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私は貝になりたい('08)

2008年、「私は貝になりたい」製作委員会、加藤哲太郎原作、橋本忍原作、福澤克雄監督作品。

※この作品は、比較的新作ですが、最後まで詳細にストーリーを書いていますので、ご注意ください。コメントはページ下です。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

子供たちが潮見岬にやって来る。

その中の一人、清水健一(加藤翼)は、海辺の近くになる自宅「バーバーシミズ」に帰って来ると、「来たよ〜!」と、父親で床屋の豊松(中居正広)と母親房江(仲間由紀恵)に告げる。

村から出征する兵隊を乗せる汽車が到着したと云うのだ。

見送りに出かける房江に、豊松も一緒に行くと言葉をかけるが、客がいるじゃないかと房江は呆れる。

しかし、客は松田老人(織本順吉)一人だったので、断って、そのまま豊松も、友人である酒井正吉(マギー)の見送りに駅まで向かう。

豊松は、子供の頃から片足が不自由だった。

店に戻って来ると、案の定、松田老人は眠り込んでいた。

客たちは、口々に戦争の事を話し合うが、絶対勝つと皆勇ましい。

そこに、赤紙を持って来る事で有名な竹内(武田鉄矢)がやって来たので、皆一瞬緊張するが、竹内はアルコールをもらいに来ただけだと苦笑いする。

夕食時、健一は、ダンゴ汁だけの食事が不満そう。

どっかでお弔ないかな?などと言い出す。

みっちゃんの家で、お弔があった時、おにぎりもらったけど、お米だとお腹がすかないよと云う。

それを聞いた豊松は、たまらなくなり、配給の石鹸を米に変えろと房江に云う。

ヒゲは水だけで剃れば良いのだからと云うが、房江は、仕事が上手なあんたが云うのだったら良いけどと皮肉で返す。

そこへ、昼間来た竹内が又やって来て、赤紙が来たと豊松に渡す。

呆然としながらも受け取った豊松は、判子を房江に持って来させたので、房江を事態を知る。

豊松は、その場で坊主頭にしてくれと房江に頼み、房江も承知する。

髪を刈りながら、二人は、高知の理髪店ではじめて出会った時から、この村に来て、店を始めた頃の事を走馬灯のように思い出していた。

付き合い始めた二人には、すぐに子供が出来てしまったので、娘に手を出した豊松はそれまで勤めていた店を首になってしまい、行き場を失った二人は、一旦は、四国山脈のど真ん中にある房江の実家に戻ろうとするが、やはり、あそこには戻れないと感じ、そのまま、バスに乗り終点までたどり着くと、海辺のこの村までたどり着いたのだった。

もうそれ以上、二人の行く場所はなかった。

豊松は、この村で店を始めようと房江に言い出し、房江も又、あんたと一緒だったら、産み月までも働けると決意を返す。

「石の上にも三年」と云う気持ちで始めたが、それからすでに5年が経って、これからと云う時に…

三宅郵便局長(平田満)らによる、豊松の送別会が行われる事になり、その手伝いとして、房江の妹で女学生の敏子(柴本幸)も来ていたが、豊松は「よさこい節」を唄うはめになる。

台所でそれを聞いていた房江は、声を殺して泣き出す。

豊松は、中部第三地区尾上部隊に入り、すぐに訓練をやらされる事になるが、身体が不自由な豊松は、滝田二等兵(荒川良々)共々、常に、立石上等兵(六平直政)から殴りつけられる出来の悪い新兵だった。

銃剣突撃の最中、倒れ込んでいた豊松の側に来た中隊長日高大尉(片岡愛之助)は、豊松が落とした銃剣を受け取ると、自ら、藁人形の頭に銃剣を突き立ててみせる。

そこに、馬に乗った大隊長尾上中佐(伊武雅刀)がやって来る。

その後、アメリカのB29が関西方面に大量に飛来すると云う報告がもたらされる。

作戦本部にやって来た矢野中将(石坂浩二)は、物資不足の折、戦闘機の出撃は制限されているので、地上砲火で撃破しろとしか命ずる事が出来なかったが、抵抗する術もなく、焼け野が原に化して行く、遠くの町並みを観ながら、一人涙するのだった。

