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沈まぬ太陽

2009年、「沈まぬ太陽」製作委員会、山崎豊子原作、西岡琢也脚本、若松節朗監督作品。

※この作品は新作ですが、最後まで詳細にストーリーを書いていますので、ご注意ください。コメントはページ下です。

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ナイロビの草原、助手の現地人が「だんな、象だ!」と、国民航空ナイロビ勤務社員恩地元(渡辺謙)に伝える。

日本に戻っていた恩地は、ケニア大使を国民航空鵜創立35周年記念パーティにエスコートする事になる。

その頃、客室乗務員三井美樹(松雪泰子)は、母親が急病になったと言い、後輩の桶田恭子(松下奈緒)に123便の乗務を代わってもらっていた。

123便は、523人の乗客を乗せ、大阪に向け飛び立つが、その間、国民航空の創立記念パーティでは、恩地を心底毛嫌いしている取締役の八馬忠次(西村雅彦)が、恩地の姿を見つけ、ここから出て行けと怒鳴りつける。

同じパーティ会場内、行天四郎部長(三浦友和)は、出席した政治家たちに挨拶をしていた。

羽田空港管制官(長谷川初範)は、123便から、機体に異常発生、羽田に引き返したいとの連絡を受けていた。

123便内では、乗客たちが酸素マスクを装着している中、家族宛の手帳を必死に書き留める男性があった。

123便機長(小日向文世)は、必死に機体を支えようとするが、尾翼を失った123便は、山の中に墜落して行く。

パーティの壇上では、堂本社長(柴俊夫)が来賓相手に挨拶をしている最中だった。

ナイロビの草原で、恩地は、狙いすました象の頭を撃ち抜いていた。

タイトル

群馬県御巣鷹山山中では、散乱した機体の中から、生存者がいないかと、自衛隊員たちが必死に捜索活動を行っていたが、ようやく一人、生存者を見つける。

乗客の家族たちが、バスを連ねて群馬県の体育館に到着する。

それを頭を下げ出迎える恩地。

会社内で行天部長は、我々は加害者側なので現地に入れないと説明し、大量の棺を準備するよう、恩地を含む部下たちに命じていた。

その頃、検視所には、次々と棺が運び込まれていた。

恩地は、一人の女性が、検視所の入り口付近で呆然と棺の列を眺めている姿を目にする。

1962年

恩地と行天は、当時二人は、国民航空の労働組合委員長と副委員長の立場で、会社側と賃金値上げ交渉を重ねていた。

当時の会社側には、桧山社長(神山繁)、堂本、八馬などが居並んでいた。

桧山社長は、当社は政府に首根っこを掴まえられているのだから…と、国民航空の特殊性を強調するが、恩地は、スト権を行使しなければならないと言い出す。

25日午前0時より行うつもりだと行天が言うと、桧山社長は、その日は、首相がヨーロッパから帰国する日ではないかと驚き、そんな事はさせんと気色ばむ。

労働組合に戻った二人は、仲間たちと、成功しそうだと盛り上がっていた。

三井美樹も、その中にいた。

次の交渉の席で、会社側から満足の行く成果が得られなかった恩地はストを決行しますとに伝え、横で聞いていた行天を驚かせる。

あくまでも、ストは、交渉を有利に運ぶ為の戦略のつもりだったのだ。

部屋を出かけた二人を、八馬が呼び戻す。

労働組合の勝利だった。

組合員たちは大喜びするが、そんな中、行天だけが、部屋の外の階段で一人座り込んでいた。

自分には、どうしても最後の押しが足りないと反省していたのだが、そこにやって来た三井美樹は、そんな行天の慎重さを指示しますと言い、行天は美樹を抱いてキスをする。

123便墜落事故の遺族たちの交渉係を担当していた恩地は、遺体安置所で、1歳の孫とその両親を一挙に失った阪口清一郎(宇津井健)から挨拶を受けていた。

先日、つい興奮して、恩地に詰め寄った事を詫びたいと云うのだった。

1歳の孫を息子夫婦と一緒に大阪に呼んだのは自分で、航空券を送ったのも自分だったのだと、自分を責めている様子。

一方、遺体の確認作業は手間取っており、どう見ても子供の遺体を、自分の主人だと言い張る女性などもいたので、恩地は、指紋照合しましょうと説き伏せる。

遺品の手帳に目をとめた息子らしき青年が、棺の中の遺体は父に間違いないと証言し、その場で、父親が最後に書いた手帳の遺言を読み始め、やがて、その場に跪いてすすり泣き始める。

