いながら小屋を飛び出して行き、敵兵に嬲り殺しにされる。

次々に仲間たちが小屋を飛び出し、同じように惨殺されて行く。

最後に判官は宗村に対し、顔世の事は頼んだぞと頼み、せめて、師直勢を一人でも斬って死にたい…と呟くと、短い縁であった。あの世で会おうと顔世と抱き合い最後の口づけを交す。

それを恨めしそうに見つめている侍従。

判官は、「さらばじゃ!」と小屋を飛び出して行く。

宗村は顔世に対し、おいたわしゅうございます。御自害くださいませと迫るが、顔世は、死ねませぬ。殺して下さいませと頼む。

それを見ていた侍従は、身代様、お許しくださいませ。どうぞ、お許しを…、私が悪うございました…と押し出すように呟く。

宗村は小刀を出し、顔世は自らの着物を押し広げて胸元をさらけ出す。

「お覚悟!」宗村の声が響く。

外では、必死に抵抗していた判官が力つき、嬲り殺される。

播磨守らが小屋の中に駆けつけて来ると、そこには、宗村と顔世の死骸が並んでおり、その死骸をじっと侍従が見つめていた。

昼寝をしていた師直の元に、播磨守らが戻って来る。

師直は、その背後から着いて来た見慣れぬ女は誰かと聞く。

それは、疲れ果てた侍従だった。

驚いた師直が、顔世はどうしたと聞くと、侍従は持って来た顔世の生首を差し出す。

「それは、顔世!」唖然とする師直に、「御前、百万の軍勢で攻めようと、人の魂は取れませんな」と侍従が告げる。

「俺が欲しいのは、生きた顔世だ!死んだ顔世ではない!」叫ぶ師直。

それを聞いて大笑いする侍従。

「欲しいのは、生きた人間だ!」

笑う侍従。

「生きた人間だ!!」

笑い続ける侍従…

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

第20回芸術祭参加作品。

前半は、女好きの成り上がり権力者が、媚びへつらう侍従から聞いた天下の美女の噂にのぼせ上がり、風呂に裸を見に行き腰を抜かす…と云う、実に通俗な展開をユーモラスに描いており苦笑を誘うが、後半は徐々に、この田舎侍の異常な粘着振りが明らかになり、避けられない悲劇に至る全貌を、延々と言い出しっぺの侍従が見せつけられると言う怖い展開になっている。

タイトルの悪党とは、師直とも侍従とも解釈出来るが、意外と、心の中では妻の気持を少し疑っている素振りを見せたり、一族の存続や体面の方を優先させる塩冶判官なども含まれるのかも知れない。

天下随一の美女を演ずるのが岸田今日子と云う点に、若干の違和感を感じる人もいるかも知れないが、この当時の岸田今日子は本当に美しく、ミスキャストと云う感じはしない。

映画の主演は、新藤兼人作品の常連と言うか、妻でもある乙羽信子であるが、彼女と師直役の小沢栄太郎の演技はさすがに見応えがある。

乙羽信子の方は、媚びたり、笑ったり、泣いたり、怯えたり…と、様々な表情を演じてみせなければ行けない難しい役であるが、さすがに良く演じ切っている。

対する小沢栄太郎の方も、退屈したり、怒ったり、とぼけてみせたりと多様な演技が必要で、湯殿前での腰抜け演技は珍しいが、愉快と云うしかない。

木村功のいかにも真面目そうな演技や殿山泰司の存在感などは相変わらずと言った印象だが、適材適所で安心して観ていられる。

一見、低予算作品のようにも見えるが、武者たちが登場する段になると、ちゃんとそれなりの雰囲気は作り上げており、特にちゃちに見えると云う事はない。

いかにも昔の文芸ものと云う感じで、テンポも展開も緩やかで、特に大きな起伏や派手な見せ場がある訳でもないので、今の感覚で観るとやや退屈に感じるかも知れないが、こう云う雰囲気や時代背景が好きな人には楽しめるはずである。