その後、戦果の報告を聞きただした矢野中将は、B29一機は間違いなく、大北山に墜落し、四、五人が落下傘で脱出したのを目撃したと聞くと、「捕縛して、適切な処置を行え!」と命ずる。

さっそく、大北山に捜査隊が出され、かろうじて生き残っていた米兵二人を最初に発見したのは、尾上隊だった。

木に縛りつけた米軍捕虜を前にした日高大尉は、三班隊長である木村軍曹(武野功雄)を名指しすると、三班より二名を選び出し、捕虜を殺せと命ずる。

木村軍曹は、常日頃、足手まといとなっていた豊松と滝田二等兵を指名する。

二人は怯えながら銃剣を装着するが、どうしても米兵を殺せない。

それを見ていた立石上等兵は、豊松を殴りつける。

足立少尉は、上官の命令を何と心得ると豊松に迫る。

豊松は、上官の命令は陛下の命令です!と答えるしかなかった。

結局、豊松は、叫びながら米兵に向かう…

終戦後、部隊から戻った豊松は、又、前のように床屋を続けていた。

村の世話役の根本(西村雅彦)は、サッカリンが大量にあるので買わないかなどと、豊松に話を持ちかけて来るが、そんな話を聞いていた敏子は、床屋ではなくブローカーにでもなるの?と豊松を皮肉るが、房江は、そんな敏子に、子供がもう一人増えると、妊娠した事を打ち明けるのだった。

その日も客として来ていた三宅局長と、戦犯の話をしながら、自分たちは二等兵で良かったななどと云っていた豊松だったが、そこに健一が「ジープが来たよ」と知らせに来る。

その言葉通り、店の前に止まったジープから降りて来た二名のMPと一人の日本人は、店の中に入って来ると、県の刑事と名乗る日本人(金田明夫)が尾上部隊日高班清水豊松の名を確認すると、その場で豊松に戦犯として逮捕すると云うなり、手錠を掛けジープに乗せる。

健一は、父親に追いすがろうとするが、MPに押し倒されると、走り始めたジープの後から泣きながら追いかけて来る。

しかし、ジープは、唖然として店から出て来た房江、敏子姉妹を残し、走り去って行く。

ジープの荷台に乗せられた豊松は「何で俺が…?」と呟くが、途中、立ち小便で降ろしてもらうと、遠くに見える村の様子を見ながら、「何かの間違いだ…」と心の中で叫ぶしかなかった。

豊松、立石上等兵、滝田二等兵、矢野中将らは、同じバスに乗せられ、巣鴨プリズンに送られる。

間もなく始まった軍事法廷、最初の証人台に立った矢野中将は、「適切な処置せよ」とは命じたが「殺せ」とは云わなかったが、責任は感じていると証言する。

尾上中佐は、「捕虜を逮捕せよ」と電話連絡を受けたと思うが、はっきりした記憶はないと証言する。

日高中隊長は、敗戦後、腹を斬って、すでに自決していた。

立石上等兵は、隊長である木村軍曹からの命令だったと云うだけ。

豊松は、なぜ、上官の命令を断らなかったのかと裁判長から聞かれ、断れば銃殺ですよと答えるが、それを聞いていたアメリカ人たちは笑い出す。

豊松は、あなたたちは一体どこの国の話をしているのか?日本では、二等兵は牛や馬と同じなんですと訴えるが、そんな言葉が相手に通じるはずもなかった。

房に戻って来た豊松は、仲間たちに、「暖簾に腕押しだ。向こうの云う事がまるで分からない。こちらの云う事が何も通じない」と嘆いてみせ、実はあの時、自分は目をつぶってしまったので、銃剣は米兵の腕をかすっただけ、米兵は、木に縛っていたのでそのまま死んでしまったのだと教えるのだった。