そこには、もう飛行機には乗りたくない。どうか、神様、助けて下さい…と書かれていた。

一日だけ休暇をもらった恩地は、久しぶりに自宅に帰るが、そこには、妻のりつ子(鈴木京香)、息子の克己(柏原崇)、娘の純子(戸田恵梨香)が出迎え、息子たちは、何事か伝言をある様子だったが、そのまま先に帰ってしまう。

りつ子に聞くと、純子の結婚相手の大倉の両親が純子の父親を調査し、アカの娘はもらえないと云って来たと云う。

それを聞いた恩地はやりきれない気持になる。

1964年、冬

恩地は、カラチ支店への転勤を命じられる。

桧山社長は、社長室に抗議にやって来た恩地に、身から出た錆じゃないのか?と言い放つ。

恩地は、二年二期組合の委員長を引き受けていたのだった。

桧山社長は、君の事を蛇蝎のごとく嫌っている連中を説き伏せたいんだと、苦しい心中を明かすように伝える。

一方、行天は個人的に、昇進を条件に、堂本、八馬らから、会社側と組むように説得されていた。

そんな事は知らない恩地は、桧山社長との話し合いで、自分以外の組合員に懲罰人事をしない事を条件に、カラチに行く事を引き受けたと行天に打ち明けていた。

帰宅した恩地は、りつ子に、カラチ行きを伝えるが、高血圧で寝ていた母親将江(草笛光子)は、さすがに自分はついて行けないと云い、お前、一生懸命、会社の為に働いたんじゃなかったのかい?何でこんな事になるんだろうねと嘆く。

その後、先にカラチに到着していた恩地は、遅れて現地にやって来たりつ子と息子たちを空港に出迎える。

その頃、本社では、八馬が行天に、組合を分断するよう命じていた。

ある日、カラチの恩地を訪ねて来た今や総務部次長の八馬は、一札、会社に詫び状を出せば、望む身分は与えてやると伝えるが、恩地は拒否する。

八馬は,今にほえ面をかくなよと捨て台詞を残して去って行く。

その後、恩地の元へ、テヘラン転勤の辞令が届く。

行天は、サンフランシスコへ栄転していた。

通常、海外勤務を終えた人間は、本社に呼び戻されるのが通例ではないかと上司の和光(大杉蓮)に訴えた恩地だったが、和光は、自分の力では遺憾ともしがたいのだと恐縮するばかり。

りつ子も、この顛末に驚くが、恩地は、このままじゃ、俺の挟持が許さないと言う言葉を聞くと、それ以上、夫を説得する事は諦めるしかなかった。

本社では、労働組合仲間だった八木和夫(香川照之)らが中心となり、この不当辞令を止めるよう訴えかけていたが、誰もその言葉に足を止めるものはいなかった。

イラン、テヘラン

恩地は、現地採用者の入社試験を行っていたが、その時、テレックスが入り「母危篤」を伝えて来る。

恩地は、飛行機を乗り換え、ようやく羽田に到着したが、その時本社の人間から「母親が死亡した旨」の連絡を受け取る。

恩地は、すでに棺桶に入った母親と対面し、母さんただいま…と言うのがやっとだった。

その後、行天と会った恩地は、先週、お母さんにお会いして、何とか日本に戻れるようにしてくれないかと云われたと聞かされる。

行天は、一札詫び状を書いて、頭を下げた振りをするだけで日本に帰れるのだと恩地を説得しようとする。

さらに、新生労組が出来てから、旧労組は社内で差別を受けるようになったと行天は教える。

八木は、大手町支店で一人机に座らせられ、誰にも相手にされず、ちょっと姿勢を崩しただけでも注意されるような扱いを受けている。

旧労組の沢泉徹(風間トオル)らは、ほとんど閑職に就かされていた。

その沢泉らから、もはや、行天は行動組合には顔を見せなくなったと聞かされる恩地。

驚いた恩地は、桧山社長に会いに行き、自分以外の仲間たちに懲罰人事は行わないと約束したではないかと詰め寄るが、桧山社長は、テヘラン就航第一便が飛んだら、すぐに君を日本に戻すから許してくれと謝る。

