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ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS

2003年 横谷昌宏脚本、手塚昌明脚本+監督作品

作品の評価的にも、興行成績的にもぱっとしなかった作品の続編が作られるという事自体が不可解なのだが、予算の削減に対処する苦肉の作だったとか、何かそういう裏事情があったものと思われる。

おそらく、最初から2部作として計画されていたのだろう。

というのも、前作「ゴジラ×メカゴジラ」の中で登場する伏線が、今回の作品のラストに繋がっているからである。

しかし、だとすると、前後編、合わせて3時間の大作に見合うだけの内容があったのかというと、寒々しい気持ちにかられる。

大体、今さら、キャラクターとしては消費し尽くされた感のあるゴジラ、モスラやメカゴジラを使って、どれだけ面白い話が作れるというのか?
本当に作りたくて作っているというより、無理矢理、作っているとしか思えないのである。

案の定、出来て来た新作の中身は、どこかで観たような映像を繋げただけの、新鮮さのかけらも感じられない単調なものになってしまった。

ゴジラや生命に対する尊厳と思いやりを…というようなテーマも、何を今さら…と、しらじらしさを感じるだけ。

大人だけではなく、おそらく、この映画を観て、そういうきれいごとメッセージを素直に受け取る子供はほとんどいないと思う。 ただただ、チープで空疎な都市破壊シーンの連続が焼き付くだけではないのか?

そもそも、作り手は、幼児向け=単調なストーリーとでも錯覚しているのだろうか?
単調なストーリーは、幼児が観ても、単調なだけであろう。

ドッペルゲンガー(分身)を見ると、その本人は死ぬという怪異談があるが、メカゴジラは、いうなれば、ゴジラのドッペルゲンガーである。

事実、昭和のゴジラシリーズはメカゴジラが登場した後、長く途絶える事になる。

それは、主役であるゴジラ自身のカリスマ性が薄れた証しだったのだろう。

本作もまた、何が本当に主役だったのか、不鮮明なまま終わっているのが象徴的ではある。

怪獣ものは受けなくなったから、メカもの要素を前面に出して…というなら、もう「ゴジラ」の看板は外して、メカを主体とした新シリーズとして練り直すべきだろう。

ただただ「ゴジラ」の名前を客寄せ用のブランドとして利用しているだけだとしたら、そんな作り手に「ゴジラや生命への思いやり」なんて語る資格があるのだろうか…。