その頃、お腹が大きくなっていた房江は、健一から「父ちゃん、すぐに帰って来ると云ってたのに、嘘じゃないか!」とだだをこねられると、ただ黙るしかなかった。

判決はすぐに下った。

矢野正浩、尾上精二は絞首刑、足立宏明(名高達男)終身刑、木村弘重労働25年、同じく重労働20年だった立石一郎は、にやりと笑うのだった…

その判決を聞いていた豊松と滝田は、自分たちに死刑はないと確信するが、続いて呼ばれた豊松に下された刑は、絞首刑だった。

豊松は合点がいかず暴れるが、MPに押さえ込まれる。

豊松は、死刑囚が収容される「レッド地区の房」へ連れて行かれる。

独房に入った豊松に、黙って、水を差し出して来たのは、同じ部屋に先に入っていた大西三郎(草彅剛)だった。

大西が云うには、元々ここは独房だったが、自殺をするものが出始めたので、二人部屋に変わったのだと云う。

その夜、大西から布団を敷いてもらった豊松だったが、家族の写真を見ているとなかなか寝付けず、つい布団をかぶってしまったが、無理矢理看守から怒鳴られ、ここでは顔を出して寝なければいけない規則があると大西に教えられると、涙に濡れた顔を出さねばならなかった。

翌朝、一晩中消えない電灯が気になり寝付けなかった豊松は、大西はどんな事件でここへ来たのかと聞く。

大西は、ボルネオのバリックパパンにいたと云い、嫌な時代に生まれて、嫌な事をしたものですと答えると、すぐさま聖書を読み始める。

その時、他の房から一斉に読経が聞こえて来たので、何事かと不思議がる豊松に、今日は木曜日であり、毎週、処刑者を呼びに来る日だからだと大西は教える。

やがて、看守の足音が近づいて来たので、豊松は怯えるが、何事もなく看守たちは通り過ぎただけ。

時々用もないのに、わざと我々を怖がらせる為にやっているのだと言っていた大西だったが、その直後、別の看守が近づいて来て、その大西の名を呼び上げる。

呆然とする豊松に、部屋を出る大西は、一晩だけでしたが、これも何かのご縁でしょうと豊松に挨拶をした後、廊下に出ると、他の房の受刑者たちに聞こえるように、「大西です。皆さん、お世話になりました」と挨拶して、処刑場に連れて行かれる。

土佐には春が訪れていた。

「バーバーシミズ」にやって来た根本は、いつもラジオで豊松の事を気にして聞いているが、A級戦犯の事ばかり報じられて、B級、C級の事は何も分からないと教える。

豊松の房の新しい同居人は西沢卓次(笑福亭鶴瓶)と云い、毎日、熱心に、英語でアメリカ大統領に対し、嘆願書を書いていた。

そんな西沢と手錠に繋がれ、外に空気を吸いに出た豊松は、矢野中将からいきなり声をかけられるが、さすがに何も話す気にはならず、すぐにその場から逃げ出してしまう。

しかし、房に戻った豊松に、看守のジェラーが、再三、矢野中将からの中継ぎにやって来るので、断りきれなくなった豊松は、矢野中将に来てもらう事を許す。

房にやって来た矢野は、マッカサー司令に再審依頼は出しているだろうねと聞き、わしの不注意から君たちを巻き込んでしまって申し訳ない。自分も再審依頼は出したが、それは助かりたいからではなく、責任は司令官の自分一人であるので、他の者たちの刑を軽くしてくれと云う内容だと言い、部屋を出ようとする。

その際、自分は一人房なので、誰も来てくれん。気が向いたら訪ねて来てくれんかと言い残して去ろうとするので、思わず「閣下!」と呼んだ豊松は、「髪が随分、伸びましたね」と続ける。

廊下に出て、矢野の髪を刈り始めた豊松は、又、軍隊が出来るそうですねと話を振ると、警察予備隊の事だねと矢野も答える。

それからと云うもの、豊松は時々、矢野の房を訪ねるようになるが、豊松が土佐の出身だと聞いた矢野は、自分も若い頃、久留米で、桜子と云う土佐出身の女と付き合ったので、「よさこい」を覚えてしまったと言うので、豊松は嬉しくなり、一緒に唄い始める。