その夜、久々に、行天と二人きりで飲んだ(ただし、恩地は昔から、アルコールはダメだった)恩地は、詫び状書けたか?と聞かれ、会社って一体なんなんだ?やっぱり書けないと断る。

行天はその後、堂本に会うと、恩地は詫び状を書かないと伝える。

堂本は、今度、ケニアに人材がいるが、海外勤務に慣れた人間で適当な人物はいないかと、行天に目配せする。

1969年2月

テヘランに戻った恩地は、本社からのテレックスで、ナイロビ駐在員を命ぜられる。

驚愕した恩地は、すぐに桧山社長に電話を入れるが、すぐに切られてしまう。

息子の克己は、父親が「左遷された」と誰かから聞かされたらしく、不満を口にするようになる。

りつ子は、恩地に対し、あなたが筋を通される事のは分かるが、子供たちは傷ついていますと伝える。

その後、りつ子と二人の子供たちは、日本に帰国してしまう。

雨の空港に見送りに行った恩地は、「りつ子…」と飛行機に向かう妻たちに声をかけるが、りつ子は振り向かなかった。

ケニア、ナイロビ

恩地は、日本から届いたカレンダーを持って、営業に出かける毎日。

休みの日には、象を撃ちに出かけるようになる。

恩地は、ケニア観光賞副大臣に面会を申し出、国民航空の就航が叶うよう働きかける。

ある日、恩地は、娘純子からの手紙を読むが、そこには、自分はもう学校へ行きたくない。クラスには誰も味方がいない。お父さんがケニアにいるのは、会社で悪い事をしたからだとみんな言っている。母親は最近、イライラして起こりっぽくなったし、兄さんは誰とも口をきかなくなった。家族はバラバラになってしまった。お父さんはどうして、家族の事より仕事なんですか?自分勝手なお父さんへ…と書かれてあった。

休日の夜、まんじりともせず象を待つ間、恩地は一人涙ぐんでいた。

ある日、ケニアと国民航空との交渉は打ち切ると云うテレックスが入る。

恩地の現地でのこれまでの仕事は、全部無に帰した事になる。

恩地は、現地の子供たちとサッカーを興じた後、猟銃を無人の部屋の中で発砲し泣き叫ぶのだった。

御巣鷹山でに123便事故の原因は「尾翼の金属疲労」と云う新聞発表が載る。

大阪で、行天に会った恩地は、君、国航の社員として、遺族の世話をするよう命じられる。

既に辞意を発表していた堂本社長と、その付き添いの行天は、遺族一人一人への謝罪行脚が始まる。

ある家では、亡くなった娘たちの名前を一人一人呼んで謝ってくれと父親から言われ、名前を把握していなかったと、持参した花束を投げ返されてしまう。

その際、行天は、思わず、堂本社長の濡れたズボンを拭くが、それを見ていた父親から、お前たちは、うちの絨毯よりも、社長のズボンの方が大切なのかと激怒させてしまう。

田中電気店と云う家では、事故の原因ははっきりしている。修繕もせん飛行機に、525人も乗せたからや!と怒鳴られる始末。

そうした遺族への謝罪を終え、車に乗り込んだ堂本社長は、隣の席に座った行天に、君にはさぞ、哀れな結末が待っているだろう。愉快だと自嘲する。

三井美樹は、自分が勤務を交代してもらったばかりに死なせてしまった後輩の客室乗務員桶田恭子の家を訪ね、焼香をすませた後、母親に、遺族会に入ったか確認する。

恭子の母親は、最初は、加害者側のつもりだったので入り難かったが、新聞に、最後まで、酸素マスクを付けて廻った写真が載ったので、良くやったと入れてもらえる事になったと話す。

その後、ホテルで行天と会った美樹は、とても遺族会の名簿を寄越せなんて言えなかったと報告する。

桶田恭子の家を訪ねたのは、遺族会をつるませてはまずいので、名簿を手に入れろと云う行天からの指示でやった事だったのだ。

しかし、そんな情を見せた美樹に、こう云う時だからこそ、俺が上に登るチャンスなのだ。恩地に頼めないか?名簿の事と頼む。

それを聞いた美樹は、恩地さんはあなたとは違うと反論し、行天を怒らせてしまう。

遺族の一人、鈴木夏子(木村多江)は事故以来、アル中になっていた。

夏子の担当を、恩地に変わって担当するようになった社員は、夏子の義理の母親(音無美紀子)相手に、賠償金の話をまとめようとしていた。

そこに乗り込んで来た恩地は、その担当者を外に連れ出すと、遺族の事をもっと考えて時間をかけてと云う恩地と、君は日本の事は疎いからと馬鹿にする社員との間で言い争いになる。

