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地獄('60)

1960年、新東宝、中川信夫監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

矢島教授(中村虎彦)が「地獄思想」を講議をしている教室内、大学生、清水四郎(天知茂)は、隣に座った無気味な同級生、田村(沼田曜一)の顔を見るなり、夕べの事を苦々しく思い出していた。

矢島教授の一人娘、ゆき子(三ツ矢歌子)と両親公認の元付き合っていた清水は、幸せ絶頂で談笑していた教授宅へ突然乗り込んできた田村の姿に驚く。

無気味な田村は、何故か教授の戦時中の暗い過去を知っていてそれとなく脅している様子。
当然、矢島家全員からも忌み嫌われていた。

そんな田村が運転する車に誘われて同乗した清水は、用事を思い出し、道を変更してもらった矢先、泥酔して道のまん中を歩いていたヤクザの志賀恭一(泉田洋志)を轢いたにも関わらず、平気で逃亡する田村の態度に恐怖する。

罪の意識に懊悩する清水に対し、田村には良心のかけらもないばかりか、事故の責任は道の変更を依頼した清水側にあるとでもいうような態度で、ますます強圧的な姿勢をちらつかせるようになる。

しかし、ひき逃げ現場から立ち去る田村の車は、近くにいた恭一の母親(津路清子)によって、しっかり目撃されていた。

十年前、夫もトラック事故によって失っていた彼女は、警察に届けても何の進展もないと悟っており、恭一の情夫洋子(小野彰子)と共に、個人的に犯人を突き止め、復讐する事を誓いあう。

一方、罪の意識に苛まれた清水は、幸子に全てを告白し、一緒に警視庁に出頭しようとタクシーに乗り込むが、何故か、その車もまた事故を起こしてしまい、同乗していたゆき子は命を落としてしまう。

傷心の清水の元に届けられたのは、「ハハキトク」の電報であった。

清水は田舎の実家に帰り着くが、そこに待っていたのは、病床の母親がいるにも拘らず、愛人とのただれた生活を続けている父親の姿と、死んだゆき子に瓜二つのサチ子(三ツ矢歌子-二役)という娘であった…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

…と、ストーリーを追っていても、この作品ではあまり意味がない。

全体的に超現実的というか、前衛的というか、不条理というか、とにかく一種独特、不可思議な雰囲気で綴られているからである。
ストーリー展開も、昔の怪奇探偵小説的な雰囲気を覗かせながらも、極めて意図的に作り物めいたものになっている。

中盤の田舎での、猥雑で明け透けな狂気を孕んだような人間描写。

後半の、執拗な地獄絵図の再現。

娯楽映画というより、全体が「動く地獄絵図」になっているかのような、独特の美意識に貫かれた観念的な映像に圧倒される。

そのため、この雰囲気に馴染めるか、馴染めないかによって、作品の評価も違ってくるだろう。

そんな中、本作で一番インパクトがあるのは、田村を演じている沼田曜一の圧倒的な存在感である。
彼の存在が全てといっても良いほどである。
彼の無気味なキャラクターの前にあっては、さしもの天知茂の眉間にしわを寄せた懊悩演技も霞んでしまうくらい。

この沼田曜一を見るだけでも、本作を観る価値はあるのではないか。

とにかく、良くも悪くも、強烈なインパクトだけは心に焼き付く異色作。

ちなみに、素顔に墨で隈取りしたような閻魔大王役で登場するのは、アラカンこと嵐寛寿郎である。