そこにやって来たのが、矢野の戒名を持って来た教誨師の小宮(上川隆也)だった。

小宮は、無宗派らしい豊松に、たまには講話を聞きに集会に来ないかと誘う。

小宮は、豊松のに煮えいらない態度を見ているうちに、ひょっとしたら、自分が死刑になる事をまだ家族に知らせていないのではないかと感じ取り、思いきって、房江のもとに事実を伝える手紙を送る。

それを読んだ房江は驚き、子供二人を連れ、東京池袋に向かう。

土佐から東京までは、丸二日かかる旅路だった。

その夜は矢野が処刑される日だった。

豊松は思わず寝床から飛び起き、隣に寝ていた西沢から文句を言われる。

絞首刑場には、縄が五本並んでいた。

五人一緒に処刑出来るのだった。

そこに連れて来られた矢野は、最後の言葉はないかと云われると、整列したアメリカ軍関係者に対し、パーク条約では、非戦闘員への攻撃は違反だったはずで、民家への無差別爆撃は戦争犯罪の疑いあり、直ちに関係者を裁判にかけるべきである。

大北山事件に関しては、判決が一方的すぎる。責任は自分が一人で取るので、他の関係者は無罪、それが無理なら、せめて、刑を一つ軽くしてくれと言い残し、処刑台に上る。

房江は、群衆でごった返す東京池袋駅に到着した。

しかし、すぐに、雑踏に巻き込まれ、母親とはぐれた健一は泣き出す。

やがて、そんな健一を見つけた房江は、目の前に見える巣鴨プリズンを見つけると、あそこに父ちゃんがいる。行こうと、健一を促すと歩き始める。

その頃、房では、亡くなった矢野中将の事を思いながら、豊松が毎日拝み出したので、西沢は呆れていた。

そこに、ジェラーが、面会に奥さんが来たと知らせに来る。

面会室に連れて行かれた豊松は、やって来た房江たちの姿を静止出来ず、その場に崩れ落ちてしまうが、ジェラーに支えられて何とかイスに座る。

房江は、どうして本当の事を知らせてくれなかったかとなじる。

豊松は、俺は何も絞首刑になるような事はしていない。矢野さんは昨日死んでくれた。西沢と云う人がトルーマン大統領に嘆願書を書いてくれている。それに、200人の署名がある嘆願書がつけば申し分ないのだが、それがなかなか集まらない。BC級戦犯なんて、世間からつまはじきにされるだけなんだと教える。

そして、はじめて見る、娘の直子(西乃ノ和)を愛おしいそうに眺め、金網から出たその幼い手にキスをしてやる。

すると、健一もねだるので、同じようにしてやりながら、帰りたいなぁ、みんなと土佐に…と呟くのだった。

土佐に戻った房江は、敏子と共に、村中を駆け回って嘆願書を集めようとするが、どこも相手にされず、とても200以上集める事など不可能に思えた。

しかし、弱音を吐く妹に対し、「私に出来るのはこれしかない」と房江は答える。

季節は冬になっていた。

房江が嘆願書をもらいに出かける事が多くなり、「バーバーシミズ」が閉まっている時間が長くなる。

店の前で心配する酒井に、近くにいた根本は、彼女のがんばりで、署名がもう200に近づいているらしいと教える。

その日は、雪深い山の中を歩いていた房江だったが、199人目の署名をもらった所で、200軒目に訪れた家では、一人息子を戦死させたのに、国賊を助けるなんてふざけるな!と怒鳴られてしまう。