それを止めたのは、酔っていた夏子だった。

その頃、国民航空の新社長を誰にするかは、時の政府に任されていた。

道塚運輸大臣(小野武彦)が、自分の推薦者を首相利根川(加藤剛)に伝えに来るが、利根川はすでに自ら決めている様子。

その様子を十時官房長官(中野誠也)や、竹丸副総理(小林稔侍)が見守っていた。

利根川は、秘かに会った龍崎一清(品川徹)に、自分が考えた新社長を説得してもらうよう頼んでいた。

INTERMISSION(休憩)

関西紡績大阪工場で、社員から仕事の説明を受けていた国見正之(石坂浩二)は、来客を告げられ応接室に戻る。

客は、利根川首相からの依頼の返事を聞きに来た龍崎だった。

国見は、返事をしかねていたが、戦後はシベリアに抑留されていたと云う龍崎からお国の為と思って…と説得されると、それ以上固辞するのは躊躇われた。

恩地は、まだ、遺族の一人一人を廻って、保証金の話をまとめようとしていたが、その日訪れたのは、阪口清一郎の家だった。

阪口は、妻にも先立たれたし、今度は息子夫婦にも死なれ、一家全滅したので、もう保証の話は必要ない。

今度あなたがここへ来ても自分はいないだろう。自分は遍路にでも出ようと思っていると話しかける。

上京する新幹線の車中で、国見は、新聞に載った、遺族の子供の詩を読んでいた。

国民航空の会長になった国見は、恩地を呼ぶと、今、四つに分裂した組合の問題も含め、自分に力を貸して欲しいと願い出る。

恩地は、自分の過去はご存知でしょう。こんな自分が表に出れば、会長のご迷惑になります。今私には、ナイロビ時代が懐かしい。この会社は何も応えてくれないと言い、帰りかけるが、国見は、9年間のあなたの苦労は知っている…と同情しながらも、なおも協力を持ちかける。

結局、会長室付きになった恩地と共に各部署担当者と会議を持った国見は、この際問題点を洗いざらい言ってみてくれと提案する。

パイロットが管理職になっているのは、世界広しといえども国航だけだと云う意見が出る。

しかし、労働組合の話になると、旧労組と新生労組の代表との間に険悪な空気が漂う。

明らかに、新生労組側が、旧労組の発言を妨害する気配が見えた。

廊下で行天を呼び止めた恩地は、あれを仕組んだのや遺族会を分断しようとしているのはお前かと詰め寄る。

その後、会長室を潰してみせると、堂本社長に耳打ちしていた。

1986年1月1日、国見を羽田に呼んだ恩地は、一番機の飛び立つ姿を一緒に観ていただきたかったと説明する。

その頃、行天常務は、国航商事の社長になっていた八馬と、クルーザーで正月を過ごしていた。

八馬は、国航が就航した国に、次々とホテルを買い付けていた。

恩地は、国見を、飛行機の整備部署に案内し、キャリーオーバーになっている現状を見せると、危険性を訴える。

何か手はないかと聞く国見に対し、機体付きシステムにしたら、もっと、担当機種に対する整備士たちの責任感が増すのではないかと提案する。

行天は、ジャーナリストを酒と女の接待攻めにし、国見を攻撃する記事を書くよう根回ししていた。

国見は利根川首相と会い、全てあなたに任せるから、王道で行ってくれと云われた言葉に感激し、一つその言葉を揮毫してもらえないかと頼む。

一方、大手町支店にいた八木は、ある日、電話をもらうと、金庫から大量の航空券を持ち出し、それを金券ショップで金に換え、夜、小料理屋で会った行天にこっそり渡していた。

行天は、八木に人事の事は任せろと耳打ちしていた。

ある日、恩地は、娘純子の見合いに出席していた。

相手の父親(桂南光)は、恩地が東大出である事や、国見会長の直属で働くようになった事を知り考えを変えた、これからも末永くお付き合い願いたい、ついては、国見会長も式に出席願えるのでしょうなと言い出す。

それを聞いた恩地は、こじんまり二人きりでやりたいと云っていた純子の話と違うと席を立ってしまう。

外まで追って来たりつ子からなだめられた恩地は、俗物根性丸出しの相手の父親に対する怒りを沈め、また元の席に戻り事にする。

その頃行天は、運輸族の大臣(渡辺いっけい)らを接待し、新規就航に関する申請許可の根回しをする。

その頃、和光を監査役として協力してもらっていた国見は、恩地を呼び寄せる。

恩地は、かつてテヘランでの上司に再会し驚く。

和光監査役が言うには、国航のドルの為替予約とホテル買収に疑わしい部分があると教える。

国見は、すぐに調べようと決断し、ホテル買収の真偽を確かめさせる為に、恩地をニューヨークに向かわせる。

ニューヨークに到着した恩地は、八馬が経営する高級ホテルに宿泊し、その後、そのホテルの買収時の事情を聞くため、担当弁護士事務所に調査に行く。

担当者は、恩地が持参した帳簿上の買収値段と、実際の買収値段に開きがあると指摘する。

450万ドル、当時のレートで日本円にして約9億円が、どこかに消えていた。

その後、動物園でライオンを観ていた恩地は、側に三井美樹がいる事に気づく。

あなたを付けて来たのだと言う。

さらに、彼女は、自分は、以前から行天の愛人でスパイであったのだと告白する。

彼女は、かつて、行天に会う為に嘘を付き、業務を交代してもらった桶田恭子が、123便の犠牲になった事を悔いていた。

そんな恭子の母親から、遺族会の名簿も手に入れたと教えた美樹は、このライオンの前に自分を投げ込んで欲しい、自分の方が死ねば良かったのだと自嘲する。

さらに、美樹は、走り続けていつかは破滅しそうな行天を助けて欲しいと、恩地に懇願する。

その頃、竹丸福総理は、国見が、国航のODA絡みの利権獲得にも調査の為動き出したとの報告を受けていた。

行天は、国見会長を喜ばすつもりで、新規三路線の許可が政府から下りたと報告に行くが、何故か浮かぬ表情の国見から、恩地にも君にも色々噂があるが、恩地の方は無視する事が出来るが…と意味ありげに皮肉られる。

その行天、ニューヨークから帰国した恩地に、報告を俺に見せろと迫るが、恩地は、美樹に会い、君の事を心配していたと応える。

恩地は、研究室で働いていた息子の克己を呼び出し、一緒に牛丼屋で飯を食う。

ある日、愛人に会いに出かけた野党の井之山代議士(田中健)は、見知らぬ男からエレベーターの中で話しかけられ、封筒を手渡される。

その中には、国民航空のドルの先物予約の不正に関する監査報告書類が入っていたため、早速、それをネタに、予算委員会で与党の道塚運輸大臣や利根川首相に揺さぶりをかける。

そうした予算委員会の様子をテレビで観ていた竹丸副大臣は、散髪屋にいた利根川に会いに行き、国航の件は閣議決定で決めるとの返事をもらう。

恩地は、珍しく八木から呼び出され、喫茶店に会いに行くが、八木は、昔、恩地や行天らと一緒に戦っていた労組時代の写真を見せただけで「あの頃、みんな輝いていた」とだけ言い残しさっさと帰ってしまう。

その後、八木は、福井県のとある温泉地に一人逗留していたが、公衆電話から行天常務に電話を入れる。

行天は、こんな事櫓に電話をするなと叱りつけるが、八木はもう二度と電話はしません。その内、常務に良い知らせが届くはずですとだけ言い残し切る。

八木は、その後、郵便ポストに「検察庁宛」の封筒を投函した後、東尋坊の崖に立つのだった。

靖国神社に呼び出された国見は、龍崎から、国の為にならぬから職を辞してくれと頼まれる。

国見は、国の為に引き受けたつもりはない。123便事故の遺族の為に引き受けたつもりだと抵抗するが、龍崎は、決定事項なので…と言葉を濁した後、一緒にお詣りをしませんかと誘う。