その後、つてを頼って折田と言う家にやって来た房江だったが、出迎えた母親(泉ピン子)は、鉄砲を持って山に登って、夕方にならないと戻らないと云う。

そこに帰って来た嫁(中島ひろ子)も、恐縮して、今度村に出た時よらせてもらうと頭を下げる。

諦めて山を下りかけた房江だったが、曲りのはなと呼ばれる場所に来た時、その時どこからともなく銃声が轟く。

声のする方を見ると、そこに、今猟銃を撃ってい場所を知らせた折田俊夫(梶原善)が手を振っているではないか。

近づいて来た折田は、その場で手を差し出し、嘆願書に署名をしてくれた。

念願の200人目の署名だった。

その後、潮見岬にやって来た房江は、海を見ながら、父ちゃん、生きてくれ!きっと生きて帰って来ると信じるのだった。

巣鴨プリズンの房で豊松と滝田が雑談をしている所へ、戻って来た西沢は、去年処刑になったはずの古田を北海道で見かけたと云う噂を聞いたと言い出す。

去年の五月以来、処刑がぱったり止まっているのは、アメリカと日本との合意で、そろそろ全員赦免される前触れではないかと云うのだ。

そうした所に、房江が嘆願書を持って又面会にやって来る。

豊松は、房江のなみなみならない努力に感謝し、世の中の情勢は、自分たちに有利になって来ているようだし、この嘆願書があれば鬼に金棒だと喜ぶ。

そんな豊松に、今度、近くに新しい理髪店が出来るらしいのでと言いながら、房江は新しい理髪店用のイスの写真を見せる。

4700円もすると聞いた豊松はあまりの高さに驚くが、それでも嬉しそうだった。

その時、赤ん坊の直子が泣き出したので、豊松は思わずあやそうとするが上手く行かない。

すると、そこの近づいて来たジェラーが、自分も一緒にあやしはじめる。

すっかり豊松が気持に余裕を持ち始めたある木曜日の朝、看守がやっていて、「シミズ、チェンジブロック」と告げる。

それを聞いた西沢は「減刑だ!雑居房に変わるんだ!」と豊松に教える。

呆然としながらも、豊松は、泣いて喜ぶ西沢と周囲の仲間たちに礼を言うと、別の棟に向かう。

しかし、彼を待っていたのは「3月26日に絞首刑を執行する」と云う知らせだった。

愕然とした豊松は、心配して近づいて来た小宮の言葉にも応える気力がない。

小宮は、遺体は遺族にも引き渡されないし、埋めた場所を教える事もないと教える。

豊松は、家族の写真を見つめるしかなかった。

その夕方、最後の酒として、小宮が葡萄酒を勧めると、豊松は無言のまま、三杯も飲み干す。

「妻と一緒に暮らしているうちに、34年過ぎちゃった…」と、ようやく豊松が口を開くと、小宮は、例え50年生きようが、死の間際には誰でもあっという間だったと思うはずだ。来世を信じるしかないと言い聞かす。

来世に生まれ変わるとしたら、何に生まれたいですかと小宮が聞くので、豊松は「お金持ちになりたいな」と呟く。

とにかく貧乏だったからな…と豊松は続ける。

小学校を出るなり床屋の丁稚に出され、何せ、この足ですから、免状降りても店なんか持てない。

高知で房江と会い、あっという間に子供が出来、これからって時に…

全くついていませんよ。

せめて生まれ変われるのなら、百万長者の息子にでもなりたいなと、最後は冗談めかす豊松。

その頃、「バーバーシミズ」には、注文した新しいイスが到着していた。

豊松は、家族に最後の手紙をしたためていた。

「房江、健一、直子、さようなら…

父さんは、もう二時間ほどで死んで行きます。

お前たちと離れ、遠い遠い所に行ってしまいます。

もう一度会いたい。

もう一度、みんなと一緒に暮らしたい。

許してもらえるのなら、手が一本、足が一本になってもお前たちと一緒に暮らしたい。」

絞首刑場に連れて来られた豊松は、すでに半分失神状態で、ジェラーから抱きかかえられる。

そのジェラーも、嗚咽をこらえていた。

「でも、もうそれは出来ません。」

豊松は、ふらふらと階段を上っていた。

「せめて…せめて…、生まれ変われる事が出来るのなら、せめて…せめて…、生まれ変われる事が出来るのなら、いいえ、お父さんは、生まれ変わっても、もう人間なんかにはなりたくありません。人間なんて嫌だ!」