国見は、あなたは、誰の為に、何の為に詣るのです?と皮肉るが、それには応えず、龍崎は一人で神殿に向かう。

恩地は、御巣鷹山に登って下山した遺族会の面々と久々に再開していた。

その中に、あのアル中になりかけていた鈴木夏子の姿を見つけ近寄る。

夏子は、もう酒を飲まなくなったと言う。

整備工場で恩地と会った国見は、機付き制度をはじめて良かったとの恩地の報告を受け喜ぶと同時に、完敗ですと、国に利用されただけの自分の負けを無念そうに認める。

それでも、自分が辞める前に、自分の権限で恩地の次の身分を決めたいと申し出た国見に、恩地は、遺族会の事が気にかかるので…と、その担当を願い出る。

重役会を招集した国見は、今度、自分は職を辞する事になったと報告した後、動議を提出したいと言い出す。

重役たちに配られた書類には、国航商事のホテル買収に伴う不正経理の実態が書かれてあった。

八馬は、こんなでたらめを信じるのかと抵抗するが、八馬社長の更迭を指示なさる方は挙手願いますと云う国見の発言に、真っ先に手を挙げたのは行天だった。

その後も、多くの手が挙がり、行天の行動に逆上しながらも、八馬は役員室から連れ出される。

会議の後、遺族会へ向かおうとする恩地を呼び止めた行天は、お前の新しい任地はナイロビだと命ずる。

国見会長が約束したはず…と立ち尽くした恩地だったが、国見会長の権限は4月31日まで、お前の辞令は5月1日から、お前にうろちょろされたら目障りだと言い放つ。

それを聞いた恩地は、行天に対し、「お前、寂しい人間になったな…」と哀しそうに告げる。

その話を聞いた純子は、ナイロビ行きに反対するが、克己は、父さんも母さんも逃げずに生きて来た。最近少し、分かるようになって来たと弁護する。

そんなある日、会社を出かけようとしていた行天は、三人の男に取り囲まれる。

男たちは「東京地検のものですが、福井県の東尋坊で亡くなった方の件で…」と話しかけて来る。

行天は、今出て来たばかりの国航本社のビルを振り返り、そのまま黙って男たちの車に乗り込む。

一人、遍路の旅を続けていた阪口清一郎に宛てた恩地からの手紙には、一度、ナイロビのこの地を訪れていただけませんか…と書かれてあった。

恩地は今、ナイロビの地平線に沈み行く巨大な太陽を見つめていた。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

巨大な会社に翻弄された男の姿を描く、山崎豊子原作の映画化。

見終わった印象は、「普段、あまり映画などを観ない、まじめな会社人間のようなタイプの中年世代などが好みそうな内容だな」と云うもの。

労働組合活動を「会社のため」と信じて、その先頭に立って戦っていた主人公の姿は、今の感覚では、やや分かり難いものになっているかも知れない。

組合活動自体が、今となっては、今ひとつピンと来ない運動になっているように思えるからだ。

さらに、会社に一生を捧げると云う考え方も、昭和と今とでは大きく変化している。

つまり、そうした運動や考え方が当然だった昭和と云う時代を理解出来ない世代には、主人公の生き方に素直に共感出来ない部分があるのではないだろうか。

又、モデルになった日航機事故を、テレビ報道などを通して、実体験として観て来た世代と、全く知らない世代とでも、この作品に対する受け止め方は大きく違ってくると思う。

つまり、この作品は、職種や世代によって、かなり反応に違いがあるような気がする。

ステレオタイプな悪役として描かれている行天や八馬らと対立しているように描かれているので、一応、恩地の方に、観客は感情移入するように仕掛けられているのだろうが、素直に、恩地に感情移入出来るかと云うと、正直微妙。

このままじゃ、俺の挟持が許さない…と言うセリフが、彼の不器用に見える生き方を語っている部分なのかも知れない。

つまり、個人が抱く信念を貫こうとする姿勢が大切なのだと言いたいのだろうが、その姿勢は「義理と人情」などと同様に、やや時代錯誤に思えなくもない。

独り者ならそれで良いのだろうが、家族を持つ身で、そう云う考え方は正しいのか?

他人に対する甘えではないのか?

一応、大人になった息子の言葉が、父親の姿勢を支持出来るようになったと言う救いの言葉として用意されているが、夫や親に家族も従うと云う姿勢も、何やら「古風」に思える。

ラストのナイロビの恩地の姿には、もはや諦観も敗北感も感じられない。

彼が追いかける大きな太陽は、「昭和」と云う時代の象徴、つまり、この映画全体が「昭和と云う時代へのレクイエム」なのかも知れない。


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