豊松は、処刑綱の前にやって来ていた。

「牛か馬の方が良い。否、牛や馬なら、また人間に酷い目に遭わされる。いっその事、誰も知らない深い海の底…」

豊松は思わず、家族の写真を触っていた。

「そうだ!貝が良い!」

豊松の身体は、処刑台の下に落下する。

「カツオが来たぞ!」高知の漁師たちが浜で大声を出していた。

「バーバーシミズ」の前を走り抜け海辺に向かう大勢の漁師たち。

店の前でその様子を見ていた房江は、松田老人に暖かくなってきましたねと声を掛けていた。

松田老人は、バスの停留所の側に新しい店ができるそうだね」と心配げに聞く。

しかし、房江は、大丈夫ですよ、あの人ももうちょっとしたら帰って来ますからと気丈に答える。

「深い海の底の貝だったら、戦争もない。兵隊に取られる事もない。

深い海の底だったら、房江や健一や直子の事を心配する事もない。

どうしても、生まれ変わらねばならないのなら、私は貝になりたい…

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

1958年、フランキー堺主演で第13回芸術祭大賞を取った橋本忍脚本のテレビドラマの二度目の映画化。

さすがに、最初のドラマ版は観ていないと思うが、橋本忍自身が監督をした1959年版 の映画は観ている。

当然、ストーリーやラストは知っているので、本作で、取り立てて感動したり泣いたりする事はなかったが、今回、改めてこの作品を観て感じた事は、「元々、映画に向いていない内容なのではないか?」と云う事。

従来、自分の脚本に手を加える事をしなかった橋本忍氏が、今回だけは特別に手を加え、房江側の描写なども加えたものになっているが、正直、その分特に感銘が深まったかと云えば、そうとも思えず、展開が面白くなったとも思えないからだ。

福澤監督の、随所に美しい日本の風景映像を挿入し、情感を高めようとする演出も、特に迫って来るものがないし、役者たちの芝居も取り立ててどうと云う事はない。

全体的に、これと云って欠点もないのだが、かと言って、これはすごい!と唸らせるものもない。

昔、こう云う酷い話があったのだよと、老人から聞かされているだけのような印象しか残らないのだ。

なぜ、こうした結果になってしまったのかと考えると、元々のドラマ版は、前半30分がVTR、後半1時間程度が生放送スタイルだったらしいが、そうしたな舞台芝居のような緊迫感、臨場感を持っていたであろう後半部分を、映画的な広がりを持たそうと、あれこれ映像的、脚本的説明要素を加えてしまったが為に、当初の衝撃感、豊松への人間的掘り下げが薄れ、普通の「説明」になってしまったのではないか?

例えば、BC級戦犯の情報は、当時、一般庶民にはほとんど知らされていなかっただとか、嘆願書への署名に拒否される風潮があったとか、警察予備隊が出来た頃になっても、まだ巣鴨プリズンにはBC級戦犯が収容され続けていたとか、矢野中将が最後の言葉として遺した戦勝国側の罪とか、色々今まで知らなかったような情報は加わっている。

しかし、そうした付け加わった情報は、豊松の悲劇とは別な、当時の時代の「説明」であって、特に、豊松へ感情移入する補強材料にはなっていない。

1959年版も、映画として特に成功していたとも思えず、やはり、この話は、あくまでも放映された時期も含め、茶の間に直結していたテレビドラマだったからこそ意味があったのではないかと云う気持が強い。

とは言え、当時の事を全く知らない世代にとっての「解説映画」としては、本作もそれなりの意味があるようにも思える。

ミニチュアやCG、モーションコントロールを駆使した合成は見事で、まず、素人にその見極めは難しいだろうし、この作品ではじめて、BC級戦犯と云うものを知った人には、それなりに感慨もあったはず。

やはり、戦争から、あまりにも時間が経ちすぎていると云うのが、この映画の不幸な所かも知れない。